政府の安全基準
のでたらめ暴く
六月一三日、衆議院第一議員会館で「福島原発事故に関する公開質疑〜いのちを守る避難対策を〜」が行われた。四月二七日に行われた公開質疑の第二弾で、国会議員有志と福島原発事故緊急会議が共催した。前回は、原子力安全保安院や原子力安全委員会の担当者の出席の下に事故の今後の見通しについて政府側の見解を問いただす趣旨で行われた(本紙五月一六日号参照)が、今回は放射能汚染被害への住民避難対策についての政府の見解を問い、市民と意見を交換するものとして準備された。この公開質疑には平日の昼間にもかかわらず二〇〇人が参加した。
午後一時からの公開質疑に先立って、同じ場所で市民の側の事前の学習会が行われ、元理化学研究所研究員で名城大学名誉教授の槌田敦さんと、欧州議会「緑の党・欧州エコロジー」議員のミシェル・リヴァジさん(元グリーンピース・フランス事務局長)が報告した。
槌田さんは、福島第一原発1号機が地震発生直後に完全に制御不能となり、電源喪失により同日夜半まで約九時間にわたって原子炉内部の状況についてのデータが失われてしまったこと、1号機にはすべての電源が失われても炉心を冷却できる非常用復水器がついていたにもかかわらず、その取り扱いができず短時間のうちに燃料崩壊に至った理由を問うた。また2号機が三月一四日午前まで水位が保たれていたにもかかわらず正午ごろから水位が低下し、さらに原子炉圧力が激しく変動した理由、3号機燃料プールの制御失敗の理由が水素爆発であるという安全委、保安院の説明について疑念を提起した。それが大量の高放射能がれきをまき散らしたことから考えれば「核爆発」以外には説明がつかない、というのが槌田さんの見解だ。
ミシェル・リヴァジさんは、一九八六年四月二六日のチェルノブイリ事故にあたって「放射能の雲からフランスは守られている」という政府の説明の虚偽に対し、市民の側から独自の放射線量測定を進めるグループ(CRIIRAD)を創設した経過を語った。リヴァジさんはフランスでは年間一〇ミリシーベルト以上の放射線量が退避圏内に入ること、チェルノブイリでは子どもたちの八〇%が何らかの健康被害をこうむっていること、子どもたちを守るためには二〇ミリシーベルト基準を受け入れることはできず、少なくとも年間一ミリシーベルト以下に抑えるべきことを訴えた。
資料提出は当日
になってから
午後一時からの公開質疑には、社民党の服部良一衆院議員、民主党の稲見哲男衆院議員、平山誠参院議員(無所属)など六人の国会議員、政府からは内閣府、原子力安全保安院、原子力安全委員会、文科省科学技術・学術政策局の一一人が参加した。主催者側のアドバイザーは槌田敦さん、ミシェル・リヴァジさん、崎山比早子さん(元放医研、原子力資料情報室、高木学校)。
今回の主な質問項目は以下の通り。
「現行の避難計画では、年間外部被曝線量が二〇ミリシーベルト以下と予測される区域の住民の大部分は避難せずに自宅に留まることになるが、このような環境で生涯被曝しつづけても安全と考えるか」「少なくとも年間一〇ミリシーベルトを超える地域については早急に避難させるべきではないのか」。
「今後新たに大量の放射能放出が起きた場合に備えて、広域避難などの計画はどの部署がどのように準備・策定しているのか」「大気中の放射性ガス、粉塵の検出・測定体制はどのようになっているのか」「ヨウ素剤はどのように配布し、服用させるのか」「避難の想定人数、自治体の職員の事前教育、研修、住民への事前広報、高性能マスク・線量計・合羽などの事前支給、住民の移動手段と避難先確保・生活支援体制」。
「SPEEDIなどによる放射線放出の予測結果の事前公開」「水産物の検査項目にストロンチウム90の検査が含まれていない理由は?」。
今回も前回と同様に、「今後各号機について状況が悪化する可能性」「現在までの住民の避難対策」「周辺地域の放射能汚染データ」「作業員の放射線防護・被曝管理」など事前の資料請求を求めてきたが、資料が送られたのは六月一三日当日の午前中であり、主催者側が資料の検討に要する時間は全くなかった。
「緊急時」はいつ
まで続くのか?
