政府と原子力業界の「ゆ着」
が引き起こした「政治災害」
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全世界の核実験場および被爆者への取材で有名なドキュメンタリー写真家森住卓氏(59)は福島原発の爆発事故発生直後、直ちに現地に駆けつけて取材した。電話インタビューで彼は「東京電力が殺人者だとすれば、政府は殺人の協力者」だと言い切った。「(放射能濃度が)基準値を超えたということは、既に危険だ、ということだ。それ以外に基準値の意味が他にあるだろうか。誰であろうと放射能から100%安全だと断言することはできない」。
政府も東京電力も信じない
現在の福島原発事故の流れを見ると、日本の原発神話は当初から「作りあげられた」ものだと言っても過言ではない。国民の誰もが怒りをあらわにしている。
東京電力・福島第一原子力発電所からわずか2qも離れていない所に暮らしていた1人暮らしの老人スズキ・ヨーコ氏(仮名)は3月15日、原発から半径20q以内の住民への疎開令が下されるとすぐに退避し、17日に埼玉県の「スーパーアリーナ」の避難所に到着した。非現実的だと言えるほどに整然とした非常時への対応の土台ともなった老齢層の口から激しい言葉が出てきた。
「東京電力があまりにも『安全、安全』と言うものだから岩のように固く信じた。私がこんな状況になるとは思いもよらなかった。道路を新しく作ってくれるそうだだの、仕事の場を作ってくれるだの、事故の危険は絶対ないだのと。誰が悪い話だと考えるだろうか」。
東京電力の社長が3月21日、佐藤雄平・福島県知事に面談を要請した。「今は面談などしている時ではない。事態の収拾に全力を傾けてくれ」という冷たい答えだけが返ってきた。
最も大きな苦痛と怒りは原発を対価として補償を受けてきたという福島の地域民の領分となっている。
けれども、これで終わりはしない。原発事故の処理過程からして被害者を次々に生み出した。3月14日夜、福島第一原発3号機の水素爆発によって負傷した自衛隊1人がヘリ機で移送され、翌日は再び被曝者42人が前日よりもさらにひどい負傷状態で移送された。東京電力社員33人、自衛隊員5人、協力社員3人、消防士1人だ。その全員が給水作業中の水素爆発の余波で負傷しており被曝の可能性が高い。
佐藤アキラ氏は屋内に退避しさえすればよい30q内に居住しているが、子どもたちのために選択の余地がなかった。3月18日、幼い子ども2人と妻を連れて埼玉の避難所にやってきた。佐藤氏は「東京電力が記者会見のたびに、まるで他人事のように笑いながら話をしていることに心底、腹が立った」「政府は放射能流出の可能性は絶対にないとし『大丈夫だ』とばかり連発しているが、ぜひとも正確な情報をくれ。東京で指揮をしているあなた方よりも危険なのはわれわれではないか」となじった。
東京・足立区の「東京武道館」の避難所には福島原発から半径50q圏内に暮らしながらも避難してきた人々がいた。アベ・トシユキ氏は「今や政府も、東京電力も信用しない」と語る。同じ地域で3代が一緒に避難したコーノ・サトル氏も「政府は30q圏内屋内退避と言ったけれども、米国は80qの退避令を下したのに、のほほんとしていてはダメだと思った」と語った。「不安な気持ちで東京にやってきた」と吐露した。
反面、原因や責任の所在は次第に狭められる。飯田哲也環境エネルギー政策研究所所長もまた〈ハンギョレ21〉とのインタビューで、福島原発の爆発と火災は明確な「人災」だと強調した。世界の主要な外信が飯田所長の影響力ある診断を打診してきた。
「あらためて言うまでもなく、政府と東京電力による『人災』だ。4年前、新潟地震の時も東京電力の原子力発電所『柏崎刈羽』が直撃弾を受けた。その時、政府は耐震基準を再検討して新たな基準を設定し、2009年夏に福島原子力発電所を点検した結果、何の問題もないと発表した。そして今回の事態が勃発したのだ」。
実際に福島原発に関与した技術者たちでさえ「福島第一発電所は日常的に使用する施設と非常用の施設のいずれもが海側に設置されて『津波無防備・無対策』の配置だった」と告白した。
監視と被監視、一つ穴のムジナ
