ディーセントワークの実現
ストライキ武器に追求を確認
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有期規制への抵
抗打破る運動を
全労協11春闘討論集会が、十二月十八日午後一時半から五時まで東京の交通会館を会場に、全国から百二十人の労組活動家を結集して開催され、11春闘に臨む全労協の闘争方針、並びに、全職場でスト権を確立しストライキを配置するとした闘争態勢を確認した。全労協の11春闘はこの集会をもって動き出した。
集会は二部構成で進行した。第一部は、日本労働弁護団会長の宮里邦雄弁護士による「有期労働契約の法規制」と銘打たれた講演。 本紙でも既報したが(本紙10年9月20日号)、極めて貧弱な法規制しかないまま広げられ、権利保障がされず、したがって必然的に劣悪な労働条件を生み出している有期雇用契約に規制をかけるための法制手続きが、ようやく動き出した。規制の具体的法制化をめざす労政審労働条件分科会の審議がこの秋始まっている。スケジュールとしては、二〇一二年の通常国会へ法案提出が予定されている。
この規制を意味あるものとするために何が問題であり、どのような圧力が必要となるか、宮里弁護士はこれらの点を約一時間かけ解説した。ここでは法的な問題点の詳細は割愛するが、それ以外に強調された二つの点を紹介する。
一つは、経営側の抵抗が派遣法改正に対するもの以上に強くなること。有期契約は、そもそも派遣契約のほとんどが有期であるように、極めて広範な労働者に関わっている。厚労省調査では、有期契約労働者を七百五十一万人、雇用者総数の一四%としている(2009年)が、ある意味では、パートを含む非正規雇用労働者の大半が有期契約の下にあると言ってよい。つまり有期に規制が入るということは、資本にとってそれだけ打撃が大きい、ということを意味する。
案の定経営側は、第一回の労働条件分科会の審議冒頭から規制に反対し、法案化スケジュールを前提にすることにまで抵抗しているという。派遣法抜本改正運動を上回る運動をつくらなければならない、宮里弁護士はこう檄を飛ばした。
二点目は、本来的には、運動の力が現場で規制の実態を積み重ね、それが法制に反映される形が望ましい、ということ。たとえば、整理解雇四要件が労働契約法などに法制化された推移がそれに当たる。この間の労働運動後退によって、運動の力の弱さを立法化に依存することでカバーするという方向にややもすれば流れる状況が見られるがそれを逆転すべきだと、ここでも宮里弁護士は運動側に奮起を促した。
JALの整理解
雇への反撃共に
第二部はまさにこの日の本番、中岡全労協事務局長からの全労協春闘方針提起で始まり二時間をかけた春闘討論。中岡事務局長は、リーフレット化された春闘方針書に沿って情勢からスケジュールまで、「11春闘勝利!大幅賃上げを勝ち取り、ディーセントワークの実現を」を先頭とする七つのメインスローガンに集約された闘争の全体構図を提起、全体がそれを確認した。大衆行動の幕開けは、二月一日の11けんり春闘発足・決起集会となる。
次いで特別報告として、航空労組連絡会(航空連)事務局次長の和波宏明さんが登壇、日本航空による不当極まりない乗員指名解雇攻撃(十二月三十一日実施予定)に対する決起を報告し、支援を要請した。B七四七――四〇〇の機長である和波さんも、病気による長期の乗務不能期間(日本航空の乗務規定による)を理由に指名解雇対象者にされているという。
今回の指名解雇は、整理解雇四要件にまったく該当しないにもかかわらず、ただ「世間が納得しない」などという理由だけで強行される完全に不当なもの。ストライキ権確立投票への露骨な介入など不当労働行為にも目に余るものがある。過去の日航労務が常に財界の露払い的役割を果たしてきたという歴史的経緯を踏まえれば、今回の指名解雇が整理解雇四要件無効化として、全労働者に及ぶ効果をもつ危険もまさに現実のものだ。このように和波さんは訴えた。
さらに「病欠者を対象とした今回の整理解雇は、航空機運航の安全を脅かすものとして、外国からも重大な懸念が寄せられている」「先の不当労働行為を契機として、日航の乗務現場が再びものの言えない場になりつつある」と、安全の問題も強調された。
