5月4日夜、ハンナラ党は韓・EU(ヨーロッパ連合)自由貿易協定批准案を単独で強硬処理した。民主労働党や進歩新党など群小諸政党の反対は徹底して無視した。強者の暴力だった。この事件は韓国社会が依然として力の論理によって支配される社会だという事実を当たり前のように見せつけた。〈ハンギョレ21〉は、一貫して不義の力が勝利した現代史の過去と今日を振り返りつつ、韓国社会が進み行く方向を考えるために、民間人虐殺から企業社会論まで現実に立脚した研究と鋭い批判によって学問的成果と社会的実践を併行しているキム・ドンチュン聖公会大教授(社会学)の連載を企画した。キム教授のコラム「暴力の世紀vs正義の未来」は過去の不正義がいかなるメカニズムの中で同一のやり方で今日のMB(イ・ミョンバク大統領を指す)において繰り返されているのか、歴史的眼目と明快な分析を通じて明らかにする予定だ。(「ハンギョレ21」編集部)
昨年12月8日、予算案をはじめ4大河川事業関連の親水地域活用特別法、アラブ首長国連邦(UAE)派兵同意案、ソウル大学法人化法など数十個の争点法案を一切の討論なしにナルチギ(数を頼りに一方的に法処理すること)で通過させた後、ハンナラ党キム・ムソン院内代表は「私は、これが国民のための正義だと考える」と語った。
彼は野党との協議手続きをすべて無視し、力の多数を根拠として国民の半分以上が反対している4大河川事業の予算を、ほとんど手をつけることもなしに強行処理したことを「正義」だと語った。当日の青瓦台(大統領府)首席秘書官会議でも争点法案や予算案を強行処理することに決定していたのであり、当初は予算案の会期内処理の方針を下していたイ・ミョンバク大統領は、このような暴力的方法によって法を通過させたことについて「予算案が通常国会会期内に通過したことは幸いなことだと思う」と応え事実上、このナルチギ通過は彼が背後で演出したものであることを認めた。ハンナラ党関係者もイ大統領の意向が伝えられると強行処理の側へと糸筋が定まった、と語った。キム・ムソン代表が語った「正義」は、まさにイ・ミョンバク大統領と青瓦台が考えている正義だと見てもよいだろう。
歴代の独裁者たちが実践
当日、国会からハンナラ党によって引きずり出された民主労働党イ・ジョンヒ代表は「正義という単語が無知をさらけ出すことに使われた奇異な例」だと批判した。彼は「イ・ミョンバク政府とハンナラ党は予算案を12月2日までに処理せよという手続き規定を「目的規範」であるかのようにアベコベにして民主主義をぶち壊した」と激しく非難した。
キム・ムソン代表の言葉通り、予算案が通常国会の会期内に通過しなければ、国のなりわいにとって様々な点で混乱や不都合が生じるかも知れない。野党をただただ説得することも簡単ではないだろう。ナルチギの理由は単に、これだけだったのだろうか。提出した予算が全額確保してこそ4大河川事業を後戻りできないまでに進捗させられるという大統領の意志がナルチギ強行の実際の背景だったようだ。いずれにせよ国民的討論がぜひとも必要なソウル大学法人化法などの争点法案まで一把ひとからげでナルチギ通過させてなお、これが「国民のための正義」だと強弁する態度は、わが社会の主流勢力の思考のあり方を、そのまんまさらけ出している。
パスカルは「力が正義だと無理強いすることほどに我々を憤慨させるものはなく、また正義が力の裏付けがなくて毅然として立つことができず不義によって追い立てられることほど残念なことはない」と語った。日帝の植民地の状況、分断以降の韓国政治を予想でもしたかのようだ。
日帝・関東軍将校出身のパク・チョンヒと対決していた学徒兵脱出者出身の独立運動家チャン・ジュンハは、早くから「わが社会は力が第一であり、力がすなわち正義であり、力さえあれば充分だという不幸かつ不条理な考えに陥った。官民を問わず権力万能、権力崇拝の思考に陥った。力は正義を伴わなければならないし、正義に力を与えることができなかったために力が正義だという無理が大手を振ることになった」とパスカルを引用してパク・チョンヒ時節の韓国政治を嘆いた。
