株主の利益追求の名のもとに
安全を無視し続けた東京電力
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日本 ― 福島原発災害と資本主義の非人道性
ピエール・ルッセ |
最大被曝量を
非常に高く設定
「核戦争防止のためのフランス医師協会(AMFPGN)」会長のアブラム・ベアール博士は、日本の原発惨事に関する文章で、「放射線を放出する原発プラントで頑張っている五〇人ほどの専門技師の状況について憂慮する声が上がっている。しかし、放水作業をつづける消防士とならんで仕事をしている三〇〇人ほどの一般労働者については、どうなのだろうか」と問いかけている(『リュマニテ』紙二〇一一年三月二一日)。
「労働条件は恐るべきものである」と、放射線防護・原子力安全研究所のティエリ・シャルル所長は述べている(『ルモンド』紙二〇一一年三月一九日、カトリーヌ・ヴァンサンの記事)。ところで、このような指摘がどれほど適切なものであるかについて確かめることは、ジャーナリストにとって難しかった。日本に数十年にわたって居住している『ルモンド』特派員のフィリップ・ポンは、下請企業の従業員の状況は「明らかではない」と指摘している。この問題について詳しい社会学者であるポール・ジョバンは、「人員を新たに増強しなければ、福島原発の労働者たちは悲惨なことになるにちがいない」と述べている(『ルモンド』紙二〇一一年三月二四日)。
これらの労働者が被曝している放射線量は、ジョバンが主張しているように危険なものだろうか。多くの「専門家」は、(はなはだしく不完全な)公式のデータと法的に認められている放射線被曝「レベル」に基づいて、そのようなことはないと否定する。しかし彼らは、これらの「レベル」が医学的基準でなく作業上の必要に基づいて設定されていることを忘れているのである。その証拠に、これらの「レベル」はときどきの非常事態と国によって変化するのであるが、あたかも放射線の影響は時と場所によって異なるかのようである!
そういうことなので、三月一九日、日本の関係当局は、労働者を福島原発に送り込み、避難人口を少なくするために、法的最大許容レベルを二五〇ミリシーベルトにしたのである。このことについて、ポール・ジョバンは次のように述べている
― 「通常の日本では、法的最大被曝量は五年間にわたって年平均二〇ミリシーベルト (mSv) または二年間にわたって最大一〇〇ミリシーベルトであるが、この最大被曝量そのものが非常に高く設定されている。ところで、今回の非常事態下における新たな最大許容被曝量は、福島原発労働者をおそう死を合法化し、彼らの家族に対する補償の支払いを回避しようとするものに他ならないと理解されうるのである」と(同上)。
危険な作業に従事する下請労働者
あれこれの数字の問題をこえて、ジョバンによる以上のような指摘は、人間の健康は企業経営者や政府にとって最優先の関心事項ではないのだろうと疑念をいだく人々にとって十分に説得的である。福島原発について直接の責任がある東京電力のすべて従業員のみならず、原発惨事のために動員されている消防士や自衛隊兵士もまた重大な放射線被曝の危険にさらされている。
しかし、もっとも危険きわまりない作業を遂行しているのは下請企業の労働者であり、彼らは甚だしく放射能で汚染された水のなかを歩きまわり、電力ケーブルを敷設し、残骸や瓦礫を除去し、冷却システムを失った原子炉に放水し、原子力発電所の施設を再稼動させようとしているのである。
これまで弛みないコスト削減の歴史があり、仕事の内容の過酷さにもかかわらず、「危険にさらされている労働者」にまともな食事もあたえられていない。福島原発の現場責任者は、「食事は一日に二回です。朝食は、栄養補強パン、インスタントライス、そして缶詰食品です」とテレビ取材記者に語っている。昼食はないのである。原発惨事発生直後の時期には、一人の作業員に与えられる水は一・五リットルにすぎなかった。彼らは、原発現場の放射線防護建造物とされるところで、鉛のシートを遮蔽にする危なっかしい条件のもとで短時間の睡眠をとるのである
― 「作業員は会議室や廊下、浴場の近くなどでグループごとに就寝します。誰も床の上で眠るのです」と(AFP通信、二〇一一年三月二九日)。
彼らはあれこれの原発現場を状況に応じて渡り歩く「原発渡り労働者」であり、彼らは放射能汚染した環境のもとで全二四時間を過ごすのである。放射線から防護する装備は非常に粗末である。放射線の線量計は、通常、二人に一台だった。しかし、東京電力によると、五〇〇〇台の線量計が用意されていたことになっていたが、三月一一日後に使用できたのはわずか三二〇台にすぎなかったのである。作業員はゴムや合成樹脂の靴を履いている。ある下請業者は、「労働条件はますます危険になっている。このような条件を受け入れる労働者を他で見つけることはできないでしょう」と朝日新聞の記者に語っている(AFP通信、同上)。
