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    かけはし2011.5.30号

国民の生命と安全の観点から放射能汚染の実体に迫れ

人命より原発が重要な政府?

 不安と恐怖が広がっている。日本・福島原発事故の放射能汚染が韓(朝鮮)半島にも影響を及ぼしている。物理的放射能よりも心理的放射能が市民の情緒を圧倒する。政府は「検出された放射能物質は極少量で安全だ」と言うけれども、これを信頼する国民は多くはないようだ。

政府の規制は
かなり疎かだ


 政府は3月15日、「偏西風なので、放射能物質が韓半島に流入する可能性はない」と発表した。ほかならぬすぐ隣国の事故ではあるが韓半島は安全地帯だ、という意味だ。けれども半月もたたずに、それはウソとなった。3月23日、江原道の大気中から放射能物質であるジェノンが検出されたのを皮切りに各地でヨードとセシウムが検出されている。4月6日には済州の雨水からも検出された。極微量ではあるものの、ヨードは前日より6倍も多く検出された。
 このような放射能物質の検出は食材の心配へと結びつく。4月3日、福島県内の事故原発から40q地点の土壌で育ったホウレンソウから2万2千ベクレルのセシウムが検出された。これは基準値(1kg当たり500ベクレル)の40倍超の数値だ。放射能に汚染された土壌が農産物の汚染にまでつながっているという事実を示している。
 既に世界各国は日本の食品を規制している。ヨーロッパ連合(EU)は日本政府に「日本産食品が放射能物質に汚染されてはいないという内容の証明書を送ること」を要求した。このような検査は実際に遂行する方法はほとんどなく事実上の輸入拒否と変わらない。オマーンも「日本はもちろん、周辺国で生産される食品が放射能に汚染されてはいないとの証明書を提出することを要求した」と世界貿易機構(WTO)に通告した。インドもまた4月4日、今後少なくとも3カ月間は日本産食品の輸入を全面禁止することを決定した。
 これらの国家が日本食品の輸入を拒むのは放射能汚染の特性によるものだ。セシウムを初めとする放射能物質は細菌やウイルスとは違って、煮たり加工しても無くなりはしない。また人体の特定の臓器を経て細胞や遺伝子にまで影響を及ぼす。
 このような基準に照らしてみる時、韓国政府の対処は、かなり疎かだ。政府は福島原発の近隣4県で生産された野菜についてのみ規制する。そこで生産される農産物や水を利用した製品にまで規制対象を拡大してはいない。けれどもこれらの製品なども汚染の可能性は提起される。例えば、日本の酒はほとんど大部分が現地の米を使うが、福島原発周辺の米を利用したならば汚染の可能性が多分にある。このような事情のために、この地域の農産物や飲み水を利用した酒やビールなどの加工食品も同じ物差しを適用しなければならない。海産物も安心できる状況ではない。まだ魚介類などの海産物から放射能物質が検出されてはいない。けれども事故の収拾に使用された放射能汚染の冷却水が海に持続的に放出されており、海産物の汚染の可能性が高まっている。

