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    かけはし2011.3.7号

学校長の権限強化通じ間接体罰許容
学生の権利行使の範囲を制限可能に

学生人権条例を後退させる教科部?

 「教科部(教育科学技術省)が間接体罰を許容するというが、そもそも間接体罰と直接体罰は何が違うんですか? 批難を避けようとする一種の『せこい手』ではないんですか? 間接体罰という言葉の代わりに、今後は正直にキハプ(気合、特に軍などで体罰を加えること)やオルチャリョ(軍の規律を正すために、上級者が下級者に非暴力的やり方で肉体的苦痛を与えること)という言葉を使って下さい」(京畿・議政府高1年、キム・ソンミン)。

人権条例本格化の時に「なぜ」

 1月25日午前、ソウル大学路の興士団本部講堂には20人余りの学生(中・高生)らが集まった。中3から高2まで、全羅北道・茂朱からソウルまで、参加者たちの学年も地域も様々だった。「青少年緊急声闘〈糾弾・討論〉大会」。真の教育のための全国学父母会、全教組、人権運動サランバンなどが青少年人権行動アスナロなどの学生団体と共に作った「学生人権・学校民主主義守護のための教科部施行令改悪阻止対策会議」(以下、対策会議)が主催した学生らの討論の場だった。
 これらの人々が集まったのは去る1月17日に教育科学技術部が提起した「学校文化先進化方案」(以下、先進化方案)のためだ。この方案は初・中等教育法と施行令を改定して間接体罰を許容し、学校長が裁量によって定めた学則によって学生の権利行使の範囲を制限できるようにする、との内容を盛り込んでいる。これはこれまで一部の教育庁(日本の都道府県教育委員会に相当)を中心にうまずたゆまず推進され、まさにその結実を見ようとしている学生人権条例を無力化することのできる内容だ。
 体罰禁止、頭髪および服装の自律化などを主な内容とする学生人権条例は、今まさにその第1歩を踏み出すところだ。京畿道教育庁が2010年の道議会議決を受けて来る3月から全面施行に入る予定であり、ソウル市教育庁もまた2010年11月に「学生の人権および生活指導革新諮問委員会」を作り、細部の内容を検討中だ。ソウル市教育庁は条例とは別個に、昨年の2学期から全面的な体罰禁止措置を決めた。光州市教育庁や全羅南道教育庁も教育監(教育庁の統括責任者)の公約事項である学生人権条例を今年から本格的に推進する計画だ。江原道教育庁もまた共感の輪が広がるならば推進するとの原則を立てている。
 このような状況にあって先進化方案が出されてきたことについてソウル、京畿、江原、光州など進歩傾向の教育監らが一斉に反発して乗り出したのは当然だ。まず、学生人権条例が実質的効力を発揮しようとするならば現場である学校の協力が切実だが、学校長が裁量によって規則を作り、学生の権利を制限できるようになるならば、条例の価値は有名無実化されかねないからだ。

