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    かけはし2011.5.23号

大震災と労働運動に問われる課題

遠藤一郎さん(全労協震災対策本部長に)に聞く

資本の論理を打ち砕き人びとが願う地域の再生のために闘おう

 新自由主義との改めての対決を課題とした今春闘のまっただ中に、史上最大級の東北関東大地震が襲った。連帯をその心棒とする各労働組合はまず最優先の課題として、仲間とその家族だけではなく地域の被災者救援に力を傾けた。しかしこの運動態勢の切り替えには客観的に、単純な緊急対応であることを超えて、別の形によるむしろより深い内容をもつ春闘の展開という課題が内包されていた。確かにこの大震災は、日本の労働者運動にその質にも突き刺さる大きな課題を突き付けた。結論的に言えば、脱原発をも含んだ新自由主義を覆す闘いは、まさに被災地域の「復興」においてこそ切実に必要とされている。しかも課題は極めて具体的だ。労働者運動は現場で今どのような問題と向き合っているのか。被災地域に活動の足場を置き、かつ全労協震災対策本部委員でもある遠藤一郎さんに聞いた(四月二七日、構成・文責、本紙神谷)。

トヨタのために
港の再開を強行
 一つの象徴的事実として仙台港の現状から始めたい。ここはまず五〇〇〇トンの船が岸壁にあがっているというすさまじい状態だ。コンテナを積み下ろしするガントリークレーンも、埠頭に沿って敷設されているこれを動かすレールもろともぐしゃぐしゃにされている。それでも船からの支援物資を受け入れる港を無理して開けるという作業は一番早く行われた。埠頭が先のような状態では非常に大変なことだっだ。
 ところがそれから一日明けたぐらいで、セントラル自動車で組み立てた完成車積み出し船の第一号が仙台港から出ている。要するにセントラル自動車(トヨタ系列、トヨタ車組み立て工場)のために、つまりトヨタのために無理無理港を開けたということになる。港湾の施設を、支援物資補給に応えるというだけではなく、当然のことのように大企業を優先し、港湾全体の設備がどうであろうがそこだけは開けた。通常の荷物はむしろ酒田、秋田に集中して、そこからトラック輸送で来ていた。だから全港湾の組合員も半分はそちらに応援に行く。一方でトヨタの車は仙台港から出荷できる。セントラル自動車の工場から仙台港まで直通する道路が別ルートでつくられた。地震でそれも傷んだらしいがそこだけが新幹線よりも早く復活している。復興にも波及するかのように、資本の論理がそのように貫徹されていることが典型的に現れている。この全体は、この社会がどんな仕組みで動いているかの一つの象徴だ。

きわめて深刻
な雇用の問題
 その上で労働相談を見ると、一つはちょうど四月だから、新規採用の問題が大きい。労働局の指導として、採用取り消しをしないなら休業保障が必要、六割の保障をと、当たり前の指導がある。ところが現実には、事業そのものが根底から破壊されている状況があり、どうにも策がない状況を前に、結局採用取り消し、内定取り消しということになる事例がある。話し合って、制度を色々検討してみても全部間に合わない。新規採用だけではなく、実際に事業が立ちゆかなくて、雇用調整助成金を四カ月かかるところを一カ月で出すとか、特別融資制度があるとか、雇用保険の失業給付を再度仕事が始まったら戻ってくるという条件で、解雇でなくても雇用保険給付を受けられるとか、色々な制度で何とか救おうとしても、それでも使い勝手が悪いというか使っても間に合わないという事態が起こっている。その点でどんなことができるか、それが現実に直面している問題の一つだ。雇用をどうやって守らせるか、われわれも一緒になって考えて対応する必要がある。
 一方で、震災を理由としたないしは口実としたリストラがある。また、労働局に適用除外申請を出して解雇予告手当を出さなくていいと認められたパチンコチェーンの例もある。しかし実態は、一六店舗のうち四つぐらいしか止まっていない。結果労働局と大もめになっている。一度出した適用除外は取り消さないなどと言う。制度を悪用して解雇しても予告手当を出さない、そういう悪どい事業者がいるわけだから、そこに対するきちっとした対応は当然必要となる。
 確かに中央の行政は神戸の経験を踏まえてかなりのことをやっている。一六日ぐらいから連続的にいろいろなレベルの通達を出し、特例措置を出し、雇用を守るべきとなっている。一方で現場では指摘されても開き直るという、前述のような事例もある。行政の末端まで行き届いていない。逆に言えば運動の側が教えながらという状況もある。確かに現場段階では、ハローワークがつぶれているところも、労働局自身が機能していないところもいくつかあり、同情的に考える部分もある。しかし現実に使う側、労働側が下から、具体的に問題を指摘しこれを実現させてゆかなければ、いくら通達が出ているからといってそれでうまくいくわけではない。それが実情だ。
 現在、いわき自由労組、ふくしま連帯ユニオン、宮城合同労組、共生ユニオンいわての四労組共同チラシを基に、労働相談を岩手、宮城、郡山、いわきの四カ所でやっている。宮城が全体で一六件、そのあとも少しずつ、いわきが避難所に置きチラシなどの努力で六,七件。ほぼ一カ月半たっているが、自らの労働の問題について、実感として切実ではあるとしても、まだ意識がそこに向いてきていない。特に漁民と農民が被災の半分から三分の二を占めていてなおかつ漁業関係の加工場とかの関連業が全く根こそぎやられている。そこでは、ストレートに労働問題というよりも地域なり社会をどう立て直すかということの方が先に立つ。自分の個別の労働問題でこの経営者がひどすぎるとかの向かい方になかなかならない。むしろ、少しでも可能性があればみんなで一緒になって再建をどうするかという方へ向いている。したがっていわゆる労使関係上の労働相談という現れ方は、もう少し時間がかかる。

