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北方限界線(NLL)とは

 点は線に適いがたい。延坪島にいかに性能のよい最先端武器を配置したとしても、海岸線に沿って島に対している北の海岸砲や長射程砲に比べれば、点にすぎない。線が点1つに向けて集中する力と、点が線に向けて分散しなければならない力は異ならざるをえない。
 線は絶えず緊張と葛藤を誘発する。線についてのこちら側とあちら側の合意がない状態では、より一層そうだ。西海(黄海)の海の上の見えない線である北方限界線(NLL)は、1953年に締結された停戦協定には関連内容のない線だ。停戦協定2条13項は白翔(ペンニョン)島、大清島、小清島、延坪島、後島など西海5島の国連軍の管轄だけを明示している。NLLは当時の国連軍司令官マーク・クラークが停戦協定締結以降の8月30日、任意で設定した線だ。この火種が広がって西海5島周辺の海域で南北間の葛藤が高まり始めたのは1973年だ。北は軍事停戦委で「西海5島の島々周辺の水域は北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)の管轄水域」だと主張した。1999年9月の第1次西海交戦以後には、西海5島への通航路を除く周辺海域を北側の管轄圏とした西海海上軍事分界線を一方的に宣布するに至る。
紛争の火種を抱えたあいまいな境界

 あいまいな線とそれによる緊張を和らげようとする試みがなかったわけではない。1990年代初め、ソビエト連邦の解体と東欧の崩壊によって冷戦体制が終息していた頃、ノ・テウ政府は南北関係の改善を試みる。南北基本合意書の締結を前にして南北は高位級会談を開き、海上不可侵境界ラインを論議した。協議は平行線をたどった。北は黄海道と京畿道の2つの境界線を西側に延長した線を主張し、南は停戦協定以降20年近く北が本格的に問題提起をしていなかったNLLをそのまま認めよと主張した。結局、合意はまたもあいまいとなった。「南と北の海上不可侵境界線は今後、継続協議する。海上不可侵区域は海上不可侵境界線が確定する時まで、双方が今日まで管轄してきた区域で合意する」。「双方の管轄区域」はそれぞれの解釈の余地を残した。
 南北の平和と交流協力の水門を開いた2000年の南北首脳会談で、線に関する論議はなかった。大韓民国大統領キム・デジュンと朝鮮民主主義人民共和国国防委員長キム・ジョンイルが合意した〈6・15宣言〉は?統一問題の自主的解決?離散家族の相互訪問?経済協力など交流協力の活性化などを5項目に盛り込んだ。「わが民族同士」と「連邦制」など幾つかの微妙な表現をめぐってハンナラ党や朝・中・東(朝鮮日報、中央日報、東亜日報)など保守を自称している冷戦勢力が攻勢をかけたけれども6・15宣言は1994年の北核の危機以降に高まった戦争の気運を和らげると同時に、方向を転換する出発点となった。
 線についての南北間の合意はノ・ムヒョン政府において進展した。ノ・ムヒョン政府は、6・15宣言の成果を土台として進められていた金剛山観光や開城工団がもたらす安保環境の変化に注目した。金剛山観光が活性化されるとともに、北韓の東海軍団は高城の北側に移動した。開城工団側も同様だった。韓国(朝鮮)戦争当時、南侵の主要経路だった開城には北韓軍2師団が前進配置されていた。開城工団が作られて以降、これらの師団は開城の後方に移動した。

西海の爆弾を除去する平和地帯

 ノ・ムヒョン前大統領は緊張と葛藤の線を平和と協力の面に作りたがった。2007年の南北首脳会談で合意した10・4宣言の西海平和協力特別地帯計画が、それだ。当時、青瓦台(大統領府)でノ前大統領を補佐していたある人士の証言だ。
 「ノ前大統領はNLL問題を整理したい思いが強かった。平和ラインという名称によって北と合意点を求めようと努力したが、すぐさま内部からの反対の壁にぶちあたるのは明らかだった。それならばNLL問題をテーブルからそもそも消してしまおう、平和地帯を作って西海を全体的に開城工団化すれば南北ともに利益になるのではないのか、そのように西海で偶発的衝突の可能性という爆弾を除去する方へと整理ができるとして西海平和協力特別地帯として具体化された」。紛争の種である線を面と空間へと融かしてしまうという発想の転換だった。
 ノ前大統領の構想は10月2日から3日間、ピョンヤンで進められたキム・ジョンイル国防委員長との首脳会談以降、「南北関係の発展と平和繁栄のための宣言」(10・4宣言)の3項と5項で文書化された。10・4共同宣言は「南と北は6・15共同宣言を固守し、積極的に具現化していく」という1項を皮切りに6・15宣言よりはるかに具体的な細部の内容を全文8つの項目に盛り込んだ。西海平和協力特別地帯に関する3項と5項の内容は以下の通りだ。
 …………(前略)
 3、南と北は軍事的敵対関係を終息させ、韓(朝鮮)半島において緊張緩和と平和を保障するために緊密に協力することとした。南と北は互いに敵対視することなく軍事的緊張を緩和するとともに、紛争の諸問題を対話と協商を通じて解決することとした。南と北は韓半島においていかなる戦争にも反対し、不可侵の義務を確固として順守することとした。南と北は西海での偶発的衝突防止のために共同漁労水域を指定し、この水域を平和水域として作るための方案や各種の協力事業に対する軍事的保障措置の問題など軍事的信頼構築の措置を協議するために南側の国防部長官と北側の人民武力部部長間の会談を今年11月中にピョンヤンで開催することとした。
 5、南と北の民族経済バランスある発展と共同の繁栄のために、経済協力事業を共利共栄と有無相通の原則によって積極的に活性化し、持続的に拡大発展させて行くこととした。南と北は経済協力のための投資を奨励し、基盤施設の拡充や資源開発を積極推進し、民族内部の協力事業の特殊性に合うように各種の優待条件や特恵を優先的に付与することとした。南と北は海州地域や周辺海域を含む西洋平和協力特別地帯を設置し、共同漁労区域や平和水域の設定、経済特区の建設と海州港の活用、民間船舶の海州直行路通過、漢江河口の共同利用などを積極的に推進していくこととした。南と北は開城工業地区の第1段階建設を早期に完成し、第2段階の開発に着手し、?山〜鳳東間の鉄道貨物輸送を初め、通行、通信、通関を初めとする諸般の制度的保障の諸措置を速やかに完備していくこととした。南と北は開城〜新義州の鉄道と開城〜ピョンヤン高速道路を共同で利用するために改・補修の問題を協議・推進していくこととした。南と北はアンビョンと南浦に造船協力団地を建設して農業、保健医療、環境保護などさまざまな分野での協力事業を展開していくこととした。南と北は南北経済協力事業の円滑な推進のために、現在の南北経済協力推進委員会を副総理級南北経済協力共同委員会へと格上げすることとした。
 …………(後略)