そしてこれらの問題故に、このリストラに反撃する航空連に対する支援の動きが急速に広がっていること、全労協を含む四百団体以上の結集の下に、十二月二十七日には支援共闘発足の記者会見を予定していることが報告された。
11春闘がまさにさまざまな闘いが噴出する中で展開されることを予感させるこの報告には、会場全体の連帯を込めた大きな拍手が送られた。これらの報告と提起を受け、十二の労働組合、各県全労協などから、生気ある闘争報告と決意表明が行われた。いずれも言いたいことを無理矢理はしょったことがありありと分かる、熱の入った発言が続いた。こうして、全労協春闘がストライキを始めとする大衆行動を何よりも突出させる形で展開されることを示したこの討論集会は、最後に団結ガンバローで全体の決意を確認して終了した。 (神谷)
コンサートでアルミ缶・古紙持ち去り禁止条例に反撃
スカイツリー再開発で貧乏人を殺す
な!ムシロ旗登場で盛り上がり最高潮
十二月十二日、浅草近くの山谷堀広場で墨田区のアルミ缶古紙持ち去り禁止条例に反対する連続企画の「渋さ知らズ大オーケストラ山谷堀コンサート」が行われた。連続企画は二回のデモ、シンポジウム、山谷労働者福祉会館における古本市などが行われたが、このコンサートで年内はいったん終了となる。
今回のコンサートは企画に賛同してくれた渋さ知らズのメンバーはじめ、多くの人々の協力で実現した。
当日は朝早くから山谷堀広場での会場設営や、山谷労働者福祉会館での屋台用のカレーや豚汁作りの作業に多くの人々が集まった。普段の共同炊事でのおなじみのメンバー以外にも久しぶりにあう顔、そして山谷は初めてという若者などがともに汗を流した。
カレーと豚汁は百円で販売されたほか、野宿の仲間にはアルミ缶十個で山谷銀行発行の地域通貨「百ワッショイ」(百円に相当)が交換され、それで食べることもできた。また、アルミ缶の買い取りも行われ、好評だった。
一時からはコンサートの前に墨田区のアルミ缶・古紙持ち去り禁止条例についてのミニシンポジウム。山谷労働者福祉会館の仲間の司会で、千葉大学の渋谷さん、ホームレス総合相談ネットワーク事務局長の信木さん、渋さ知らズ大オーケストラの伊達さんがそれぞれの立場から意見を述べた。
二時からはいよいよコンサート。一応ジャンルはジャズということになるだろうが、一般的に認識されているジャズという範疇には全く収まりきれないような圧倒的なパフォーマンス。かつてのサン・ラ・オーケストラの影響を受けているのは間違いないだろうが、全く別の進化をしている。
ダンサーは白塗りでいわゆる舞踏方面の人のようだ。ギターはジミヘンばりのロックギター。総勢二十五人編成という大所帯のバンド。
川の向こうには建設中のスカイツリーが見える。ライブの最後に「スカイツリー再開発で貧乏人を殺すな!」と大書きされたムシロ旗が会場の中央に登場すると会場の盛り上がりは最高潮に、バンドのメンバーとムシロ旗がともに演奏しながら会場を一周してフィナーレとなった。
赤字覚悟のイベントだったが、多くのカンパが集まり、なんとか小額の赤字ですみそうだ。
山谷では二十九日から四日の朝まで、今年も城北労働福祉センター前の路上を拠点に、越年越冬闘争が行われる。すでに多くのカンパ物資などが届き始めているが、今年は例年に比べお金のカンパが極端に少ない、越年越冬闘争に支援と協力そして圧倒的なカンパを。 (板)
STOP!無印良品キャンペーン
やったぞ、イスラエル出店計画中止
「無印良品」で知られる(株)良品企画は、二〇一〇年四月十二日にイスラエルへの出店計画を発表した。大阪では、五月から「パレスチナの平和を考える会」の人びとがパレスチナ占領を続けるイスラエルへの出店中止を求めて、「無印良品」店頭で署名を集め、その署名を店に届けるなどの活動を行ってきた。
東京でも「無印良品」への出店計画の中止を求める運動として、二〇一〇年十月にSTOP!無印良品 in 東京実行委員会がスタートし、オンラインサイトで「無印良品」への署名を集め、ツイッターでメッセージを広げる活動が進められた。
