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    かけはし2011.4.11号

「21世紀の新しい市民革命」

緊急講演会:エジプトの激動と中東情勢

板垣雄三さんが講演


 【大阪】エルおおさかで三月八日、エジプト革命と中東情勢についての講演会が開かれ、一四〇人の市民が参加した。講演会は、ATTAC関西グループ、関西共同行動、パレスチナの平和を考える会の共催で開かれた。司会の役重さん(パレスチナの平和を考える会)は、現在の中東情勢の核心にパレスチナ問題があること、今の中東の激動が日本にとってどういう意味を持つのかを学習したい、と述べた。
 板垣雄三さん(東大名誉教授)が講演した。板垣さんは、中東で燎原の火のように広がった社会革命運動を「二一世紀の新しい市民革命の開始」ととらえ、その歴史的な伝統や今後の中東情勢について示唆に富む講演をした。以下講演要旨。

国のあり方を
問う民衆決起
 現在中東で起きている市民の決起が世界全体を揺さぶっている。日本では、チュニジアから始まったドミノ倒しだとか、インターネットの交流サイトが新しい時代を開いたとかいってわかった気になる。あるいは、石油価格の値上がりが心配だ、エネルギーの中東依存を変えねばならないという。中東は独裁者の下でワイロが横行し、失業率は高くひどい格差社会で、コネがなければ就職できないようだ、食糧の値上がりで生活が苦しくなり人々の不満が爆発した、われわれはそのような社会にいなくてよかったなどという。対岸の火事のような見方をしている。
 そのような日本の社会から中東を眺める見方が問題だ。日本の若者も同じ格差社会で生活しているが、国のあり方という視点では考えない。

自由をめざし
新しい社会へ
 二〇一一年最初の中東ニュースは一月一日、アレキサンドリアでのコプト教会爆破事件。それから半月ほどしてチュニジア大統領の辞任と国外亡命、さらに二月の一一日にはエジプトのムバラク大統領が辞任、さらにその動きがバーレーン、イエメン、アルジェリアそしてリビアに広がった。これをどのように捉えたらよいのか。二一世紀の
新しい市民革命の開始だと考えている。
 一七世紀の英国ピューリタン革命や一八世紀のフランス大革命は身分の解放が軸、二〇世紀のロシア革命は階級の視点で捉える、中国革命は民族の解放から社会主義が軸というように、革命についての分析はいろいろあったが、中東の新しい革命は市民がキーワードだ。エジプトのタハリール広場での集会のプラカードをみても、パン・自由・人間の尊厳が要求の基本だ。
 日本では民主化要求と説明されているが、中東では民主よりも自由が重視されている。新しい市民革命の理念としてのサティヤーグラハ(真実の把握)。非暴力抵抗・市民的不服従の直接行動、市民として自己実現し新しい社会を求めていく動き。屈服でも武力闘争でもないオルタナティブの思想。これはインド独立運動のガンディーにとって特別の意味を持っていた。
 サティヤーグラハ運動は、イスラムをはじめとして広くアジア諸宗教の思想を包括する視野で成立した。イスラムのタウヒード(創造主としての神の唯一性の確信、多即一の思想)の社会的発展は、ネットワークやパートナーシップの実践となる。イスラムにおけるタウヒード精神は劣化したが、新市民革命はその出発点でタウヒードの再獲得として現象しつつある。
 このように言うと、理想主義過ぎるのではないか、エジプトだってこれからどうなるかわからないし、リビアで起きていることはどう考えるのだ、ムスリム同胞団が権力を握ればイランのようになるのではという疑問もあろう。そこで、新しい市民革命をさらに詳しく話してみたい。

