農村が危機を抱え、大都市
が恩恵を受ける原発の矛盾
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自然災害は階級や人種を選ばない。自然災害の前で人はみな平等だ。だからと言って自然災害の被害が社会と無関係なわけではない。日本内外では今回の日本の事態の被害者を「日本人」という範疇でくくっている。被害地域が日本列島であり、また日本人たちが圧倒的に多くの被害を受けたので、日本の事態を日本人の話として解きほぐすのは、そう異常なことではない。
けれども被害地域には多数の外国人らが居住しており、彼らも少なからぬ被害を受けた。ところで、日本のメディアが外国人の被害を積極的に扱った痕跡が見いだしがたい。災害地域に指定された所には約7万5千人の外国人(中国、在日朝鮮・韓国人、フィリピンなどの順)が登録されている。このうち行方不明者は278人で、死亡が確認された人は15人だ。まだ遺体2501人の身元確認が終わっていないので今後、外国人被害者はさらに増えることがありえる。また朝鮮学校が指定避難所に指定され、ここに避難していた在日朝鮮人に救護物資が伝達されたのは、他の指定避難所に救護物資が伝達されてから10日も過ぎた後だった。従って今回の災害を日本人だけの話として「包装」するのは、やはり避けなければならないだろう。
高齢社会・東北の悲劇
問題は、これにとどまらない。日本人被害者と言えども、その中には多種多様な人生史がからんでおり、そのような多種多様な人生史が生死を分ける分岐点となりもするからだ。同じ地域で地震津波に出くわしたとしても階級的、地域的、性別などによって被害はそれぞれに異なって現れる。貧しい人の家は地震に対してより脆弱なので被害を受けやすいだろう。反面、ゆとりのある人の家は相対的にしっかりと建てられているので地震被害から免かれる可能性が大きい。
例えば東京では1975年から地震災害対策条例に基づいて地域別の建物崩壊危険度の順位を発表しているが、この中で危険度の上位を占めている地域は大部分が庶民の密集地区だ。想像を超越する自然災害といえども、その被害に地域別、階級別の格差が存在するということを忘れてはならない。従って自然災害を特定民族や国民の苦難の話として「包装」するのは、特定国家内部で暮らしている階級、地域、民族別の格差を隠蔽する役割を果たす。
今回の事態でともかくも目につくのは高齢者に被害が集中したという点だ。〈読売新聞〉3月15日付によれば、身元が確認された地震津波の死亡者2853人中60歳以上が65・1%を占めている。1995年の阪神大地震の際も高齢者の比率が高かった。けれども都市型災害である阪神大地震の際は20代の犠牲者比率も決して低くはなかった。 「絶対安全」で起きた「万一」 高齢者の被害が多いのは東北地方が人口構成において高齢者の比率が圧倒的に高いからだ。東北地方は日本全体の中でも高齢化問題が最も深刻な所だ。2010年現在、東北地方の高齢化率(65歳以上の人口比率)は25・2%で日本全体が22・7%、東京の20・9%より高い。2000〜2005年の人口増減率を自治体別に見ると、人口減少率の上位には東北6県中、5県が含まれている。大都市仙台が入っている宮城県を除き、秋田、青森、岩手、山形、福島の各県がいずれも入っているのだ。
高齢過疎化現象は今回の地震津波で被害を受けた太平洋沿岸各村落において顕著だ。高齢過疎化が進行しなかったならば防災対策もそれなりに充実することもできただろうし、災難の際に高齢者が若い人々の助けを得て一部は生き残ることもできたことだろう。
従って地震や津波は自然災害だけれども、被害は階級的であり、地位的な性格がある。福島原発の放射能流出によって実施された東京電力の計画停電においても階級的・地域的性格が現れる。節電のために東京などの首都圏では計画停電を実施している。ところが東京の中心にある23区の中で、東京の代表的な庶民の居住地域である荒川区だけが停電の対象地域だ。横浜の観光地域であり、また高級住宅街である山手地域も停電の対象から除かれた。つまり地震津波の被害においても、また対策においても階級的・地域的偏向が現れているのだ。このような現象は原発問題において、最も克明に現れる。すなわち人口過疎地域(農村=東北地方)と人口過密地域(大都市=東京などの首都圏)の関連だ。
