寄稿
世界社会フォーラム・ダカール報告 B
国民の95%がムスリムであるが
複数政党制や政党自由化を実現
寺本 勉(ATTAC関西グループ)
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国民の6割弱が
貧困水準にある
セネガルは、人口一一四〇万人(二〇〇四年の統計による)、そのうち二〇〇万人以上が首都ダカールに集中して住んでいる。人口の半数以上が一五歳以下という「若い」国だ。
公用語は、旧宗主国の言語であるフランス語で、英語はほとんど通じない。セネガル最大部族の使用語であるウォロフ語も準公用語的扱いだという。
セネガルのGNI(国民総所得)は七五・四億ドル、一人当たり六三〇ドルである(二〇〇四年)。主要な輸出品は落花生だが、国民の六割近くが貧困水準にあると言われている。対外債務残高は三九・四億ドル(二〇〇四年)で、一九九五年から世界銀行、IMFの主導下に構造調整政策を実施、緊縮財政や民営化を進めてきた。私も知らなかったが、日本はフランスに次いで第二位の援助国となっている。通貨は、西アフリカの旧フランス植民地だった諸国での共通通貨であるシェーファー・フラン(1SF=〇・二円)が使われている。
コンビニでは「普
通」に酒が売買
国民の九五%がムスリムで、町のあちこちにモスクが点在している。セネガルのムスリムの特徴は、他の諸国とは違い、いくつかの教団に組織されている点である。偶像崇拝の禁止もそれほど厳しくなくて、タクシーの中にはイスラムの聖者の絵を運転席に貼っているものもあった。基本的には政教分離で、宗教政党の結成は認められていないが、かつては代表的な教団であるムリード教団は、義務指針ジゲルを示して、与党(社会党)支持の投票を信者に指示していた。現在は、そういった指示は行われていない。
イスラム諸国では、基本的に飲酒は禁止されているが、セネガルでは事情が異なっている。街中のコンビニや食料品店で「普通に」酒が売られているのだ。コンビニの棚には、ビール、ワイン、ウイスキーなどが所狭しと並んでおり、自由に購入できる。ちなみに、西アフリカ地域でよく飲まれている「Flag」ビールは、ロング缶が六〇〇シェーファー(約一二〇円)で売られていた。これは私たちにとっては嬉しいことで、夕食ではよく冷えたビールを満喫することができた。
WSF会場であるダカール国立大学の学生を見ている限りでは、外見上彼らがムスリムであることは全くわからない。服装はジーパンにTシャツが一般的で、女子学生のほとんどは頭髪にストレートパーマをかけている。
社会党から民主
党へ政権交替
私は、セネガルにおける政治的、社会的状況やNGO、労働組合などの活動状況を知りたくて、WSF会場でセネガルの活動家に対するインタビューをおこなった(別掲)。インタビューに応じてくれたのはバドゥさんで、彼はNGOのDIADEM(離散・開発・移民)の全国コーディネーター、PAN
Network of Migrant Right の西アフリカコーディネーターである。また、「オルタナティブ・セネガル」という政治グループの指導部の一人でもある。
セネガルの政治状況について、一般的に言われているのは、西アフリカ地域でもっとも早く複数政党制や政党自由化をすすめた国であり、選挙によって政権交替が行われた国であるということだ。事実、独立以降セネガル社会党の一党独裁体制が続いてきたが、一九八一年に政党自由化が実現し、二〇〇〇年の大統領選挙によって社会党から民主党への政権交替が行われている。現在の大統領は、セネガル民主党のアブドゥライ・ワッドである。
(つづく)
バドゥさんとのインタビュー
多くのNGOがWSFダカールに参加
情報の共有化、資金調達が十分ではない
政府も大学も表
と裏の顔が違う
セネガルの状況についてですが、簡単に言うと、セネガルには自由主義政党のPDS(セネガル民主党)があり、二〇〇〇年の選挙でPDSは候補者を一人だけにしたいと思っており、左翼政党を含めたすべての政党の支持の下で勝利しましたが、アブドゥ・ディウフ前大統領率いるセネガル社会党はそこには入っていませんでした。われわれは社会党を排除したのですが、なぜかというと社会党は腐敗しており、権利侵害をし、他者を尊重しないという体質で、世銀/IMFとつながっていたからです。そのために貧困が増加し、社会主義者は排除されました。われわれが自由主義者とともに選挙した際に、憲法を一緒に作ることを期待したのですが、憲法が制定されたのはPDSが左翼を排除してから一年後のことでした。そして現在、PDSは物価を上げ、民主主義的自由を侵害し、貧困を増加させています。
左翼について言えば、AJ―PADS(アフリカ民主主義と社会主義のためのパンアフリカ党)という党があります。この党はPDS政府に参加していたのですが、われわれは参加することを拒否したので、そこから分かれて、オルタナティブ・セネガルを二〇一〇年に組織しました。これが全体的な流れです。
