討論:リビア、抵抗、飛行禁止区域
決起した民衆の死活的要求に応える反帝国主義的展望の道とは
ジルベール・アシュカル
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以下の文章は、リビア情勢の急展開の中で本紙四月四日号に掲載されたジルベール・アシュカルのインタビュー記事をめぐって左派陣営の中で展開されている論議についてのアシュカルによる回答である。この主張はカダフィ独裁体制の評価から、いわゆる「人道的介入」に対して左翼の側がどのような態度をとるべきかをめぐって、真剣に論議すべき内容を含んでいる。アシュカルへのインタビューとともに掲載された第四インターの声明は、アシュカルとは違った立場をとっている、本紙三月二八日号に掲載された「多国籍軍のリビア軍事介入反対」を訴える(K)署名の短文も、アシュカルの立場とは異なっている。本紙では引き続き、関係する諸文書を掲載していきたい(「かけはし」編集部)
ベンガジのリビア反乱勢力による「飛行禁止区域」を求める訴えと、「市民を保護する」ためにそうした区域を設定すると主張する国連安保理決議一九七三の採択は、それにどのような態度を取るかに関して反帝国主義派の中で鋭い論議を引き起こした。ここでジルベール・アシュカルは「インターナショナル・ビューポイント」などに掲載された国連決議に反対することはできないという彼の発言(本紙四月四日号掲載)に関する議論に回答している。第四インターナショナルは「カダフィ体制打倒! 帝国主義の介入反対! リビア革命支持!」という立場を採択した(本紙四月四日号掲載)。(「インターナショナル・ビューポイント」編集部)
まさに討論すべきものがある
「ブレスト・リトスク条約は実際のところ帝国主義との妥協だったが、この状況の下ではなされなければならない妥協だった。……いかなるものであっても妥協を『原則として』拒否し、妥協の許容を一般的に拒否することは子どもじみており、真剣に考慮することさえ困難である。……それぞれの妥協がなされる情勢と具体的諸条件、妥協の個々の違いを分析できなければならない。山賊たちがなしうる悪事を減らし、かれらの逮捕と処刑をうながすために自分の所持金と銃器を放棄した男と、盗品を山分けするために自分の所持金と銃器を山賊に与える男とを区別するすべを学ばなければならない」。(ウラジミール・I・レーニン)
国連安保理決議一九七三採択の翌日(三月一八日)に、親友であるスティーブ・シャロムに私が答え、三月一九日にZネットに掲載されたインタビューは、あらゆる種類の声明と議論の嵐――友好的、非友好的、強い支持、穏やかな支持、丁寧な批判、激しい敵対――を引き起こした。それは幾つかの言語に翻訳されて流通したために、私が予期したよりもはるかに大きなものになった。それが何かを意味するものだとすれば、人びとがそこには真に課題とすべきことが提起されていると感じたからである。さあ討論しようではないか。
リビアの問題に関する議論は、原則を保持することにより、それぞれの特殊で具体的な情勢の分析と事実調査に照らした立場の決定の必要性なしで済ますことができるなどと考えないよう注意を払った上で、反帝国主義の立場を共有する人びとにとって正当かつ必要なことである。あらゆる一般的規定は、例外を許容するものだ。ここには、国連が承認した帝国主義による軍事介入は純粋に反動的なものであり、人道的あるいは積極的目的を決して達成することはできない、という一般的規定も含まれる。
論議のために幾つかの例を考えてみよう。歴史の車輪を元に戻して、ルワンダでの虐殺を振り返ってみよう。国連の承認の下で虐殺を阻止するために派兵された西側諸国の軍事介入に、われわれは反対するのだろうか。もちろん多くの人びとは、帝国主義/外国軍による介入は、多くの犠牲者を生む危険を作り出すと言うだろう。しかし、西側諸国は(ルワンダで現に起こったように)一〇〇日間で五〇万人から一〇〇万人を虐殺した、と自らの良心に照らして信じられる人がいるだろうか。