歴史の記憶と
タハリール広場
 まずエジプト。エジプト社会は自由と独立のための革命を幾度も経験した。その象徴的な場がタハリール広場。一八世紀ナポレオンのエジプト遠征と占領に対する抵抗運動(組織者オマル・マクラム)、英仏二元管理に抵抗した一九世紀のオラービー革命(オラービー大佐率いる自由民権、国権回復運動)、二〇世紀の反英民衆蜂起、自由将校団による一九五二年の反英独立革命の勝利、スエズ運河国有化に対する再度の英仏イスラエル三国の侵略に対する一九五六年の勝利。抑圧の象徴であった英国大使館による遮断がなくなり、海まで貫通したナイル河岸道路を歩いたカイロ市民の高揚感は子や孫に語り継がれる(現在この地区に米国大使館)。
 この時アルジェリアはフランスから独立を勝ち取った。その後エジプト政権はナセル、サーダトと続いて、ムバラクで切れる。対イスラエル関係「正常化」として一九七九年エジプト・イスラエル平和条約が締結され、一九八一年ムバラクが大統領に就任する。
 イスラエルを生き延びさせるために米国は海外援助の大半をイスラエル(年間三〇億ドル)とエジプト(二〇億ドル)に使う。二一世紀に入りエジプトは米国の戦略にのめり込み、ムバラクに対する反発が顕著になった。二〇〇四、五年にその原型が現れる。それが第二次インティファーダと関わっている。シャロンが武装集団を引き連れイエルサレムの聖地に入ったことに抗議するパレスチナ民衆の蜂起をイスラエル軍が徹底的に弾圧した。イスラエルを支えているエジプト人の心情に鬱屈した気分が蓄積された。
 そして、二一世紀になって九・一一が起きる。ムバラクがエジプト人の生活を苦しめているということだけではなく、世界の中でのエジプトの位置、イスラエルを自分が支えていることへの怒りがあった。それが「ムバラクはやめろ」と変革の要求に焦点化された。それまで洗濯屋で働いていた青年が最も有名なポップ歌手シャアバーン・アブドッラヒーム(「イスラエルは大嫌い」の歌)になったことがそのことをよく表している。一九六〇年代から交流のあるエジプトの知人たちが、二一世紀になって人々の動きに方向付けする役割を担うとは思いもよらなかった。
 〇六、〇七年と一一年に近づくにつれ若い人々がツイッターなどを媒介して参加するようになる。〇八年ナイルデルタのマハッラ・クブラーの工場のスト支援(四月六日運動)。一〇年夏サイードの虐殺に抗議する運動(俺たちはみんなサイードだ)。そして一一年一月へと続く。これらは中心がなく、革命理論もなく頼りない感じを与えるが、バラバラなように見える運動の力はネットワークとパートナーシップによって、一九七九年以来の国際政治の中でのエジプトの役割や世界のあり方を変えたいという要求運動として蓄積されてきた。

ムスリム同胞団
をどう見るか
 自由将校団の中にもムスリム同胞団に共鳴するものがいた。ナセル暗殺事件で非合法になるが、人々はシンパシーを感じていた。彼らは、政治・経済・医療・福祉・軍事すべてを一つのものとして考え、社会のイスラム化をめざす。彼らはいわばエジプトでは空気のような存在だ。しかし、政治的な動きを示すと市民は従わない。
 エジプト・イスラエル・米国の関係が成立すると、これに対しムスリム同胞団は、サーダト大統領殺害、NY貿易センター爆破、ルクソール神殿観光客虐殺などの武装闘争(ガマーア・イスラミーヤ路線)を展開するが、その破綻過程で穏健な政党に変身した。この間の激動の中では全体の足並みを乱さないように自らを抑制してきた。ムスリム同胞団は、ムバラク体制に批判的な集団というより、悪役として抑圧される役割を果たした。そのような役割を演じるムスリム同胞団も含めたものがムバラク体制であった。
 〇三年から〇五年にかけ米国はムスリム同胞団と対話をつづけ、手なずけた。といっても、彼らの社会文化活動こそ新しい市民革命には必要なものであると思う。
 
中東諸国体制
としての把握
 第一次大戦後、オスマン帝国の跡地に英・仏・日などがしつらえた人工的な国分けシステム(一九二〇年サンレモ会議)による国分けは、その後編成替えし、解体過程にあるといえる。アラブ民族主義は国家統合を志向してきた。
 米国の中東レジーム・チェンジ計画というものがある。米軍の軍事専門家が描く中東未来図によると、新しい国境は現在のものとあまりにも大きく相違していて、メディナやメッカはサウジアラビアから分かれ別の国に、イラクもずたずたに分かれ、自由キルギスタンなどという新しい国もでき、パキスタンもずたずたになっている。今ある国がいつまでもあるとはいえない。バーレーンは、未来図ではサウジのペルシャ湾岸側の東部州(差別されているシーア派住民が多い、サウジ最大の石油基地がある)を削って大きくなっている。バーレンの動向はサウジの今後に直結している。
 砂漠を海と同じように考えた場合、エジプト、バーレーン、リビアはどのような位置にあるか。エジプトは文明の充実した島・港で欧米や北京・西安などにもつながる中東の中心。リビアはアフリカ・東西アラブ・トルコ・西欧東欧などいろいろな方向に向かってあいている空き地。バーレーンは物が集散する拠点。バーレーンは二〇世紀にはイタリアの植民地であり、英国も関わっていたし、イランはバーレーンは自国領だと主張していた。サウジ人は木曜の夜になると連絡橋を渡ってバーレーンに行く。バーレーンはサウジと切っても切れない関係にある。バーレーンには米国海軍第五艦隊の基地がある。バーレーンの動向は米軍の世界戦略、沖縄にも影響を与えるだろう。 
 リビアについて少し。カダフィはイタリアのアナルコ・サンリカリズム的なところがあり、自らを兄弟・リーダー・ガイドと自認している。大統領ではないのだから辞めないといって、市民革命潰しをやっているが、アフリカからの移民をリビアが食い止めているといってきた。この点では、西欧にとってはカダフィがいなくなると困ることもあるだろう。
 リビアの市民革命運動のリーダーは、リビアの自主独立ではなく西欧を引き込んで新しい市民革命を骨抜きにする方向でカダフィ倒しをやっている。西欧は今までと同じく気軽にリビアに干渉するだろう。
 中東全体で起きた市民革命は、それぞれ一国の市民革命ではなく中東の市民革命だ。中東の市民革命は中東だけでは完結しない。中国にも広がるだろう。中東は世界全体の問題だ。米国ウイスコンシン州では州公務員の団体交渉権を共和党の知事がつぶそうとしていることに反対し、市民が州庁舎を占拠している。アメリカでも新しい市民の運動が起きている。
 中東の市民革命の最初の難関は現在のリビアだ。カダフィ側と反カダフィ側のリーダーの市民革命潰しに対し、市民がどのようにこれを克服するか。チャベスが調停役を買ってでるという話をどう評価するか。これも重要だが今日は話す時間がない。(発言要旨、文責編集部)  

