もどる

    かけはし2011.4.25号

被害を小さく見せる政府・専門家

チェルノブイリから25年目の福島
情報隠ぺいを続ける菅政権に「安全・安心」を委ねられない

「レベル5」から「7」へ

 菅直人内閣は四月一二日、「放射性物質の放出量は、同じレベルのチェルノブイリ事故の一割程度」との断りをつけながら、福島第一原発事故の国際尺度による評価をこれまでの「レベル五」から「七」にした。このレベルアップによる被災住民らの不安を鎮めるかのように、官邸への助言組織「原子力災害専門家グループ」の長瀧重信・長崎大学名誉教授らは、IAEAや国連科学委員会の評価をもとにしたチェルノブイリと福島第一との比較を公表した。
 比較は三つの対象に分かれている。まず「原発内での作業者」では、チェルノブイリは一三四人の急性放射線傷害が確認され、三週間以内に二八人が亡くなっているが、福島では原発作業者に急性放射線傷害はゼロ。次に「事故後の清掃作業従事者」では、チェルノブイリは二四万人の被曝線量は平均一〇〇ミリシーベルトで健康に影響はなく、福島にはまだ該当者なし。そして「周辺住民」では、チェルノブイリは高線量汚染地の二七万人は五〇ミリシーベルト以上、低線量汚染地の五〇〇万人は一〇〜二〇ミリシーベルトの被曝線量と計算されているが、健康には影響は認められないため、福島の周辺住民の現在の被曝線量は二〇ミリシーベルト以下なので放射線の影響は起こらないとする。例外は小児の甲状腺がんで、チェルノブイリでは汚染された牛乳を無制限に飲用した子供の中で六〇〇〇人が手術を受け、現在までに一五名が亡くなっているが、福島では暫定基準を超える牛乳は流通していないので問題ない、とするものだ。

被曝だけではない原発被害

 京都大学原子炉実験所・原子力安全研究グループの今中哲二さんは事故二〇周年の二〇〇六年に、岩波書店の雑誌『科学』に次のような論考を寄せている。
 IAEAなど原発を推進する国際機関は「チェルノブイリは原子力開発史上最悪の事故ではあったが、その被害は案外と大きくなかった」という世論づくりをしたと、暗に脱原発の流れにブレーキをかける効果をねらったことを批判している。そして「チェルノブイリ事故は、地域社会を丸ごと消滅させてしまった。多くの人が仕事を失い、田舎でのどかに暮らしていた老人たちが都会のアパート暮らしを強要された」「事故処理作業に従事した人の間では、アル中が増え、自殺者が多いと言われている。チェルノブイリにまつわって、さまざまなネガティブな要因が被災者の健康に影響しており、その一つが放射線被曝であったと考えるべきだろう」と指摘していた。
 先の「原子力災害専門家グループ」による助言では、「一般論としてIAEAは、『レベル七の放射能漏出があると、広範囲で確率的影響(発がん)のリスクが高まり、確定的影響(身体的障害)も起こり得る』としているが、各論を具体的に検証してみると、上記の通りで『福島とチェルノブイリの差異は明らか』とし、いかにも福島では被害がないように装っている。しかし、IAEAなどが「チェルノブイリ事故による放射線被曝にともなう死者の数は、今後発生するであろうガン死も含めて全部で四〇〇〇人」と評価し公表していることを隠している。物理的な「壁」が破られて起こった放射性物質の大量放出を小さく見せるため、政府をはじめ推進側は情報や心理の操作といった新たな「壁」を築いている。

政府責任隠す東電工程表

 東京電力は四月一七日、「福島第一原子力発電所・事故の収束に向けた道筋」を発表した。道筋は約三カ月かけ「放射線量が着実に減少傾向となっている」ステップ1、さらに約三〜六カ月かけ「放射性物質の放出が管理され、放射線量が大幅に抑えられている」ステップ2に分かれている。避難区域では、ステップ1で「モニタリング方法を検討・着手」し、2で「帰宅家屋等の放射線量のモニタリング」を行う。また、1で「半減期の長いセシウム137等のモニタリング結果等を正しくお知らせ」し、2で「必要な線量低減方策(帰宅家屋や土壌表面等の除染)を検討・着手」するという内容だ。
 この発表は首相官邸ホームページによれば「菅総理の指示」。海江田経済産業大臣は「六〜九カ月後を目標に、一部地域の方々には、ご帰宅が可能か否かをお知らせできるようにしたい」と談話を発表した。四月一二日に菅首相が語ったとされる「福島第一原発周辺は一〇年、二〇年住めない」という発言に対し、被災者らから非難の声があがった。一四日に官邸主導で発足した東日本大震災復興構想会議では、佐藤雄平福島県知事や東北出身の有識者らから「原発問題も徹底して話し合いたい」との異論が出て、原発事故に特化した原発事故災害地域復興機関を発足することになった。こうして追い詰められた政府が、被災者への賠償金仮払いで批判が高まった時期に東電に事故と復興の責任を押し付けるため、一七日の発表になったのだろう。

