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投書                         かけはし2011.1.17号

『従軍慰安婦のはなし 十代のあなたへのメッセージ』を読んで 

SM



 『従軍慰安婦のはなし 十代のあなたへのメッセージ』(西野瑠美子著、伊勢英子(ひでこ)さし絵、明石書店)を読んだ。後半には、西野瑠美子さんと吉見義明さんとの対談が載っている。
 @「慰安婦」にさせられていた朝鮮人女性は、推定では十万人以上いたのではないかといわれている。なかには、二十万人いただろうという人もいる。「慰安婦」にさせられた人たちは、朝鮮人女性が圧倒的に多かったという認識は資料的に定着して考えていい。
 A日本軍が占領した地域の地元の女性はどこでも「慰安婦」にされているといってもいい。これまで出ているのは、朝鮮人、中国人、台湾人、日本人だが、フィリピン人、インドネシア人、オランダ人も公文書として明らかになっている。マレーとかビルマ、シンガポール等でも地元の女性たちが「慰安婦」にされていたようだ。軍人の話のなかでは、ロシア人やフランス人、アメリカ人がいたという話も聞く。
 B慰安所を作る動機で一番大きかったのは、戦場で日本の軍人が強姦事件をたくさん起こしたという事実だと思う。それは日本軍の資料のなかにたくさん出てくるから。それを防ぐためにどうするかという時に、強姦事件をどう取り締まるかということを考えるのが普通だ。つまり事件を起こした者を厳しく処罰するとともに、そういう事件が起こる原因をなくすということだ。たとえば兵営内でのきびしい抑圧が強姦事件の原因の一つになると考えられれば、兵士の人権の確立という方向へ対策が進むのが普通なわけだ。休暇を与えるとか、レクリエーション施設の充実を考えるとかもできるわけだ。しかし、そういう検討をいっさい飛ばして軍の慰安所というものを作って、そこに女性を押しこめて集団的に強姦を繰り返すということが考えられたわけだ。それによって住民にたいする強姦事件を減らそうとしたわけだ。こうした発想は、日本軍に非常に特徴的なことだ。
 C「従軍慰安婦」の問題は、なぜこんなにも長いあいだ放置されてきたのか。「従軍慰安婦」の存在は、あるていどの年齢の人は知っていたわけだ。文学やルポルタージュなどもすでに出されていたから。事実自体を知ることはできたわけだ。しかしそれが人権に反する行為であり、被害者の名誉が回復され補償されなければならない問題だというところまではなかなか考えがおよばなかった。被害者のかたが名乗り出て初めてそういうことに我々は気がついたわけだ。そういう問題が一つあるだろう。それからもう一つは、最も深刻な問題が表面に出ることを阻止するようないろいろな力が働いたのかなという感じもするわけだ。東京裁判等でも深く追及されなかったわけだし。あの裁判で人道に対する罪で裁かれた人は一人もいない。朝鮮人に対する迫害・強制などがナチスによるユダヤ人迫害のように人道に対する罪に該当するものではないかというところまではなかなか考えがおよばなかったということがあると思う。
 Dあの戦争で日本人は三百十万人以上の人が戦死し、たくさんの財産が失われた。しかしその陰にはそれを何倍も上回るような多くのアジアの人びとの犠牲ももたらしたということがある。日本人がいかにひどい目にあったのかということだけではなくて、日本の戦争でアジアの人びとがどんなにひどい目にあったのかということもみる必要がある。つまり全体として見なければ再発防止はできないと思うし、他のアジアの人びとと本当の信頼関係は築けないと思う。目を背けたくなる事実であってもきちんと学んでいくということが必要なんじゃないかと思う。――『従軍慰安婦のはなし 十代のあなたへのメッセージ』には、以上のような意味のことも書かれていた。私には、それらが印象に残った。
 日本は、「白人帝国主義からアジアの人々を解放する」(「大東亜共栄圏」をつくる=アジアの国ぐにを植民地にしている欧米を追いだし、日本がそれに代わって新しいブロックを作ろうとした構想。表向きは「東亜永遠の平和を作るため」といった)といい、じっさいには侵略の手をのばしていったのだ。――『従軍慰安婦のはなし 十代のあなたへのメッセージ』には、そういう意味のことも書かれていた。「日本人多数派」やマスコミは、ウソツキだ。ウソばかりついている。私たちは、そのことを忘れてはならない。私は、そう思う。
 日本では、多くの政党とすべてのマスコミが、天皇制を賛美している。マスコミは、天皇制賛美は、繰り返し繰り返し大きく載せる。だが、天皇制批判は、載せない。繰り返し繰り返し大きくは載せない。天皇制に反対する人たちのデモには、たくさんの右翼が押しかけて、暴力を振るう。警察は、それをまじめに規制はしていない。そして、市民を監視したり、デモ隊をつついたりしている。私の誤解でなければ、すべての政党、すべてのマスコミがそれを黙認している。日本は、本当に「民主主義国家」なのか。「民主主義国家」といえるのか。今の日本は、本当は「天皇制独裁国家」なのではないか。それがいいすぎなら、「天皇制独裁国家の残党たちが支配する国家」なのではないか。国際社会は、「天皇制独裁国家」そのものを解体しなかったことをいつか後悔する日が来るのではないか。『従軍慰安婦のはなし 十代のあなたへのメッセージ』を読んで、私はそんなことも考えた。「従軍慰安婦」にさせられた人たちのために、「強姦民族」の私に出来ることは何か。同時に、私はそんなことも考えた。
 この本は、良い本だ。ただ、二十ページには「天皇陛下」という言葉に、カギカッコがついていなかった。著者はつけ忘れただけかも知れないが、その言葉に、私は違和感を覚えた。
(2010年12月12日)


