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    かけはし2011.5.2号

自律的労働者諸組織がさまざまに現れ始めた

エジプト

独立労働組合運動が公然と登場

軍当局の抑圧はねのけ幅広い層
が結集する自立した運動を追求


チェディッド・クハイリ


 いま新たなエジプトをめぐり、軍主導の臨時政権と革命を主導した諸勢力が激しい綱引きの渦中にある。その中で大きく姿を現した労働者運動が一つのカギを握り、政権からの圧力も大きい。以下はその現地報告。(「かけはし」編集部)

強力なストラ
イキが全国で
 二〇一一年一月以降エジプトが経験した革命の歩みという枠組みの中で、労働者と労働組合運動は大きな役割を果たした。労働者の利益を守る労働組合運動、この運動に対する要求はさらに一層明らかになった。
 一九五七年に軍事政権の支柱の一つとして設立された公認労組とその構造に挑む潮流は、長期にわたって存在し、完全に消えることは決してなかった。しかしそれはかなり弱いものであり、多くの場合反対派活動家の小さなネットワークに限定されていた。革命と国が通過中の大きな高揚と共に、独立した労働組合運動(アラビア語ではモスタキル)を建設しようという意志が再度現れることとなった。
 ムバラクが失墜する少し前、この国は労働者による抗議とストライキの印象的な波を経験し始めた。始めのうちこれらの決起の理由は多くの場合、賃金、住宅、不安定雇用の下に置かれた労働者の労働契約、その他をめぐる経済的なものだった。しかしあっという間に、労働組合の自由の問題並びに公認労働組合に対する公然たる非難が湧き上がった。
 強力なストライキが極めて多様な部門を麻痺させている。そこには、鉄鋼産業、紡織産業、スエズ運河地帯、輸送、病院、教育があり、ジャーナリストや銀行労働者、またイマームも忘れてはならない。警官はより高い賃金を求めデモを決行し、情報省地区にある建物に火を付けるまでになった。そしてこの地区は、情報省が位置する地区の名前からラゾウグリとして知られる、首都中心のまさに要塞化された地帯なのだ。公認報道の中で、腐敗に対する公然非難は数知れない。新聞編集者に対する辞任要求すらある(アル・アハラム、ロセ・アルユセフ、アル・ゴムホウレヤ、その他)。特に紡織と保健部門で女性たちがストライキに参加している。時として、同時に三〇〇〇件以上ものストライキがある。焦眉の問題が二つある。賃金の不十分な水準(約七〇ユーロという最低賃金)と高い物価上昇だ。失業率もまた高い。つまり、七〇〇万人の失業者がいると評価されているが、それは労働力の一〇%にあたるのだ。そして四〇〇万人の市民はいかなる社会的権利ももっていない。
 アル・マハラとアル・コブラでのストライキは賃上げをめぐるものだった。しかし労働者は企業経営者の解任をも要求した。彼らは要求していたものを獲得し、労働者の指導者の一人が経営者として指名された。彼らはまたストライキ中の賃金支払いをも勝ち取った。そして、ストライキによる損失時間を埋め合わせる生産性引き上げに同意した。


独立エジプト労
組連合の設立へ
 独立エジプト労組連合の設立構想は、アル・タハリール広場における一月三〇日の集会の中で、起きつつあった強力なデモを背景に、また公認労組とそれらの指導者に対する厳しさを増す批判の始まりの中で、船出した。その夜、農地固定資産税徴税人独立組合指導者であるカマル・アブ・エイタは、新たな連合を公表し、国家が支配する労働組合運動の失墜という現実を人びとの胸に呼び起こした。いくつものスロガーンが公認労組連合(ETUF)指導者のフセイン・メガウェルを厳しく非難した。
 三月二日には、独立エジプト労組連合がその設立評議会をジャーナリスト組合本部で開催した。「労働者が革命から望むもの」と題されたこの会合は、さまざまな町と活動分野から数百人の労組活動家を結集した。構想の柱は、最近になって現れた自律的組合だった。農地固定資産税徴税人組合、保健技術者組合、年金者組合、独立教員組合などがそれだ。そしてこれらの参加者の中には、情報通信労働者、紡織労働者、鉄鋼産業、カイロ労働者大学などの代表、さらに、アル・サダトの新しい都市やアル・マハラの労組活動家のような州からの代表もいた。
 まさにたびたび、軍当局者はこれらの諸闘争にけりを付けようと試みてきた。彼らは労働者集会やストライキ、その他の禁止を発表した。それにもかかわらず、先の波が終わるにはほど遠い。軍は、この強力な社会運動との対決に踏み出そうとしている。彼らはメディアを頼りとし、ストライキと抗議の継続は「民主的移行」に対する危険を意味する、と世論に納得させようとしている。彼らは同じやり方で、経済を再び軌道に乗せることが緊急に必要、などと強調する。彼らが今試みていることは、セクト的でありしたがって国民的必要に反する形で提出されているとして、労働者の要求の信用を落とすことだ。労働者はそれらの議論を拒絶し、彼らの要求が革命の要求の不可欠の一部であると断言している。元ETUF財政部長であるイスマエル・ファハミーの労働相としての指名並びに産業貿易相へのサミール・サヤッドの指名に関しては多くの怒りがある。元外交官であるサミール・サヤッドもまた、ストライキで麻痺させられた最大の塗料企業の一つで経営責任者を務めているのだ。