PDS政府は電気を供給しないし、たくさんの不法居住区があるし、病気が蔓延し、腐敗していて、犯罪が多くなっています。社会運動はこれらに挑戦しているのですが、こういった問題に取り組むための政治的な指導部が存在していません。地域レベルでも全国レベルでも、この問題を取り上げて抵抗するための政治指導部がいないのです。セネガル社会党は現在、野党です。
オルタナティブ・セネガルは来年、革命的左翼、ラディカル左翼の全国規模のフォーラムを開く予定です。なぜなら、この組織は政党である必要があると思っているからです。オルタナティブ・セネガルのメンバーの多くは貧困地区での社会運動に関わっており、貧困と失業問題に取り組んでいます。そういう地区には水が十分に来ていないのですが、ダカールの郊外の最貧困地区で生活向上のために、闘っています。そのためにNGOを組織したり、組合を組織したり、CBOを支援したりしています。地方でも食料保障のための活動をしています。
われわれはまた、いろんな場所で、NGOを通してオルタナティブ教育を組織しています。連携方式学校や専門団体を支援することを通して、教育制度から排除されている人々――小さな子どもたちのためのクラスを支援しています。これは地方だけでなく、都市地域でも行っています。難民の人々や排除されている人々に対して、必要なフランス語、数学、英語などの授業を行っている他に、連携方式の学校(コーポレーション)を作って子どもたちに大工作業、裁縫などの専門的な訓練を提供することによって、彼らは勉強と訓練の両方を得てコミュニティーに役立つと同時に、収入を得ることが出来るわけです。
ダカールの世界社会フォーラムについてですが、すべての組織が参加しています。REDA(アフリカのための開発ネットワーク)も組織委員会に入っていますし、ENDAも、CONGADも参加しています。他にも多くのNGOが参加しています。世界社会フォーラムの国際評議会も参加しています。ですから、われわれはこの世界社会フォーラムの一員なのですが、問題を抱えています。
一つは組織委員会内の情報共有が不十分だということです。二つ目は、資金調達が十分ではないことです。国際的な財団からも資金を得ているのですが、十分ではありません。三つ目は、このダカール大学が通常の講義をしている中で、世界社会フォーラムを行っていることです。これは良いことではありません。われわれは、この期間に開くのではなく、学校が休みの時に開催するように言ったのですが、聞き入れられませんでした。
政府は世界社会フォーラムに対して、二つの態度をとっています。一つは国際的な世評に対して、セネガル政府は世界社会フォーラムを歓迎するというものです。公にはこういう態度を取っていますが、内に向けては、大学もそうなのですが、協力しないようにという態度です。政府そのものは、どんな問題も起こしていません。公にはたくさん問題を起こしてはいません。問題は、施設というよりも、学生が勉強している時期に開催することです。学生は授業を受けるために大学に来ていますが、集中することができるはずありません。学生たちには大きな問題です。開催前に、この問題について議論されるべきだったのです。
昨日、学生のグループが大学の環境の向上を求めて抗議活動をしていましたが、ダカール大学の学生はかつて二万五〇〇〇人でしたが、現在は六万人になっています。ひどい状況です。授業の席を確保するために、学生たちは朝五時に教室に行っています。とてもひどいです。卒業試験の合格率は一〇%から二〇%くらいしかありません。
組織委員会は一年かけて準備してきました。組織委員会の下に文化関連の委員会、メディア委員会、財政についての委員会、プロジェクト関連の委員会などの専門委員会が作られました。事務局は一五人の専従体制で組織され、五つの委員会が少なくとも三〇人によって作られました。約二〇〇人の人々が働いてきました。組織委員会での議論ですが、ナイロビで問題になった高額の参加費についても議論されました。例えば、地元の参加者は二〇〇セーファーフランを組織委員会に支払うというような議論です。多くの人が、ナイロビは参加費が高くて問題だったと言いました。だから、地元の人は二〇〇セーファーフラン、地元の団体は六ユーロほど、アフリカの団体で企画を行う団体と行わない団体など、いくつかのカテゴリーを作りました。
開会のマーチに
参加できない背景
けれども、開会のマーチでは地元の人々の姿をあまり見ることが出来ませんでした。地元の人が参加するためのバスを雇う金を準備するかどうかという議論があったのですが、反対する人もいました。当日の朝、電話がいくつかかかってきました。人々に対して、われわれが交通費を払うからマーチに参加しようということができないという電話でした。遅すぎです。一一時に電話がかかってきたのですが、マーチの集合時間は一二時、出発は一三時でした。その時点で、参加することは不可能だったのです。だから、ほとんどの地元の地域団体が参加することが出来なかったのです。参加したいと思っていた人の多くは女性でした。組織の問題もあるのですが、それまでに十分な情報を得ることが出来なかったので、来れなかったのです。ですから、われわれが責任を持って女性の団体やコミュニティー団体と情報を共有していれば、彼らは参加することが出来たのです。組織委員会が活動している中で、多くの団体が世界社会フォーラムに向けて準備していました。女性たちは、地元の料理などを提供する準備をしていました。
