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    かけはし2011.6.6号

沖縄への基地押しつけはゴメンだ「日米合意」を直ちに破棄せよ

沖縄「復帰39年」を問う集会

新基地建設、自衛隊強化の
根底にあるのは沖縄差別だ



米国内でも辺野古
移設は「非現実的」
 五月一四日、豊島区のコアいけぶくろで、沖縄「復帰39年」を問う集会が沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック主催で開かれた、六一人が参加した。
 関東ブロック共同代表の本村さんが関東ブロックの活動の歴史を述べた後、「政権交代があったが、どの政権も沖縄基地問題を解決しない。差別・抑圧政策に変わりはない。沖縄の将来は沖縄の人々による自己決定権の行使によって決まるものだ」とした。そして、「ヤマトの政治を変えるために、沖縄とヤマトの真の連帯とは何かを問うていきたい。沖縄では若者たちが運動に参加している。そこに希望がある」と主催者の発言をした。
 次に、高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)が講演を行った。
 五月一一日に、上院軍事委員会委員長のレビンとマイケン筆頭委員が米軍普天間基地を辺野古に移設するのは「非現実的」で、嘉手納基地へ統合すべきだとゲーツ国防長官に求めたとの声明を出した。また、五月四日に、内部告発サイト「ウィキリークス」が在沖縄米海兵隊のグアム移転で合意したロードマップについて、アメリカの移転費用、規模について水増しをして、日本の負担比率が軽くなるようにしたという米公電を暴露した。
 最近明らかになったこの二つを取り上げて、高里さんは「一九九八年、稲嶺知事が一五年限定で、民間と共用で辺野古へ移設するという案を出し、日本政府は閣議決定した。私は二〇〇三年、沖縄選出の議員とワシントンで国務、国防省の役人と会って話をしたが、彼らは基地建設に一兆円も使い、一五年で使えなくなるという案は、アンリアステックと言っていた」と紹介した。高里さんは、このように、辺野古への基地移設が不可能だと出てきているのは、抵抗の持続的闘いの結果だとし、昨年嘉手納基地の騒音に対する第三次訴訟が二万三〇〇〇人で起こされた闘いの重要性を語った。そして、日本部長のメアの差別発言や沖縄返還時の密約を詳しく紹介し、こうした基地の拡大強化、その背後にある沖縄差別を許さない闘いが二〇〇九年教科書問題での一一万人集会、二〇一〇年四月二五日の八万五〇〇〇人集会と発展してきた。沖縄が人間としての回復に向かえるようにしたいと希望を語った。

地震で練馬基地
の弾薬庫が崩壊
 次に沖縄戦を考える練馬実行委の池田五律さんが「自衛隊練馬基地にある危険な物質を保管している弾薬庫が震災で壊れた」ことを暴露し、さらに「自衛隊の災害復旧への参加が新ガイドラインに沿って、作戦の訓練として行われる」と批判した。池田さんは、次のような取組みを報告し参加を呼びかけた。
 六月五日(日)正午、練馬駐屯地包囲デモ、徳丸第二公園(東武東上線練馬駅北口から徒歩一○分)、六月二九日(木)午後六時一五分、「沖縄戦と現在」講師:新崎盛暉、練馬区役所石神井庁舎五階会議室、「今こそ反安保・反自衛隊の声を7・10集会&池袋デモ(仮)。
 続いて、辺野古実が闘いの経過と決意を述べ、集会決議を採択した。六月二三日(木)午後六時半、「七月からの高江ヘリパッド工事強行を許さない集い」(明治大学駿河台キャンパスリバティタワー6階1065室)への参加も呼びかけられた。
          (M)