質疑は、主に避難区域の対象を放射線線量を年間二〇ミリシーベルト以上の区域に限定していることに集中することになった。安全・保安院など政府側の回答は、「ICRP(国際放射線防護委員会)の緊急時の退避基準が年間一〇〇〜二〇ミリシーベルトであり、子どもと大人を区別していない。今のところ二〇ミリシーベルト基準でいく」ということに終始した。
しかし「ICRPの基準とはまさに『緊急時』のデータの一例であって、福島のように事故がいっこうに収束せず、『緊急退避』が長期間にわたることを想定したものではないはずだ。福島の人びとはずっとこの高い放射線量にさらされ続けている」との質問に対しては、「一ミリシーベルト程度にまで減らす努力をしていく」と繰り返すのみであった。
文科省がさる五月一六日に発表した「積算線量推定マップ」では年間二〇ミリシーベルト以上の地域が「計画的避難区域」の相当部分を占めており、さらにそれ以外の福島市、伊達市、二本松市、本宮市、郡山市、川俣町、相馬市、南相馬市にも一〇ミリシーベルト以上の区域が広がっている。フランスの放射線防護安全研究所(IRSN)は原発から半径二〇キロ以内の「警戒区域」以外に居住する住民で、予想される外部被曝線量が年間一〇ミリシーベルトを超える住民の避難を求めており、チェルノブイリ事故の際にも七〜二〇ミリシーベルト区域の住民を「非強制避難」の対象としているのだ。
結局のところ政府は、原発事故の収束・安定化という希望的観測の下に、ICRP基準を金科玉条として避難区域の拡大の可能性を回避しているにすぎない。「これ以上、避難地域が拡大したら大変なことになる」という勝手な都合を正当化するために持ちだしてきたのが「二〇ミリシーベルト」基準なのだ。
市民たちは口々に「避難をまずさせた上で、放射能除染に全力を注ぐべきだ。そのための費用は全額補償すべきだ」「一年でおさまらずさらに長引くことが予測される状況で、基準を見直すことが必要だ」と訴えた。
「プラントは安定化している。事態は収束の方向に入っている」と政府担当者は繰り返す。しかしそうした楽観を許す状況ではない。さらなる被害の拡大について「想定外」と逃げることは許されない。住民の避難、保護という責任を政府に取らせることは被災者住民と力を合わせて解決をはかろうとする私たち全体の課題なのである。 (K)
寄 稿
福島から東京へー初めてのデモ参加
不誠実な東電に怒り、脱原発への確信 6.11東京に福島の声を届けようバスツアー実行委/T 「脱原発100万人アクション」と銘打ったデモが、東日本大震災から三か月後の六月一一日に日本全国、そして海外でも行われた。私たちは福島から東京のデモ、そして東京電力に申し入れをするため、四〇数人でバスに乗り込み東京へ向かった。東京に着き、まずはじめに東京電力本社
へ。雨が降りしきる中 、申し入れの際出てきたのは警備員一人。本来ならば東京電力側が福島県に出向くべきなのに、誠意の一片も感じられない対応に怒りを通り越し、疲労感と無力感でいっぱいになった。
その後、芝公園の集会とデモ、そして新宿のデモに参加して、カルチャーショックを受けた。芝公園のデモでは、警察官に先導されて、列に並びシュプレヒコールをあげて歩いた。途中で、原発推進派の団体に遭遇。福島の苦しみを理解していない団体にはじめて出会ったことに衝撃を受けた。彼らにも言論の自由はあるので批判するつもりはないが、ただ罵声を浴びせるだけの行動には非常に怒りを感じ、気づけば自分も感情的になり怒鳴り声を上げてしまっていた。
