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サブサハラアフリカ  独立の50年が過ぎて(中)    かけはし2010.9.20号

「勝利するアフリカ」が民衆の未来を破壊する

大陸の新自由主義的再組織化とアフリカ人新資本家階級の突進
                            ジャン・ナンガ

アフリカ資本主義の「活気」

 新たな千年紀の開始以降、アフリカ連合(AU)―アフリカ統一機構(OAU)の灰から生まれた―に組織された諸国は、ワシントンコンセンサスの原理にしたがって書き上げられた、Nepadという共通の経済枠組をもつこととなった。とはいえワシントンコンセンサスそれ自体は、アジア危機によってすでに実質的に失格と判定されていた。こうして、前記アフリカ開発のモーターとしての役割は、主には西側多国籍企業の私的投資に任されている。後者は、Nepadのお披露目のためにダカール(セネガルの首都)に招待された。アフリカの支配者はこうして、帝国主義の資本に対する彼らの従属並びに大陸の新たな経済的分け取りへの癒着を、公式に認めた。
 しかし、ポスト植民地時代の最初の四十年に蓄積された資本に関して言えば、この時代は、構造調整政策を背景として私有化された元の公的な戦略産業という形における、多国籍企業に対する私的な弟分的連携相手として、より効果的な参加という希望と共にある。
 市場の自由化をもってアフリカの資本家は原理的に、西側の多国籍企業との競争に各国内で入り込む可能性を得た。確かに原理は、しばしば実体化されない。加えて、これらのアフリカ人たちは、元の公的企業を着服したり、いわゆる戦略的投資家の興味を特には引かなかった経済部門を支配したりする可能性をもっていた。このアフリカ人ブルジョアジーを構成する者は大部分が、以下の物事に共に責任がある者たちだ。つまり、資源浪費に、国家の公的契約のつけ回しに、並びに構造調整に際しての一要素である限界的公的債務の故に最初の新植民地期間の終局に寄与した他の犯罪的行為にだ。公的経済を犠牲にした資本の再生産あるいは資本の古典的原始蓄積、これらはアフリカの専売特許ではない。
 こうして何年もの間、外国の直接投資に加えて、一定のアフリカ人の私的経済活力がある。それは各国内投資、アフリカ内投資(サービス分野で36%、製造業分野で30%、農業で19%)の活力だ。新自由主義的汎アフリカ主義勢力の一つが主張するように、「アフリカにおける投資の三分の一はアフリカ人だ」(注9)。これらの投資のあるものは、フランスの総額と同じ程度までがアフリカ人のものだ。というのもそれらは、非アフリカ人の株主をも抱えた企業体だからだ。
 実際ある者は、それで余すところはないなどとは一切主張することなしにだが、マダガスカルとモザンビークにおけるモーリシャス人資本、ウガンダにおけるケニア人資本、アルジェリア、ナイジェリア、チュニジア、ジンバブエにおけるエジプト人資本、コートジボアール、ニジェール、ウガンダ、ルワンダにおけるリビア人資本、これらを心に留めている。アティジャリファワ銀行(モロッコ)とモロッコ外国貿易銀行は、アフリカ西海岸と中央部に進出中だ。それ自身汎アフリカ主義を宣言した商業・投資西アフリカ連邦会議所が一九八〇年代に生み出したものである、エコバンク・トランスナショナル株式会社(本拠、ロメ、トーゴの首都)は、現在アフリカ中の二十七カ国に存在している。
 躍動するこのアフリカ資本主義の中で、アパルトヘイト体制下で、またネルソン・マンデラの大統領期以降、黒人多数と一体化していた政府の権力への到達を利用して、こうして実現された蓄積の相続人である南アフリカ資本は、大陸的な指導部の位置についている。これは、アパルトヘイト体制に対して一九八〇年代に敵対的となった白人ブルジョアジーの開明的な分派が望んだものだ。ネルソン・マンデラの選出直後から二〇〇五年一杯まで、南アフリカ資本は、大陸におけるあらゆる伝統的な投資国をしのいだ(アメリカの約100億ドル、フランスの60億ドル、イギリスの45億ドルに対して、140億ドル)。
 その資本は、モーリシャスからモロッコまで、さまざまな部門に存在している。その部門は、鉱業のような南アフリカにとって有利な部門(南アフリカはコンゴ民主共和国と同じ程度によい条件にある)や、あるいは農業、醸造、港湾管理、電話通信、石油化学その他のようなそうでない部門にまたがっている。それは、帝国主義か亜帝国主義かというような、ポストアパルトヘイト南アフリカの大陸規模の地位に関する一つの論争が幕を開ける地点にまで達している。しかし南アフリカは資本を輸出しているだけではなく、主に銀行部門においてナイジェリアやケニアのような確かに発展の遅れている一定の諸国から来る資本のための主要な金融市場として、資本を受け入れてもいる―構造調整政策で傷を負った地域の諸国からの労働者に加えて―。