事故が起きた福島原発のある所は行政区域上、福島県双葉町と大熊町だ。それぞれ人口が6千人、1万人余りのやや小さな町だ。ここで生産される電気が約100q以上離れている東京など首都圏に供給される。福島原発が今回の事態によって稼動を止めるとすぐに東京などで電力難が生じたのは、このためだ。日本の原発は大部分が大都市から100〜200q、地方都市から40〜50qほど離れた所にある。原発の放射能流出のようなリスクは過疎地域が負担し、大都市の消費者たちの都市文明は、このようなリスクの上で恵沢を受けている。空間配置の位階的構造だ。原発推進論者たちは、原発はきれいで半永久的であり、安くて安全だという理由を掲げる。ところが原発はほとんど過疎地域に建設する。そのような安全であるならば人口過密地である大都市を避ける理由がない。それにもかかわらず「万一」に備えて人口過疎地に原発を作る。そして「万一」が今、起きたのだ。
もちろん、リスクを負担している過疎地域に対価が与えられていないわけではない。法人税、固定資産税など税収入の増加や各種の国庫補助金が、それだ。それで日本では原発が集中してある地域を原発「銀座」と呼ぶ。「銀座」は東京の代表的な高級繁華街だ。わが国の言葉に置き換えれば、さしずめ原発「明洞」とでもなるだろうか。原発誘致の対価として与えられる各種の金銭的恵沢のおかげで銀座のように繁栄し、派手に飲み食いするようになった、という意味だ。
原発の誘致を通して農漁村地域の過疎化と過密地域の電力難という「二兎」を捕らえるという発想を語った人物は、1970年代初・中盤に総理を務めた田中角栄氏だ。彼は在任期間に自らの故郷・新潟県に原発の建設を推進し、「東京に作ることができないものを作らなければならない。(原発を)作って東京からカネを送らせれば良い」と語った。
各種の補助金が招く悪循環
それならば原発は過疎化を解消してくれたのか? 福島原発の事態によって被害が最も大きかった原発「銀座」の双葉町を例にとってみよう。高度成長期にさしかかるとともに、これといった産業の1つもなかった双葉町の人口はみるみる減少していった。それで日本の「チベット」と呼ばれるほどだった。チベットという形容は、それ自体としては既に差別的な内容を持っているが、ともあれ「チベットから銀座」へと脱皮しようとする方法として1961年、双葉町は原発誘致を決定した。原発が建設され稼働が始まると税収が増えた。1974年に作られた国庫支援金のおかげで町は豊かになった。さまざまな道路ができ、またおよそ町の規模には似つかわしくない大規模な図書館などの公共施設、そして酒場や商店などが軒をつらねた。
けれども1980年代以降、財政危機がやってくる。原発の国庫支援金が期間終了に伴って1986年からはもはや支援されなくなり、固定資産の償却が進行されるのに伴って固定資産税の収入が毎年、減ることになったからだ。その上、原発建設が終了するやいなや働き口が少なくなった。原発は1年に1回程度、稼働を中止し、原子炉周辺の定期検査を行う。定期検査は1時間程度、働くだけでも1980年代の基準で1〜2万円(現在のレートでは13〜27万ウォン)も手にすることのできる働き口だ。被曝の可能性が高い危険な仕事なので、おいそれと乗り出すのは難しい。おまけに原発の会社側が利益率を高めようとして定期検査の期間を次第に短縮するので仕事も減るようになった。
けれども国庫支援金で建設した公共施設の運営費は減りはしないので結局、双葉町は赤字財政に陥ることになる。残された方法は原発をさらに追加して建てて国庫支援金をもらい固定資産税の収入を増やす道以外にはなかった。双葉町議会が1993年に原発の追加誘致決議をしたのには、このような事情が働いた。結局、大都市の電力難は解消されたものの農村地域の過疎化は解決されなかった。原発「銀座」は原発の「人質」となった。 東京に、ソウルに原発を!