組織化と独立し
た行動が二本柱
 評議会は二つの主要な要求を提起した。公認労組連合を、その建物、文書、さらに基金を差し押さえた上で解散させること、そして新たな連合の法的認知だ。政権は、公認労組傘下諸組織への新組合員募集を停止させるよう求められた。さらに、これらの要求を実施する正確な時間表、並びに実体のある集団協約の確立が要求された。世界中の労働組合に向け一つのアピールが出された。そこでは、各労働組合が連帯を表し、公認労組の解体と国際的連合からの彼らの排除という要求を支持するよう訴えている。
 自律的労働組合潮流の指導的人物の関与が心に留められるべきだろう(注1)。彼らは、国家に向けられた諸々の不満と運動の要求を人びとに思い起こさせた。保健技術者連合議長のアーメド・エルサイエド、農地固定資産税徴税人組合委員長のサラ・アブデル・サレム、退職者組合委員長のエルバドリ・ファルグハリ、独立教員組合のメンバーであるモハメド・バラハの発言を、われわれはそのように聞いた。各々は彼らなりのやり方で、労働者運動の強さを力説し、ETUFの裏切りを厳しく批判し、今ここから腐敗のない社会システムを再建する必要をはっきり語った。革命の歩みは終わるにはほど遠く、独立した労働組合運動の建設はその一部だ。農地固定資産税徴税人組合を合法化させるために二〇〇七年から展開されてきた闘いの事例は名声を博した。労働組合の組織化と独立した行動は二つの中心理念だった。
 鉄鋼産業の元労働者であり労働組合・労働者サービスセンター(注2)責任者の一人であるカマル・アッバスは、ETUF指導部並びにフセイン・メガウェルを糾弾した。彼は、体制を支持しデモを糾弾したETUFの一月二七日の声明を思い起こさせた上で、公認労組連合の文書とファイルのさし押さえ、さらに腐敗した指導者にに対する司法の取り調べを求めた。彼によれば、元ETUF財政部長であるイスマエル・ファハミーの労働相としての指名は、ETUFの保護を狙いとしていた。


民主主義と社
会的公正共に
 新連合が作成した文書は、革命の民主的精神を経済的かつ社会的要求に結び付けている。それは、労働組合諸組織、並びにILOや国際労組連合のような国際機関から、支持と連帯の多くのメッセージを受け取った。時代の動向の中で公認連合は、民衆には自分自身の労働組合を形成する権利があることを受け入れるよう、公式に認めさせられた!
 望まれていることは、同盟、組合、労組、あるいは連合など、ETUFの外側にさまざまな形で現れ始めている自律的な諸組織の結集だ。まさにわれわれは、アル・マハラの紡織会社や、バス運転手、鉄道運転士、機械整備士、技術者、さらに大カイロ市の被雇用者を含む公共輸送局のような一連の企業の中に、またヘルワンの製鋼労働者、上エジプトにあるナハ・ハマディの工業労働者の中に、活動中の戦闘的な諸グループを見出している。同様にオルガナイザーたちは、国を揺るがすこととなった強力な動員を支え組織することに従事してきたエジプト労働者の幅広い層に向け展開する希望をもっている。
 政権は現在時を稼いでいる最中だが、動員の強さはそれほどに大きい。独立的で戦闘的な労働組合運動が根を下ろす可能性は、もちろん、情勢に影響を及ぼす取り組みとその能力にかかっている。民主主義と社会的公正を求める大望は、まさに今から密接に重なろうとしている。
▼筆者はアラブ地域の連帯活動に関わってきたマルクス主義活動家
(注1)エジプトの報道が伝える報告と参加者の書いたものからとった情報。
(注2)CTUWS、進歩的な労組活動家により、一九九〇年、ヘルワンで設立された。その目的は、労働組合の権利と社会的権利の防衛の支援、労組活動家の訓練、独立労組運動の必要性の主張にある。禁止処置を含む多くの困難にもかかわらず、センターはその関与を他の都市(マハラ、アレキサンドリア、一〇月六日、ナガハ・ハマディ)に広げることができた。(『インターナショナルビューポイント』二〇一一年四月号)