農業と漁業が
中心問題になる
 その上で、加工水産業関係が根こそぎ破壊されている状況に対して、企業を再建するのか、再建するまで何をするのか、被災者をどのように雇用するのかが迫られ、漁民も含めて一定期間踏ん張ってもらわないことには地域の再建につながらないということで、まず自治体が雇用してがれきを片付けるということが、とにかく始まっている。あるいはNGO、NPOの民間が介在してこれも半年ぐらいの想定でがれきの撤去、という動きが出ている。さらにゼネコン、セメント全部が準備している。いわゆる仮設住宅から始まって、また金があってすぐにも建て直したくて立地条件ができているところはもう家の建て直しが始まるという話がある。だからゼネコンはシフトをとっている。しかしその代わり彼らは丸ごと連れてくる、そして丸ごと利益を持って帰ってゆく。そうではなく地元雇用をさせなくてはならないが、ただ建築だとか港湾改修・復旧だとか、一定の、最低限の技術が必要という条件も確かにある。
 他方に農地復旧の問題がある。農地は田んぼが二〇万fぐらいが塩害、これを塩抜きして田んぼとして使えるようになるまで三年かかるだろうという。塩抜きする三年の仕事は非常に大事な労働だが、これについてどういう形で保障するのかが問題となる。今年いっぱいは去年の収入でしのげるとして今年の秋からは無収入だ。作付けはできない、当然収入はない、しかも三年間それが続く。この人たちの三年間の収入をどう保障するか。そうでないとその作業は進まない。そして誰かが塩を抜いてくれるわけではない。農民の場合はそういう問題がある。
 漁民の場合でも、操業する船をどうするか、引き上げたり片付けたり、それからもう一度海を回復して養殖やれるまでの保障の問題だ。この地域では漁業も圧倒的に養殖でやってきた。この漁業が壊滅した。だからその再建のための時間とその間の生活保障は農民と共通の問題。海も相当荒れているとはいえ、海の回復力に対する絶大な自信をもっている漁民は多い。彼らは、自動車が入っているとか何だとかあったとしても、海は全部飲み込む、そんなにちっぽけなものではない。ただ予想ができないのは原発事故、海水汚染が問題にされたらもうどうしようもないと言っている。
 ある意味で、青森から茨城まで、三分の二から四分の三は農業と漁業で回っている。だからここにどんな再建策を考えるのかということが最大の問題だ。
 その点では、政府、県の方針への対抗が必要となっている。宮城県の基本方針素案が今議論になっているが、集約化、しかも株式会社化、要するに農業を法人経営にすると明確に言っている。日本の農業では、いわゆる小農、家族農業をキチッと保障するということが基本だった。ところが彼らは今やチャンスということで出てきている。こういうことと対抗できるかが問題になっている。そこで深刻な問題は、その農家の担い手の高齢化だ。三年間塩抜きをしてもう一度それから農業を再建して自分の美田を取り戻して個人的な営農、それをやれるのかという切実な問題が厳然とある。そうすると政府、県の打ち出しは飴になる。TPP農業、法人化で農地がどんどん売買できる、そして集約するというこのプランは、高齢化して三年間無収入、どうしようと思う農民の人たちには飴になるのだ。この問題に対抗して小農のキチッとした農業経営を構想し打ち出せるか、反新自由主義勢力総体に対して重大な問題が提起されている。

