昨年を上回る
賛同者を集め
六月一五日、東京・中野ゼロホールで「普天間即時閉鎖、辺野古やめろ、海兵隊いらない 今沖縄と『フクシマ』が国策の誤りを糺す」と題して「沖縄第2期意見広告 報告集会」が開催された。集会には四〇〇人が集まった。
昨年に続き、「復帰の日」を前にした五月一四日に「琉球新報」と「沖縄タイムス」に、そして五月一五日に「朝日新聞」全国版に「命どぅ宝」と大書して掲載された全頁意見広告は、昨年を上回る五〇〇一件の賛同者を集めることができた。とりわけ沖縄現地では、多くの反基地団体や市民団体からの賛同を得ることに成功した。意見広告は「普天間基地へ撤去。米海兵隊は撤退を」という訴えをメインとしつつ、東日本大震災での米軍と自衛隊の共同作戦を通じた「日米同盟」の宣伝に抗して「『トモダチ作戦』はいらない。『思いやり予算』を復興支援に」という主張が掲げられた。また「変えよう!軍隊や核抑止力、原発に頼らない日本へ」という文言も入れられた。
この日の集会は、沖縄米軍基地、福島原発災害に示される「国策」の誤りを問い、国家のあり方を根本的に変える方向性を論じるとともに、アメリカのメディアへの意見広告を呼びかけるために開催された。
普天間閉鎖!
辺野古に作るな
発起人として開会のあいさつに立った上原成信さん(沖縄・一坪反戦地主)は米国の中にも議会を中心に辺野古移設は非現実的とする論議が強まっていることにふれて「ここで一気に押せば新しい基地は作らせずにすむ。米国での意見広告を成功させよう」と訴えた。
国会報告を行った山内徳信参院議員(社民党)は、福島原発での「安全神話」と戦前・戦中の「皇民化」政策が重なって見えると語り、菅内閣不信任をめぐる国会の動きに「国会議員であることが恥ずかしい」と述べた。そして「未曾有の危機を通じて日本の国民は変わらなければならない」と訴えた。
沖縄現地からの特別報告は前宜野湾市長の伊波洋一さんとヘリ基地反対協代表委員の安次富浩さん。
伊波さんは普天間基地の嘉手納統合案に反対する嘉手納現地の動きやオスプレイの普天間配備通告に反対する座り込み闘争について報告した。伊波さんは自衛隊の先島配備、PAC3配備を含めて、朝鮮半島有事を射程に入れた在沖米軍基地と日米安保の役割がますます鮮明になっていると語り、身の回りで始まっている現実の戦争状況に対し、海兵隊を撤退させ、基地をなくす運動を改めて作り出すことの重要性を強調した。そして沖縄の米軍基地はまさに占領からの継続であるがゆえに米軍機には航空法も適用されていないという実態を明らかにし、米国の中での軍事費削減、海兵隊撤退の意見が浮かび上がっている状況を活用しながら運動を作り出していく重要性を語った。
安次富さんは、原発震災・放射能汚染からの避難する人びとが沖縄にも来ていることにふれながら「沖縄は本当に安全なのか、核兵器がないと言えるのか」との疑問を投げかけた。その上で福島原発災害と沖縄の米軍基地を重ね合わせながら「被害を受けるのは原発周辺地域の住民であり、基地と隣り合わせに住む住民だ。住民の反対を抑え込むためにどちらにも交付金がばらまかれ、カネの力で反対意見が黙らされてきた」と批判した。安次富さんは嘉手納統合・普天間固定化という構想を許さない、と訴え、「思いやり予算を被災地復興にまわせ」と強調した。
福島の子ども
たちを守ろう
休憩をはさんで福島からの報告。佐藤幸子さん(福島・子どものいのちを守る会)と丸森あやさん(こども福島ネット)が報告した。
川俣町で有機農業と養鶏を営んできた佐藤さんは五人の子持ちだが、四人を山形県に避難させているという。「現在幼児から高校生までの子どもは福島県に三〇万人いるが、そのうち九九九八人が県外に避難しているという。子どもは約三・三%が避難している計算だ。しかし政府は避難を余儀なくされている人たちに何もしてくれない。学校でもようやく『年間一ミリシーベルトを目指す』と言っているだけだ」。