リビアとルワンダは同じだというつもりはない。私はここで、なぜ西側諸国がかつてのルワンダや、コンゴ民主共和国のジェノサイドとも言うべき死者数については悩んだりしなかったのに、リビアへの介入に関しては悩み、困惑しているのかを簡単に説明したい。ここでルワンダについて言及したのは、確固たる反帝国主義の原則を保持したとしても、具体的ケースについては議論の余地があることを示すためである。リビアへの西側の介入についての議論は、市民の犠牲が限定的ではないのは確実だという現実に縛られている(私は人道的見通しから言って、カダフィ軍の兵士に対しても注意を払ってきた)。決定的なことはこの軍事介入の代償と軍事介入がなかった場合の代償との比較である。
いくつかの歴史的事例の場合
論議の全体的構図を示すためにもう一つの極端な類比を行ってみよう。ナチズムは非暴力的方法で打ち負かすことができただろうか。連合軍が採った手段は、それ自体、残忍なものではなかっただろうか。かれらは残虐なやり方でドレスデン、東京、広島、長崎を爆撃し、莫大な数にのぼる市民を殺さなかったのだろうか。われわれは現在、後知恵的に、英国や米国の反帝国主義運動は世界戦争への自国の参加に反対する運動を展開するべきだったと言うのだろうか。あるいは、枢軸国に対する戦争に反帝国主義運動が反対しなかったことは正しかった(その前の一九一四〜一八年の世界戦争に反対したことが実際に正しかったのと同様に)が、敵を敗北させるために必要だという合理的な明白さがないところでは、一般住民に重大な被害を与える作戦に反対すべきだと、われわれはなお信じているのだろうか。
もうこれ以上の類比はいらないだろう。かれらはつねに終わりのない議論に身をゆだねている。討論が可能な状況なのか、盗賊たちに降参する状況なのか、それとも警察を呼ぶべき状況なのか等々を示すという有益な目的にそれが奉仕しているとしてもである。具体的な状況を分析するという面倒ぬきに、「原則の侵害」を自動的に拒否すべきだというこうした態度への確信は、決して長続きするものではないことを、それは示している。
さもなくば、西側諸国の反帝国主義運動は他国の住民の運命については何も言わないまま自国の政府に反対することだけに関心を持つものだということになってしまう。そうなるともはや反帝国主義ではなく、右翼的孤立主義なのだ。「みんな地獄へ落ちろ、われわれは平和でいよう」というパトリック・ブキャナン(訳注:ニクソン、レーガン両米大統領に仕えた共和党保守派政治家。彼は伝統的「非介入主義」の立場から、冷戦崩壊後は日米安保破棄を主張した)の立場だ。そこで、この間われわれが取り上げてきた具体的情勢を慎重に分析することにしよう。
カダフィ体制の反民衆的真実
カダフィ体制の性格から始めよう。諸事実に関しては、正当化されるような不一致の余地はほとんどない。注意を払うべきなのは、誠意から、そして全くの無知から、カダフィは進歩派で反帝国主義者だと信じている人びとだけだ。まずその点について論議する。
確かにカダフィは相対的に進歩的で、反帝国主義的なポピュリスト的独裁者として出発した。一九五二年に王制を転覆したエジプトのクーデターを模倣して、彼は一九六九年にリビア王制に対する軍事クーデターを指導した。彼の最初のヒーローはガマル・アブデル・ナセル(訳注:一九五二年の軍事クーデターでエジプト大統領となり、一九五六年にはスエズ運河を国有化してアラブ民族主義運動の指導者となった。一九六七年の第三次中東戦争でイスラエルに惨敗し、失脚)だった。しかしカダフィの政権は当初、イデオロギー的にはより右翼的であり、宗教により大きな比重を置いていた(後にカダフィはイスラムに新しい解釈をほどこすふりをした)。彼は、きわめて初期から、より貧しい諸国の人びとを彼が設立したイスラム軍の傭兵として徴募しはじめた。