期間中に、貧困地区やアフリカ人地区から多くの人々が参加しています。彼らはストリートピープルで、行商などをやっている人たちで、出店を作っています。彼らは、モハメッド・ムアジジというチュニジアで殺害され革命の発端となった若い行商人の名前を自分たちのセネガルの行商人組織につけています。
団体・個人に対し
大きなインパクト
世界社会フォーラムがセネガルの社会運動に、非常に大きな影響を与えています。一番のインパクトは、世界社会フォーラムのコンセプトが全国各地で、農民の間で、労働者の間で、団体の間で、政党の中で、人々の間で議論されたことです。西アフリカ地域全体でも議論されました。これは、非常に大きなインパクトだと思います。社会運動はいまや、単なる組織体ではなく、運動体になっており、女性の立場を代表し、主張し、それらは組織化されることもできるし、活動主体となることもでき、国内だけでなく世界中の様々な仲間と結びつきを持って、いろんな問題を提起することができます。これが、もっとも大きなインパクトです。
二つ目のインパクトは、団体に関してです。たくさんの団体が登場し、組織されたりし、世界社会フォーラムの一部として人々の要求を主張しています。かつては、ほとんどの団体は声を出さなかったのですが、声を出し始めています。コミュニケーションをとり始め、橋を架け始めています。かつて団体は、自らの領域の中にいるだけで、コミュニケーションはほとんどとっていませんでした。現在では、地元の社会運動団体でさえも、国際的な視野を持っています。
労働組合の末端組
織は活動的で強力
労働組合もやはり、左翼や社会主義者たちから学んでいます。けれども左翼が政府に参加していた時、労働組合は影響力を失い、力を失い、信頼を失いました。かつて労働組合は非常に強くて、ゼネストを組織したりしていたのですが、二〇〇〇年以降、ほとんどの指導部が政府に入り、行政の責任を持つことになりました。各省庁の副大臣になったり、政治組織の政治指導部や組織指導部になったりしました。
けれども、支部組織は非常に活動的で強力です。なぜなら、それらは自発性を持っているので、とても強力で多くの闘いをしています。末端の組織が強力なのは、官僚とほとんどつながっていないからです。官僚というものは、官僚的なものはすべて受け入れるものです。末端の支部の指導部は、全国組織の官僚によって選ばれているのではなく、末端の支部の組合員によって選出されています。一般的に、末端の組織は活動的な方針を採ります。この末端の指導部は中道もいれば、ラディカルな人もいれば、政治的でない人もいます。みんな民主的でラディカルな立場を採ります。利害関係に縛られています。ほとんどの末端の組合は非常に興味深いです。
セネガルには一二の労働組合の全国組織がありますが、大きいのはそのうちの五つです。他が小さいという訳ではありませんが。
言語・地域問題
など非常に複雑
アフリカの左翼の状況ですが、問題は言語問題です。アフリカにはフランス語をしゃべる国があれば英語の国もあります。ポルトガル語の国もあります。北アフリカはアラビア語です。まず第一に、情報共有の不足があります。二つ目は地域的問題、アラブ地域があり、サブサハラのブラックアフリカがあります。しかし、左翼内部でははっきりしていません。地球規模の左翼、民族主義者、パンアフリカニストにとって、サンカラ支持者がいたり(注:トーマス・サンカラは、ブルキナファソの第五代大統領、社会主義的な政策を推進したがクーデターで殺害された)、ルムンバ支持者がいたり(注:ルムンバはコンゴ民主共和国の初代首相で、白人雇い兵によって殺害された)、モンダラーニ支持者がいたりと、ラディカル民族主義は非常に複雑です。革命的な運動の弱さもあります。
別の複雑さもあります。例えばコートジボアールのFPIですが、その組織は社会主義インターナショナルに所属しています。けれども、ゼノフォビア(外国人嫌悪)を作り出しています。チュニジアも一緒です。他には、植民地時代のかつての民族主義の精神を持っている政党があります。これは非常に弱くなっています。前ソビエトとつながっている政党があります。その政党のほとんどは分裂していますが、政府への参加と抵抗を統合しようとしている組織もあります。けれども、革命的な視点はまったくありません。毛沢東主義者もかつては強かったのですが、現在は弱体化しています。 (つづく)
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