遵守されない
労働者保護基準
労働組合だけでなく、反原発運動も、危険にさらされている労働者を護らなければならない。アブラム・ベアールは次のように述べている
― 「これらの労働者は、原発事故現場の強度の放射線被曝と汚染地域住民と同じ低度の放射線被曝という二重のリスクに直面させられている。……日本のこのような労働者に対してどのような連帯支援が可能だろうか。労働組合運動は原発現場における臨時雇用労働者のための活動を展開しているし、EUは若干の措置を用意している。そして、われわれは何をなすべきだろうか?」と。
福島原発現場の労働者が直面させられている危険が重大なものであることは明白である。日本の厚生労働省は、その役人の口を通じて、その重大性を次のようなかたちで認めている
― 「命を賭けなければならないような仕事は、どのようなものでも好ましいはずはない。しかし、原子力発電所の状況に対処することの重要性は労働政策の領域をこえるものである。労働者の安全性が優先されるべきかどうかについて、私は確信をもてない」と。この言い方は遠まわしなものであるが、その意味するところは明白である(『朝日新聞』二〇一一年四月五日号)。
ポール・ジョバンは次のように述べている ― 下請業者のところでは「多くの場合、労働者保護の基準は遵守されていない。福島第一原発の近くの下請業者で、GEや日立などの原子炉建造企業の仕事をしたことがある社長から二〇〇二年に「異常なし」という認証スタンプを見せてもらったことがあるが、この下請業者はその従業員の健康証明を欺くためにこの認証スタンプを多年にわたって悪用していたのである。そして、この社長その人もついにガンになり、東京電力から仕事を切られてしまったそうである」(前掲『ルモンド』記事)。
重大な事故に
全く備えなし
このような労働者の状況がスキャンダルになり、原発事故現場の労働者の防護と報酬が改善されたが、併せて下請企業の労働者にもその恩恵が及ぶものと期待された。しかし、このような事態そのものは、原発関連企業と政府が重大な事故の可能性について前もって用意されていなかったことを示している。東京電力は、「高レベルの放射線のもとで労働者が連続的に仕事に携わるような事態について想定しなかった」のであり、自社の従業員についてすら福島原発の危機的状況に対応する報酬について定めていなかったのである(前掲『朝日新聞』記事)。
また、このようなあり方は資本主義の日常的非人道性を示すものであり、放射能汚染の犠牲者である労働者や一般住民の健康や生命は資本主義にとって賃金と同じで調整可能な変数なのである。したがって、東京電力は、株主の利益という名のもとに、法的に求められる安全防護措置を実施せず、経費が安くつく契約を取り付けてきたのである。また状況しだいでは、東京電力は自ら破産を申告し、補償の負担を国家にゆだねるだろう。だが東京電力はビジネス世界の周辺的企業ではない。一九五一年に設立された東京電力は日本の多国籍企業であり、世界最大の電力会社である。そのようなわけで、この会社の経営方針は現存する資本主義の性質を鮮明に照らしだすのである。
二〇一一年四月一八日
日本支援運動の現段階
連帯の必要性が解消されていない
ピエール・ルッセ/ダニエル・サバイ
日本がいぜんとして危機にある今、われわれは連帯キャンペーンがどうなっているのかを明らかにしたい。
四月一二日付けの『ル・モンド』紙に発表された論文の二つのタイトルは、日本列島の現状をうまく要約して言い表している。「津波から一カ月経って、東北地方は依然として混乱した姿を示している」。「『フクシマ』の周辺では、汚染はところによってはチェルノブイリと同じほど強い」。被災地は繰り返す余震に見舞われ続けている。核の危機は抑止されたというにはほど遠い。住宅に加えて、非常に多くの企業が破壊されるか、放射能汚染地域に位置している。広大な地域で、農地が耕作に適さないものになっている。大量失業の妖怪が三月一一日の破局の犠牲者につきまとっている。
反核の戦線では、大きな動員を実現したいくつかの最初のデモが先週末には日本で行われ、四月一〇日には、東京での二つのデモに一万七千五百人の動員がなされた。同様に、放射能の影響の独自の測定を実施するいくつかの民間の団体も結成されている。
連帯が緊急に必要であるという点は解消されていない。われわれが集めた支援金は、労働組合の共闘組織である東北全労協のためのものである。四月一日にわれわれが受け取った翻訳された東北全労協のアピールは、「日本全国、世界各国の友人、支援者の皆様によるご支援と心温まる励ましの言葉に御礼を申し上げます」とし、自分たちの活動を次のように報告している。
