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    かけはし2011.5.30号

「戦争のときよりひどい!」

東電のウソと自民・財界の大罪

原発の避難民は空気も水も
土地も奪われ郷土を離れる

浜中 進(いわき市在住)



  あどけない話

 智恵子は東京に空が無いといふ
 ほんとの空が見たいといふ
 私は驚いて空を見る
 桜若葉の間に在るのは
 切っても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ
 智恵子は遠くを見ながら言ふ
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出ている青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ
 あどけない空の話である
(一九二八・五)

 3・11は、あどけない話に眼を開かせてくれた。吾妻山の雪うさぎは、信達平野に種まきどきを告げる豊穣の風物詩である。この春は放射能の灰に汚され、雪うさぎの目に涙、悪餓鬼のしわざに言葉もない。
 空がない、東京砂漠に電気がほしい、東電が忍び込んで半世紀近い。“原子力、正しい理解で豊かな生活”うたい文句のウソっぱちが、これほど悲劇的に明らかになっても、智恵子のほんとの空がどれほど大切か、金銭、出世欲に腐りはてた東電幹部には、わかるまい。
 原発の避難民は、空気を奪われ、水は飲めない、土は汚染されて耕せない、着の身着のまま、住みなれた家、家族同然の家畜をすて、郷土をすて、異郷の人々に世話になる他ない。ある主婦はしぼり出すような声でいった。戦争のときよりひどい!
 双葉町の避難民を乗せたバスが、双葉を出発するとき、母親が窓の外を後ろ向きにしげしげ見やって、“双葉はいいとこだァ”と誰にいうともなくつぶやくのがきこえた。わきあがる腹だたしさから、ふと平静になって、チェルノブイリの例からすれば、あの母親は長期にわたって郷里に帰れないと気づくとき、悲しみはさらに何倍にも大きくなるだろう、と滅入った。
 多くの人の人生を奪い、大規模に自然、社会、文化を傷つける犯罪をなんとよべばいいのか?
 東電は罪責の重さを何んと心得てか、賠償の上限や免責を、俗悪なサル知恵よろしくふりまいている。死の灰は未必の故意、確信犯である。東電はもとより、原発を推進した自民党、その類の政治家はことごとく処罰されるべきである。避難民の目線で考えるとは、そういうことである。一戸あたり一〇〇万円の賠償仮払いで、何事かが済んだと思ったら大間違いである。償うすべのない償いのはじまりにすぎない。

電力会社―事故隠しの常習犯

 東電の事故隠しはちょっと確認するだけで、会社の思想や仕組みがすけてみえる。
 GE関係者からの内部告発が保安院へ入ったのが二〇〇〇年七月三日。こともあろうに保安院は翌日東電に告発情報を電話で連絡。普通は告発者から不明な点があれば確認、意図などをきくのが初歩。それをせず東電に話を入れてしまえば、証拠をかくす恐れがある。不自然な関係といわざるをえない。改ざんがあって一〇年以上、告発があって二年以上もすぎて始めて明らかにされた。
 「率直にいって言葉を失っている。安全性に対する信頼を根本的に裏切った。福島県としては今後、原子力政策に一切協力できない」(川手晃副知事、二〇〇二年八月二九日)。
 “臨界、30年埋もれる”四年前に報道された見出し。
 「東京電力の福島第一原発3号機で78年、定期点検中に5本もの制御棒が抜け落ち、7時間半も臨界状態に陥っていたようだ。このトラブルを教訓にしていれば、その後の制御棒脱落、99年北陸電力志賀原発1号機の臨界事故は防げたはずだ。情報を出し渋った結果、同じことを繰り返す。危機意識の欠如がもたらした罪は重い」(〇七年三月二三日、朝日)。
 危機意識? そんなものは当初からなかった、というのが現実だろう。志賀原発からもデータ改ざんの常態化が報告されている。
 東京で使う電力を福島県の原子力発電に頼ろうとする考えそのものが、福島県の農、漁民を蔑んでいる。言葉通り安全なら東京に原発をつくればいい。遠く東北電力区域に来る必要がない。本音は危険を重々わかっていながら、福島県だから危険を感じないですむ、その冷徹さは、思想と仕組みに裏うちされた犯罪である。人間不在の機能主義。発生源はいうまでもなく独占体の東京電力。明らかになった今回、内部を切開し、直すか、つぶさなければ、それ自体の論理で増殖する。
 東電、うしろだてに自民党、財界、それだけで地方の小さな市町村、ましてや個別の農民、漁民にとっては雲の上の存在だ。兆単位のカネをあやつる独占企業と働きづめに働いて、ようやく自営しているだけの農民、漁民では、対等の関係で話し合いにならない。反対同盟をつくって、はじめて落差が少しちぢまる程度である。話し合わない、というのはその感覚的な表現である。はじめから差別感はぬぐえない。

