| 中国 ある大学生の「工場潜入記」 かけはし2010.9.27号 |
最後の生存空間さえ奪う小工場自由を奪い管理だらけの大企業
2010年7月12日 |
初夏に中国で多発したストライキでは一九八〇年代、九〇年代生まれの若い労働者らの活躍が目立った。中華全国総工会の報告によると二〇〇九年時点で、出稼ぎ労働者は約一億五千万人、その六〇%が三十歳以下の若い労働者だという。中国において復活したのは資本主義だけではない。階級闘争も復活したといえるだろう。学生、インテリの多数派は支配階級の多数派イデオロギーの影響下にあるが、「調和ある社会」の掛け声と裏腹にある「激動の社会」の中国においては、労働者階級の側に立脚し、理解しようとする極少数の青年・学生も存在している。以下はそのような中国青年たちのオンラインコミュニティ「新青年」に転載された大学生による工場潜入記である。安全上、地名や人名などはあいまいにされている。 (H)
広東、深 、東莞、これらの地名はいつもよく聞いていた。なにしろ神秘的であこがれの地であったが、テレビや映画や雑誌などでしか知らなかった。この夏休みを利用して、複雑かつ憧憬の念を抱いてこの地に赴いた。
入社から退職
までの顛末
二日間の準備の後、僕ら三人は、×月×日に厚街赤嶺村にたどり着いた。午後いっぱい、赤嶺村をくまなく回ったが、自分に合うような仕事が見つからなかった。賃金が低かったり、未経験者お断りだったり。「緑洲」工場は、賃金もそれなりだったし、なにより未経験者を募集していたので、ちょうど良かった。だけど「緑洲」工場は大きな工場だったので、入社までにたくさんの手続き――一次試験、二次試験、健康診断――が必要で、そのうえ制服なども自分で買わなければならず、手続きに百元あまりかかることがわかった。結局、小さな工場を見つけて、未経験であることを隠して、紛れ込もうと決めた。
翌朝、僕らは靴工場に応募に行った。面接では、嘘がばれないかとドキドキだったけど、奇跡的に順調にことが運んだ。後になって、このときの募集責任者の女性も実は未経験者で、靴工場で働いたことがなかったということが分かった。だから僕たちのでたらめな回答でも大丈夫だったのだろう。次に二次試験のために課長の事務室へ行ったが、人手が不足していたことから、ここでの試験は省略された。こうして僕たちのとんだでたらめにも関わらず、何とかクリアーして、忠樺靴工場に入ることができた。工場の敷地は小さく、二棟の建物だけ。一棟は工員の宿舎と食堂。もう一棟が工場と倉庫に使われていた。工員は二百人余り。
午前中は面接などを行い、午後は写真二枚と身分証のコピーを渡して、契約書に記入して(会社が保管する分だけ)〔本来は労働者側にも一部渡すことが法律で定められている:訳注〕、寝室をあてがわれた。ここまでくればもう安心だ。次の日からは仕事が始まる。××日から正式に仕事に就いた。特別な研修訓練なんかいらない。実演をちょっとみればすぐに憶えられる仕事だ。
毎日ほとんど十二時間も働かなければならない。最初はとても耐えられないと思ったが、仕事が始まってしまうと、そんなことを考える余裕もなかった。まるで自分が機械の一部になったかのように、ずっと動きっぱなし。頭を使う必要もなく、反復作業をしていればよかった。
工場に入ったばかりの頃は、作業場でみんなよそよそしく、自分から話しかけて来る人もなく、分からないことを聞いても、できるだけ短く答えるだけで、まるで何か秘密をばらしてはいけないような雰囲気だった。寮の宿舎でも友達になれたのは一人だけだった。他の同室はみんな別の部門の人たちで、休憩時間も違う。彼らの退勤時間は十分早く、すぐにインターネットカフェに行ってしまうので、ほとんど会って話すこともできなかった。インターネットカフェから帰ってきても、インターネットゲームの話や出会い系サイトの話などばかりで、共通の話題もない。近づきやすかったのは、すこし年齢が上のおじさんくらいだった。