彼は、一九七〇年代初期に既存の法律をシャーリア(イスラム法)に置き換えると宣言した。彼が毛沢東の「赤い書」(毛沢東語録)のイスラム版である「緑の書」をたずさえて、中国の「文化大革命」の模倣に乗り出す直前のことである。彼は「文化大革命」を装って「人民委員会」システムの創設を通じた「直接民主主義」を施行し、リビアを「大衆国家」に変えるとした。それは実際には、民衆を記録的な比率で治安業務の雇われ人にするものだった。リビアの人口の一〇%以上が、それ以外の人びとへの監視を行うことで給料を支払われる「密告者」となった。カダフィは彼の体制の批判者を広範囲に投獄処刑した。中にはともに王政打倒に参加した将校の一部も含まれている。
一九七〇年代後半、彼はリビア経済を大企業での国家資本主義と、小企業での労働者「パートナーシップ」制を伴う私有資本主義とを結合したものに転換させ、地代・家賃と小売業を廃止する、と決めた(美容院でさえ国有化された!)。彼はまた石油の国家収入の一部をリビア市民の生活水準の向上に振り向けた。それは湾岸王制諸国の一部が一人当たりにして高額の石油収入を、市民を社会的顧客として買収する目的で、市民の需要を満足させる用途に支出したことの「革命」版だったが、湾岸王制諸国のそうしたやり方はリビアと同様に、これら諸国の労働力と人口の大きな部分を構成している移住労働者を酷使・虐待するものだった。
それに続く一〇年、カダフィは彼の常軌を逸した政策の破滅的結果と、彼が武器購入を依存していたソ連邦の危機に直面する中で、ゴルバチョフのペレストロイカを物まねするふりをしてリビア経済を自由化したが、政治生活における自由化には決して手をつけなかった。彼の次の大きな政治的方向転換は二〇〇三年に行われた。その年の一二月、彼はブッシュとブレアに政治的救済を求め、大量破壊兵器の放棄を決定したと声明を発した。これは最悪な形で進められていた、大量破壊兵器の拡散を止めるとして行われたイラク侵略への信頼性を高めることとなった。カダフィは突然尊敬すべき指導者に転換し、温かく祝福され、コンドリーザ・ライス(当時の米国務長官)は彼をモデルとして引き合いに出した。西側の指導者たちは次々にリビアに集まり、彼のテントを訪れて利益の大きい契約を結んだ。彼と最も密接な関係を作り上げたのは、強硬右派でレイシストでもあるイタリア首相シルビオ・ベルルスコーニだった。彼のカダフィとの友好は、きわめて実り豊かな経済的関係にとどまらなかった。二〇〇八年、彼らは近年で最も汚辱に満ちた協定を結んだ。欧州の海岸にたどり着こうとしてイタリア海軍に阻止されたアフリカ大陸からの貧しいボートピープルを、難民権で保護されるイタリアに上陸させるのではなくリビアに直接送るという協定である。この取り組みは大きな効果を発揮し、イタリアでの難民申請者は二〇〇八年の三万六〇〇〇人から二〇一〇年には四三〇〇人へと減少したのである。この取り決めは国連難民高等弁務官から無効だとして非難された。
西側諸国の消極的介入の理由
西側諸国がリビアに介入するのは、かれらの利益に敵対する体制を転覆するためだという考え方は、まったく非常識的なものである。同様に非常識的なのは、かれらが介入するのは後からリビアの石油を手に入れるためだ、という考え方である。実際のところ、あらゆる西側の石油・ガス会社はリビアで現に活動している。イタリアのENI、ドイツのヴィンテルシャル、英国のBP、フランスのトタール、GDFスエズ、米国企業のコノコフィリップス、ヘス、オクシデンタル、ブリティッシュ・ダッチ・シェル、スペインのレプソル、カナダのサンコル、ノルウェーのスタットオイルなどである。
それならばなぜ西側諸国は今日リビアに介入し、以前のルワンダ、そして以前と今日のコンゴに介入しなかったのか。われわれを出し抜こうとして、自分たちは「基底環元主義者」だと述べながらイラクへの介入は「石油のため」だと精力的に主張していた人びとは、今度の介入は石油のためではないと私が主張することを期待していない。まさにそうだ。しかしどうしてそうなのか?