各種のカネが地元を襲う


 原発をおそれる農民、漁民をまるめ込む手だては次のようだ。
 「原発建設の決まった地方自治体や隣接地域には、電源三法といわれる交付金制度によって、各種の交付金が交付される。その財源は、私たちが支払う電気料金の一部として、一キロワット時あたり三〇銭の割合で徴収される電源開発促進税である。その上に、電力会社が納める――これも結局は電気料金から支出されるわけだが――固定資産税が地元におちる。
 これらだけを加えても、原発の集中する町村では年間何十億円にも達し、ほとんどその町村の財政を支配することになる。いったん原発を受け入れるや、その経済支配から抜け出せない構造が生み出されるのである。だが、そこで生産される電気は、遠く都会や工業地帯へと運ばれ、地元には何ももたらさない。“原発が来れば、仕事が増える”と期待した過疎に悩む地域にもたらされた仕事は、原発内の被曝労働だけであった。そんな地域を訪れた人々には、交付金で整備された道路や豪華な町役場(とはいわず庁舎と呼ばれているのだが)が、かえって寂寞たる印象を与えずにはおかない。
 当然にも生まれる地元の人たちの不満や不安を解消しようと、さらに新たなカネが投入される。最近では原子力発電施設周辺地域交付金などという制度が生まれた。こんな名を聞いただけでは、さっぱりなんのことか分からないが、要するにこれは、私たちが支払っている電源開発促進税のうちから、一部を直接原発地域の住民に、現金のかたちで還元しようという制度である。現金といっても、実際には、地域の人々の支払う電気料金の割り戻しという形式をとっている。一戸あたり月額三〇〇〜九〇〇円の割合の割り戻しで、その額は原発の規模に応じて決まる。つまり、原発を多く導入すればするほど、電気料金が安くなるという、一種の原発誘致奨励制度である。土地や海、すなわち自然を買収の対象とするだけでは足りず、人々の心をカネで買う所まで、事が進んでいるという感じである。
 カネが活躍するのは、建設段階に入ってからだけのことではない。棚塩のMさんの苦闘にもみられたように、建設前の地元工作の段階で、既に各種のカネが地元を襲う。あげていけばきりがない」。
 高木仁三郎が、浪江小高原発に反対する棚塩の原発反対同盟にまねかれた時の記録である。原発に土地は売らない。県、町、開発公社とは話し合わない。賛成の行動をとったものは総会の決議で除名する。
 農民が主体になって、政治の思惑をよせつけない立場をつらぬいた。原子力の基本をみんなで学び、自分たちの感性を大切にして、祖先の墓のあるところに原発は建てさせない、というのであった。受け継がれてきた人間と自然の、その土地に生きた人々の関係を大切にして未来をつくる。土地や海は売れない、と。
 富岡駅に近い毛萱地区の原発反対、話し合いに応じない。だんまり戦術。印は押さない。そこに町の助役、総務課長が来るだけでなく、部落総会には、なんと木村守江知事までおとずれている(一九六七年)。
 やがて別の一件で数百万円の収賄容疑が発覚した際、あれが収賄とは知んねかった、とインタビューにこたえて話題になった。つまりその程度のカネはいつものことで気に止めなかったというわけだ。自民党政治の地金がむき出しだ。
 かつて使用済核燃料再使用、プルサーマル計画を佐藤栄佐久前知事が受け入れを凍結(〇一年)したことがある。ヨーロッパを訪れた際に、チェルノブイリの惨状に気づいたからである。その前知事が汚職で辞任すると、地元では原発に批判的なため、国策捜査?ではないか、とウワサがとび交った。これもまた自民党政治?

