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解放連帯「綱領草案」に対する評価(5)         かけはし2010.9.20号

綱領論議の立ち遅れは時期
尚早なのか主体の準備不足か

チェ・ヨンイク


もくじ

1、 評価に先立って
2、 革命戦略
3、 ロシア10月革命の教訓とスターリン主義国家に対する態度
4、 革命の教訓を綱領に実践的に盛りこむこと
5、 官僚主義の問題
6、 綱領の組織的側面―現場分会の思想
7、 移行綱領の問題
8、 綱領論議の道



8、 綱領論議の道


 解放連帯は「綱領草案」を提出するとともに、「(仮称)韓国社会主義労働者党綱領草案」という名前を付けた。これは、この「綱領草案」が1サークルの自己の立場発表のレベルを踏み越えた「共同の党綱領」作成のための手段として配置されていることを意味する。「党創建闘争」のための政治的手段として綱領論議を提起しているというわけだ。
 全的に妥当な問題意識だ。「現在」の南韓で必要な綱領は、もはや個別サークルの綱領ではない。これは個別サークルの綱領提示が不必要だという一般論から導き出されるものではない。歴史的見地からする時、個別サークルの綱領提示が運動それ自体の必要性から積極的に要求されたことがある。各サークル間の競争と論争は改良的社会主義と断絶するとともに、革命的社会主義が分離されて出てくる色調分化闘争の時期、そして革命的社会主義が自身の政治的成熟を図る初期局面には必要であったし、積極的かつ肯定的な意味を持った。
 けれども、その時期は既に過ぎ去ったか、少なくともその終わりを目前にしている。現在の時期は既に改良主義と断絶している革命的社会主義の諸傾向を1つの勢力として結合させ、また既に党創建闘争を日程に上せるに充分なほどに成熟した革命的社会主義の諸傾向を実質的な党創建闘争に呼び集めなければならない時期だ。
 このような時期に必要な綱領論議は、「共同の綱領創立」のための模索であり、「党創建闘争を政治的に陣頭指揮する共同の綱領」作成のための討論だ。万一、個別サークルの綱領創出が依然として意味があるとするならば、このような党創建闘争を本格化するための共同の綱領創出のための手段としての綱領提出だ。解放連帯が「綱領草案」を「(仮称)韓国社会主義労働者党綱領草案」という名称によって提出したのは、以上の問題意識を反映したものだろう。当然にも同意する。
 けれども、このような妥当な問題意識は、名称をどう付けるのかによって実現されるものではない。その問題意識にふさわしいやり方で「綱領論議」を実質的に組織することによって、解放連帯の「綱領草案」が党創建のための共同闘争の手段として「客観的」に承認され得るものではなければならない。私は、この側面から、解放連帯の「綱領草案」は充分な共感を導き出せてはいないと思う。この側面を鋭く分析することは、以降の党創建闘争を本格化するうえで、そしてこれと緊密に連結するやり方によって綱領論議を発展させる上で意味のあることだと思う。
 それと関連して、綱領論議の手段として解放連帯の主導下で発刊している綱領雑誌を検討してみよう。解放連帯は「綱領草案」提出と共に、〈社会主義綱領を討論しよう!〉という綱領論議のための雑誌を発行している。この雑誌は、その「形式」から見るならば、解放連帯の綱領機関誌の形式を取ってはいない。筆者は他の諸サークルにも開かれている。「(仮称)韓国社会主義労働者党綱領草案」と命名していた問題意識が、この雑誌にも宿っているのだ。不幸なことに、この雑誌は解放連帯が意図していた初期の目的を現在のところ、達成できていない。これは雑誌自らが明らかにしているところだ。

 「創刊準備号を発刊し、創刊号を準備しつつ編集委員会は、綱領討論を直ちに本格化するには社会主義運動が置かれている実際の状況が依然としていまだ充分ではないということを認識するに至った。社会主義者たちと各社会主義組織に寄稿を提案し、組織する過程で、我々は綱領討論の本格化のために突破しなければならない2つの地点を確認することができた。
 1つは今なお相当数の社会主義者たちが綱領討論に自信感をもって踏み出すには主体的準備状態が脆弱だ、ということだった。もう1つは常々、綱領討論の本格化を主張していた社会主義者たちの場合、いざその公論の場が開かれたにもかかわらず、それほど積極的に綱領討論に踏み出しはしない、という点だった。このうち特に後者は、綱領討論触発のために社会主義者たちが先導的な役割を果たさなければならない点に照らしてみる時、小宗派主義的で健康的とは言えない態度だと批判されて然るべきほどの問題だった。この2つのゆえに当初、計画していた月刊化は現実化できなかった」(〈社会主義綱領討論をしよう!〉創刊号)。