私の解釈は次のようなものだ。二月中旬に始まった決起へのカダフィの恐るべき残虐な弾圧行為――殺された人びとの数は三月初めには一〇〇〇人から一万人と見積もられていた。後者の数字は国際刑事裁判所によるもので、リビアの反政府派は六〇〇〇人から八〇〇〇人と見積もっていた――を数週間にわたって見ていた西側諸国の政府は、この問題に関してだれもがそうであるように、カダフィが反革命的な攻勢を仕掛け、リビア第二の都市ベンガジ(人口六〇万人)の郊外に達し、そこでの大規模な虐殺が差し迫っていると確信するようになった。こうした抑圧的な政府がなにをしでかすかを示すために、シリアの政府が一九八二年にベンガジの三分の一以下の人口しかないハマ市で行った弾圧を思いだしてみよう。そこでの死者は二万五〇〇〇人に達したのである。同様のケースが起こり、それによってカダフィ支配が打ち固められることになったら、西側政府には彼の政権への制裁と石油の禁輸措置を強制する以外の選択はなくなる。
一九九〇年代を通じた石油市場の支配的傾向は、価格下落を特徴としていた。米国がかつてないほど長期にわたる経済成長を経験し、クリントン政権の時代はバブル経済が持続していた期間にそうした石油価格の下落が支配的だったのである。それはワシントンとその同盟国にとって一〇年間にわたりイラクへの経済封鎖(疑似的ジェノサイドへの代償)を続ける上で好都合であった。石油価格が不況から抜け出し、すべてが構造的性格によるもの、すなわち長期の上昇傾向と示唆された価格上昇に転じたのは、ようやくその一〇年間の終わりになってからだった。そしてそこには、ジョージ・ブッシュとその取り巻きたちがイラクにおける「体制変革」の好機と判断したこととの一致は存在しなかった。主要な石油取引がフランス、ロシア、中国の利益のために与えられていた国への制裁を、ワシントンが寛大にも解除することなど、この条件抜きにはありえなかった(国連安保理でイラク介入に反対はしたのはこの三国だった。驚くなかれ)。
世界石油市場の現在の諸条件は、まさにグローバル危機の下で短期間低落した後、北アフリカと中東の革命の波が起こる数カ月前まで上昇の動きを再開していた。これはグローバル経済危機が未解決という条件の下では、きわめて脆弱な偽りの回復だった。こうした諸条件の下では、リビアへの石油禁輸はオプションにはならない。
虐殺を阻止しなければならなかった。西側諸国にとって最善のシナリオは、カダフィ体制の崩壊となったのであり、こうしてこの問題に対処する労から逃れることだった。かれらにとって「より小さい悪」は行き詰まり状況の継続であり、事実上リビアが東西に分裂した上で双方の諸州から、あるいは反政府派の支配の下で東部に位置する主要油田からもっぱら石油輸出を再開することだ。
こうした考慮に、さらに以下のことを付け加えるべきだ。西側諸国、とりわけこの場合は近隣欧州諸国政府への世論の重みを、無関係だとして除外することはナンセンスであり、きわめて粗野な「唯物論」の一例である。リビアの反政府派が、カダフィ軍の主要な利点を無力化させるために世界に対してますます執拗に飛行禁止区域の設置を強調し、なりゆきをTVで見ていた人びとに、他の場所でしばしば起きたような虐殺(たとえば先述したシリアのハマやコンゴ民主共和国)が起こらないようにすむのは不可能だと訴えたとき、西側諸国の政府は市民たちの怒りを買うだけではなく、バルカン諸国やイラクに対して行ったような人道主義的口実でさらなる帝国主義戦争に訴える能力を根本的な危険にさらすことになるだろう。かれらの経済的利益だけでなく、かれら自身のイデオロギー的信頼性が問われていたのだ。
そしてアラブの世論の圧力が、アラブ連盟によるリビアでの飛行禁止区域設置の呼びかけに役割りを果たしたことも確かである。ほとんどのアラブ諸国の政権が、カダフィが決起を抑え込み、今年初め以来アラブの全地域に拡大し、かれら自身の体制を揺り動かしていた革命の波を逆転させることを願っていたとしても、である。
決起派の保護の要求に応えよ
さてわれわれはどうするのか。大衆的決起勢力は、大規模な虐殺の現実的脅威に直面して、犯罪的体制の側の攻勢に対するかれらの抵抗を支援するために飛行禁止区域を求めてきた。かれらはコソボの反ミロシェビッチ勢力とは異なり、外国軍による自国の占領を訴えていなかった。それとは反対に、かれらにはこうした外国軍の派兵を否認する十分な理由があった。かれらはイラク、パレスチナなどの経験に照らして世界の大国が帝国主義的意図を持っていることを知っており、かれら自身の経験に即してこの世界の大国がかれらを弾圧してきた虐政者に取り入っていることを知っていたのである。かれらはきわめて明確にあらゆる外国の地上軍による介入を拒絶し、空域をカバーすることだけを求めていた。また国連安保理決議は、明確に「あらゆる形態での、ならびにリビア領土のいかなる部分への外国軍の占領」をかれらの要求にもとづいて排除していたのである。