宣言
革命の諸原則を再確認し
労働者の基本権の確立を
一月二五日革命労働者連合

 二月二五日、「変革と自由と社会的公正を支持し革命的諸原則を再確認する」目的で、一つの連合が「労働者の指導者の一グループを結集して」(『アル・マスリー・アル・ヨウム』二月二六日付)結成された。それは以下に紹介するような公開宣言を作成した。

 エジプトの労働者運動に関わってきた指導者、象徴的な人びと、また個人は、現在の情勢を検討するために集まった。彼らは、「変革、自由、社会的公正」をスローガンに掲げた一月二五日革命との一体性を確認した。
 彼らはまた、企業経営に関してであれ公認労働組合諸組織に関してであれそれが行われた腐敗に反対する労働者の闘いの正当性と並んで、彼らから取り上げられた諸権利を取り戻すための労働者の基本的権利を強調した。
 実際、労働者は彼らの決起によって、革命の土壌を準備する上で近年大きく貢献してきた。彼らの諸闘争は、彼らの敵の敗北と体制に対する反対にとっては決定的だった。これらの決起を理由として、革命は、勝利を獲得するまで、すなわち社会的かつ経済的要求が具体化されるまで止まることはないだろう。これこそが、以下の諸要求を勝ち取るためのわれわれの決意を確認する理由だ。
1.移行を指揮するために、直ちに文民からなる大統領評議会を
2.アーメド・チャフィク政権の打倒を(取り急ぎの修復仕事に取りかかろうと試みているとはいえ)。新たな諸選挙が行われるまでは、資格が与えられ完全に現体制から独立した国民的主要部分からなる別の政権の形成を。
3.直ちに非常事態令の停止を。
4.直ちに全政治犯の解放を。
5.国家情報機関と治安機関を解体し、抑圧と市民に対する拷問に関与した、あるいは責任のあるすべての者に有罪判決を。
6.社会的公正を回復し、労働者の要求を実行するために、腐敗を象徴する人物を裁判にかけよ、取り上げられた冨を取り戻せ。
7.最低賃金に関する規定と並んで、これまでずっと無視されてきた法から発生する司法的諸決定をすべて実行せよ、すなわち、公認労組諸組織を解散し、解雇されたすべての労働者を復職させよ。
8.経済的かつ社会的諸権利に関する国際的諸協定を実行し、そうすることで、労働組合の自由と公正な賃金を享受し、自身の必要をまかなうための働く権利、社会保障と健康保険に対する権利、教育と住宅に対する権利、ストライキ闘争と集団的抵抗に対する権利を確保できるようにせよ。
 われわれは、これらすべてを考えに入れ、彼らの権利を勇気をふるって守り続けることを労働者に訴える。またわれわれは以下のことをも確認する。すなわちそれは、この革命的な時期に彼あるいは彼女、また仲間の労働者が苦しんでいる不正義に対決して結局は憤らないとすれば、そのような労働者を歴史は許さないだろうということだ。労働者は、革命が勝利するまで、労働組合、社会的、文化的、政治的組織に可能な限り早急に合流しなければならない。
 革命を…勝利するまで革命を!
 変革、自由、社会的公正を!
二〇一一年二月二五日、カイロ
(割愛したが、先の宣言には二一人の署名が付されている――訳者)(『インターナショナルビューポイント』二〇一一年四月号)
 


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