積極的な論議に
踏み出せない背景

 ここで雑誌の編集部は「相当数の社会主義者たちが綱領討論に自信感をもって踏み出すためには主体的準備状態が脆弱だということ」を一番目の弱点として論じている。ある程度は合っている。だがすべての社会主義者たちが1回で同一の歩調で党創建闘争に踏み出すことはできない。社会主義者たち全体を結集させるためには綱領討論を先導し、後進性を克服するように強制していく先進部位の役割が必須だ。どの国の社会主義運動であれ、このような先進部位の血のにじむ闘争を通じることなくして革命的社会主義の傾向が統一された綱領、ひいては名実兼ね備えた党創建闘争を手にしたことはない。
 その点から問題をより厳密に定式化するとするならば、現在の状況の核心は「依然として後進性に捕らわれており、党創建闘争の本格化のための綱領論議に消極的な相当数の社会主義者たちを強制して上に引きあげつつ主導的に綱領論議を触発させていく先進部位の役割」をどのように実現するのかに焦点が合わせられて然るべきだ。さらに鋭く定式化するならば、以下のように整理することができるだろう。「すでに大多数の革命的社会主義者たちは党創建闘争のための綱領論議に合流できる潜在力を備えている。ただし、これを前に立って先導し、綱領論議の空間を開き、この空間を党創建闘争に連結させることのできる主導勢力の不在のゆえに、これらの人々は充分な自信感をもって党綱領論議に合流できていないにすぎない」。
 万一、多数の社会主義者たちが綱領論議に合流できるだけの主体的成熟に到達できなかったならば、党綱領の論議は不可能であるか、時期尚早の試みとなるだろう。そうであるならば「(仮称)韓国社会主義労働者党綱領草案」という規定も当然にも時期尚早となるだろう。仮に譲って「相当数」の社会主義者たちが主体的に不充分な部分があるとしたとしても、これは大いなる悩みの種とはならない。
 いつ、どんな時であれ、「相当数」の社会主義たちは先進的社会主義者たちの主導性と決断、推進力によってのみ、はじめて死活のかかった任務に応えることができ、それなりの意味のある役割を時を違えず遂行できるということは、不変の法則であるからだ。
 そうであるならば今や我々は討論しなければならない問題の本当の核心に到達することとなる。「常々、綱領討論の本格化を主張していた社会主義者たちの場合、まさにその公論の場が開かれたにもかかわらず、それほど積極的に綱領討論に踏み出さない点」はなぜ発生し、いかに克服しなければならないのか? 私が思うには、これは解放連帯が自身の「意図」に適合した適切な「手段」を採択しないことによって発生している。
 仮にも我々が今、論議しているものが「党建設闘争としての綱領論議」であるならば、このために欠かすことのできない前提条件がある。この綱領論議は少数の理論家の理論論争に綱領論議という外皮をかぶらされるものとなってはならない。多数の社会主義革命家たちの党建設のための「実質的な結集の手段」であってこそ「社会主義労働者党」の綱領論議だと言うことができる。これは解放連帯も承知している。従って「(仮称)韓国社会主義労働者党綱領草案」という壮大(?)な表現を使わなければならなかった。

