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    かけはし2011.6.20号

原発とは共存できない!津々浦々で鮮明な草の根の意思表示

「6・11原発いらね郡山パレード」に350人

ビルの中から、通りの若者から、Vサイン、拍手次々

 【福島】東日本大震災から三カ月目の六月一一日、脱原発一〇〇万人アクションに呼応して福島県郡山市でも「6・11原発いらね!郡山パレード」(主催、実行委員会)が行われた。会場の郡山駅西口広場に約三五〇人が集まった。
 パレードに先立って正午から開かれた集会では実行委の黒田節子代表世話人が「世界中の原発を廃炉へ、福島から声をあげていこう」と呼びかけた。参加者からの一分間アピールが続いた後、脱原発福島ネットワーク代表でいわき市議の佐藤和良さんや前郡山市議の駒崎ゆき子さんらが東電・国の責任と補償、脱原発社会に向けた行動などを訴えた後、「子どもを放射能から守る措置」や「原発推進キャンペーンに反対」する内容を盛り込んだ宣言を行い、集会の最後に参加者全員で「ウィ シャル オーバーカム(勝利の日まで)」を合唱してパレードに移った。
 サキソフォンと太鼓による「会津磐梯山」が小気味よく奏でられてパレードの人々を元気づけ、道行く人々も注目する。それぞれの思いを込めた横断幕が、プラカードが揺れる。「原発いらない」「ふるさとを返せ」「東電は補償せよ」。ビルの中から手を振ってくれる人々、通りかかった若者たちも拍手で、手を振って、Vサインでこたえる。
 集会時には小雨が降っていたものの、パレードが始まるとともに晴れ上がり、国道4号を経由して再び駅前まで戻るパレードは歌あり、賑やかな楽器の演奏あり、シュプレヒコールありの行動日となった。(M)

呼びかけ

県都福島から声をあげよう

6・26福島アクションを成功させ隊

呼びかけ人代表 佐々木慶子

 私たちの故郷「福島」は「被曝地フクシマ」として不本意な形であっという間に世界に名を馳せてしまった。原発推進は国策としても、それを受け入れたのは他ならぬ「福島県」である。ましてや昨年九月、福島第一原発3号機に「プルサーマル」を導入したのは現佐藤雄平県知事であり、「県としての責任」は免れることはできない。このような「人類への大罪」を未然に防止できなかった私たちの運動の力不足を悔いると共に当事県民の一人として全国・世界に対して申し訳ない気持ちでいっぱいである。私はまず、自治体の首長として県知事から全国民へ、全世界へ対して、謝罪して欲しいと思っている。
 ドイツがいち早く、原発全廃を決めるなど、国内や世界のあちこちで「脱原発」のデモなどの動きが起きている。私たちも原発事故震源県から「原発いらない!」のうねりを起こすべきではないだろうか。じっと耐え忍ぶだけではなく、私たちのいろいろな思い(怒り、悲しみ、苦しみ、悔しさ・・・)をここ県都から全国に、世界に発信しよう!行動で示そう!知恵と情報を交換し合い、学びあって、生きる希望の持てる「ふくしま」をつくっていきたいものである。
 「グッパイ原発!さよなら放射能!!」とハンカチを振って見送ろう!

1万人 ハンカチ パレード 福島アクション グッバイ原発! さよなら放射能!

6・26(日) 雨天決行
10:00〜 生活村開村  AOZ―MAXふくしま 4F 024-533-2344
12:30〜 生活村閉村(放射能情報、不安、対処法、食、体・・ワークショップ)
13:30〜 パレード集会 福島県庁前広場(コンサート、メッセージ・・)
14:30〜 ハンカチパレード 福島県庁出発(ハンカチ持参 防護対策)
15:30〜 パレード解散  福島県庁

 お知らせ&お願い
○福島市は放射線量の高いほうの地区のため、屋外時のマスク、帽子などの防護対策が必要。幼いお子さん連れや若い方の参加は乞うご遠慮。
○無料託児あり。(13:00〜16:00 チェンバ大町3F 3日前要予約 
080-3149-2971―小林) ○持参するハンカチの色、大きさは不問 ○プラカード、ゼッケンなど大歓迎!○緊急時対応上、県庁敷地内への駐車は不可