その中で十二月一日に(株)良品企画は、「経済的理由」によりイスラエルへの出店計画を中止と発表した。
十二月十二日、それでも「STOP!無印良品」の仲間たちは、「無印良品」有楽町店の前で「朗報 無印良品、イスラエル出店中止を発表! 出店計画の中止を歓迎します。しかし……」というチラシを撒きながら宣伝活動を行った。なおこの日夕刻、新宿でも「アーティスト・アゲンスト・オキュペーション(占領に反対するアーティスト)」の人びとが、ビルの壁にイスラエルのパレスチナ占領に抗議するメッセージを映し出す活動を行った。
十二月十七日には実行委員会が池袋の良品企画本社を訪れ、話し合いを行った。
同日夜、「STOPしたよ!無印良品 記者会見+報告集会」が開催された。集会では大阪の役重さん(パレスチナの平和を考える会)とスカイプで結びながら、今回のキャンペーンが成功した意義を語りあった。
田浪亜央江さんが運動の経過を説明し、オンライン署名を立ち上げた印鑰(やく)智哉さん、この運動に注目していたイル・コモンズさんらが発言した。(K)
コラム
ロシア革命の記憶
ある脳科学者は、記憶は予測のためにある、という。脳は二度目の失敗を避けるために予測しようとするが、その予測は過去の記憶から生まれるのだそうだ。
ロシア十月革命から九十三年も経つと、その記憶は当然のごとく失われ、気まぐれな記録の中にしか見いだすことはできなくなっている。たとえば、ソルジェニーツィンの小説の中では、十月革命前夜のことが次のように描かれている。
一九一七年、現在の暦で十一月七日にあたる旧暦十月二十五日の前夜、革命委員会がおかれていたスモルヌイ学院で枕を並べて仮眠をとろうとしていたレーニンとトロツキーが語り合っている。そこでふたりは「明日は大臣か絞首刑か」とつぶやいた、とされている。
思わず私は叫んでしまった。「なんという想像力の貧困! このふたりが、蜂起の前夜に自分たちの個人的な行く末を語ることなどありえない。ましてや大臣などと!」。
この大作家は、こと革命のことになると、想像力が極端に枯渇してしまうようだ。自身が流刑地に送られた過酷なスターリニズム体験が、革命の想像力を奪い取ってしまったにちがいない。
これにくらべると、アルトゥール・ローゼンベルクの次の叙述のほうが真実に近いように思われる。「レーニンとトロツキーは、十二時には無秩序な大暴動が起こることを察知したからこそ、十二時五分前にボリシェヴィキの蜂起を宣言して、十二時の巨大な出来事が彼らの指令によって生起したかのような印象を呼び起こした」。そのようにして、「ボリシェヴィキ革命」が「ロシアの分解」と「大虐殺と白色テロル」を食い止めた、というのである。
真実に近いと考えるのは、プロレタリアートの権力獲得の瞬間は、だれであれ恣意的につかむことはできず、遅すぎても早すぎても失敗するが、十月革命はまさにその瞬間をドンピシャリとつかんだからである。それは、マルクスをつうじて一八四八年以来の革命の記憶を吸収した結果ではあったが、このときボリシェヴィキには、たとえ勝利が約束されていないとしても、権力奪取に向かわないという選択肢はなかった。そうしなければ、悲惨な破局が現実のものになったからである。
ローゼンベルクは、次のようにも書いている。「マルクス主義は、いわば博学きわまる一冊の書物であるが、その最後の章は蜂起である」。なんとも言い得て妙な表現だ。
革命には、権力獲得の瞬間の一点を集中して見すえ、その瞬間を違えることのないようにするために常に意識的に準備するという側面がある。現在における革命は、準備、そして準備である。どれほどの時間がかかるかわからない準備の中には、プロレタリアートの階級闘争の記憶を吸収することが不可欠の仕事として含まれる。今は、そのための好機とさえいえる。
新しい年の初め、ロシア革命の記憶をさらに深く吸収すべく、私は、トロツキーの『ロシア革命史』を、また読み返してみたいと思う。 (岩)
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