革命の中で女性の要求は後回しに
されているが、それこそが問題だ
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チュニジア
チュニジア民主女性協会アレム・ベルハジへのインタビュー
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アラブ革命は、民衆の場ではどのようなものなのか。マスメディアでは伝えられることの少ない、特に女性の闘いについてチュニジアでの動きを紹介する。本面には合わせて、女性から見たエジプト・タハリール広場での闘いの報告も掲載した。〈「かけはし」編集部〉
ショーウィンドー的開明政策
進行中のチュニジア革命は今のところ男女間の不平等を解決はしていない。このために、女性は自分たちの既得権を守るだけでなくそれ以上のものを獲得するために、自らを組織している。チュニジア民主女性協会のメンバーであるアレム・ベルハジが情勢を説明してくれた。
――チュニジアの女性の現在の地位はどのようなものか?
チュニジアの女性の地位はアラブ世界に比べて少し特別である。一九五六年、独立直後に発布された家族法はその時代にはほとんど革命的なものであった。一夫多妻制が禁止され、女性の離婚の権利、堕胎の権利、参政権が認められた。開明的で近代化論者であったブルギバは経済発展に向けて女性を大いに当てにしようとしたのだった。彼は、もし女性が読み書きできず、伝統に支配され、不平等のままにとどまっているならば、社会の真の発展はあり得ないと考えていた。彼はこうしたすべての点で十分に開明的であったのだが、そこでは自立を目指す女性の闘争が大きな役割を果たしたのであった。
それとは反対に、家族法は一〇〇パーセントの平等というには程遠いものであった。この法律は女性にとっては真の既得権ではあったが、その意図は近代社会を建設することにあって、必ずしも女性の権利のためということではなかった。たとえば中絶の権利がそうである。チュニジア女性がこの権利を有しているのは、産児制限政策のためであって、女性が自らの身体を自由にすることができるためのものではなかった。堕胎ができ、無料の避妊や家族計画を受けられるのは、このためなのである。時として、女性が卵管結紮(らんかんけっさつ)手術を強制されることもあった。したがって、この意味において、支配的だったのは平等の精神ではなくて、国の発展という考えだったのであり、女性は国の改造のために不可欠な存在だというわけである。
チュニジアの女性はこの法律や教育政策を一貫してうまく利用してきた。というのも、いずれにしても、こうした国の政策は人々の考え方を変えるからである。たとえその意図がよいものでなかったとしても、それは事態を前進させたのである。
一九八〇年代のイスラム主義運動の出現とともに、以上の既得権が決定的であるとは感じられなくなった。イスラム「復興」派の運動の第一の要求は一九八五年の家族法をめぐる国民投票の実施であった。そこで、女性の運動が自立的な組織化を開始した。チュニジア近代化思想のショーウィンドーが男女の平等であった。われわれはそれがアリバイ的存在でしかないことにうんざりしているのだ。
平等は次の三つの分野で基本的には認められていない。家族において、男が常に家長であり、女性は子どもの保護者になる権利がなかった。
一九九三年以降、一定の状況のもとで、女性が子どもの保護権をもつことができるようになったが、これはごく限られたものである。そして、法律の条項にはこう書かれている。「男女間の関係は風習によって決定される」と。われわれは風習・習慣に準拠することになるのである。
第二の分野は、相続権の平等にかかわるものである。女性は男性の半分を相続するとなっているのだ。第三の分野は国籍に関するものである。女性はその国籍を自分の子どもに与えられない――父権主義のために。そして法律が最近改正されたが、女性が自分の国籍を外国人の夫に付与するのも非常にむずかしい。
差別撤廃条約について、チュニジアは、「チュニジアの宗教はイスラムである」とする憲法第一条の名の下に、以上三つのレベルについて保留を表明している。同時に社会的側面も存在している。職場では、労働法が男女の平等を明記しているけれども、女性が得る賃金はより少なく、責任ある地位に就く度合いがより少ない。女性はより貧しく、同等の資格をもっていても、女性の方がより長期にわたって失業者のままにとどまるリスクがある。さらに、女性に対する暴力の問題がある。政府はこうした暴力と闘うための十分な措置を取っていない。
女性問題を市民社会の問題へ
――チュニジア革命の要求の中に、フェミニスト的な要求があるのか?
その点が問題である。目下のところ、以上のような要求を掲げるのはフェミニストしかいない。われわれと共に活動してきた同盟者たちでさえ、今はフェミニズム運動の時ではないと考えている。これまでと同様に、常に優先順位があり、女性の問題は優先されるべきものの後に来るのである。政府内にいる女性は、二人の大臣と一人の閣外大臣であり、平等にはほど遠い。
政府はローマ条約に加盟する議定書を承認した。政府が「これから討論していく」としている唯一の条約は国連女性差別撤廃委員会の条約である。これは、偶然にも女性にたいするいっさいの差別の撤廃をうたった条約である。
市民社会では、女性問題はほとんど取り上げられていない。宗教と国家の分離(ライシテ)はわれわれの主要な要求であるが、ほとんどどの政党からも取り上げられていない。われわれがデモを組織した時に、われわれともにデモに参加してくれたのは革命派の諸政党であったが、われわれに対する市民社会からの支持はごくわずかである。
――今後の行動計画はあるのか?