日帝末に親日の道へと進んだユン・チホは、力ある民族が力なき民族を圧迫するのは「重力の法則ほどに普遍的な性質の法則」だと断言した。4・19直後、キム・スヨン詩人は「8・15を、6・25(朝鮮戦争のこと)を、4・19(1960年の民主化)をくたばらずに生きてきたのであれば分かるだろう。大韓民国では共産党ででもなければ、人間などは何千人が死んだところで平気の平左なんだから(手遅れの感は否めないが)」と韓国で力が即正義として作動していた世相を辛らつに皮肉った。
イ・スンマン、パク・チョンヒ、チョン・ドゥファンなど歴代の大統領は力が正義だという論理を徹底的に実践した張本人たちだ。専制君主やファシズムの指導者、軍事クーデター勢力など絶対権力を振りかざしている権力者たちは自身の政敵に常識的には納得できない罪名をひっかぶせて、ともかくも無条件に捕らえた後、彼らを処罰することのできる関連法を強引に見つけだすか、はたまた手続きを経ることなしに法を作り処罰することが日常茶飯事だった。
イ・スンマンは国会内の反対派である少壮派の議員たちを、戒厳令を宣告した後、国家保安法違反の容疑で投獄した。また批判的なメディアには「国是違反」「国威損傷」「国家機密漏洩」などの理由を挙げて萎縮させ、日帝が統監府時代に作った光武新聞紙法や米軍政の時期の法令まで適用して〈東亜日報〉編集局長を不拘束起訴したり、〈京郷新聞〉を廃刊させたりした。一方、競争者であるシン・イッキを「ニュデリー会談説」をでっちあげることによって失脚させ、また政敵として浮上したチョ・ボンアムをスパイとして仕立て死刑に追い込んだりもした。
パク・チョンヒの力の論理は「刀を持つ人になりたりたくて」小学校の教職を投げうち、満州・奉天軍官学校に入学した青年時代以来、南労党の細胞で活動した1948年から、転向して軍服を脱いだ後、韓国(朝鮮)戦争が勃発して再び軍に入って以降の1961年まで、生死の境を行き来しつつ見守った韓国の現実の中で徹底して体得したものだった。彼が体験した日帝や解放後の韓国社会において、力は左右を乗り越えた。彼が南労党に連座して死刑直前に奇跡的に命拾いをしたのも法や原則ではなく、チョン・イルクォンら知人たちの力によってであり、また1950年代にずっと軍で出世できなかったのも力がなかったからだ。そうして彼は力を持つために憲法を無視して5・16クーデターを敢行した。
パク・チョンヒと5・16軍事クーデター勢力は、いかなる法的根拠もなしに作られた国家再建最高会議で国家再建非常措置法、革命裁判所および革命検察部法、特殊犯罪の処罰に関する特別法などを制定し、この法が制定される以前の行為にさかのぼって適用して進歩・革新系の人々を拘束し死刑にまで至らしめた。この場合、法治あるいは法の名によって政敵や危険勢力を捕らえているものの、それは誰がどう見たとしても権力の政敵者に対する報復そのものだった。彼らにとって法は正義ではなく「力」を包みこんでくれる装飾品だった。 正義の不幸、不義の幸福 光州5・18の当時、民主化デモを力で鎮圧し、デモ群衆を大量虐殺した後に執権したチョン・ドゥファンは「正義社会」の具現を旗じるしに掲げた後、はなから新しい党の名前に「正義」の文字をねじ込み、かの有名な「民主正義党」を創党した。それに先立ちチョン・ドゥファンはキム・デジュンら政治的反対勢力を内乱陰謀罪を仕立てて拘束し、労組活動家を社会浄化を行うとしてすべて解雇・拘束するとともに批判的な大学教授らを大学から追放した。チョン・ドゥファン政権での正義は光州での軍靴の列と銃剣、拷問の道具たる水と電気と角材だったのであり、デモ隊に正面から照準を合わせた催涙弾の水平撃ちだった。その時節の実定法がただちに正義となり数多くの在日同胞、教師、拉北漁夫がスパイにでっちあげられ監獄に送られたのであり、パク・ジョンチョルが拷問によって殺され、クォン・インスクが性の拷問を受けた。
昨年末、多数の力で予算案をナルチギ通過させたのを「正義」だと「定義」したキム・ムソン代表の発言は全く新しいことでもないし、また驚くべきことでもない。かつて彼の先輩たちは軍事力あるいは暴力が正義だと言ったけれども、今は多数が正義だと変わったのにすぎない。民主化がされて以降、力の主体、つまり彼らの言う正義の根拠や主体が変わり始めた。軍隊、安企部、機務司、警察は次第に後退し、国会、裁判所、言論がその座を取ってかわった。
