浜岡原発止める静岡の行動
4・24市内パレード 若者を
先頭に八〇〇人超える参加 |
【静岡】東日本大震災、福島原発震災直後から「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」(略称浜ネット)は原発がある御前崎市とその周辺市町一帯に宣伝カーを出し、ビラの各戸配布を精力的に取り組んだ。その訴えは原発の無条件即時停止であり、世界で「最も危険な」実態を明きからにしたもので、この行動には毎回二〇〜三〇人の参加があった。御前崎市内の反応は当初鈍く、原発依存度が極端に強い地元を思わせた。しかし、五月五日は大きく異なり、宣伝カーが近づくと庭に面したガラス戸を開け、一家全員が手を振ったり、街頭にいる人々から声援があったり、歩きながらビラ配布中に「署名用紙はないか」という声掛けを受ける光景があった。また、この日浜岡原発を視察した海江田大臣は、浜ネットのメンバーが緊急の要請文を持って待機していたにもかかわらず同行したマスコミなどともに裏口からこっそり敷地に入るという信じ難い行動をとった。
約二カ月間の様々な行動は統一地方選での応援をはさみ、被災地・者救援の街頭宣伝や四月一六日には浜ネットの総会(第一五回目)とその後の広瀬隆さんの講演集会があり、約五〇〇人を超える参加を得て、盛り上がりを実感させた。
共同の闘いの
経験と拡大へ
こうした中で、特筆すべきは四月二四日、静岡市内で開かれたパレードの大成功である。この集会とパレードの呼びかけは市民有志の記者会見がマスコミに取りあげられたことや従来とは違いインターネットを駆使した広がりが呼応してきわめて多様なほとんどすべての年代、世代が参加するものとなった。そして集会の司会にあたった三〇代労組員の「これまで脱原発に取り組み活動してきた方々、先輩に敬意を払いたい」という発言は運動のつながり、連なりを強く印象づけた。
市内中心部の公園に、ぞくぞくと人が集まり出し、ついにその一画をはみ出すほどになって、参加者は八〇〇人を超え、サウンドパレードは大成功となった。
こうして、現在の大問題と言うべき菅政権の「浜岡原発停止要請」は大きな波及力を持った。静岡県知事の「英断」という評価や浜岡原発関係四市長の間に、戸惑い、困惑、歓迎などの確実な動揺あるいは影響が出てきたことは注目すべきである。このような原発推進自治体の反応は各地で起きているだろうし、今後、この反応と動きをいっそう拡大することが問われている。
そして、各地の市民サイドのかつてない運動の盛り上がりを背景とし、これが圧力となって菅政権をして「要請」に踏み切らせた一因とするなら、この一歩前進――これは浜ネットの評価でもある――を確実なものとし、即時無条件停止、廃炉実現にむけて共同の闘いを継続拡大しなければならない。
また脱原発、反原発の闘いにおいて労働者、労働組合が果たすべき役割が大であるにもかかわらず、現時点ではきわめて限定的でしかないという事実とともに、この闘いを担うことによって、原発推進に立つ連合勢力との分岐を作り出す局面が開かれる、ということも確認すべきだろう。
課題はまだまだ
山積みだけれど
これまでのところ、静岡県内の取り組みにはまだバラつきがあり共同の闘いとして順調に進展しているわけではない。六月から七月にかけて、いくつかの行動が計画されており、県内の弁護士グループが独自に訴訟に持ち込むという動きもあって、これから全体の運動が見えてくるにちがいない。また大震災の被災地・者の復旧、復興にむけた多くの課題があり、労働者、労働組合はもとより、自立した一人ひとりが結び合って新たな脱原発社会と生活のプラン、様々な支援や具体的なアプローチが問われていることは明らかである。共同した行動の拡大強化とともに、真剣な論議が求められている。(S)
園良太さんへのインタビュー
資本主義システムへの
挑戦が求められている 以下のインタビューは、仏NPA(反資本主義新党)の週刊機関紙「トゥテタヌー」の依頼で、三月一八日以後東京電力の責任を追及する「東電前アクション」を呼びかけてきた園良太さん(フリーター全般労組組合員、沖縄を踏みにじるな!緊急アクション)に対して、本紙編集部の国富建治が四月二三日の東電アクションの後で行ったもの。このインタビューは「トゥテタヌー」とともに「インターナショナルビューポイント」四月号のサイトにも掲載されている。(K)