「人体に無害」
な放射能はない


 特に子どもを育てている父母らの心配には相当なものがある。緑の連合を初め、さまざまな環境破壊団体には放射能被害にかかわる問い合わせが殺到している。初めは「韓半島に流入するのか」という観点からのものが多かったが、今は「政府の発表は信じられない」だとか「子どもを育てるうえで、どのようにすべきか」など、恐怖へと変わっている。
 政府、原発業界、原発工学界は「自然の放射線やレントゲンのように基準値以下の、少量の放射線は安全だ」とばかり言う。けれども今、飛んできている放射線は累積し続けている放射能で、原発から流出した汚染物質だ。放射能が恐ろしいのは持続的であるからだ。細胞やDNAにまで影響を及ぼし、その影響は世代から世代へと遺伝する場合が多い。
 放射能の汚染には基準値がある。政府が言及している放射能の基準値は、原発作業場の成人労働者を基準としたものだ。だが年齢や性別、身体構造によって放射性物質が人体に及ぼす影響は人それぞれだ。原発作業場の労働者のように成人男性を基準とする時と成長期の子どもたちとでは相当に異なる。日ごとにおびただしい細胞が生成される子どもたちと、細胞の生成が相対的に緩慢な成人を基準とした放射線量を同一に適用するのは危険な発想だ。併せて年間許容限度の基準値もまた子どもたちと共に妊娠女性などには危険度を別に適用しなければならない。年間許容限度の放射線量である1・0ミリシーベルトは人によって影響を及ぼし得る。まして現在のように自然放射線ではなく、日本から流入して持続的に累積している放射能汚染の場合には状況が異なるので、その対処もまた変わらなければならない。
 米国やヨーロッパなど国際社会が大災害または環境災難として受けとめて対応している時、韓国政府は「偏西風(だから大丈夫)」だの「人体には無害」だのと繰り返している。このようなアプローチは、それが本位であろうとなかろうと、国内の原発に及ぼす影響と深いかかわりがあるようだ。今日まで政府は放射能の実体や環境汚染に対する憂慮の代わりに、「原発は安全だ」とばかり強調してきた。知識経済部(省)と教育科学技術部(省)を初めとする関連機関や産業界は、放射能汚染対策を環境問題として対処するというよりは原子力の安全に基盤をおいた観点を中心においてやってきた。けれども福島の原発事故が雄弁に語っている通り、その安全な原発が人類への災難としてやってきたのだ。
 政府は放射能汚染の実体に、国民の生命と安全の観点から迫るのでなければならない。大気の核汚染の専門家であるハン・グワンヨン博士は「極少量だと語っている人々の主張は、信念なのか、それとも政治的見解なのかが気がかりだ」「科学の観点からはそのように断言しがたいし、放射能の危険は人と条件とによっていくらでも変わり得る。基準値という言葉遊びによって放射能の危険を薄めることはできない」と語った。ヨーロッパはチェルノブイリを経験するとともに放射能汚染の深刻性を経験していて、地球の反対側にある日本の原発事故も深刻に考えている」のであり「国際社会が深刻に理解している放射能汚染対策を韓国政府も注目しなければならない」と指摘した。これまで国内で検出された放射能は、大気や雨水など空から下りてきたものだけれどもより大きな災害の心配は残っている。放射性物質が積もって土壌汚染へとつながることだ。その上、政府が稼働している放射性物質測定網は大気が中心だ。土壌や河川、地下水の放射能汚染を把握する固定の観測網がない。それだから日本から飛んできて至る所に降下している放射能物質が累積されるのは把握しがたい。放射性物質に汚染された土壌は国内の農産物にも直接的な影響を及ぼし得る。市民たちにも今や「なじみ」となった放射性物質のセシウムは、半減期が30年を超える。
 現在のように放射性汚染問題を韓国原子力安全技術院や気象庁にのみ委ねておくには、汚染の展開があまりにも包括的かつ広範囲だ。放射能汚染の問題を原子力の観点で解釈するレベルから、国家的環境災難へと迫る環境汚染対策の観点への転換が切実だ。従って政府レベルの対策準備にも環境部(省)はもちろん農林水産食品部(省)などが主導的、積極的に参加しなければならない。同時に原発工学者以外にも予防医学分野などの医療界や環境浄化の専門家の参加がぜひとも必要だ。

市民の不安を
無視するな

 恐怖は、その実体が明らかでない時、収拾できないほどに広がる。政府は放射能汚染に対する市民の不安を無視してはならない。現在のように「安全だ」という言葉ばかり繰り返しているのは、不安を大きくするだけだ。むしろ具体的な情報を公開し、多角度で対策を模索することが切実だ。今市民たちは全世界の事件や情報をリアルタイムで見聞きする時代に生きている。このような現実を無視すれば「放射能への恐怖」という幽霊が韓(朝鮮)半島を徘徊することになるだろう。(「ハンギョレ21」第856号、11年4月18日付、ソ・ジェチョル/緑の連合・局長)