仁川へ海州直行路が通じたならば

 ここで注目する部分は海州地域だ。海州港は開城工団に先立って有力な経済特区の候補に挙げられたが、北・西海艦隊の主力部隊が配置された軍事的要衝地であることから候補からは外れた。海州地域と周辺海域を包括する西海平和協力特別地帯を設置する場合、開城と高城の事例のように、北の軍事的拠点がより北側に移動することもありえた。南側の仁川と北側の海州間の直行路ができて民間船舶が行き交う場合、軍艦が動き回りながら戦争の演習をするのは難しくなる。
 南北間の平和協力地帯の提案は初めてのことだったけれども、共同漁労区域や平和公園という概念は、国境を接している紛争諸国家が国境を飛び越えて共同の利益を図る「良い」解法として模索してきていたものだ。代表的な所は紅海アカバ国際海上平和公園だ。ヨルダンとイスラエルの基地と軍艦とによって緊張が高まっていたアカバ湾には1994年の中東平和協定を契機に海上平和公園と経済特区が設置された。「ヨーロッパの火薬庫」に挙げられていたアルバニア・モンテネグロ・コソボの接境地域にも、ポーランド・スロベキアの接境地域であるタトゥラ超国境平和公園をモデルとしてバルカン平和公園を作る方案が論議されている。植民支配の傷によって民族紛争が頻発していたアフリカでも、これと似たような超国境平和公園を見いだすことができる。
 西海平和協力特別地帯の構想によって平和の海の合意を引き出したのは、わずか3年前のことだ。ノ前大統領は首脳会談直後ソウルに戻り、南北首脳宣言履行総合対案委の会議を主宰し、「余りにも遅ればせの首脳会談が実現された」と惜しみながら「最小限、次の政府が細部的な協議をするとともに、進めていくことができるように南北間に必要な協議は前もってけじめをつけておかなければならない」と強調した。
 首脳会談以降の2カ月は南北関係の全盛期だと呼ぶに充分だった。総理級会談や国防長官の会談が実現されるなど、さまざまな会談や催しが20回以上、続けられた。常時的南北対話の局面にさしかかったとの評価が出てくるほどだった。けれども線を面によって代替するための、その年11月の国防長官会談で、軍はNLLを基準とみなすべきだと主張し、任期末の大統領には力がなかった。試験的実施区域さえ合意できなかった。

南北平和の「失われた5年」

  それで終わりだった。その年12月、「非核開放3000」構想を公約に掲げたイ・ミョンバク候補が大統領に当選して以降、南北の時計は止まってしまった。それまでの政府の成果を「失われた10年」と規定したイ・ミョンバク政府は、以前の南北合意をことごとく無視した。NLLを守りぬくと宣言したものの、北の砲弾がNLLの南側に落ちるのは日常茶飯事化し、あげくのはてには延坪島にまで飛び込んできた。国家情報院と青瓦台・軍の間で西海5島への攻撃の可能性について報告があっただの無かっただのと言いつつ責任のなすり合いをしているのを見れば、安保重視の政権という自らの評価が色あせるありさまだ。保守陣営からでさえ安保を心配する声がどっと出てきている。
 南北の専門家たちの間では西海平和協力特別地帯構想が、依然として戦争の海を平和の海に変えることのできる有力な方案として受けとめられている。キム・ヨンチョル・インジェ大・統一学部教授は「線を脱け出て面に変えれば南北ともに利益となる」のであり「次にいかなる性格の政府が執権したとしてもキャビネットを開き、西海平和協力特別地帯計画を取り出すことになるだろう」と語った。北韓政権が数年中に自ら崩壊し南韓に吸収統一されるだろうという「信念」を持った人でも、危機管理と持続可能な平和体制のために現実的適用の可能性を検討しないわけにはいかない、という話だ。そうなれば、イ・ミョンバク大統領の執権期間こそが、「失われた5年」になるかも知れない。(「ハンギョレ21」第839号、10年12月13日付、キム・ボヒョブ記者)

イ・ミョンバク政府発足後、西海平和協力特別地帯の合意は水泡に帰したが、依然として戦争の海を平和の海に変える有力な対案として挙げられている。11月23日、炎上する延坪島。


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