6・11脱原発世界同時アクション

関電は原子力から撤退を

原発いらん関西行動第二弾

 【大阪】集まろう!中之島へ、届けよう!原発やめての声を。原発いらん!関西行動(第二弾)が六月一一日大阪中之島剣先公園に四五〇〇人を集めて開かれた。早朝までの大雨はウソのように止み、集会にふさわしい日和となった。四月一六日に次ぐ第二弾の集会は、ストップ・ザ・もんじゅ、美浜・大阪・高浜原発に反対する大阪の会、若狭連帯行動ネットワークなど大阪、京都、滋賀、和歌山、奈良で活動する反原発一〇団体の呼びかけで開かれた。
 池島さん(ストップ・ザ・もんじゅ)は主催者あいさつで、関西の一一四団体が賛同したこと、福島原発事故は三カ月たった今も少しも収束していないこと、福島からメッセージをもらっていること、四月の行動では二二万円のカンパが集まり経費を差し引いた一五万円を福島の子どもたちを守るためにカンパしたことを述べ、新たにカンパを訴えた。また集会と並行して関電への申し入れを行うことを報告し、脱原発社会のための運動を継続しようと訴えた。

関西の電力需給
関係を明らかに
 若狭から参加した中島哲演さん(若狭ネット)は、「大きいことは良いことだのかけ声の下、大量生産、大量輸送、大量消費、そして大量投棄。その結果の自然破壊。その象徴が巨大原発群だ。若狭の原発は四〇年間に四五万人もの被曝労働者を生み出した。政府・電力会社は第二、第三の福島原発事故を引き起こすつもりか。もういい加減に原発は止めようではないか。安心して若狭の海で泳ぐことができるよう、安心して若狭の海の幸を関西の台所に届けられるようにしてほしい。若狭市議会は脱原発を国に求める決議を全会一致で可決した。関西の皆さん、若狭の原発を止めても本当に大丈夫なのだということをもう一度調べて証明してほしい。関西圏の消費電力の五五%は若狭の原発によってまかなわれている。もんじゅ・ふげん以外の若狭の一一の原発の生産する年間電力量は六二〇億キロワット時だが、現地の住民が消費した電力は六億キロワット時にすぎない。関西の消費電力の需給関係の実態を調べ上げてほしい。若狭から三〇キロメートルの距離にある関西の水甕、琵琶湖の水を守ろう。避難所にもなる緑地帯を増やしていこう。最後に、国のシステムを変えていく眼目の一つに、自衛隊を軍事的な組織から災害救助隊へ、憲法九条にふさわしい組織につくりかえていこう」と、僧侶の服装で訴えた。
「原発事故から子どもたちを守る福島ネットワーク」からのメッセージを美浜・大阪・高浜原発に反対する大阪の会が代読した。メッセージは、学童疎開の一大国民運動を訴えていた。
 続いて、集会アピール(福島原発のような事故は今後どこでも起こりうる、福島原発事故は現在進行形であることを関電はきちんと受け止めよ、電力各社、政府は責任を自覚せよ、脱原発を目指して闘い、原発のない社会を目指そう)が読み上げられ、拍手で確認された。
最後に、国会議員の宮本岳恵さん(共産)、服部良一さん(社民)があいさつをし、辻恵さん(民主)と山本太郎さん(俳優)のメッセージが紹介され集会を終えた。そして、順次御堂筋デモに移り、約六キロの道のりを三時間かけてなんばまでデモを敢行した。
        (T・T)