佐藤さんは「いま県は三万四〇〇〇人の子どもたちに三カ月間線量計を貸し出すとしているが、そのための費用は一億四〇〇〇万円だという。一方米軍への思いやり予算は一日で五億円の計算だ。政府が線量計のための費用を支出するために思いやり予算をけずることもしない。第二次大戦の末期、米軍は福島に原爆投下を見据えて模擬爆弾を落とした。いま福島原発事故という爆弾が福島に落とされた。子どもたちを人体実験の材料にするつもりなのか」と、絞りだすような声で怒りの意思を示した。
丸森さんは、母親たちが学習班、防護班、避難班などを作って自主的に原発放射能から子どもを守る活動をしていることを報告し、沖縄の海も福島の美しい自然も汚してはならない、と語った。
福島みずほ社民党党首のあいさつをはさんでたんぽぽ舎副代表の山崎久隆さんが福島第一原発事故の現状を報告した。
「政府のIAEAへの報告書は、『原発の安全性への懸念、放射能汚染への疑念をもたらしたこと』を陳謝する、と書いている。なんということか。事故を起こしたことへの陳謝ではないのだ。いま一〇万トンを超える汚染水があふれだそうとしているが、その放射能量は私の計算では五〇〇京ベクレルとなり、再処理工場がためている高濃度放射性廃棄物の量に匹敵する。さらに放射性希ガス・キセノン133の危険性も重大だ。福島第一原発は収束どころかカタストロフィ(破局)の最終段階に入ろうとしている。世界のだれでもいいから止めてくれ、と言いたい気持ちだ」。
最後に連帯あいさつがフォーラム平和・人権・環境の藤本泰成事務局長、反原発自治体議員・市民連盟共同代表の布施哲也さん、JUCONの花輪伸一さん、沖縄を踏みにじるな!緊急アクションの園良太さん、茂木遊さんから行われた。締めくくりに大野和興さんが、これからの活動としてアメリカへの意見広告運動を提起した。
(K)
辺野古実が首相官邸前行動
オスプレイの配備をやめろ
高江ヘリパッドもつくるな 六月一七日、辺野古への基地建設を許さない実行委員会が、「普天間基地即時閉鎖、辺野古への新基地建設を許さない」申し入れ行動を行った。最初に沖縄現地のヘリ基地反対協の安次富浩さんが電話によるメッセージを寄せた。
「六月二一日にワシントンで開かれる2+2の内容が暴露されている。@米軍と地方自治体の協力の重要性A原発事故の際、米軍・自衛隊の協力の必要性がプラスされている。これを含めてV字形の二本の滑走路を持つ新基地を辺野古に作ることを合意するというものだ。これは国民を愚弄するものだ。国民の生命を守るというのなら、すべての原発を停止すべきだ」。
「新型軍用ヘリのMV22(オスプレイ)を来年の一〇月に一二機、普天間基地に配備することを米軍が発表し、日本政府もこれを容認している。このオスプレイは昨年四月にアフガニスタンで事故起こしているのに、この時所属が空軍なので海兵隊の事故数には入れないとしている。それで、事故はなく安全だとごまかしている。来年の配備に対して、反対運動を全県的につくっていく。政治を沖縄から変えていく。ふんばりを共有し、皆さんと共に変えていこう」。
次に、新宿ど真ん中デモを行ってきた「沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委が、「高江ヘリパッド建設はノグチゲラの繁殖期間中(三〜六月)は工事をしない、という取り決めのため工事は止まっているが、七月から工事が再開される可能性がある。そのため、七月一日に『高江ヘリパッドお断り!辺野古新基地お断り! 防衛省ど真ん前デモ』を計画している」と参加を呼びかけた。
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックが「沖縄には屈辱の日が三つある。サンフランシスコ平和条約によって、日本から切り離され米軍政の統治下にされた四月二八日、沖縄返還がされた五月一五日、そして沖縄戦が終わった六月二三日(現在は慰霊の日)。この六月二三日に山城博治さんを招いて集会を開く」と紹介し、参加を呼びかけた。