労働界の刷新こそが重要

 かわった佐藤雄平知事は、東電のトラブル隠しに一時立腹したものの、県民感情が変わったとは思えないのに、昨秋プルサーマルを受け入れたばかりである。
 脱原発の市民運動はそれなりに続いていたし、労働界も昨秋プルサーマル反対の集会、デモ(平)、今年のメーデー(小名浜)には、原発の廃炉を訴えて地震、津波の傷跡が残る市街を一周した。連合のメーデー自粛論は、違和感どころか、一〇〇%まちがっている、といわざるをえない。働く者がたちあがり、復興にとりくまなくて、誰がやるのか。
 連合の主軸である電力労連や電機労連が原発を推進してきた間違いにたじろいでいるのなら、大衆討議にかけて脱原発に方針をかえればいいだけである。
 戦後の労働運動に電産協は電産型賃金をひっさげて賃金体系を整備、指導的役割を果たした労働運動の先達であった。ところが、東電の常態化した事故隠し、現場労働者の反発、九五%が下請けといわれる差別の仕組み、限度をこえた被曝、メーデーの自粛、それが労働界の屋台骨ではいかにもなさけない。
 原発のことは、現場の労働者が一番よく分っているのではないだろうか。被曝労働の悲劇が、うわさになっていくつも伝わってくる。嶋橋伸之さんの労災認定は、ほんの氷山の一角、今回の福島原発事故が起った根っこの所に、現場における労働問題のイロハがあるのではないか。どう見ても原発が分ってない幹部の姿、中味をかえ、組織をつくり換えるには、○○委員会といったえらそうな組織づくりではなく、労働界の刷新がカナメである。そこから原発に対する多くの意見、批判が出なければ、生きた組織にならない。避難所から罵声を浴びる能面のような幹部では、悲劇の連鎖にしかならない。
 笹森清、元連合会長は、東電の元労組幹部、原発が何をもたらしたか、よく観てほしい。原発に近い市町村は、今やゴーストタウン。人かげのない道ばたに牛たち、首輪をつけた犬がちらほら見えた。飼い主が避難する際、ガンバレヨと涙ながらに放したのである。殺処分の指示が出たので、今は見られないだろうが。
 漁業は汚染水の放流で大打撃、コウナゴの汚染がニュースになった。作付けできない稲作農家、放射能に汚染された牛乳を毎日廃棄する酪農家、野菜が売れない。校庭の表土をけずらなければならない学校。
 浪江の人たちが避難している所へ謝罪に訪れた東電の清水社長に「いつまでこんな(避難)生活をさせるつもりだ。事故は起らない、安全だ、といってたのに、土下座してあやまれ、土下座しろ!」女性の怒声がとんだ。
 TVの画面からも形ばかりの避難所まわりに見えた。現場で苦闘する東電社員が、社長たちをはり倒している夢を見た! というのもうなづける。東電幹部は、当初、震災を想定外の事故、科学技術の知見がおよばない天災をよそおった。識者の言論はもちろん、国会でも震災の危険が指摘されていた。東電の幹部が聴く耳をもたなかっただけである。
 それ以上に決定的な原発の弱点は、たえずはき出される放射能廃棄物の処理にメドがたたないことである。
 膨大な放射能毒物「その毒性は数万年にわたって消滅することはない。数万年にわたる危険物の管理という問題は、人類の歴史的な課題であり、姑息な技術の問題に矮小化することはできない。原子力の問題は、基本的にはエネルギー問題ではなく、放射能問題である」。
 「阪神・淡路大震災と同じ規模の地震が原発立地点に起きた場合、原発の安全装置が完全に作動すると期待することは難しい。その場合、道路や鉄道や通信網が寸断されたこの日本に、目に見えない放射能が拡がり、故郷を失ない、難民化した被曝者の群れが地に満ちることになるだろう」。
 一五年ほど前に書かれた『脱原発のエネルギー計画』(藤田祐幸、勝又進著)より。

事故を起こした犯罪者が償え

 新聞をみると東電の賠償に上限論、経営は、上場維持は、電気料金値上げ、税負担も、といった見出しがおどる。新聞、マスコミは国労、労働運動つぶし、小選挙区制の導入を先導して以降、庶民の感覚からずれてしまった。
 米倉経団連会長は、正気をうたがわせる東電擁護、奥正之全銀協会長は、東電への巨額融資が心配で、損害賠償に政府の関与をのぞむなど、原発事故の検証をあいまいにしたまま、原発の被災者を心配するのではなく、東電が心配、と利害関係をあらわにする。
 東電の罪深さは、国策の侵略戦争を除けば、前代未聞である。追って検証をまつとしても、結果責任は、いかなる東電の処分、解体も甘んずるほかあるまい。資産五〜六兆円というから賠償にほぼ見合う。
 マスコミは賠償に電気料金の値上げ、税負担をちらつかせ、暗に東電の責任を免罪する。株主、社債の出し手の責任、資産の処分が先決、国民負担を先に出してくるのはすりかえである。
 もう一つ、政府の責任、特に自民党の責任は大きい。菅政権の目さきの問題もさることながら、黒々と積みかさねてきた自民党のウソ、犯罪は裁かれるべきである。
 いまだに原発がなければ電力が不足、というのは聞きあきたウソ、原発ぬきの電気で、ピーク時の消費電力をまかなえる。これは原発推進派でない人にとって常識である。
 くわえて世界に二千兆立方メートルのメタンハイドレートの埋蔵が確認され、一割が可採量とされている。「産業界では次の世紀のエネルギーの主力を石油、原発路線からガス路線へとシフトする方向がすでに固まっていて、脱原発シフトの体制へ以降しつつある」(藤田、同前六五頁)。
 太陽光、風力、小型発電によって地域の電力自給をふやせばよい。東京のように企業のなすがまま、土地をカネもうけに使って、無計画に拡大、ヒートアイランド現象を電力でひやすのではなく、緑の計画都市にかえるのも、震災を契機にした今回の課題である。禍を福に転ずる多くの提言、議論の沸騰を期待したい。

 


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