最初に彼らのうちの一人と共通の趣味の話題で盛り上がったのは囲碁についてだった。それからは、とても仲良くなり、一緒に囲碁を打ったり、ある話題について議論などもした。その後、別の労働者が強盗に遭った。僕は気前よくお金を貸し、彼が何とか難局を乗り切ることができるように支援、アドバイスしたことから、友達になることができた。
この状況は少しずつ好転した。最初、新人の僕は見下されていた。何もできないし、何でも人に聞いていたから。だけどすぐにたくさんの仕事を覚え、仕事にも比較的精を出していたことから、少しずつ僕のことを認めてくれるようになった。最後には課長が、僕のことを比較的正直だと思ったらしく、また高校を卒業しているということもあり(大学生という身分は隠してた)、班長助手になった。こうして他の人との付き合いも便利になった。この工場を辞めるまでに多くの同僚と仲良くなった。仲良くなってからは、何気ない世間話では遠慮なく話せた。〔本当は大学生であるという〕自分の身分に関する情報は隠さなければならなかったけど。
この工場の賃金は低い。みんな辞めたがっているが、簡単には辞めないように会社は賃金を一カ月遅らせて支給している。この一カ月分の賃金のために、みんな不本意にも会社に残っている。残業代も非常に低い。一時間当たり一・五元。だから、賃金コストを低く抑えるために、会社はなるべく残業を押し付けようとするので、みんなの不満は特に大きい。毎日夜十時まで残業することになる。職場では言い争いが絶えず、手が出るときもある。会社に対する不満のはけ口が同僚に向いている。
僕たちは同僚に法律知識を伝えることにした。退職もできるし、自分の力で賃金を取り戻すことができるということを知ってもらいたかった。しかし説得力がなかったのか、誰も僕たちの言うことを信頼しない。逆に、僕たちのほうが理解していないと言ってくる始末だった。だから僕たちは行動で手本を示した。僕たち三人は、順次仕事を辞めて、会社に賃金を支払わせたのだ。
先ず最初に女子学生から始めた。彼女は課長に対して退職すると伝えた。課長は当初許可せず、もし辞めるのであれば賃金はもらえない、それでもよければ自由にどうぞ、と言ってきた。彼女は午前中いっぱい課長に付きまとい、違法行為だ、訴えてやると事務所で大声で怒鳴ったりした。課長も仕方なく、退職を認めて賃金を支払った。
次の男子学生の場合はちょっと難しかったが、それでも成功した。女子学生が退職した日の夜、ある技術工が班長と言い争いになり、彼は他の同僚と一緒に仕事を辞めることを決めた。ちょうど僕たちも辞めることを考えていたので、かれらに合流することを決めた。そして次の日の朝、それを課長に伝えたが、課長は生産に影響が出るといって許可しなかった。技術工らは労働局に相談に行き、労働局から工場に電話が入った。「労働者たちは法律を知ってるようだ」と。こうして彼らも仕事を辞めることに成功した。
僕は、この事件の五、六日後、最後に辞めた。このときにはすでに多くの労働者が賃金を受け取って仕事を辞めていた。経営者は課長に「面倒な労働者は全部辞めさせてしまえ。応募してくる労働者はたくさんいるのだから」と言ったそうだ。だから僕が辞めるときには何の努力も要らなかった。
工場を辞めるとき、意外にも僕は寂しさを感じた。工場でたくさんの友人ができたからだ。辞めてからも調査をしたくて近所に数日滞在した。工場の友人たちは忙しい合間をぬったり、仕事をサボって会いにきてくれた。大きな成果ではないが、とても暖かく感じられた。
目的を持って深 にやってきたのだから、いろいろと考えることはある。それ以上に自分の理想の無力さを思い知る。しかし「労働者階級」「世界の工場」「生産ライン」といったイメージはますます具体的になり、自分が労働者の立場に立って物事を考えるようになっていることを突如として意識した。以下、自分の未熟な見解について記して見たいと思う。