社会全体の作り
替えが問われる
 雇用の問題は実は、地域の再生との問題と切り離せない形で、そういう諸問題、農業の問題と漁業の問題、その上で膨大な失業者というか職を失う人、収入の糧を失う点で農民も漁民も共通だが、それら総体の問題として提起されている。短期の廃材の処理などで全部何とかできるとたとえ考えても半年では終わらないと言われている。ゴミの整理だけで約三年かかると言われている。だから、自治体が雇うという場合でも、半年雇用では足りない。そして漁業の再建もやりつつ、一定の収入を得ながらまた漁業の再建、農業の再建に取り組めるというかなり長期的な道筋をにらんだ対策が必要になる。この奥の深さというものを見ておかないと、通り一遍の対策では間に合わない。
 その中では自治体が安易に臨時職員にするということも問題になる。自治体の労働者自身がたくさん犠牲になっている。その点だけでも臨時ではない採用を求めなければならない。もっと深いところでは、自治体の公務労働者というか、公務サービス労働というものが、この震災の中でどのように重い意味で機能しているのか、という点が大事なところだ。これを臨時雇用ではなくどのように保障していくのか。ところが政府は自治体労働者の二割賃金カットと人員削減でやろうとしている。それをまた復興の財源に使うという形で問題の立て方がひっくり返っている。しかし実際は、公務・公共サービス労働が軸になりながら地域に密着した再建プランをどういう形で作るのか。問題の基軸はそこにある。
 たとえば南三陸町という名前がたびたびメディアに登場するが、地域の本当の姿はそうではない。平成の大合併で形だけそうなったにすぎない。実体は志津川町と歌津町と津山町の三つだ。それぞれが海に向かって隣には山があるのだ。昔から歴史がちょっとずつ違う。そこが一緒になって南三陸町、そして自治体の職員が一本化された。今回の震災ではその弊害がむき出しに出ている。各支所にはわずかしかいない。ここが津波に襲われ、本庁では掌握ができない。道州制とか平成の大合併ではなくて、結局もっと歴史的に地政学的にも地域に直結したそういう自治体のあり方に戻さない限りキチッとした対応ができない。それがなかったら宙に浮いた再建計画しかできない。
 その上で、政府が出す雇用創出のための予算を漁民、農民の生活保障と結び付けなければならない。そこには雇用と微妙に違う問題もあるが、農業、漁業があって、公務公共サービスの再建をそこに重ね、それが地域と密着した復興計画を立てていく、その形を前提にしながら、政府の出す雇用創出の資金をどのように自分たちのNPOや事業協同組合を使って活用してゆくかという発想で考えてみることが必要だと思う。その雇用創出の資金をゼネコンだとかセメントだとか企業関連が乗り込んで全部呑み込むというプランではなくて、たとえば被災者ユニオンを事業協同組合としてつくってそれが国の予算などを活用してゆく、そういうことが雇用創出のところで求められていると思う。
 ただ現在のわれわれの準備では、ほんの部分的取り組みは別として、総体の枠組みの問題としてそこに踏み込むことは非常に難しい。それも厳然とした事実だ。それを自覚しつつ、本当に介在してそこから自主事業、たとえば公務公共サービスと労働者の自主事業がセットになって地域から再興を考えていくことが必要だ。そこに農民の集団とか漁民の集団とかがまたそれもTPPに合わせた株式会社化ではない高齢化した農民が次世代にどうつなぐかという、そのような発想をどれだけ広げられるか、なおかつ、対自治体要求だとか対政府要求だとかの中でそのことを担える主体をどうつくれるか、今後の実践を考える問題意識の中心には、それを置いておきたい。

現場に立脚した
労働への規制
 最後に外せない問題として、労働に対する監視とチェックの必要を強調したい。特に公務公共サービス、あるいは医療、介護の現場ですごい激務が現実としてあった。労働条件への配慮などはまったく消されて、自分も被災者でありながら避難所に詰めて不眠不休、立派立派、という報道が圧倒的だった。しかしこれはまったくおかしい。原発の労働者のいのちと健康を問題にするのと同じだ。
 もちろん公務公共サービスは再建にとってポイントだ。現にそこが一番フル回転している。それだけにむしろそこでの健康といのちの問題はしっかり守らなければならない。守りながらやらなければ長続きしない。
 このテーマは非常に大きい。ここでは省略するが、現在の東電の安全無視体質をつくり出す上に果たした東電労組の反動的役割も含め、最終的に事業・企業の性格にも波及する。全労協の中でも一つの課題だ。たとえば国労、原発周辺の鉄道の復旧をどこまでやるのかという問題がある。あるいは全国一般東京労組新聞輸送でも新聞をどこまで運ぶのか、具体的な指示を新聞社にさせろという問題になっている。新聞社の責任で指示を出せ、だから行く、次いで新聞輸送の社長を先頭に行かせる、で行ってみたらスタンドも何も機能していない。そこで戻ってきてもっと現実にあった配送の指示を出せとなる。いずれにしろ点検チェックをさせる主体が決定的に重要だ。それをできる労働組合を作ることが今こそ求められている。
 ここまで見てきた問題はある意味で大きすぎるとも言えるが、いずれにしても、どこまでできるかまず挑戦してみることが出発点だ。そしてさまざまな人たちや労働組合とのナショナルセンターを超えた共同も必要となる。それらを含めて、実践を重ねながら議論を広げたい。  


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