公々然と政府と原子力産業界の「ゆ着」が指摘されている。〈朝日新聞〉の時事週刊誌〈アエラ〉(3月28日付)は「原子力発電所は日本列島を電力10社が分かち持っている地域独占体制なので互いに競争する必要がない。原子力の監督機関である「原子力安全保安院」とだけ関係をうまく保てば経営はそれこそ磐石(の上を歩くも同然)というわけ」だと明らかにした。「東京電力が経営している原発で業務実績が悪化しても、今もって東京電力の信用度が大きく落ちてはいない」とも言う。政府が収益を保障するために費用などを補填してくれる別の様々な手段を強く求めてきたからだ。
原子力安全保安院は、日本の原発の安全評価を施行している経済産業省傘下の組織だ。原子力を推進している経済産業省が「アクセル」だとすれば、原子力安全保安院は安全を規制する「ブレーキ」というわけだ。飯田所長は「1つの足でアクセルとブレーキを踏んでいる形」だと皮肉っている。
東京電力は今年1月、通産省官僚出身で資源エネルギー庁長官を経験した石田徹氏を顧問として「お迎え」した。電力業界は監視する側も監視される側もすべて「1つ穴のムジナ」というわけだ。
さかのぼってみれば、2002年に福島第一原発での格納容器試験のデータを東京電力の職員たちが偽造した事実が表沙汰になった。1978年、福島原発3号機の制御棒が空気中に露出した事故も2007年になって初めて発覚した。東京電力が事故や事態をごまかし隠すことの上で「度が過ぎていた」とするならば、政府はそれに輪をかけ「見て見ぬふりの達人」だ。事故の隠蔽が発覚した後も、政府は東京電力に運転停止命令を出さなかった。「既に安全が確認されており、社会的制裁も受けた」という理由だった。東京電力は、これまで経済産業省とつながりが深い財界を背景として研究費や広告費で学者やメディアを丸め込んできており、政界には電力会社を助けたり肩入れをしている議員が与野党いずれの側にも数多く布陣されている。
国民より業界の利益を優先
原発の危険性を指摘している市民社会に、政府や東京電力はおしなべて定められたマニュアルのごとき答弁をもって一貫してきた。原水爆禁止日本協議会高草木博代表は「2007年の新潟・柏崎刈羽原発事故のような重大な事故を教訓とするどころか、今回は米国の勧告も無視して事故原発に海水を注入するまで時間稼ぎをした」のであり「国民の生命よりも原子力産業の利益を優先した行為」だと一喝した。
原子力業界と政府は予想もできなかった自然災害のせいだとばかり語る。〈週刊金曜日〉編集長だった評論家・佐高信が「福島原発の爆発事故は明確な事業災害であり、政治災害」だと語った理由だ。
だとすれば対案は何なのだろうか? 安全管理システムがまず改善されなければならない。専門家たちの間では、いわゆる「ゲンシリョクムラ」(原子力村)という言葉を使っているが、それは原子力に関係する仕事で「メシを食っている人々」のことを指している。原子力分野に経験があり、「ゲンシリョクムラ」とは利害が縛られていない人であってこそ初めて厳格に安全をチェックすることができる。新しい人材によって新たな組織を構築し、それを通した安全基準の確立と点検だけが現実的な対案だ。
飯田所長は「原子力業界の保険負担も増やさなければならない」と語る。原発事業をできないようするか、もっと緊張させなければならない、との趣旨だ。現在の1年の納入金1200億円では今回のような規模の事故損害賠償に耐えがたい。保険額の単位を最大100倍まで増やし原発の費用自体を高めてこそ、古い原発の寿命延長も阻むことができる、との指摘だ。
根本的には代替エネルギーの拡大を要求する声も大きい。放射能物質を量産し、事故の際に大きな危険をもたらす原子力にこれ以上、期待しない政策を真剣に考えなければならないということだ。
大地震が発生してから2週間が過ぎた3月24日現在、福島第一原発3号機の復旧現場に投入された作業員3人が被曝事故によって病院に運ばれた。放射線量の測定もなしに作業に投入され、終了後、実際に測定すると放射線基準値の3倍余りが出てきたのだ。東京電力の安全管理・放射能管理態勢のお粗末さが、またも現れた。その上、政府は福島原発の緊急事態を契機として法的放射能1日許容限度を100mSv(ミリシーベルト)から250mSvに増やした。現場作業員らが甘受しなければならない危険性は、それほど大きくなった。
「私も加害者」と自責の念