「世界の工場」
の実態と現実
グローバル化の現在、中国にある大多数の工場は、疑いなく世界の労働者の役割を演じている。自社ブランドもなく、自社技術もなく、海外からの受注で生き長らえている。受注価格が高ければ高いほど利潤の割合は高まるのだが、現実は残酷だ。多くの工場は熾烈な競争にさらされ、受注価格を最低限度にまで引き下げざるを得ない。労働者から見れば、受注価格の低い工場というのは、他にも増して残酷な手段で労働者を搾取する工場に他ならない。
「労働契約法」の実施や金融危機が、小工場の最後の生存空間さえも押しのけてしまったかのようだ。工業団地では、昨日まで生産していた工場が今日には閉鎖されている――社長が夜逃げして!――という風景も珍しくない。労働者にとっては悪夢そのものだ!そういうときに必ず「経営者も生活できなくなった」という意見が出る。だが夜逃げした経営者は本当に生活できなくなったのか?これまで儲けをひねり出してきた工場が儲からなくなったのを見て放り投げてしまっただけなのではないか。そして労働者にどうしてカネを残してやらなければならんのだ、と考えた結果ではないのか。
もちろん、僕はある特定の資本家を責めたいわけではない。本当の資本家ならそういった選択もありえるからだ。――「資本は、頭から爪の先まで、あらゆる毛穴から血と汚物を滴らしつつこの世に生まれるのである」(『資本論』)。
僕はただたくさんの労働者の友人たちに次のことを理解してもらいたいと思っている。こっちの工場よりあっちの工場のほうがいいとか、この社長よりあの社長のほうが善良だということはないし、もし伝統的な道徳概念で資本家の良し悪しを測っていたら、最後に傷つくのは自分だということを。
労働者の多数を
構成する農民工
ここで言う労働者とは、農民工〔農村出身の労働者〕のことを指している。なぜなら請負生産をしている工場では農民工が圧倒的多数を占めるからだ。
工場で「労働者階級」「階級意識」を探そうとしても、結局は失望するのがオチだ。最も基本的な、そして労働者の利益にとって一番関係のある「労働契約法」でさえも知らない人が多いのだから。古びた宿舎の部屋には、ベッド、扇風機、照明だけしかない。コンセントすらないこともある。ドアのカギは壊れているので、盗難事件も多発する。
残業代も悲惨なほど低く(1・5元/時間)、毎日夜十時半まで残業させられ、ひどいときには夜中の一時や二時、徹夜の時だってある。賃金は一カ月遅れて支給される。職業病や労災を防止する措置は何もなく、素手でトルエン〔有機溶剤〕をつかって靴を磨かされる。吹き付けられる塗料が作業場全体に蔓延して息苦しくなる。労働者の怒りは充満しているが、はけ口はない。辞めたくても許可されない。「ここを辞めてもどうせ他で搾取されるだけだし」という考えも充満している。これが小工場の状況だ。僕らが調査した厚街赤嶺村では、ほとんどの小工場がこういった状況だ。
大工場の状況は若干違うようで、賃金も比較的高いし、一般的に労働契約法の基準に従っている。残業代も一・五倍で、週末勤務は二倍になり、繁忙期には給料が千五、六百元やそれ以上になるときもある。だから残業をもっとしたい人が多いようだ。だけど、高給には代償がある。大工場の管理はとても厳しく、生産効率も高いことから、労働者は自由がなく、仕事もとても疲れる。「工場には決まりが多く、毎日整列して朝礼を行う。朝早く起きないと食堂でも順番待ちの時間が長く、作業場には携帯電話をはじめ金属類は持ち込めず、作業中は姿勢を正して座っていなければならず、足を組むことは許されないし、会話もできない。トイレに行くにも許可が必要で、却下される場合もある。班長やリーダーは怖く、あら捜しをしては怒鳴りつけ、労働者は口ごたえできない。もし口答えしようものならクビになるかもしれない……」。まさに『モダンタイムズ』のワンシーンが現実のものになったかのようだ。総じて「大工場は高賃金で労働者の自由と尊厳を買い取る」かのようだ。