その後、新宿のデモに移動するため、芝公園のデモを福島組みんなが抜けようとした際、警察官の態度が一変。列を乱したと思った警察官が福島の私たちに向けて発した言葉「逮捕するぞ」は今でも忘れられない。国家権力はおそろしいものだと本を読んだり、人から話しをきいたりして分かってはいたものの、自分が弾圧される立場になり、かなりの恐怖を感じた。
その後、無事に新宿のアルタ前に到着。今まで私がデモに抱いていたイメージは掻き消された。そこにはデモとは無縁の若者たちで溢れ、ひとりひとりが音楽やファッションを通し、様々な形で脱原発を訴えていた。まるで音楽フェスティバルのように熱気と活気に溢れていた。私も実は今までデモに参加したことがない、デモとは無縁の若者だった。今までTVから流れる情報に何の疑問を持つこともなく、教科書どおりの知識で、何の不自由もなく自分の幸せだけを考えて生きてきたため、デモをする必要性がなかった。それが今回の原発事故で今までの生活が奪われ、国家権力に騙され続けてきたことに気づかされ行動に到った。ある国会議員がこのデモのことを「集団ヒステリー」と言っていたらしいが、今回のデモは国に都合よく操られていたことに気づいた若者たちが、憲法で認められた表現の自由をただ単に行使しただけのことだと私は思っている。なにはともあれ若者たちがここまで積極的に声を上げた光景を見て、日本が脱原発に向けてこれから進んでいくと確信することができた。
その反面、東電や警察官の態度を見て、日本国家の体質を変えていくにはまだまだ時間がかかると感じた。あるイタリアのTV局特派員に「日本は今までデモらしいデモをしてこなかったし、国民投票もない。そして警察に規制されているデモでは社会は変わらないよ」と言われ、私は「変えていきます」と何の根拠もないが答えてしまった。課題は山積みだが、国民みんなで声を上げていけば日本は変えられると信じ、今後も若者たちとともに行動し続けていきたい。
静岡・脱原発行動に二六〇人
浜岡を廃炉に共同の拡大を 【静岡】六月一一日、小雨はあがったが静岡市の集会場である青葉公園には五月の集会の時より出足は鈍い。集会が始まっても若い人が少なかったせいか今一歩雰囲気が盛り上がらない。「浜岡原発の停止決定」が人々に何らかの影響を及ぼしていることは明白であった。停止の次の目標は廃炉だという突き出しが弱いのかもしれない。また「お茶の放射能汚染」と廃炉をひとつの問題として掲げ切れていない弱さもある。だが集会が進むにつれ、最終的には二六〇人が結集、集まった人たちは歌に共感し、五月集会にもおとらぬ元気さでパレードに出発した。
主催した市民グループ「ふきのとう」は今まで一定孤立しながらも奮闘してきた。しかし今や小さくまとまってがんばるという局面は終わりつつある。この日、浜松では二〇〇人を越す結集で集会とデモが行われたし、県内各地でも様々な行動が始まっている。
次は七月一七日の集会を県内の闘う勢力が共同して結集できるように行動することを確認するとともに、闘いを廃炉・脱原発の力に押し上げていくことを確認した。 (S)
【訂正】本紙前々号(六月一三日号)二面「橋下大阪府知事の暴挙を止めよう」(下)論文4段右から9〜10行目「橋下知事当選直後の」を削除します。
前号(六月二〇日号)1面芝公園集会の記事で鈴木浩行さん発言の「二日間で二マイクロシーベルトになる」を「一時間あたりずっと二マイクロシーベルトを超えていた」に、6面中国論文リード5行目「二〇〇六年」を「二〇〇八年」に訂正します。
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