コラム
ガツンと一句!


 川柳がブームになっているという。第一生命が企画する「サラリーマン川柳」は広く知られたが、活動家の界隈でも、この流れに呼応する動きがあった。
 会員制の任意団体「レイバーネット日本」(以下・同会)が、毎年暮れに開催する「レイバーフェスタ」。映画やミニビデオ、ライブ演奏などが中心の文化祭に〇八年、初めて「川柳」というジャンルが取り入れられた。働けど生活できない「ワーキングプア」という言葉が定着しはじめた当時。会員有志が集まり、翌年には川柳班が結成された。映像でも音楽でもない表現活動が「ワーキングプア川柳」として結実した。
 川柳班は昨年十二月、句集「がつんと一句! ワーキングプア川柳」(同班編著)を出した。私も買ったものの、実は本棚に置いたまま。ところが昨年の「フェスタ」で報告記事を頼まれたため、あわてて読み始めたのだ。
 会員内外から数多の作品が寄せられた。川柳学会専務理事の尾藤一泉氏が選者として評した。本書には氏による川柳作法、十五項目に及ぶチェックポイントが収められている。その一部を挙げてみよう。
 「重語を避ける」とは、限られた字数のなかで無駄のない文章を書く基本。「作者の感想は句の背後に」、「押しつけは避ける」、「個人的断定は避ける」などは、とかく前面に強調されがちな自己主張へのけん制、戒めである。つまり、作者の主張は加えずに、鑑賞者にあれこれイメージを膨らませる空間を用意しろ、というわけだ。
 「他人の心理の代弁も独善」だ。他人の気持は他人にしか分からないのだから、それを勝手に想像して独断するな、というのである。さらに「人称代名詞も使うな」。句の上では作者自身も客観化され、「自か他か」までも読者が判断するのだという。作者がここまで謙虚に、抑制的になりながら、自身の思いを的確に読者に問いかけることが、川柳には求められるというのである。
 こうした説得力のある的確なマニュアルと、現代柳界の惨状を嘆き、冷静にそれを批判して改革への課題を提起する論文(高鶴礼子氏)が掲載されている。「さすがはプロフェッショナル!」と唸る他はあるまい。
 文芸による表現活動は、身体を張ったストライキや街頭闘争にくらべて低く、侮蔑的に見られてはいないか。私もかつて、集会に登場する余興を嫌悪した。「そんなことで世の中が変わるのか」と。だが今は違う。とても楽しみにしている。
 同会には新会員募集のための、「文化のないたたかいなんてありえない!」という冊子がある。書名は議論して決めた。会員のSさんはその巻頭に、文化活動の重要性を説いた一文を寄せている。表題は、「闘いは文化を生み、文化は闘いを進める」。至言である。    (隆)


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