労働者には、搾取を拒否する権利はない。農村に帰っても展望などない。誰から搾取されるのか、どのように搾取されるのか―賃金か自由か―について選択できるだけだ。調査中に発見したことだが、比較的高齢(40歳前後)の労働者は上記のような劣悪な待遇を受け入れることができるようだ。彼らはもっと大変な経験をしてきたし、まだ農村に帰るという道も残されている。しかし時間とともに「第二世代の農民工」が歴史の舞台に登場しつつある。
かれらは親の世代とは異なり、違う人生経験による違う要求がある。工場で二十歳前後の労働者たちに、将来について聞いたところ、驚くくらい似通っていた。「考えたこともない」「何年か働いてから考える」。もしかしたらまだ親の庇護のもとにあって自立していないので、まだ将来のことなど考える必要はないのかもしれない。若干年齢の高い(22歳くらいの)ごく一部の労働者たちは、何年か働いてためたお金で小商いをやりたいとか、技術を学べる仕事に就けば少しはいい給料をもらえるとか、あるいは都市の生活に融合してコンピューターを勉強したいとか、管理者になりたいとかいう人もいた。つまり、ほとんどが農村に帰るとは考えていない。帰るとしても貯めたお金で市街地に住むという人ばかりだ。だがこの理想は実現可能なのだろうか。
富士康〔フォックスコン〕での連続飛び降り自殺がすでにそれに答えている。この飛び降り自殺について、多くの人が理解不可能だと考えている。九〇年代にはもっと劣悪な環境だったにもかかわらず親の世代はそれを我慢してきた。いまの第二世代農民工は我慢できない。だから「心理的な弱さ」云々という論評がでてくる。自殺した個人に対するいろいろな憶測をここではしたくない。僕は自殺した人たちの共通性を見出したい。いわゆるかれらの「心理的な弱さ」は社会的産物ではないのか、ということだ。この社会がかれらに理想を抱かせ、退路を絶ち、かれらの一切の展望の余地を奪ったことで、ある人は自ら命を絶ち、ある人は経営者を殺し、ある人は全く無関係の人の命を殺めた。そして大多数の人は本心をごまかして生きていく。
もし前の世代の農民工を本当の「農民工」と呼ぶのであれば、新世代の農民工は、農民の部分が消えつつあり、すでに「農民」へと回帰する退路もない。かれらは自らの知恵と腕を頼りに生存空間を切り開くしかない。
ホンダのストライ
キが与えた影響
われわれは労働者の現状から展望を見出すことはできない。それはただ将来の中から探し出すしかない。
労働者の展望は労働者自身にある。知識分子の無力な叫びは労働者階級の大海原においてはわずかの波紋をも呼び起こすことはできないが、時おり巻き起こる微々たるさざ波の中に、労働者の力が余すことなく示されることがある。――ホンダのストライキに、どれほどの知識分子が興奮してやまなかったか。
労働者、第二世代の農民工はもう沈黙を選択することはないだろう。なぜならかれらは自らの命運をその手に握っているからだ。なぜならかれらは権利は自らの闘争を通じて勝ち取るものだと理解し始めているからだ。「労働契約法」の実施は、労働者にとって良い教材となった。多くの労働者が法的手段を通じて会社と闘争し、得るべき賃金を勝ち取っている。だが資本は決して自ら武装を解除しない。利潤のために、かれらはさまざまな対抗措置を講じることだろう。そしていままさに粘り強い闘争において、労働者は闘争の真理を理解するだろう。そう、団結するということを。
これこそが、かれらの展望である。
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