大陸を貫く失業の成長

 世界経済への参入のアフリカ的様式(主には中枢経済に対する原材料のまかない屋としての)は、経済危機の直接的衝撃のいくつかからアフリカを相対的にかばったように見える。それは、アフリカの参入が本当に弱かった金融部門から示された。そうであってもアフリカは、世界の他の地域と同様、この危機から免れたわけではなかった。原材料のまかない屋としてのこの大陸の役割は、資本主義中枢の生産下落によって、いくつかの原材料(銅、コバルト、コルタン、ダイヤモンド、錫、原油その他)に対する需要の減退という形で悪影響を受けた。そしてそれらの価格は二五%から五〇%下落している。実際原油の場合はそれ以上であり、二〇〇八年夏の一バレル当たり百四十ドルから二〇〇九年春には五十五ドルにまでなった。旅行業(例としてモーリシャス)のような、他の部門もまた悪影響を受けた。この危機の結果の一つとして、いくつかの国の外貨準備は重大な縮小となっている。
 こうして、十二年間にわたって持続的な平均的成長を経験してきたアフリカは、二〇〇九年にかなり著しい後退を経験した。その数字は、二〇〇七年の六%、二〇〇八年の五・一%の成長に対して、二・五%成長であり、一年以上(2008年前半期〜2009年前半期)に記録された中国の投資の増大(81%増)を考慮に入れたもっとも悲観的でない評価に従っている。アフリカ―アフリカ資本主義のテクノラートが語る―は、危機に対してよりうまく守られた日の終わりにあり、また二〇一〇年の成長予測に関しては、先進資本主義国の大陸よりもうまくそこから浮上した。
 しかしながら、資本家的観点から見た明らかな成長率の背後には、外国の投資家(大陸投資の高い収益に引きつけられた)や指導層(反対派を共に混在的に含む経済的、政治的事業家)の利益と対になる形で、構造的な不平等の発展がある。なぜならば、いわゆる新興経済諸国と各地の党派的多様性を現在かき乱しているその世界資本主義の階層構造に本質的な多様性があるとしても、現在の新自由主義的アフリカ資本主義は、労働者とアフリカ民衆の利益であれ、実のある社会的進歩であれ、それを代表しているとは見なされ得ないからだ。どこでもそうであるように、このアフリカ資本主義の蓄積は、国際研究機関がサブサハラアフリカ人口の平均五〇%と定めるほどの高い貧困率と、適合関係にある。
 成長は、賃金取得者(小さいか中間的な比率の)、小農(ほとんどが女性)、あるいは学業中にあるか失業者であるかの若者、私的企業が解雇した者たち、あるいは一般に民衆階級、これらの人びとの運命を改善しなかった。疑いなく、「勝利しつつあるアフリカ」―他の資本家と客観的に提携しているアフリカの資本家のそれ―があるとしても、それは、何よりもまず賃金を取得する労働者には反する位置にある。たとえばILOは二〇〇八年、危機以前に、「サブサハラアフリカの全労働者のおよそ五五%は、一日一ドルという貧困ラインを超えているとしても、家族とともに生きるに十分なものをいまだ得ていない。およそ八〇%は、一日二ドルを下回る水準で暮らしている…」と記述した(注10)。
 加えて、綿花、ゴム、紡織製品、その他の価格崩壊が、モロッコを挟んでベニンからタンザニアに至る地域の工場で、レイオフや工場閉鎖に導くこととなった。エジプトでは、二〇〇八年十月から二〇〇九年三月にかけて、十万人が一時解雇となった。ケニアでは二〇〇九年第一四半期だけで一万人。モロッコでは、六〇%が女性である紡織部門で一万三千人。南アフリカでは失業率が、二〇〇八年最終四半期での二一・九%から二〇〇九年第一四半期の二三・五%へと上昇、あるいは失業者数が三百八十七万人から四百十八万人へと増大した(注11)。こうしてもう一つの成長は、大陸(島々を含む)を貫く失業の成長だ。それは、二〇〇七年の三千八十万人から二〇〇九年の三千五百万人へと成長した。