ところがイ・ミョンバク政府になって、通過させようとする法はナルチギで通過させ、政治的に処罰したい人物や集団は、世の人々が思い出しもできない死文化された法の条項を引っぱり出して強引に起訴し、反対勢力のデモは力によって鎮圧するイ・スンマン、パク・チョンヒ式の正義が一層、気勢を増すようになった。
キャンドル・デモに乳母車を引いて参加すると「児童虐待罪」で処罰すると言い、チョン・ヨンジュ韓国放送社長を任期終了前に追放する名分がないものだから、会社に損害を及ぼしたとして背任罪で起訴し、ミネルバを電気通信基本法という聞いたことも見たこともない法によって拘束し、また実に100万人もが見たキャンドル・デモの動映像を自分のブログに載せたキム・ジョンイク社長を大統領名誉棄損罪で起訴したことなどが、その代表的な例だ。イ・ミョンバク政府下では法は正義ではなく、政治的反対勢力、つまり追放したい人を処罰する手段へと転落してしまった。
イ・ミョンバク政府になって、力を得ようとするならば無条件に選挙で勝利しなければならないし、いったん多数になれば力ある席は無条件に占める権利があり、下の人はその地位を占めた人に無条件に承服しなければならず、結果がよければすべてがよいだろうという論理がわが社会の全面に再び登場した。従って今日の韓国はギリシャのソフィスト・トゥラシマコフがソクラテスに投じた質問、「正義な者は不幸で、不正義な者は幸福だ」という公理が的中する社会、チャン・ジュンハが言う「力が正義だと我をはる社会」となった。
正義のない力は圧制であり、力のない正義は弾劾される。正しい者を強くしたり強い者を正しくすることは実に難しい。だから凡夫らは力が正義だと考えつつ力に服従することだけが最も現実的な対案だと考えるに至った。それはユン・チホが語ったように「強者の好感を買うこと」だ。
韓国社会の大衆は力を尊敬しないけれども、生きるために、ただ力に黙従する。良心的に到底そうすることができなければ抵抗するけれども、それもダメならば極端な選択、つまり自殺を選ぶ。チョン・テイルを筆頭とする労働者たちの抗議の焼身は、このような理由から発生したものだ。一方、過去に民主化運動に携わった人のうちの一部は、正義を力あるものにすることが極めて難しいと判断し、力を正義あるものにさせるという名分の下、力ある方へと行った。だが力は、そもそも個人の集合なのか? 彼らは力を正義あるものにさせるということが簡単ではないことを痛切に感じた後、自らも結局は現実的なことが理性的なことであり、現実的な力がすなわち正義だと呼ぶ所で、その先頭に立つことになった。
わが国の現代史をふり返ると、正義が力となった瞬間は極めて短く、大部分の期間は力が正義として振るまった。韓国の歴代すべての世論調査を見ると、国民はわが社会の力ある集団や組織を信頼しないと答える。特にわが社会にあっては力ある組織であればあるほど一層ひどい不信を被る。さあ、これは正常に支えられている国家と言えるだろうか? 国家と法と公権力は君臨するが、その社会的道徳的基盤は致命的に壊されている。
神学者オーガスティンは「正義のない所には共和国もない」と語った。そうであるならばどうすべきなのか? いかに共和国を建設するのかであり、正義を持つ者が幸福になることができるのか、だ。
正しい者を強くすること
パスカルが言ったように、正しい者を強くすることが最も重要だ。それは政治の舞台に誰が立つのか、どう政治を行うのか、の問題だ。そうしようとするならば、まず正しくはないながらも力を持つことになった人々の履歴と由来を満天下に知らせなければならない。だが正しいことをした後に弾劾された人々を忘れず、慰め、彼らの痛みに共感することも、負けず劣らず重要だ。
関心、理解、連帯、共感は、正しいことが力を持つようにしてくれる武器だ。従って我々は今日の政治を力が正義として君臨するようにした韓国社会のメカニズムの中で改めて読み取らなければならないし、力が正義となった歴史を考えつつ、正義が力となることのできる世の中を熱望しなければならない。(「ハンギョレ21」第861号、11年5月23日付、キム・ドンチュン/聖公会大・社会科学部教員)
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