国連、非物理的体罰も禁止

 1月20日、ソウルの政府総合庁舎前で開かれた「教育科学技術部による初・中等教育法施行令改悪糾弾記者会見」で対策会議は「現在の位階的な権力構造の中で、管轄教育庁の認可なしに学校の長に学生の権利を制限できる権限を付与するのは事実上、校長の絶対権力を強化させるもの」だと主張した。学生人権条例を準備してきた市民団体側では人権条例や体罰禁止措置を施行しているソウル、京畿地域でさえ、早くから校長の裁量によって間接体罰が公々然と施行されている状況を指摘する。
 特に先進化方案に盛られた間接体罰の規定は、体罰を全面禁止している学生人権条例と真っ向から衝突する。これまでは初・中等教育法施行令30条7項に「学生に身体的苦痛を加えない訓育・訓戒などの方法」とのみ規定されていた。先進化方案はこれを「道具、身体などを利用して学生の身体に直接的な苦痛を加えない方法」へと改正し、間接体罰を明文化することとした。先進化方案は間接体罰について「教室の後ろに立たせること、運動場一周などのような教育的目的の訓育」だと具体的な例示までしている。
 ユン・ジョン弁護士(公益弁護士グループ・共感)は「既存の施行令の下で直接体罰も存在してきたという点に照らして、間接体罰だけを許容するという今回の改正案が法理上は1歩進んだと見ることもできるけれども、体罰の必要性を認めたという点において問題を抱えている」「特に具体的な例示を通じて間接的な体罰を助長しかねないという点で憂慮すべきところだ」と語った。対策会議はまた説明を通じて、「間接だの直接だのということを離れて、体罰は教育学界や心理学界でのこれまでの研究を通じて、教育効果は証明されてはいない」し、「国連・児童権利委員会が言っている身体的処罰禁止にも非物理的処罰が含まれている」と主張した。
 間接体罰だけではなく、賞罰点制度や出席停止制度の導入も論難の種だ。対策会議関係者は「賞罰点制度は結局、体罰と罰点を与える二重の不合理な処罰構造を維持するという意味」なのであるとして批判の声を高めた。1回10日、年30日の範囲で実施される出席停止制度については「現在、『学校暴力の予防ならびに対策に関する法律』にも『10日以内の出席停止』制度がある」し「仲間である学生を悩ましている学生ではなく、教師や学校にとって気にいらない学生にある種の『不届き罪』を問うことのできる条項として乱用される可能性がある」と語った。
 このような反発の中でも教科部は現在、国会に付されている初・中等教育法改正案を可能な限り迅速に国会で処理する、との計画だ。施行令は既に1月に立法予告されており、来る3月から公布・施行される。また教科部は2月に学校生活規則のマニュアルを開発し普及させ3月には学校生活規則を一斉に整備する計画だと発表した。

直接だ間接だと言葉遊び

 重々しく葛藤している大人の世界とは違って、1月24日の声闘大会に集まった学生たちは溌剌とし、ふてぶてしかった。
 「それでも鞭を『愛の鞭』などと言っている時よりは学校がちょっとは良くなったようです。暴力を間接だの直接だのと言葉遊びをしながら言いつくろおうとするのを見れば、もっとズバッと言ったらと思う」(全北・茂朱中イ某君)。
 「うちの学校では早くから間接体罰については体育鍛錬だとか精神修養という話がでていたが、それほど体力が心配でいらっしゃるならばパルグッピョピョギ(腕立て伏せ)やオリコルム(かがみ歩きでグラウンド周回)の代わりにキチンとしたヘルス場(機器を備えたスポーツ施設)を作って下さるとか、また精神修養をさせるのがお望みならばヨガ道場にでも送って下さるとか…」(京畿地域のある学生)。(「ハンギョレ21」第847号、11年2月14日付、ハ・オヨン記者)

施行令、条例、学校規則の法的地位
法の論理は学生の人権を優先

 教育科学技術部は初・中等教育法施行令の改正を敢行する態勢であるが、学生人権条例の施行を目前にしていたり、制定を準備中の京畿、ソウル、光州などの各教育庁は、これに反対する立場だ。また一部の学校では、学校規則に間接体罰を明文化せよという教科部の勧告を歓迎している。これにより、教科部、教育庁、学校などの立場が食い違うとともに、一部地域では施行令、条例、学校規則が互いに衝突する状況が生じるだろうとの心配が出てくる。核心的争点である間接体罰の規定を中心に、3月から教科部の施行令が施行されると仮定してみよう。
 教科部が間接体罰を明文化し、教室の後ろに立たせること、運動場一周などを例示し、現場の学校に通告する。この状況において教育庁は地方議会を通じて全面的な体罰禁止を規定した学生人権条例を定める。この時、ある学校長は教科部の指針にそって間接体罰が可能となるように学校規則を作る。そうすれば外形的には施行令、条例、学校規則が衝突することとなる。
 けれども原則的にみれば、そうではない。初・中等教育法施行令が間接体罰を許容するなど、学生の基本権を制限する規定を置く場合、下位規定である自治体の条例がその基本権をさらに制限する規定(例えば、直接体罰の許容)を新設すれば上位の規定に反することになるが、基本権をもっと保障する方向(全面的な体罰禁止)の規定は法的に許容される。上位の規範よりも基本権をさらに制限する下位の規範は無効となるが、反対に基本権をもっと広げる下位の規範は有効だからだ。
 問題となるのは学校規則だ。学校規則によって間接体罰を許容する場合、上記の論理を適用すれば、まさに上位規範である条例との関係において、基本権をより制限する方向であるだけに、このような学校規則は改正の対象となる。学校長が条例よりもさらに上位の規範である施行令にそって間接体罰を規定したとしても同じことだ。
 けれども法的な解釈を離れ、現実的には学校長の裁量によって学生人権条例と食い違う学校規則を作る場合が出てくることもありえる。この場合、学校規則の有効性をめぐって現場での論難は避けられなくなる。ハン・サンヒ建国大法学専門大学院教授は「人権条例と相反する内容の学校規則が出てきてはならないが、現実的には出てくる可能性を排除できない」し、「教科部の無理な先進化方案の推進によって現場の学校で学生と教師の混乱は避けられない」と語った。(「ハンギョレ21」第847号、11年2月14日付)