はい。われわれは自立的な組織化を行っているところである。われわれは長年にわたって、われわれが望む条約のために活動してきた。われわれは、自分たちの原則と要求を確認するためのチュニジア女性のデモを準備している。チュニジア女性にはこれらの権利がしみ込んでいるのであり、これらの権利と共に生活してきたのであって、これらの権利をチュニジア女性から引き剥がすのはとてもむずかしい。だが、当面、事態はそれほどすばらしいものとはなっていない。『トゥテタナヌー』(NPA=フランス反資本主義新党機関紙、二〇一一年二月一七日、九〇号)
エジプト
政治的沸騰と青年の新しい運動
今切り開かれた民主主義の
新しい場を最大限の発展へ
【編集部】イネス・タハは、フランスのグルノーブル大学の博士課程で学ぶエジプトの学生である。彼女は、二月九日から二三日までのタハリール広場占拠に参加した。以下に紹介する彼女へのインタビューは、このたぐいまれな活動の経験の報告である。
――タハリール広場は、ムバラク失墜をもたらした革命過程における中心的な場となってきた。この占拠が組織されたやり方についてすこし説明して下さい
占拠は、信念を同じくする首都カイロと地方の四百万人以上の人々を結集した。それは、政権を崩壊させるまで続いた。占拠が長期間にわたり、それが昼も夜も続けられたために、政治的任務と日常生活について集団的な管理のシステムを整える必要が出てきた。いかなる点でこの組織化が民衆のイニシアチブにもとづいてなされたかということ、すなわち、それが指導者や政治組織の支持にもとづくことなくなされたかということは、注目に値する事実である。民衆は自身で自主的に組織化を行ったのである。
いくつかの例を挙げれば、ムバラクの民兵隊に対して活動家を防衛すること――これは現場にやって来た人々の身分を確認し、チェックすることを意味する――は、志願者からなる交替チームが集団で担うという形でなされた。食糧もまた、カンパによる資金によって無料で配給されるという形で、共同に管理されていた。
さらに、多くのスペースが特別な役割を果たしていた。教員のイニシアチブで設けられた教育のための場や保育の場、絵画のためのアトリエ、医学部学生や医療施設職員によって管理される「病院ゾーン」、キリスト教徒とイスラム教徒のための「祈りのスペース」などである。それ以外の驚くべき設備の開設は、技術専門学校の学生たちによって設営されたトイレや給排水施設である。それでもやはり、通常型でなく、シャワーはなかったのだが!
――共同の政治的目的のもとに送られたこの共同生活は、数多くの規範や習慣を、とりわけ男女間の関係を、見直させることになった。この側面について詳しく説明してくれほしい。
多くの禁忌を打ち破る突破口が切り開かれた。たとえば、女性の喫煙やベール着用などについてはそうである。数週間前であったら想像すらできなかったことだが、同じ宿泊場所に男女混合で泊まることが、実際になされた。ずっと近くで一緒にいるということや共同の政治的目的のために、清掃の任務だけでなく政治討論でも平等の関係が促進されることになった。
――その点で、あなたが加わったタハリール広場の占拠から生まれたこの政治的沸騰と青年の新しい運動について少し説明して下さい。
広場では政治討論は妨げられることはなかった。一部の伝統的政党(ムスリム同胞団、共産党など)がいたが、同時ににわかに誕生したばかりの数多くの政治組織やアーティストの団体(サウンド・システム)が、広場のさまざまな場所に散らばって陣取っていて、多くの人々はそうした団体を次から次へとめぐり回っていた。
タハリール広場占拠の時に結集し、それまで政治組織の中で活動したことのなかった青年の運動である「広場の青年」が生まれたのは、こうした論争やたえざる行動の過程においてであった。この新しい運動の全般的な目的は、体制と結びついているが民衆とはかけ離れている政治的エリート層に対するオルタナティブを打ち立てるとともに、ムバラクへの伝統的野党との関係の断絶をはっきりとさせることである。この政治計画はまだ完全には達成されていない。だが、この指導的理念は、革命をあくまでも継続し、下からの新たな権力を推進することである。選挙への参加は当面、われわれがまだ結論が出ていない問題である。
――あなたは、革命の継続と下からの権力について語ったが、あなたの意見では、その方向へ前進するためには何が必要なのか?
われわれは、民衆が自らを組織し、自己を形成できるようになることを願っている。具体的には、われわれの任務は、われわれと考えを共にする、できるかぎり多くの人々と接触し、全国至る所で討論を組織することである。われわれは、今切り開かれた民主主義の新しい場を最大限に発展させることを望んでいる。全エジプトが巨大なタハリール広場になるようにするために!『トゥテタヌー』(NPA=フランス反資本主義新党の機関紙、九二号、二〇一一年三月三日)
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