「TEPCO(東京電力)は、チェルノブイリのような原発事故は日本では起こり得ない。日本の原子力技術は傑出したものだからだ、と説明してきました」と園良太は語った。彼は二九歳、ラディカルな平和運動活動家でフリーター全般労組の組合員でもある。三月一一日の巨大地震と津波により福島の原発惨事が起きて以来、東電本社前の抗議行動を呼びかけた彼のイニシアティブは、とりわけ若い世代の間に大きな共感を引き起こした。(「インターナショナル・ビューポイント」編集部によるまえがき)
東電アクション
をなぜ始めたか
――東電への直接の抗議行動を呼びかけた動機は、おもにどういうものだったのでしょうか。
震災・津波の翌日、一部の反原発グループが東京の東電ビル前で抗議行動を組織しましたが、そこに集まった活動家は二〇人足らずでした。それ以後一週間にわたり東電前の抗議行動を呼びかけるイニシアティブは見られませんでした。その間、大衆的な不安と怒りを「鎮静化」させるとともに、最悪の被害から回復するために「日本は団結しよう」といったたぐいのナショナリスト的心情をかきたてる一連の大規模なメディア・キャンペーンが行われていました。民主党政権と支配階級は、日本の歴代政権が追求してきた原子力開発政策を批判する民衆の声を封じ込めようとしたのです。
私は、こうした惨事を引き起こした東電の責任を直接的に糾弾すべきだと考えました。東電は「チェルノブイリのような原発事故は日本では起こり得ない。日本の原子力技術は傑出したものだからだ」と説明してきたのです。私は東電がその責任を逃れようとするのを許すことができませんでした。
海外メディアは
注目・報道したが
――東電本社前での直接抗議行動の呼びかけへの人びとの反応はどうでしたか。
私が呼びかけを始めてから最初の一週間ぐらいは、私と一緒に東電前に毎夕集まる人の数は一〇人程度でした。しかし人びとは、東電側が福島原発で本当に起きている企業にとって不都合な事実を隠していることをますます知るようになりました。人びとは、自分たちが東電に騙されてきたことをはっきり理解するようになったのです。破滅的震災の二週間後には、数百人の人びとが東電前の私たちの行動に加わり、「原発はいらない!」と叫んで東電に抗議するようになりました。かれらは、原発を止めるよう求める民衆の行動がなければ、悲惨な原発事故がさらに起こると考えています。なにせ日本には五四基もの原発があり、その多くは地震と津波による被害を受けやすい海岸地帯に位置しているのですから。
多くの海外メディアが私たちの行動を報告しましたが、日本のメディアは報道しませんでした。私は、日本の大新聞やTV局の多くは、大企業や政府に支配されているのだと思います。
ツィッターを
通じてデモ参加
――私は、あなたたちの東電への抗議行動は、若い世代の原発反対のデモへの参加を確実に刺激したと思います。
私は四月一〇日に東京西部の高円寺で行われた反原発デモに参加しました。そこには一万五〇〇〇人が参加しましたが、その多くは若者でした。
参加者の多くにとっては、それはあらゆるデモというものへの初めての参加体験でした。私はいつもこうした大電力資本と政府が引き起こした犯罪的な人道的惨劇に抗議して、自ら決起するよう若者たちに強調してきました。多くの参加者たちはツイッターのような新しい社会的ネットワークを通じて、このデモを知りました。
いま私たちは、六月一一日に日本中で「原発反対一〇〇万人アクション」を行うプランをたてています。その日は地震・津波・原発惨事が起きてからちょうど三カ月後にあたります。
もちろん私たちは原発を止め、三重の惨害――地震、津波、原発事故――の被災者に対して、東電と政府がかれらの責任において全面的補償をするよう求める全国的ネットワークを作りたいと思います。しかし私は、私たちの抗議はそうした要求を超えて進むべきだと思います。
フクシマの後でも、日本政府と資本家たちは原発開発構想を放棄していません。かれらは依然として原発輸出を拡大しようとしています。私はそれはシステムの問題、つまり資本主義システムの問題だと思います。
原発のない世界を求めようとするのなら、私たちは資本主義システムに挑戦しなければなりません。
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