質疑応答から

@コーランは女性差別だ。教典を修正することはできないか。――「コーランは神の言葉だから、それは無理だ。解釈を変えることしかできない。七世紀に成立したコーランには確かに女性差別的な箇所はある。しかし当時の思想としては、女子殺し禁止、女性の財産権の承認、女性が法廷で証人を立てる権利の承認など画期的な部分もある。多くの聖典の中でコーランだけをなぜ問題にするのか」。
A中東のメディアについて――「中東では官製メディアが多く、商業メディアは禁止されていたが、この間エジプト・チュニジアでは自由になった」。
Bパレスチナへの影響――「新しい運動はやがてパレスチナにも及ぶだろうが、ヨルダンでは首相を辞任させるなど早い対応をとり、アメとムチでごまかしている。パレスチナでは、イスラエルに大きく譲歩をしていることに反発はある。それを、パレスチナ指導部とイスラエルが抑えつけている。一一年になぜ中東で新しい市民革命が起きたのかといえば、米国の衰退とイスラエル内外の危機がきっかけだった。米国は、イスラエルを生き延びさせるために色々やってきたが、ますます困難になるだろう」。 (T・T)

 

投書

東日本大震災と原発
災害に思うこと

神奈川 N


 神奈川の読者です。
 震災直後の「かけはし」を期待をして読みました。
 仙台からの報告は大変よかったです。
 それを読みながら そして 北アフリカ・中東の革命ニュースを思い出しながら 意見を。
1:行政員が居なくなったり、手が廻らない状態は革命時の政権の行政員が居なくなった状態と似ている。だれがそこで民衆が生活する社会を作り上げるか 能力があるのか。
2:ストライキは労働者が生産現場を統制するという意志・意味を持っていた(総評の方針で職場放棄と代わったようだが)。では生活・医療等の現場ではどうか?
3:警察や軍隊のみに委ねられるのを待つのか? 産業界への圧力は政府とかマスコミに委ねるのか。
 デモや集会と同じように、実施する対応能力を発揮するにはどうするか。
4:幾つかの避難所では中高生や避難民自身が組織化され、それぞれの給食や医療体制をつくるというニュースも見られる。
5:どこか「かけはし」隊の支援拠点を作り、そのモデルをして、これをどんどん、「かけはし」Webでしらせよう。
6:菅は原発の放水を当初自衛隊ヘリや機動隊高圧放水車を頼ったが結局失敗した。むしろ当然であろうが、本来の消防庁の放水車が安定的に活動しているようだ。菅が如何に暴力装置に頼ったか、恥さらしである。
7:自衛隊を武力をもたない常設・全国組織の対災害救援隊に分離すべき。そうすればいろいろの足かせがなく、相応できる。その論を提起すべき。
8:民衆レベルの放射能検査とかも出来ないか。
9:アメリカからの情報とか GoogleEarthとかの公開情報から政府や東電の隠蔽を除けないか。それらを「かけはし」Webで広める。
 専門知識の進歩は? 高木さんの原子力情報室は? 今は政府や東電に提供させるというよりわれわれ自身がデータを世間に提供することができないか?
 などなどです。
 東京、大阪でのご苦労で、東北の先進的市民や労働者の活躍を支えましょう。小生も、かの三里塚、前には安保、千代田の東京学生会館立ち退き闘争などでの体がほしい気持ちです。今のままでは現場で迷惑になりそうです。後方事務方で手伝いが出来るようであれば、事務所に出向きたい気持ちです。


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