コラム

党派を越えて

 二月三日夜、東京都内で、与野党の厚生労働大臣経験者が集まり、社会保障改革のあり方について意見交換をしたと、報じられた。尾辻秀久参院副議長(自民党)が呼び掛け、坂口力(公明)、長妻昭(民主)、舛添要一(新党改革)、柳沢伯夫(元自民)の五人が集まったという。今後は、細川律夫厚生労働大臣も招き、定期的に意見交換したい考えだそうだ。
 メディア界隈では、「影の政策協議」の場になるかもしれないと、憶測を呼んでいる。このところ、「影の総理」や「影の内閣」、「影の○○」という言葉が飛び交っているように見える。「本当の実力者は表には出ないものだ」などという考え方が、人間の行動様式を規定しているとすれば、それは誤りである。日本でも古くから、このような考え方は、一般的に存在しており、「重大な事は、表では決まらない」のが普通だと、一般的に受け容れられてきた。例えば、戦後民同労働運動では「寝業」に長けていなければ指導者にはなれないと言われてきた。褒め言葉でさえあったのだ。
 他方では、細野豪志(民主)と河野太郎(自民)を中心に「若手」の意見交換会も姶まっていることも報じられている。どのような顔ぶれなのかはわかってはいないが。
 つまり、課題別と世代別の意見交換会が始まったということだ。これが、「影の大物」によって、仕掛けられたものかどうかは知る由もない。が、私は、そうではなく、「天の時」なのだろうと考えている。だとすれば、この様な「交流」が複数に拡大してゆくことは、もはや押し止めようがないだろう。民主党衆議院議員一六人の乱は、「最後の決戦」の腹を固めた小沢が打ち上げた観測気球の位置を占めている。
 このような、一種メルトダウン的「情況」は、何を示しているのだろうか。
 「民主党政府は確実に終わりを迎える」という心理が、自民党、民主党の内部で主流になりつつあるということ。そして、次の局面での、「自民党を中心とする連立政権」なのか「民主党を中心とする連立政権」なのかのせめぎあいが、再編含みで姶まっていると、とらえるべきではないだろうか。現在の「小選挙区制」のもとでは自民、民主の大連立の可能性は極めて少ない。その意味では、アメリカ型の二大政党間の安定的な政権交替による統治という展望は、さしあたり失敗し、連立政権の時代へと移行せざるを得ないと言うことができるだろう。
 連立の枠組みをめぐって、政権協議のための確定的な材料は未だ何もないのが現状のようだ。日本ブルジョアジーがその戦略的展望を未だ持ち得ていないという条件の中で、政権協議それ自体が迷走する可能性を秘めている。それは、連立政権が政府危礎をはらむ情勢として推移する可能性を秘めているということになるだろう。
 労働者階級の力量が問われている。労働者階級の闘う統一戦線の形成のための努力が求められているのではないか。例えば、全労連、全労協という二つのナショナルセンターが分立している意味は、もはや小さくなっているのではないだろうか。(灘)


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