新自由主義の新たな農業破壊

 勝利していないこのアフリカは、その上いくつかの食料品の価格上昇という代価を払っている。その上昇は危機に先立ちかつ危機と共に進んでいる。それは、植民地化以来組織され、ポスト植民地時代に継続的に発展してきた依存性の結果だ。たとえば、対外債務支払いのために食用作物を犠牲にした輸出優先を要求することによって、新自由主義的構造調整政策は、食料主権欠落の深刻化を手助けしている。そこには、一定の諸国の単一耕作によるさらなる結果としての、土壌の消耗が伴われている。これは、コートジボアールや隣り合うガーナの問題だ。そこでは、カカオの世界的生産の重要性が、植民地時代以来土壌消耗に帰結している。そしてそれこそ、すでにガーナやケニアで起きているように、農地をめぐる紛争の一要素だ。ダルフール(スーダン)では、新自由主義的集約農業が引き起こした土壌消耗が、戦争にまで至った危機の要素の一つだ(注12)。
 食料主権の欠落及び小農という状況は、さらに悪化しようとしている。部分的には、遺伝子操作種子を生産する多国籍企業、並びに農業の遺伝子遺産に対してそれに特許権を設定し私的に着服しようとする意図、これらが仕掛けている攻撃の故だ。
 さらに部分的には、アフリカの肥沃なかつ共有農地の国際農業資本、多国籍資本による私的着服によってだ。世界を自分たちだけで使おうとするこれらの資本の渇望は、四、五百年前の企業のそれに比べることができる。すでに、コートジボアールの肥沃な農地に対するカカオ多国籍資本による掌握、という問題が現にある。新自由主義的構造調整を背景に、共同所有原理に保護を与えてきた全国的な農地法令を、早くも、可能なものすべての商品化という原理に適合させることが必要とされたのだ。
 イギリス資本主義黎明期のエンクロージャー(囲い込み)(注13)を思い起こさせるこの農地の新植民地主義は、疑いなく、小規模な独立農民たちを、奴隷的かつ低賃金の労働者へと変えるだろう。そしてそれは、田舎における失業の成長、並びに掘っ立て小屋の町とルンペンプロレタリアート、つまり極端に安い労働予備軍を膨らませる都会への大量脱出を手助けするだろう。
 この人道的に非道な資本主義的論理の特別な犠牲者の中には、伝統的に森林で暮らしてきた人びとがいる。たとえば、中央アフリカからグレイトレイク、二つのコンゴを含むカメルーンからウガンダに至る八カ国にわたって広がっている狩猟民集団、いわゆる「ピグミー」の人びとだ。