私は、リビアの決起勢力指導部の性格に疑問を投げかけようとする人びとの受け入れがたい議論に長々とつきあうつもりはない。彼らのほとんどは、カダフィが進歩的であると考えている人びとと同じであることが多い。決起派の指導部は、政治的異論派、反対派の知識人、民主派、人権活動家の混合である。一部の人びとはカダフィの監獄で長い年月を過ごし、反乱派に加わるために政権と決別した男たちであり、そしてリビア住民の中の地域的・部族的多様性を代表する人たちである。かれらを統一する綱領は、この地域の他の決起勢力とまさしく同様の民主主義的変革――政治的自由、人権、自由選挙――である。
カダフィ後のリビアがどうなるかは明瞭ではないが、二つのことは確実である。それはカダフィ政権より悪いはずはない。そしてエジプトの独裁者を支持する主張がそうであったように、ムバラク後のエジプトにおいて原理主義者のムスリム同胞団が決定的役割を果たすだろうという、より明確なシナリオよりも悪くなるはずはない。求められている保護の性格が、自国に対する外国による支配の行使を通じたものではない場合、左翼だと主張する人びとは、たとえそれが帝国主義の盗賊軍によるものであったとしても、民衆的運動の訴えをあっさりと無視することなどできるのだろうか。左翼についての私の理解からすれば、無視できないのは確かである。
真の進歩派は、決起勢力の保護の要求を無視などしない。西側の左翼にしばしば見られることだが、かれらは現実の状況と大虐殺が差し迫っていることを無視し、自国の政府が関与していることに関してのみ情勢に注意を払い、その関与に対して条件反射的に反対するのである(付け加えれば、それは通常は健康な反応である)。大虐殺の阻止を根拠にした西側が主導する軍事介入に反帝国主義派が反対するあらゆる情勢において、力に頼った西側政府の選択は帝国主義的構想からもたらされるものにすぎないことをかれらは示しつつ、オルタナティブを指摘してきた。
コソボ危機において非暴力的解決策はなかった。一九九八年八月にエリツィンのロシア政府が行った提案は、モスクワとワシントンが共同して押し付けた政治的解決策を実施する国際部隊の形成だった。それは米国のNATO大使アレクサンダー・ヴァーシュバウによって伝達されたが、ワシントンはそれを無視した。同じことが一九九九年にも起こった。セルビアとNATOの立場は異なっていたが、七八日間の爆撃の後になされた国連決議が両者の妥協だったように、交渉は可能だった。
一九九〇年には、サダム・フセインをクウェートから撤退させる非暴力的解決策があった。彼を追放するために政権に強制された厳しい制裁に、サダム・フセインが長きにわたって持ちこたえることができなかった事実をさておいても、彼は撤退交渉を提起していたのだ。ワシントンはイラクのインフラを破壊し、「石器時代に戻す」ことを選んだのである。一九九一年の戦争の後、国連安保理報告者はそのように述べている。
「飛行禁止区域」への代案は?
それではリビアの場合に「飛行禁止区域」への代案はなにか。だれも納得できる対案を持っていない。国連安保理が決議の投票を行った日にカダフィの軍はすでにベンガジの周辺に迫っており、彼の空軍は市を攻撃していた、数日間のうちにかれらはベンガジを手中に収めるかもしれなかった。この問題に直面した人びとはまったく納得させうる回答を出しえなかった。熟考された政治的解決策とは、カダフィを自由選挙に臨ませるというものだったが、彼はそうしなかった。彼と息子のサイフは、決起派の降服(かれらへの特赦を約束していたがだれもそれを信じなかった)か「内戦」以外の選択を与えなかった。
ベンガジの住民はエジプトに脱出し、そこで難民となることができる(!)と語る人びとを、私は無視する。それはコメントに値しない。私はアラブ諸国の軍隊だけが介入すべきだと言う人びとをも無視する。あたかもエジプト軍やサウジアラビア軍の介入は、より少ない犠牲者しか生み出さず、リビアの政治過程への帝国主義の影響力をより少ないものにするかのようだ。より説得力があるように見えるのは、決起派に武器を引き渡すことを支持している人びとだ。しかしそれはもっともらしい代案ではない。
武器供与を二四時間以内(!)で組織し、効果的なものにすることは不可能だ――とりわけ最新の対空ミサイルを考えているのであれば。それは予告された虐殺への代案たりえない。こうした情勢の下で、他のもっともらしい解決策がないのであれば、左翼の側のだれにとっても飛行禁止区域に反対するのは、言い方を変えれば決起勢力による飛行禁止区域の要求に反対するのは、道義的・政治的誤りなのである。さらにカダフィがもはやかれの空軍を使用することができない場合を除いては、飛行禁止区域撤回の要求は道義的・政治的誤りなのである。つまり飛行禁止区域の撤回は、飛行機の使用を再開し、以前に計画していたよりもさらに残虐に決起派を粉砕するだろうカダフィの勝利を意味するのだ。