日本は原発事故、韓国はBSEに解雇の増大

労働所得分配率がこの5年間で
年61・3%から59・2%に下がる

胸ときめく春
寂寞たる春


 それでも春は来た。風は相変わらず冷たく寒いけれども、真昼の陽ざしは暖かい。マンション団地の中の木蓮が花を開いた。木蓮の花は、だしぬけに咲くときは恍惚であり、散り際は凄絶だ。山茱萸(サンシュユ)も恥じらいげに花をつけた。慎ましく開くけれども長い間、持ちこたえる。漢江べりのウンボン山には連翹(レンギョウ)が黄色いお花畑を広げて見せる。堂々として、また強烈だ。
 花が咲いてこそ、遂に春なのか? 違う。大地と木々に初恋の高鳴りのように水がしみわたる。長い冬の末に、花に先立って春はすべての生命の母である水の流れと共にやって来る。命は冷たく、まばゆい。
 だが、この春は恐ろしい。沈黙の春だ。隣りの国、日本の地震津波以降、原発事故の余波がどうなるのか、人々は戦々恐々だ。わが山河は昨秋、生きたままで大地に埋められた15万頭の牛と340万匹の豚の呪いで揺れるだろう。全国4234カ所(カン・ギガプ民主労働党議員室資料)で、「あっさり埋めるな、キチンと処理して埋めなくては」という血の色の浸出水の報復を予告する。凍った大地がみな溶け出せば、久しからず現実となるだろう。生きている人を土に埋めれば生き埋め殺人となり、生きている牛や豚を埋めれば「殺処分作業」と言う。生きている人間に電気ショックを与えれば拷問であり、生きているネズミやウサギに電気ショックを加えれば「実験」と言う。我々は、まだこのような世の中に生きている。
 それならば人間同士だけでも仲良く過ごす。いや、そうでもない。春だからと言って、みな同じ春ではない。ある者にとっては胸のときめく春であろうが、またある者にとっては寂寞たるさびしさだ。


無関心と忘却は
死に至る病だ


 大韓民国最初の造船所である釜山・影島造船所の高さ35mの85号クレーン上にはキム・ジンスク民主労総釜山本部指導委員が1人でいる。1月6日に上ったのだから、もう一〇〇日にもなった。8年前、キム・ジュイク元・金属労組韓進重工業支会長(52)が129日間の篭城の後、世上の無関心に押されて自ら首をくくった所だ。26歳で職場から追われた、大韓民国最長期解雇労働者であるキム指導委員は、「生きて下りていくであろう」と語りつつ、「共に生きるということが、これほどまでに難しいことなのですか」と問う。何と答えるべきか。サムスン電子の液晶表示装置(LCD)天安工場で働いていて、この世を去った故キム・ジュヒョンさん(25)は今、仕事場に近い病院の冷たい安置室に横たわっている。ひどい皮膚病とノイローゼに苦しみ1月11日、寄宿舎の13階の廊下の手すりに昇り身を投じたのだから、やはり一〇〇日は過ぎている。ジュヒョンさんがこの世に残した最後の言葉は、家族に送った「オマム(母さん)、アッパ(父さん)、ヌナ(姉さん)がんばって、ごめんなさい」というメール・メッセージだった。ごめんなさい、だなんて…。総竜自動車では2009年の会社による整理解雇の断行以降、今日まで14人の労働者・家族が自殺などによってこの世を捨てた。金属労組現代自動車蔚山非正規職支会など、職場と自らを守ろうとして全身でふんばっている多くの労働者の姿を、ちょっと振り向くだけでいくらでも発見できる。
 「彼ら」は孤立し、「我々」は沈黙する。無関心と忘却は死に至る病だ。
 こんな中で大韓民国の少数大企業は売上高と営業利益の爆発的な伸長の勢いを記録している。年俸数十億ウォンを誇る最高経営者(CEO)たちの現代版英雄譚も今や珍しくない。労働所得分配率は2006年61・3%から2010年59・2%に、がたっと下がった。国民所得のうち労働者の取り分が減っている、という意味だ。この国の多くの若者たちには、その厳しい労働の機会さえ与えられていない。
 2011年春、大韓民国の労働と資本の不均衡は、まがまがしい。
 労働と資本に関する資料をかき回している間中、ずっとキム・チュンスの詩「花」が頭の中でぐるぐると回転した。「私があなたの名前を呼んでやる前には/あなたはたんに/1つの存在にすぎなかった。/私があなたの名前を呼んでやったとき/あなたは私のところへやってきて/花となった。/私があなたの名前を呼んでやったように/私の色彩と香気にふさわしい/誰か私の名前を呼んでおくれ/(後略)。」
 世の中の数多くの「私」を花と呼んでくれる方、そうして「私」にも長い冬の後の春を抱かせてくれる人、それは誰ですか?(「ハンギョレ21」第856号、11年4月18日付、イ・ジェフン編集長)

 


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