沖縄戦に関する教科書検定意見の白紙撤回を求める6・23行動実行委が「四月二一日、大江・岩波沖縄戦裁判で日本軍防衛隊長らの原告の主張を退ける最高裁判決が出され確定した。二〇〇六年度の高校歴史教科書の教科書検定意見で、文科省は沖縄戦『集団自決』が日本軍による強制・命令によるもの、というそれまでの記述を削除させた。その後一部記述の修正はあったものの、検定意見はそのまま残っている。この検定の根拠ともされた裁判が検定意見をくつがえすものだ。慰霊の日の六月二三日正午から文科省前で抗議集会・撤回の申し入れを行う」と発言した。
発言の最後に一坪反戦地主の上原成信さんが「本来なら、外相や防衛相が渡米できないような運動の盛り上がりをつくらなければならない」と運動の一層の奮起を促した。この後、八つの団体・個人による申し入れが行われた。
(M)
コラム
海峡の向こう
五月末、家に帰ると郵便受に「息子夫婦が嫁さんの実家である函館に帰省した時のお土産」というメモとともにスルメ数枚。翌朝、お礼の電話をかけると息子夫婦は函館で両親とともに反原発集会に参加したという。北海道の泊原発は積丹半島の南岸、函館より小樽の方がはるかに近い。抗議の対象が大間原発であることを理解するまで結構時間を要した。かつて大間で見たテレビは函館のデパートや病院の宣伝ばかり、港には函館との間を航行するフェリーが接岸していたのを思い出した。下北半島の突端大間町は函館が生活圏。
三月の原発事故まで函館も例外ではなく、原発に対する市民の関心は低かったらしい。だが事故が報じられると雰囲気は一変、初めて屋外の大衆集会が呼びかけられ、数百人が参加(この集会に参加したらしい)。建設中の大間原発と函館は直線距離にして一八`、福島第一原発の二〇`と重ね合わせると函館の市街地はかなりの部分避難地域に含まれる。その上、一八`は遮るもののない海、さらに建設中の大間原発はプルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料のプルサーマル。それも国内初のフルMOX。危険性はより大きい。
「まず、町議会で誘致決議……(だが)八五年一一月の大間漁協の総会で、三分の二の組合員が反対して……否決された」「これにたいして、町当局から……巻き返しがはじまる……それで結局、九八年八月に決まった大間漁協の補償金は一五〇億円」(『原発列島を行く』鎌田慧著、集英社新書)。
地図を開くと下北半島は核施設が競いあうように並ぶ。過酷な自然環境に付け込んでカネをバラまいた結果だ。六ヶ所村は核燃料サイクル基地、東通村には東北電力の原発、むつ市には中間貯蔵基地が計画され、各自治体の予算は原発関連交付金などが四〜六割を占め、下北半島の「恩恵」で青森県の財政も原発関連のカネが一三%にも達する。そして福島の原発銀座周辺と同様、ここも「平成の大合併」は行われていない。大合併の本質が自治体財政の破綻に起因することが逆説的に表現されている。
街頭のアンケートで「大間」という質問に、七割の人が「鮪」と答えるという。マスコミが原発建設には触れず「大間と鮪」ばかりを流し続けている間に、この北国の寒村に国と電源開発は六〇億円のカネを注ぎ原発工事を進めた。二〇一一年一月の工事進捗率は三三%で、一八〇〇人の工事関係者が町に常駐している。当初は二〇一四年に運転開始を見込んでいたが、炉心予定地近くに土地を所有していた故熊谷あさ子さんが土地を売らず、ログハウス「あさこはうす」を建て抵抗し続け工事を遅らせてきた。現在も建物の中にまだ原子炉は入っていない。今は六・一一の芝公園集会で発言した娘の小笠原さんが闘いを引き継いでいる。事故後多くの函館市民は私のように大間が「対岸」ではないことに気づき闘い始めている。
「原発」問題は知れば知る程、戦後日本社会の縮図であることに気付く。「脱原発」が戦後史の転換であることもそこに根拠があるような気がする。
(武)
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