問題は所有関係とその帰結

 こうして問題は、白人の南アフリカ農民のコンゴにおける存在が起こす問題ではない。あるいは、たとえば農産物の湾岸首長国への供給が引き起こす問題でもない。問題はそうではなく、それによって機能し始めている所有関係の問題―とはいえそこには、現南アフリカの形成に影響を及ぼした、ボーア人(オランダ系入植者の子孫、現在はアフリカーンスと自称)とユグノー(カルバン派キリスト新教、ボーア人が信仰し、その白人至上主義が後のアパルトヘイト体制につながっている)の歴史の再生産という危険はまったくない―であり、先住の人びとに対するその結果の問題なのだ。移住し、ある種の入植地を作り出さず、当地の労働者を搾取あるいは過剰搾取し、当地の小農と共に地域の食糧需要を満たすために生産し、農地を生態的に理解している、そのような白人の南アフリカ人や中国人の、またその他の農民は、それ自身では何の問題も起こしていない。
 これは、マダガスカルにおける韓国財閥傘下大宇ロジスティックの計画、あるいはバイオ燃料生産にアフリカ農業を向けさせる他の者たちの場合とは異なる。たとえばそれは、ブラジル投資・輸出推進局(Apex―Brasil)を通してブラジルがモーターの役割を演じている方向だ。それは、南―南経験交流との口実の下に行われている。それはまるでブラジルが、バイオ燃料や遺伝子操作種子の分野で悪い例ではなかったかのようだ。ブラジルはアフリカで、アメリカに次いで後者の販売をも促進している。
 それはあたかも、原油不足問題がもう一つの環境問題を生み出すことによって解決されるべきであるかのようだ。そしてそれこそ農業ビジネス―コートジボアールからジンバブエまでのアフリカの寡頭専制者によってすでに実践されている―が引き起こす結果の問題なのだ。そしてそれは、食糧不足に苦しめられているこの世界人口の重要な部分に関してはより犯罪的だ。そうであるが故に、問題は現在あるいは近い将来、食料生産の窮乏という分野で提起されるのではなく、利用可能な食料生産の分配、並びに世界農業の再組織化という分野で提起される。そしてそれが同時に、現在の浪費を回避し、将来の世代のための肥沃な農地を保存することとなるだろう。
 新植民地主義の五十年を経て、大陸の新自由主義的な資本主義の組織化は、そのもっとも有害な効果を継続的に蓄積することとして、いわば宿命を定めたように見える。こうして、地球温暖化の分野において、地球の主要な汚染者ではないアフリカは、スターリニスト陣営の政権によっておよそ五十年間模倣されてきた、資本主義の生産力主義と成長がもたらす結果に苦しむことになるだろう。IPCCによれば、「アフリカはもっとも脆弱な大陸の一つであることを新しい研究が確証した。それは、推測される影響の多様性、多くの負荷、そして適応能力の弱さのためだ」。しかしそのことは、アフリカの新自由主義的資本主義の徒党が「『グリーンビジネス』戦争のためのアフリカ戦略」を推進することを妨げていない(注14)。
(つづく)

注9)リオネル・ジンスー、「対アフリカ投資の三分の一以上はアフリカ人」、『ル・アフリク』2009年11月5―11日号。
注10)「理事長報告」、ILO第11回アフリカ地域会合(アジスアベバ、2007年4月)。
注11)これらの数字は登録された失業者のものであり、南アフリカの全失業を表すものではない。
注12)国連環境計画(UNEP)、「スーダン、紛争後の環境評価」(ナイロビ、2007年)もまた、ダルフール危機の要因の一つとして、集約農業と結果として起きた土壌消耗の関係を確証している。
注13)カール・マルクス、『資本論』第1巻第17章「農地からの農民の収用」参照。
注14)アフリカの金融雑誌、『ル・アフリク』は、コペンハーゲンサミットに合わせ2009年最終四半期に、数号にわたって、「グリーンビジネス」を後押しする特集を発行した。
(「インターナショナルビューポイント」2010年8月号)


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