「日の丸・君が代」強制処分にNO!
弁護士の会が違憲・違法
条例に反対するつどい |
【大阪】大阪市中央公会堂で九月一六日、日の丸・君が代強制処分条例に反対する弁護士の会主催のつどいが開かれ、豊下楢彦さん(関西学院大教授・国際政治学)が講演した。
講演に先立ち児玉憲夫さん(元大阪弁護士会会長)が主催者あいさつをし、「特定の考えを押しつけることは、憲法一九条により禁止されている。日の丸についてもそうだが、特に君が代については、戦争体験や被害とも関係し国民の間で大きく意見が分かれている。
憲法を勉強したはずの橋下知事には反省を求めたい。弁護士の会としては、条例反対の一〇〇〇名署名をめざして頑張りたい」とのべた。
最高裁判決をも
踏みにじる条例
続いて、笠松健一弁護士(弁護士の会事務局長)が府条例の解説をした。
六月三日大阪府議会は日の丸掲揚・君が代起立斉唱条例を可決した。起立斉唱を命ずる職務命令については、五月から六月にかけての一連の最高裁小法廷の判決により、思想及び良心の自由を保障する憲法一九条に違反するとはいえないとの判断がなされた。しかし、式典における国歌起立斉唱行為の是非については、国民の中に論議があり、起立斉唱をよしとしない者にまでこれを強制することは、その者の思想及び良心の自由を直接に侵害するものではないかとの疑義があり、この点については日本弁護士連合会も同様の批判をしている。
最高裁判決の法廷意見に賛成した裁判官の補足意見において、こと懲戒等不利益処分を課すことについては、当該職務命令の必要性、違反の程度、代替措置の有無、課せられた不利益処分の程度等を考慮しなければならず、その結果、裁量権の逸脱・濫用になる場合があることが指摘されている。条例により懲戒免職を含む処分を一律に課すことは、最高裁判決の趣旨からもはずれる。
さらに、大阪府教育基本条例で形式的に懲戒の基準を定めることは、大阪府教育委員会の人事権と市町村教育委員会の内申権を侵害し、地方教育行政組織法に違反する。懲戒処分を決定するのは、大阪府・大阪市・堺市の各教育委員会である。教育行政が地方自治体の教育委員会にゆだねられているのは、明治憲法下で中央政府が教育行政を管轄し、国家主義教育を中央集権的にすすめたことに対する反省からきている。
教育委員も
全員が反対
維新の会の職員基本条例案では、部長、次長級らの職員は任期付きとし、広く公募する。教育基本条例案でも、府立高校の正副校長は任期付き採用に切り替え、公募を前提に人材を登用し、人事権、教科書の採択権も与える。愛国心・伝統と文化を尊重する人材育成を基本に知事が教育目標を設定し、教育委員が目標実現の責務を果たさない場合は、罷免する。高校の学区を廃止し、府内全域とする。定数を三年連続で下回り、改善の見込みがない府立高校は統廃合する。府の職員全体に人事評価を実施し、二年連続D評価の職員は分限処分の対象とする。同一の職務命令に三回違反した職員は分限免職にする。職制、定数の改廃、予算の減少で余剰人員が生じたときは分限免職とする。
この案について、新しい動きも起きている。九月一六日、維新の会府議団と大阪府・府教委幹部との意見交換会が開かれ、議論は公開で計五時間にわたり展開された。条例案に猛反発する府・府教委側に対し維新側も反論し、議論は平行線をたどった。教育委員は全員が反対し、橋下知事がつれてきた景山委員(百マス先生で有名)も反対したという。笠松弁護士は、二条例案を提出させない闘いも不可能ではない、との見解を述べた。
続いて、豊下さんの講演に入った(別掲)。
米国「忠誠の誓い」
も強制ではない
この後、大阪府立教員から現場の報告があり、米国ミネソタ在住の薄井雅子さんが報告。米国では九・一一以来、愛国法による管理が厳しいが、それでも一八九二年以来公立学校で唱和することを義務付けられている「忠誠の誓い」ですら、教師・生徒に強制されないし罰則もない、国歌の歌い方や起立のやり方についての法律や罰則はないことを報告した。オバマが〇八年大統領選に立候補して、アイオワ州の集会で国歌演奏のときの写真は興味深かった。オバマは胸に手を当てず、両手を下に垂らして前で組んでいた。
最後に松元ヒロさんの山椒の辛みのように風刺の効いたコントで会場は爆笑に包まれ、府議会全会派に渡す強制反対のアピール文を採択して閉会した。(T・T)
豊下楢彦さんの報告から
天皇制国家主義による
「型はめ」手法の復活だ
条例は「奉安殿」
の役割を果たす
君が代起立斉唱条例(六月三日採決)は、その目的を伝統と文化の尊重・国を愛する意識の高揚をはかるとし、国歌の斉唱では起立して斉唱するものとしている。そして教育基本条例案では、三回違反すると直ちに免職としている。