全国からの支援集め
ボランティアセンターを運営


共生ユニオンいわて執行委員長  岩見千丈

 以下は、岩手の小さなユニオンがこれまで行ってきたことの簡単な報告です。
 岩手の沿岸の被災者の多くは、自営業・零細業・そしてそこに勤める人々です。少なくとも岩手では大企業が大きな打撃を受けた形跡は全くありません。恐らく東京電力が唯一の例外でしょう。沿岸では人々の多くは地元の自然環境の豊かさによって現金収入の足らない所を互いに補い合いながら生活してきました。インターナショナルを目指す組織・人はこれらの人々に熱い支援・連帯の輪を送り続ける必要があると思っています。
 四月下旬からの一カ月で、遠野の自治会館をお借りして立ち上げた共生ユニオンボランティアセンター(以下ユニオンボラセン)を、延べ一二〇人の災害ボランティアが利用しました。また、一二〇人を支えるためにユニオンボラセンではのべ六〇人が後方ボランティアを行いました。
 集まった災害ボランティアは、大阪全労協、京都洛南ユニオン、大阪やまき介護事業所、東京自由労組、全国一般東京労組など、そして盛岡・北上・一関など県内の仲間と多岐に及びました。共生ユニオンいわての仲間・友人はこれらの全国から集まった仲間の現地ボランティアの三度の食事・宿泊・着替えなどのリフレッシュに必要な事を提供し、翌日の活動を支えるための後方支援を継続して提供してきました。
 連休をピークにして今後は現地ボランティアの希望者が減少することが危惧されていますが、我々は一〇月までは遠野での後方ボランティアを継続し、現地ボランティアを支える予定です。
 ユニオンボラセンの立ち上げと継続のために、多くの団体・仲間・友人からカンパを頂きました。この一カ月の遠野での活動のための費用は約四〇万円でしたが、秋まで現在の程度の活動を続けるための資金については調達の目処がついてきました。
 ボランティア活動は「苦行」ではなく、「支援」「連帯」の活動であるべきだと思います。一般のボランティアの人たちは、「自己完結」を求められ、特に連休の間遠野に来た人たちは、食事も提供されず体育館の中での狭い空間で寝るしかないという、被災者と同様の厳しい環境で過ごすことになりました。一方で我々のルートで来た人たちは、厳しい日中の作業の後で、ゆったりとした空間で手作りの食事を取り眠ることができたことになります。
 全国の仲間・友人の皆さんへ、ユニオンボラセンは支援したいという人たちの気持ちを大事にして、現地での生き生きとした活動を支えます。一度に余り多くの希望者がいても支えられませんので、少しずつ・継続した支援を期待します。

投書

永田洋子さんの死について

SM

 二月五日、大量リンチ殺人などを起こした連合赤軍の幹部だった永田洋子(ながた・ひろこ)死刑囚(六五)が東京拘置所で病死した。私は、社会主義を支持する。社会主義は、民主主義と両立するものでなければならない。大量リンチ殺人など、間違っている。人民に対する犯罪だ。私は、そう考える。
 だが、永田洋子さんの病死にも、問題はなかったのか。人権団体(救援連絡センター)に、電話で聞いてみた。〈永田洋子さんは、一九八四年に脳腫瘍の手術を受けている。脳腫瘍の手術は、今はほとんど行われていない。脳にメスを入れるのは、危険だからだ。永田洋子さんは、拘置所(医療刑務所)で亡くなった。拘置所は、医療設備のある刑務所だ。本来、医療は、厚生労働省が管理している。だが今の監獄の医療は、法務省が管理している。医者も、法務省に所属している。法務省の目的は、監禁だ。治療ではない〉。
 〈永田洋子さんは、本来は病院に入れられるべきだった。永田洋子さんには、自費治療の道もあった。自費治療は、法律では認められている。自費治療なら、外で治療を受けられる。だが国は、めったに自費治療を認めない。自費治療は、短期刑の人には認められる可能性もある。だが長期刑の人には、国は自費治療を認めたがらない。永田洋子さんは、法務省に自費治療を要求していた。だが、認められなかった。法務省は、死刑を執行するより、永田洋子さんが病気で獄死するのを待っていたはずだ。永田洋子さんを死刑にすれば、話題になるからだ。世界で、話題になるからだ。獄中者の医療には、問題が多い。永田洋子さんは、外で治療を受けられていたら、回復していたかも知れない〉。
 私の誤解でなければ、電話に出た人は、そういう意味のことを話してくれた。
 死刑制度は、廃止されるべきだ。また、獄中者にも人権が保障されるべきだ。人権は、例外なく、すべての人に認められるべきだ。私は、そう考える。(二〇一一年四月三日)


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