福島の農家には放射能物質が基準値以上検出されたほうれん草や牛乳などに出荷制限の措置を下した。福島原発から240q離れた東京の水道水からも放射能の数値が高く出て、1歳以下の乳幼児の水道水摂取禁止令を下した。東京都内で栽培された野菜では初めて小松菜から基準値以上の放射性物質が検出された。「今ただにち人体に悪影響を及ぼしはしない」と繰り返し強調している政府の呼びかけにもかかわらず、不安は放射能と共に広がりゆくばかりだ。
原爆の被害を描いた漫画〈はだしのゲン〉の著者であり、自らもまた被爆者である中沢啓治氏は「唯一の被爆国である日本が原発大国の道を歩んできたことに対して、今回の事故が警鐘を鳴らすだろう」し「数十年にわたって体を蝕んでいく放射能を政府は簡単に『大丈夫だ』とばかり言ってはダメだ」と警告する。
現在、東京所在の韓国企業に勤めているワタナベ・ヤヨイ氏(36)は福島県いわき市四倉にある実家の家族のことが心配で心の安まる日がない。97歳の祖母、60代の父母と妹が原発の爆発事故以降、福島市に退避して親戚の家にいるからだ。東京都が提示した原発被害者のための都営住宅の公告を見て申請書を出して戻ってくる彼女が、自らの胸の内を吐露した。
「福島のせいで私は原発の被害者だと考えました。ところが東京に暮らしながら、原発が供給した電気を何の考えもなしに使っていた私自身も、東京電力や政府と同様に加害者にほかならないという自責の念にかられますね」。(「ハンギョレ21」第854号、11年4月4日付、東京=ファン・ジャヘ通信員)
コラム
反原発労働者実行委員会
この一カ月間の余震続きで、一日中頭の中が揺れている。震度3以上でなければ、地震を確信できないような状態になっている。おまけに福島第一原発事故の心配も脳裏から離れてくれない。
災害の直撃を受けた避難所の人々や地元民の苦難と比較すれば甘っちょろい話なのだが、あれからきちんと熟睡できておらず、酒量も増えた。室内はいつのまにか万年床になり、毎朝の日課のように作っていた弁当も作る気がしない日が続く。
昨日ひさしぶりに酒を飲まなかった。飲まなかったと言うよりも、ストレスと過労による眠気が飲み気を圧倒していたと言うのが実態だった。
自然現象である地震はともかくも、原発事故は一〇〇%人災である。今回のような最悪ともいえる事態が引き起こされる前に、なぜ止めることができなかったのか……。
日本における反原発闘争は、漁業権をめぐる漁民の闘いと、原発立地予定地の住民による闘いがその闘争主体だった。そして漁民と住民の闘いの正当性を理論的に支えるのが、良心的学者・技術者らのグループだった。
一九七九年三月の米スリーマイル島原発事故の影響を受けて、原発立地のための「公開ヒアリング」が義務づけられるまでは、社共を含めて、労働者階級が反原発闘争に加わるというのはほとんど皆無に近かった。また、世界の第四インター派も当時は「原発の労働者管理」という立場をとっており、反原発闘争にほとんどかかわっていないというのが実情だった。
したがってわが派として反原発闘争の一翼を担うためには、理論武装と路線転換のための論争を組織するということが必要だった。そしてその最初のたたき台となったのが、『第四インターナショナル』三〇号(七九年七月)に掲載された高島義一の「社会主義めざす反原発闘争を・スリーマイル島事故とわれわれの任務」という論文だった。
七九〜八一年ごろに闘われた公開ヒアリング阻止闘争は、反原発労働者大衆闘争が実力闘争として展開される一時期をつくった。「東京から過激派が来る!」と現地でささやかれていた反原発労働者実行委員会の部隊は実に強かった。だてに三里塚を闘ってきたわけではない。警備なれしていない地元機動隊の盾やヘルメットが宙を舞う。実力阻止闘争の現場では、反原労の部隊と学生部隊(反原発学生実)が、動員された県評―地区労の労働者の先頭に立っていた。
しかしこうした労働者反原発闘争も、総評労働運動の最終章を飾って終焉する。そして連合は原発を容認し、地元の反対運動や反原発市民運動と対立している。
今回の原発大事故を受けて、全世界が日本の原発政策の動向を注視している。ノーモア広島・長崎で原水爆禁止を訴えたように、ノーモア福島で「脱・反原発はあたりまえ」の世の中を実現したいものだ。
(星)
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