「復興」は被災当事者で

 原発メーカーは次々に「廃炉プラン」を作成し始めている。東芝は二〇二〇年までに原発を撤去するとしている。これに対し、チェルノブイリ処理を切り離したロシアや、セラフィールドの汚染をかかえるイギリスなどから「一〇〇年かかる」などの期間に対する異論が出ている。
 一方、環境エネルギー政策研究所(ISEP)は四月五日、飯田哲也さんを代表とした提言「三・一一後の原子力エネルギー政策の方向性」をまとめ、その中で「現状の施策を継続するままでは、いたずらに作業員の被曝を増大させ、放射能の汚染を拡大するだけであることから、当面の水注入はやむを得ないものの、早急に石棺(筆者注:チェルノブイリのようなコンクリートではない)方式へと出口戦略を転換する必要がある」とし、早期に国際級の研究開発実証チームが必要だと訴えている。賠償やこれらの資金は、東電の拠出をはじめ、もんじゅなどの研究開発費や廃炉や再処理の積立金を転用する、当事者・利害関係者を排除した独立的な「事故調査委員会」の設置、原子力安全行政の刷新も提言している。
 われわれは、このISEPの提言を基本的に支持するが「石棺方式」も被曝や汚染を拡大することを防ぐための一時的な施策として限定するべきだと考える。どの原発立地地域でも当初、原発の寿命とされた三〇年間を「がまんの期間」として受け入れた。廃炉後は使用済み燃料や放射性廃棄物は他地域に運ばれ、更地にされ、いずれ原発以外で再利用できるものと信じて受け入れた。福島第一・第二による交付金や雇用は、その電力エネルギーを利用できない地元にとってはすでに「相殺」されているだろう。これまで以上の押し付けをしない政策・施策を住民主体でつくりあげる支援をしなければならない。

脱原発運動の新たな流れを

 チェルノブイリ事故処理に対する「真実」のひとつともいえるソ連共産党政治局秘密会議議事録の公開は、一九九一年のエリツィンによるロシア共産党への活動禁止命令後であった。福島第一原発事故の真実が明らかになるのはいつか。菅政権には全く期待はできないだろう。それは不要な被曝をできるかぎりしないための情報公開ばかりではなく、住民が参加した今後の復興、そして脱原発に向けたエネルギー政策の転換も同様に、菅政権では進まない。
 四月一〇日の東京では、従来の反・脱原発運動から全く独立したよびかけで開催された「高円寺・原発やめろデモ!」が参加者一五〇〇〇人という空前の規模となった。デモで寄せられた被災地への支援金は一二〇万円を超え、高円寺連合商工会を通じて福島第一原発から二〜三〇キロ圏内の自宅退避地区で、震災と放射能の二重の被害を受けている南相馬市に送るという。「次回のデモは五月七日、その次は六月一一日に!(場所・時間など詳細は未定)」と、新たなよびかけを発信している。六月一一日は東日本大震災〜福島第一原発事故からちょうど三カ月。このメモリアルデイには各地で地震・津波、そして原発事故をテーマとした行動が行われるだろう。三・一一以降の新しい社会への歩みがはじまっている。菅直人民主党政権のままでは、脱原発へのエネルギー政策の転換は望めない。脱原発福島ネットワークの佐藤さんが原子力資料情報室主催の集会で訴えたように「首相官邸を一〇万人で包囲する」労働者・市民の結集で脱原発をかちとろう!
 (四月一八日 斉藤浩二)