新しい段階に入った東北全労協の闘い
最初の時期には、物資の確保のための組織化が不可能であり、手元に物資の貯蔵も、移動するための燃料もない。まず第一に、東北全労協は、組合員とその家族の安否を確認した。(一部の組合員は居住場所を失った)。次に、多くの特別な物品を配給し始めた。「灯油がなくなっても買出しに行くことができず暖を取れない高齢者宅、友人宅に灯油を配達し、全国から送られてきたヒーターを乳幼児がいる家庭やガス復旧の遅れている地域の高齢者宅に配布し、…津波で冠水した家屋の後片付け、電気のない避難箇所への発電機の搬送」、……などである。東北全労協の組合員はまた、津波の水で流されてしまった家屋の片付けにも参加している。燃料の供給と交通手段の復旧とともに、東北全労協は、四月一日に、自分たちの活動が新しい段階に移ることができると宣言した。「古い友人と家族、計一七人の安否確認作業を四日から現地……に出向き開始」し、「必要な物資は仙台を中心に買い求めることがきますので、皆様からいただいた資金で調達」する、としている。東北全労協はまた津波被災現地視察と現地での支援活動を受け入れる。(一泊二日で、二〜三人が可能であるとしている)。
ESSF(「国境なき連帯のヨーロッパ」)のサイトに掲載された日本への連帯のアピールに対しては、今日までに、ドイツ、イギリス、フランス、コンゴ、香港、パキスタン、スリランカ、台湾から約一万二千ユーロが支援金が集まっている。
さらに、東北全労協のメッセージは、連帯労組連合の国際通信版にも転載されている。実際、フランスの社会運動と国際的な社会運動の中で日本の人々に対する連帯を拡大することが緊急に求められている。
『トゥテタヌー』(NPA=フランス反資本主義新党機関紙、九八号、二〇一一年四月一四日)
コラム
横浜でも地震の被害が
「一杯やろうや」の誘惑電話に乗せられて、のこのこと金沢八景まで出掛けた。横浜市金沢区は鎌倉時代幕府の東京湾側の出入り口として栄え、今も教科書に登場する文庫や称名寺などが残る。かつてこの地域は、真ん中に平潟という大きな入り江を抱え、称名の晩鐘、野島の夕照、平潟の落雁、瀬戸の秋月などとうたわれた景勝地だったという。「だった」というのは、埋め立てで整形され現在では地名以外ほとんど面影が残っていない。
最初の埋め立ては第二次世界大戦中横須賀基地の拡大にともない、戦後は京浜コンビナート建設のために、さらにバブル期には公園造成の名のもとに人工海岸や人工島(シーパラダイス)が作られ、最後にはこれらを結ぶ横浜新都心線・シーサイドラインが完成した。この結果景勝地は見るも無残に変貌。平潟湾は周りから工場や住宅に包囲され、古い地図と比較すると今やその面積は昔の半分にも満たない。
横須賀市で中学校の教員をしていた友人夫妻は、七年前に勤務先にも近いし、なにより静かだという理由でこの地を終の棲家に選んだ。駅に迎えに来た友人は、「被災地になったわが家を見てくれ」というので訳も分からず車に乗った。駅からの風景は以前と変わらない。しかし住宅地に入ると空気は一変した。至る所が陥没し、よく見ると道路を挟んで向かい合う家はそのままなのに、道路だけがストーンと一〇〜三〇aもへこんでいる。裏にまわると一b近く陥没している場所もある。地震による液状化現象のためだという。同じ液状化現象で被害にあった千葉県の浦安や旭市のように全壊している家、傾いている家は全くない。基礎が打たれた建物にはほとんど被害はなく、道路や庭だけが陥没している。この一画を売りに出した横浜住宅供給公社と交渉中らしいが、現在まで復旧のための手応えのある回答はないらしい。
この陥没は三・一一の東日本大震災の時に起きたのではなく、それから二週間後の茨城県沖を震源とする震度4の余震で現出したという。地震波の違いなのか振動の方向差なのか、それとも三・一一に始まった液状化が繰り返される余震で地表まで達したのか現在調査中とのこと。
浦安の映像を見て「同じ埋め立て地でも東京湾を挟むとこんなに違うのかしら」、町内には宮城や岩手県出身者もいて「私たちも街頭に立って募金をやりましょう」という話が進んでいたくらいで、被災するとは夢にも考えなかったという。私自身、友人に見せられるまで想像だにしなかった。地震と津波で故郷が壊滅させられ、原発で故郷を追い出される。そして震源地から遠く離れた横浜で三〇数年も働いてようやく手に入れた終の棲家が被害に遭遇する。この大震災が突きつけているのは、繁栄の裏側に潜む『擬制の終焉』という言葉で語るにはあまりにも悲惨な現実である。 (武)
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