「絶対的原則」は宗教的タブー
他方、われわれはカダフィの空軍部隊が無力化させられた後には、はっきりと空爆の中止を要求すべきである。われわれはカダフィの空軍部隊に残された能力を明確にすることを求め、もしなんらかの力が残されているのであれば、その無力化を求める。そしてわれわれは、カダフィの軍が西部諸州の反乱派の都市に攻勢をかけるのを阻止するのに必要な打撃を超えて、NATO軍が地上戦に全面的に参加することに反対すべきである――たとえ反乱派がNATOの参加を招き入れたり歓迎したとしても、である。
それはわれわれが国連決議一九七三を支持すべきだということを意味するのだろうか。まったくそうではない。この決議はきわめてまずく、危険な決議である。まさにリビア市民の保護への委任を逸脱する行為への十分な保障が規定されていないからである。この決議はあまりにも多くの解釈の余地を残しており、保護を超えてリビアの政治的未来に干渉する帝国主義的構想を押し進めるために利用される可能性がある。それは支持されるべきではなく、そのあいまいさゆえに批判されるべきである。しかし反対することもできない。飛行禁止区域の設定に反対することは、市民と決起勢力のことなど気にかけていないという印象を与える、という意味においてである。われわれは強力な保留の意思を表明できるだけである。
ひとたび介入が開始されるや、反帝国主義勢力の役割はその介入を密接に監視し、市民への殺害を避ける措置が取られていないところで市民を攻撃するあらゆる行為や、市民保護を欠落させた多国籍軍によるあらゆる行動を非難することである。リビアへの武器禁輸を確認した国連安保理決議の一節は、それがカダフィ体制だけではなくリビアという国への武器禁輸を意味するならば、明確に反対すべきである。われわれは、この一節とは反対に、反乱勢力への公然かつ大規模な武器引き渡しを要求すべきである。かれら反カダフィ勢力が、できるだけ速やかにもはや外国軍の直接支援を必要としないようにするためである。
最後のコメント。われわれは長い間、帝国主義がルワンダでの現実そのものだったジェノサイドを阻止しない一方でコソボでの虚偽の「ジェノサイド」を阻止するために介入したことを指摘し、帝国主義諸国の偽善とダブルスタンダードを非難してきた。このことは、ルワンダにおけるジェノサイドを阻止するために国際的介入がなされるべきだった、とわれわれが考えていたことを意味する。左翼ははっきりと「それがいかなる環境の下であったとしても西側諸国の軍事介入に反対する」という絶対的「原則」を宣言しないようにすべきである。こうした「絶対的原則」は政治的立場ではなく宗教的タブーである。
現在のリビアへの介入は、将来において帝国主義諸国の最大の悩みの種になるだろうと、たやすく請け合うことができる。自国が介入することに反対している米国のエスタブリッシュメントのメンバーは、次にはガザであろうと、レバノンであろうと近隣諸国へのイスラエル軍の爆撃に対して民衆が飛行禁止区域を要求するだろうと、正しくも警告を発している。私は、明確にそれを要求するだろう。飛行禁止区域を要求し、ニューヨークの国連本部に向けてピケットが組織されるべきである。現在から強力な議論を行い、そうするためにわれわれすべてが準備すべきなのである。
左翼は、帝国主義の偽善をいかに暴露するかを学ぶべきである。われわれが道義的考慮などしていないと見させることでかれらの偽善を効果的にさせるのではなく、帝国主義がシニカルに利用している道義的武器を彼らに対して使うことによってである。ダブルスタンダードを採用しているのはかれらなのであって、われわれではない。
▼ジルベール・アシュカルはレバノン出身の国際政治学者。ロンドンの東方・アフリカ研究スクールで教鞭をとる。最新著は“The
Arabs and the Holocaust :the Arab-Israel War of Narratives”:Metropolitan
Books, New York, 2010 、邦訳書に『野蛮の衝突』(作品社)。『中東の永続的動乱』(つげ書房新社)、編著に『エルネスト・マンデル――世界資本主義と二〇世紀社会主義』(つげ書房新社)。
(「インターナショナル・ビューポイント」二〇一一年三月号)
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