新宿ど真ん中デモ

震災を利用した自衛隊と
米軍の共同演習を許すな


 五月一日午後一時半、「沖縄を踏みにじるな! 緊急アクション」実行委員会は、「辺野古に基地を押し付けるな! 緊急アクション――軍隊がTOMODACHI? お断りします――」を東京・新宿駅東口アルタ前で開催した。
 東日本大震災の救援活動として、自衛隊と米軍は最大規模の日米共同作戦を行った。陸海空自衛隊は予備役をふくめて一〇万人以上という最大規模の動員を行い、米軍も「オペレーション・トモダチ」と名付けて、在沖米海兵隊や原子力空母などの艦船、戦闘機・無人偵察機などをも派遣し、「日米同盟の真価」を見せつけるのはこの時とばかりの大作戦を敢行した。それは「有事」を想定した実戦訓練の絶好の機会だった。
 この大震災を利用して、日米両政府は、暗礁に乗り上げている普天間基地の辺野古移設問題などを一挙に進捗させることを狙っている。「有事抑止力」としての在沖縄米軍基地の有効性が立証されたとする在沖米軍当局者の発言は、それを物語るものである。事態は急テンポで進んでおり、五月末から六月にも予想される日米外務・防衛閣僚会議(2+2)を経て、再度の辺野古新基地建設計画の詳細が決定されることも予測されている。
 「緊急アクション実行委員会」の仲間たちは、この間、東日本大震災被災者救援活動や原発災害を引き起こした東電への抗議行動をも連続的に担ってきた。発言した人びとは、「原発災害」と「沖縄」という一見つながらないように感じられる二つの問題の中に、「基地」と「原発」を切り捨てられた地域に押しつけて「中心」の豊かさを享受する社会のあり方、すなわち格差・貧困を拡大する社会のあり方が凝縮されているという点を、様々な角度から批判した。
 発言は、戦争に協力しない!させない!練馬アクション、たんぽぽ舎、反天皇制運動連絡会、辺野古への基地建設を許さない実行委員会、そして沖縄・高江から駆けつけた高江住民の会や、首都圏で高江の闘いを支援する「ゆんたく高江」などから行われた。高江住民の会の仲間は、七月から再び工事が強行される可能性を指摘し、こうした動きに反対するよう訴えた。
 午後三時からのデモには一七〇人が参加した。デモは西新宿の繁華街の狭い路地裏、靖国通り、明治通り、新宿通りを経て再びアルタ前に戻るコースを一時間半にわたって進み、終始にぎやかに、道行く人びとにアピールした。    (K)

<サ条約・安保60年>討論集会

米国の世界戦略に軍事的に
従属し戦後日本国家は出発


急きょ「地震と
原発」を討論に
 四月二八日、反安保実行委員会は、四月二九日の反「昭和の日」行動と連携した「サンフランシスコ講和条約・日米安保調印から六〇年 植民地主義の歴史と現在を問う 4・28、4・29連続行動」の一環として「4・28<サ条約・安保60年>討論集会」をピープルズ・プラン研究所で行った。三月一一日の東日本大震災によって当初予定していた開場が耐震補強工事のため使用できなくなったこともあり、規模を縮小して行うことになったが、その分、急きょ討論課題に組み入れた「地震と原発」問題も含めて、突っ込んだ討論ができた。

米国の軍事植民
地となった沖縄
 メインの報告を行った天野恵一さんは、戦後日本国家規定の主流となった、「八・一五」の無条件降伏を境に国家権力のあり方の本質的な変容がもたらされたとする憲法学者・宮沢俊義らの「八月革命論」を批判的に検討し、戦後日本国家のあり方を今日まで規定するものとして一九五一年九月のサンフランシスコ講和条約の意味をあらためて捉え返す必要を訴えた。
 天野さんは原貴美恵の『サンフランシスコ平和条約の盲点』(渓水社刊)を材料にしながら、沖縄についての取り扱いが国際法に明確に違反した形で米国の施政権下に組み込まれた軍事植民地になったことや、「北方領土」、竹島(独島)、尖閣諸島(釣魚諸島)などの「領土紛争」の関係国がすべてサンフランシスコ条約に調印していないという異常な関係で、この体制が作り上げられて今日に至っていることを指摘し、そこに米国の世界戦略に軍事的に従属した戦後日本国家のあり方が刻み込まれていることを強調した。
 補足報告を行った国富建治さんは、サンフランシスコ条約で「放棄」するとした千島列島の中に択捉、国後両島も含まれるとした当初の政府答弁から、択捉、国後は千島列島には含まれないとして「四島返還」を主張するに至った日本政府の解釈の変化の背後にアメリカの側からの強力な恫喝があったこと、竹島(独島)、尖閣(釣魚諸島)の帰属問題に関してアメリカが一貫してあいまいな態度を取ってきたことを紹介し、「領土」問題の背後に日本を米国の戦略の下に組み込む強烈な意志が存在してきたことを説明した。
 太田昌国さんは、「北方諸島」・琉球を「国内」植民地と規定することの問題点を指摘しつつ、植民地主義の克服を自らの問題として自覚し得なかった日本の民衆意識の変革の課題について提起し、国家形成を選択しない先住民の立場を国家の下に包摂していく近代植民地主義のあり方との批判的対峙の必要性を強調した。
 またサンフランシスコ条約の問題点を語る時に、最終的に「国籍」を剥奪された在日朝鮮民衆の置かれた立場について改めて取り上げることが不可欠である、という意見も提起された。
 さらに原発問題に関しては、「原子力の平和利用」という名目での日本における原発開発と米国の戦略との関係、被曝労働者の問題、核兵器・原発をめぐる共産党、社会党の対立と原水禁運動の分裂、総評労働運動と反原発運動の取り組みなどについても多様なテーマでの論議が交わされた。
          (K)

 


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