宮城からの報告
「反核・反原発」運動に
何が求められているのか


 震災二週間ほど後の数日間、仙台市若林区に震災・津波の後片付けのボランティアに行っていた私の連れ合いが、その日の夜に聞かせてくれた話。
 たまたま一緒にボランティアで土砂片付けに行った学生のこと。彼が原発の安全性を強く訴えるので、よく聞いてみたら、地元国立T大学工学部原子核工学科の大学院生で、この春からは東京電力に採用が決まり、しかも配属先が福島第一原発だという話だ。
「安全神話」刷り
込み責任を問う
 彼は優秀で有能な原子核科学技術者なのだろう。しかも、震災被害に心を痛めボランティアをかってでる優しさと行動力を持った好青年に違いない。その彼が、「核科学技術者」としての自己を支える「原発安全」の確信は何によるのだろうか。福島第一原発のこれだけの放射線漏れ(溶融)事故を目の当たりにしても揺らぐことのない「原発安全神話」には驚かされる。また、正直恐ろしさも感じる。強固な「安全神話」は、どのようにして作られたのか。
 実は学校教育も「原発安全神話」拡大の責任の一端を担ってきている。「クリーンで安全なエネルギー」であることを宣伝するパンフレットを学校ルートで配布し続けてきただけではない。文科省が特設の時間を設けて「環境教育」の名のもとに、安全で安価なエネルギーとしての「原子力」発電について、学習指導するように推進してきたのは一〇年ほど前のことだったか……。その上、地球温暖化の主因が二酸化炭素排出であるとして、二酸化炭素削減の名目で「原子力=クリーンなエネルギー」論が力を増し、電力会社・政府主導で「安全でクリーンなエネルギー」のキャンペーンが原発推進派の著名な「知識人」を総動員する形で強力に推進されてきた。その結果、若い世代の中には「原発安全神話」が、自明のこととして強く刷り込まれてきたのだと言える。
 個々に名前を挙げることはしないが、原発推進派の学者や著名な「知識人」たちも、私たち学校教育に携わってきた者も(その協力の度合いに大小の差はあれ)、その責任を免れることはできない。
 三月一一日の大地震直後から始まり、日々深刻さを増してきた、福島第一原発の放射能漏れ(溶融)事故だが、一か月を経ても収束(終息)に向かう兆しは見えない。被災し亡くなった家族・身内を捜すことすらできずに避難を余儀なくされた周辺地域住民の心のうちを思うとき、あまりの無念さに言うべき言葉も見つからない。東京電力の無責任さ・いい加減さに加え、事故後の政府の無能さにも心底、怒りを覚える。農産物・水産物の汚染や土壌・海洋汚染の可能性まで含め、正に二重三重に「人災」の様相を成している。

廃炉と核廃棄
物の安全管理
 今回の福島原発の事故に関して、様々な科学者・評論家や団体・個人が、様々に見解や見通しを出し続けてきている。それらの内容を一つ一つ検証してはいないが(またその余裕はないのが現実だが)「原子力資料情報室」の情報はその信頼性においてきわめて重要だと思っている。
 その「原子力資料情報室」の創設(一九七五年)に深く関わった高木仁三郎さん(故人)について、思い出したことがある。
 高木さんは、亡くなる二〜三年前、宮城県女川町公民館(?)で開かれた「女川原発差し止め訴訟」関連の講演会に、講師として訪れたことがあった。高木さんが、その日の講演で、原子力発電の脅威について語ったなかで、「反核・反原発」運動の持つべき射程として、核物質および核廃棄物を相当長期にわたり安全に管理し続けなければならないことに関して、とくに時間を割いて語っていたことを思い出す。
 高木さんは、「反原発」の立場に立ちつつ、この先、原発を廃炉にすることも含めて、核物質および核廃棄物を安全に管理していく技術の開発・継承とそのための有能な核技術者を準備・養成していくシステムの必要性にふれ、自らの世代の核科学技術者が担うべき歴史的責務であることを熱く語っていた。
 今、福島原発事故の収束がまったく見えない中、手のひらを返したような無責任な「東電解体」論や「放射線被曝」への恐怖ばかりが増幅されかねない局面を迎えている。その責任の第一は、もちろん東京電力首脳部と政府が負うべきものだが、厳密な意味で、的確な情報を発信する専門家(原子核科学技術者)が余りにも少ないことにも因っていることを痛感する。
 話の発端の彼(今春採用された東電の核技術者)は今どうしているだろうか。今春に一〇〇〇余人の新人を採用した東京電力の一員として、まだ新人研修の最中かもしれない。あるいは、人手不足の福島第一原発にすでに配属されているのだろうか。
 彼のような若い核技術者(原発に賛成であれ、反対であれ)たちも含めて、全国の核科学・技術の専門家、被爆医療の専門家・・・の総力を集めた「対策会議」を政府主導のもとで開催すること。そして、その場で、原発事故の現状と見通し、廃炉への道筋、周辺の土壌・海洋の汚染の分布・拡大の現状と予測、農産物・水産物の汚染やいわゆる「風評」被害、さらには放射線被曝に対する医療等々も含めての、想定されるあらゆる非常事態に備えること、今できる最善の的確な対処(冷却と放射線流出の停止)を検討し、直ちに実行に移すことが必要なのだ。
 「想定外」という言葉の曖昧さを許さず、厳密に科学的で、正確でウソのない「情報」を遅れることなく提示することが、事態を一刻も早い「収拾」に向かわせる早道を示すに違いない。
(二〇一一年四月九日 G)
▼宮城全労協ニュース(一八八号・四月十三日付)に寄せられた投稿「気になっている二つのこと」から抜粋して転載。見出しは編集部

 


もどる

Back