東京高裁判決(六月一四日)での田原判事の反対意見では、起立行為は儀礼的だが、斉唱行為は歴史観・世界観と真っ向から対立する。端的に言って、「口パク」なら処罰するのか。先例として久留米市と町田市教育委員会の対応(二〇〇三年)がある。ここでは声量測定器を購入し、声量は大中小、あるいは指が三本入る大きさ、二本入る大きさとかで判定したという。
このような手法は、教育統制のシンボルである奉安殿の役割と同じだ。典型的な「型はめ」の手法だ。これが社会全体に拡大すると全体主義国家になる。大阪「君が代条例」はその本質において「奉安殿条例」と言うべきだ。NHK朝の連ドラ「おひさま」で「すべての学校に天皇・皇后の写真と教育勅語が安置された奉安殿がつくられた。その前を通るときには教師も生徒も深く礼をすることが義務付けられた。礼を忘れようものなら大変なことになった」という会話があった。子どもに希望を与える教育方針は危険思想であった。
「偏差値愛国心」
の下請徹底化
戦後の「型はめ」手法の復活は一九八五年。当時の高石邦男・文部省初等中等教育局長の「入学式・卒業式での国旗国歌の適切な取り扱いを徹底すること」(徹底通知)に始まる。「型はめ」によって「偏差値愛国心」が育てられる。国旗国歌法は一九九九年に成立するが、そのときは義務や罰則はなかった。
ところが、〇三年一〇月東京都教委は都立校全教職員に職務命令を出し、違反者を戒告処分にした。それに至る教育委員会の関係議事録では「形から入る」ことの重要性が強調されている。大阪「君が代条例」は、中央官庁の「型はめ」手法の下請け徹底化だ。
「型はめ」手法の最大の特徴は、ベクトルは専ら上から下へであり、上のものが問われることはない。だから高石は「日の丸局長」として全国に名を馳せた。ところが高石は一九八九年、文部次官の時リクルート事件に連座し逮捕された。愛国心の体現者のはずが、私利私欲で懲役二年六月の末路。同様の事態を象徴しているのが「マッカーサーへの手紙」である。一九四五年九月七日、上野文一・岐阜県議会議長は「元帥万歳、進駐御祝」という手紙を出した。当時、五〇万人の日本人がマッカーサーに手紙を出した。上野文一もわずか二、三週間前までは「鬼畜米英」「一億玉砕」といって県民を動員していたというのに。
園遊会事件(〇四年一〇月)でも似たことがあった。米長邦雄・都教育委員が、「日本中の学校で国旗掲揚・国歌斉唱をさせることが私の仕事」と天皇に言った。天皇は「強制でないことが望ましい」と。戦後を総括できない米長と総括した天皇明仁との対照が鮮烈だ。
天皇明仁は父親の戦争責任問題で悩んでいた「孤独の皇太子」だった。公式的に沖縄戦が終わったとされる六月二三日は今でも喪に服している。各地に「慰霊の旅」をし、サイパンでは韓国人戦没者の追悼塔にも黙祷した。「桓武天皇の生母は百済から来た」ことにふれ、即位に当たっては「憲法を遵守する」とも発言した。おそらく天皇主義者である橋下知事の立場で考えると、「君が代条例」は明らかに天皇の意思に反するといえる。なぜかといえば、彼の目的は、愛国心とは関係のない「管理強化」であり、その手段としての愛国心だからだ。
知事への忠誠
心強要条例だ
教育基本条例の六条に、「知事は高等学校教育で実現すべき目標を設定する」とある。六月二一日、維新の会大阪市議団は「自虐的でない教科書」の採択を要求した。この例から考えても、知事がこうした目標を設定したら、反対する教育委員や校長を処分することになる。
これを国家に当てはめ、首相が教育の目標を設定したらどうなるか。当然、教育内容は統制される。石原都知事は「新堕落論」の中で「教育勅語」を手本にするように言っている。これは奉安殿そのものだ。靖国問題では、参拝しないのは日本人ではないとも言っている。そうなると、七五年以来参拝していない天皇家は日本人ではないと言うことになる。
とにかく、伝統的保守派が避けてきた領域に突入することの危うさがある。知事や首相がかわれば教育内容も変わることの危険のために、伝統的保守派はここまでは踏み込まなかったのだ。二条例案は知事である自分に忠誠を誓うかどうかが問題になっている。手段としての愛国心、実態は忠誠心。現場には愛国心が「満ち溢れている」一方で、エリートたちは自己保身の権力闘争を繰り広げ、責任転嫁を続ける。まさに無責任構造そのものだ。
橋下知事の無責任の象徴たる「咲洲問題」。日経新聞(九月六日)によれば、府民に一二〇〇億円の負担を押しつけることになるという。一体この咲洲庁舎にどれだけの利権が動いたのだろうか。府に残ったらこのことを突かれるから逃げていくのだろう。彼のやり方はまさに中央官僚と同じやり方だ。エリートの「公民意識」の欠落と構造を問い詰めることこそが重要だ。(発言要旨、文責編集部)
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