このような矛盾に目を開いた人々がいることはいる。少数の住民たちが1970年代から「双葉地方原発反対同盟」という団体を作り原発反対運動を展開してきた。1995年、原発がある福島県の南部に位置する、人口1万5千人ほどの小さな町・棚倉町の住民2500人が署名を集め「東京にも原発を作れ」と東京都知事に提案した。また作家・広瀬隆氏が1980年代に出版し、一躍人気を集めた〈東京に原発を!〉という本でも、原発の恵沢だけを享受している東京の人々の原発に対する無感覚さを批判している。
それにもかかわらず原発の受恵者である大都市の消費者たちの態度は相変わらずだ。もちろん東京の住民たちも節電・カンパなどを通じて被害者たちの苦痛を分かち合おうとする。けれどもメディアの報道を見る限り、これはあくまでも「同じ日本国民」という範疇を通してだ。農村から人口を吸い込み、過疎化を呼びおこすことによって過疎地域のリスクを抱え込まざるをえなくした受恵者としての自覚は求めがたい。大都市の住民たちも原発の人質となったわけだ。
今回の事態を「日本国民の話」として「包装」しようとする動きは日本内外で既に感知されている。その中に隠された階級的・地域別の位階をえり分けることなしには、原発の「人質」から脱け出すことはできない。すなわち国民という「人質」が原発の「人質」なのだ。これは韓国だとして例外ではない。万一、私が「ソウルに原発を!」と言ったならば、ソウルの人々は、いかなる反応を示すことになるだろうか? (「ハンギョレ21」第855号、11年4月11日付、クォン・ヒョクテ/聖公会大・日本学科教授)
コラム ウラン燃料棒を素手でつかんだ人
「ウランの燃料棒を素手でつかんだことがあるんだ。棒は被膜で覆われているから安全だと言われていたし、慣れっこにもなっていたから、けっこう無造作に扱っていたんだよ。なんせ、科学を信じていたからね」。
市民運動のなかで出会った、ぼくと同年代で、ちょっと理屈っぽいけど天真爛漫なところのある彼は、こともなげにそう言っていた。
彼は、大学を出たあと、原子力の研究部門で働いていた。ところが、なにかのきっかけで三里塚農民の空港反対闘争のことを知り、反対同盟にカンパを送った。それを会社側に通報した者がいて、太陽光発電の研究部門にまわされてしまった。
「これからのエネルギーの主力は原子力だ。太陽光発電の研究は、そのためのアリバイだよ。研究費も少ないんだから、とにかくやっているふりをすればいいんだ。くれぐれも、そのつもりでな」。上司からは、そんなふうに言われたという。研究といっても、彼には意味のない作業の繰り返しにしか思われないものばかりだった、ともいう。
ぼくが出会ったころには、彼にはそんな仕事さえ与えられなくなっていた。「仕事?タイムレコダーを押すくらいだよ。だから、いろんな闘争に出かけていけるんだ」。実際、彼は行動的で、市民運動や労働運動のいろんな場面につねに顔を出していた。そんな彼とは気が合った。ぼくはバイクを飛ばして三人家族のお宅によく遊びにいき、ご馳走になることもしばしばだった。
ところが、ある日突然、彼は家族ともども郷里に帰ってしまった。白血病を発症したためだ。
入院先に見舞いに行くと、彼は、丸坊主にされた頭を撫ぜながら、無菌室の中から「ヨーッ」と出迎えてくれた。ぼくに心配かけまいと元気そうに振舞いながら、いつも以上に饒舌に一時間ほど語りつづけた。
「一五年ほど前にウランの棒をつかんだことは前にも話したけど、実はその棒の皮膜が破れていたんだ。でも、身に付けていた放射線測定器には反応がなかったので、安心していたんだ。考えてみれば、測定器が反応するのは、いろんな放射線のうちのガンマ線だけだ。白血病になったのは、あの時の放射線のせいだと思っているけど、それを証明するものはなにもないんだ。会社側は、『有意の因果関係』を科学的に証明できなければ労災補償はできないと主張して門前払いだ。残される家族のことを思うと、無念でたまらないよ」。
数週間して、彼の訃報を聞いた。享年、四一歳。思えば、もう二〇年以上も前の話だ。
今、数えきれないほど多くの人びとが、彼と同じ状態にさらされている。繰り返される「直ちに健康上の影響はない」は、将来の「有意の因果関係は認められない」への布石にされかねない。それを許さない力は、持続的な大衆運動にしかない。資本のブラックボックスに入れられている再生可能エネルギーの開発を社会のもとに解放する力もまた、巨大な大衆運動にこそある。 (岩)
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