論争を触発しない
綱領雑誌のあり方

 ところで多数の社会主義革命家たちの党建設のための実質的な結集の手段であるためには、まず革命グループの充分な包括がなされなければならないし、次には革命的先進労働者たちの充分な結集があるのでなければならない。これは党創建闘争が本格化するために必要な論理的2つの段階であるにすぎず、重要性に照らしてみた2つの段階ではない。革命的社会主義者たちが結集してこそ革命的先進労働者たちの糾合がはじめて本格化できるという事業の順序だという脈絡から提示されているのであり、名実兼ね備えた労働者階級の革命政党という側面から見るならば、むしろ決定的な局面は「革命的先進労働者たち」を充分に糾合する局面だ。
 ところで解放連帯の綱領雑誌は、そのための適合した手段なのか。私は、そうではないと思う。万一、「党建設闘争としての綱領論議」のための手段としての綱領雑誌であるならば、それは主要な革命的社会主義諸グループの合意に立脚した「共同の綱領雑誌」とならなければならなかった。そして「共同の党創建闘争」に対する包括的な合意の下で配置される計画の重要な一部となるべきだった。そうしたときにのみ綱領論議は党創建闘争の政治的方向舵を決めるという観点から真剣かつ責任をもって進め、また綱領論議であるだけに重要な労働階級内での社会主義的共同実践との緊密な結合の中で進められ得た。後者は綱領論議、ひいては党建設闘争に先進活動家たちの積極的な関心と結合とを引き出すことがカギとなる要素だ。
 さらには、綱領雑誌は主要革命グループの指導者たちが共に参加する名実兼ね備えた「党建設闘争の政治的、理論的参謀部」が発刊する雑誌とならなければならなかった。そうして、まだ綱領論議に参加する自信感を持てない「相当数」の社会主義者たちまでも強烈に刺激し、さらには「革命的志向を持っている広範な先進的労働者の闘士たち」の関心と支持を獲得し、彼らに権威を持っているそのような綱領雑誌が誕生できたであろう。
 私は、解放連帯の綱領雑誌が以上の条件を充足させられないことによって、その意図とは違って社会主義者たちの綱領論議を触発し主導する役割を遂行できずにいると思う。ところで、ここにおいて問題は明確に設定する必要がある。〈社会主義綱領を討論しよう!〉において提起したように、「綱領論議のための公論の場が開かれ、綱領討論触発のために社会主義者たちの先導的な役割が必要だという自覚が広がった」のは事実だ。今、問題となっているのは、その「公論の場」を「いかなる手段で開くのか」と共に、これを革命的闘士たちの共同の党建設闘争の一部分として、「どのように配置するのか」だ。両者は互いに密接に連結して追求しなければ、いずれも成功できないのだ。
 まさに、これと関連した論議に着手し、真剣な討論を通じて共同の合意に到達することが必須だ。本人をはじめとし、社労連の同志たちが綱領雑誌〈社会主義綱領を討論しよう!〉に積極的な参加を拒否していたのも、まさにこの点ゆえだったのであり、「小宗派的」な態度のゆえでは断じてなかった。

「共同の実戦」と
共同の綱領委員会

 綱領雑誌〈社会主義綱領を討論しよう!〉は、もちろん韓国で社会主義綱領論議を触発する大切な媒体のうちの1つであることは明白だ。少数の理論家たち、同様に少数の先進活動家たちに、特に解放連帯の会員たちとその支持者たちにとってその雑誌は大切なものだろう。だが「(仮称)韓国社会主義労働者党綱領草案」と命名した、まさにその問題意識すなわち韓国の革命的社会主義の闘士たちを党建設闘争へ結集させ、その政治的方向舵としての綱領を作成していく、まさにその問題意識と関連して接近するならば、現在の〈社会主義綱領を討論しよう!〉の雑誌は、その問題意識にふさわしくない。
 その点については既に雑誌の編集者たちや解放連帯の同志たち自らが感じているだろう、と信じる。この「感じ」は社労連をはじめとする革命的社会主義者の同志たちに「小宗派的だ」という批判、ともに革命的志向を持っている先進労働者たちの主体的準備状態の不足に対する批判のような即自的、自足的な評価へとつながってはならない。それに代わり、「(仮称)韓国社会主義労働者党綱領草案」と命名した、まさにその問題意識に忠実に立脚し、自らを省みて自身の計画の弱点を克服する方向へと肯定的に浄化させなければならない。
 「共同の党建設闘争」と、これと連動した「共同の革命綱領作成」の流れを主導して積極的に参加し、このような実践と模索の結果として創造される「共同の革命綱領雑誌」、ひいては「共同の綱領委員会」へと前進していくことが正しい道だ。その過程でなされる「共同の実践」と「綱領論争」は革命綱領を支持する人々と、そうでない人々とを区分しぬくだろう。またそれは綱領論議を大衆化させ、先進活動家たちの主体的準備不足を埋めていきつつ、真の党建設闘争を率いる革命綱領を、すっくとうちたてぬけるだろう。その時、その成果を基盤として我々は(希望なのだが)共に「(仮称)韓国社会主義労働者党綱領草案」を提出できるだろう。
 これは、もはや主観的希望ではなく、多数の革命的社会主義者たちと革命的労働者たちによって裏打ちされる名実共に兼ね備えた党綱領作成のための偉大な出発となるであろう! その時期を早めるために、解放連帯の同志たち、そして〈社会主義綱領を討論しよう!〉の編集部と同志的に協同することができることを心から希望しつつ、そのようになるために最善の努力を尽くすことを約束する!        (了)


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