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映評『キャタピラー』若松孝二監督/若松プロダクション                                     かけはし2010.9.20号

浮き彫りになった「お国のため」

「軍神」と妻が生きた現実


 今年ベルリン国際映画祭で寺島しのぶが銀熊賞(主演女優賞)を受賞して評判になった若松孝二監督の最新作である。映画の題名「キャタピラー」は、強引に人や物をなぎ倒しながら進んでいく戦車やブルドーザーのようなものを連想させる。「キャタピラー」には芋虫という意味もあるから、映画に出てくる四肢をなくした傷痍軍人、黒川久蔵のことを指しているのかも知れない。

中国戦線で傷痍
軍人となって

 この映画は、戦争の残酷さを、戦場ではなく傷痍軍人と妻の生活の中で描いている。
 一九四〇年村人の振る日の丸の小旗に送られて出征し、日中戦争に従軍した黒川久蔵は、一九四四年四肢がなくなって帰ってくる。久蔵をのせた黒塗りの軍用車が、新たな出征兵士を送り出す村人たちの行列の中に割ってはいる。車は一軒の農家の前で停車し、久蔵は兄や妹など家族に引き渡される。同伴の二人の軍人は、勲章を三つももらった久蔵は軍人の鑑であるとその武勲をたたえるのだった。床の間の畳の上に胴体と頭だけの体に軍服を着せられ軍帽をかぶった久蔵が、まるでダルマが置かれているかのように座っている。顔の皮膚は大きくただれている。久蔵をみた妹は、久藏の妻シゲ子を離縁させて実家に帰さなくてよかったと兄に話し、兄はシゲ子に、大変だがしっかり世話をしてくれねばならぬと言い聞かせるのだった。この何気ない会話に戦時中の世間というものがうまく描かれている。生きた軍神が実際にいたかどうかは知らないが、映画では久蔵は生きた軍神として帰還したのであった。シゲ子は、あまりにも変わり果てた久蔵の姿を見たときのショックのため錯乱し家を飛び出し、弟に連れ戻され、そこから軍神、久蔵との生活が始まる。

軍神とのセッ
クスを描いて

 久蔵は自らが軍神となったことに生きる気力の源泉を求め、妻を支配し排泄の世話をさせ、食欲や性欲をみたそうとするのであった。当時の時代のことだから、ダルマのようになった帰還兵の世話を断ることはもちろんできるわけはなかった。村の連中は、軍神となって帰ってきた久蔵に手を合わせ、シゲ子がすべて一人で世話をしていることをご苦労なことだと内心では思いながらも賞賛し、銃後の支えに活かそうとするのである。シゲ子の心は複雑であっただろう。このままどこまでも、それほど愛情を感じてこなかった久蔵の世話で一生を送るのかと思うと、呆然としたにちがいない。当時の社会の中で女性の地位は低く、結婚相手は親が決め、跡継ぎを生むことの他は、家事や家業の労働力であって、対等な人間としては扱ってもらえない非常に抑圧された存在であった。戦争が一層そういう社会関係を強化した。
映画で最初にびっくりしたのは、床の間がある座敷の布団に寝かせられ、片目だけを異常にギョロギョロさせている久蔵にシゲ子が近づいたとき、とっさに頭を起こしてシゲ子のもんぺの紐にかみついて離そうとしない久蔵の姿である。展開が意外で、しかもあまりにもリアルな描写なのだ。久蔵は妻の体を求めたのである。気乗りがしないにもかかわらず、いやいやもんぺを脱ぐ時のシゲ子の複雑な表情が印象的だった。
 もんぺを脱いで裸を見せるシゲ子、それを驚きの顔で見つめる久蔵。シゲ子は芋虫のような久蔵の上にまたがるようにしてセックスをしてやるのだった。そのとき、カメラは、床の間の上部に飾ってある天皇・皇后の写真とその下に置かれている三つの金鵄勲章、軍神の武勲をたたえる新聞記事のコピーをアップで映す。天皇・皇后の写真と金鵄勲章、新聞記事をアップで映すシーンは何度となく繰り返される。このシーンによって、「戦争はお国のため」というメッセージが繰り返し語られていく。軍神相手のシゲ子のセックスもお国のためということになるのであろう。戦時中は、お国のためという名目で、普通の成人男性(末期には18歳でも招集された)はどのような事情があってもお構いなしに、はがき一枚で戦争にかり出され、人間扱いはされなかった。銃後のものが不満を口にすることは、お国のために許されなかった。お国とは国家のこと、戦前戦中は詰まるところ天皇のことである。

よみがえる
戦時の体験

シゲ子にとって久蔵は夫というより軍神であった。また、出征前の生活では、子どもの産めないシゲ子は、役立たずと久蔵にののしられ、よく殴られていた。そのような夫婦の関係であったから、シゲ子が久蔵に愛情を感じることはあまりなかったに違いない。芋虫になって帰ってきたから、なおさらそのように感じていたであろう。久蔵はシゲ子の体を求め、シゲ子はその都度不承不承応じるのであった。しかし、この関係は次第に変化していく。ひとつは、久蔵の中国戦線での体験である。彼は戦火から逃げまどう中国の若い女性を強姦し殺害していたのだ。そのときの体験が妻との性行為のさなかにフラッシュバックしてしまい、セックスができなくなる。もうひとつは、シゲ子が久蔵の上に馬乗りになって久蔵の要求に応じているとき、以前久蔵にののしられ殴られていた記憶が突然よみがえってきて、シゲ子は久蔵の体を闇雲に殴りつけ悔しさをぶちまけるのであった。このような経過を経ながら、何となく久蔵とシゲ子の力関係が逆転していく。シゲ子は田んぼ仕事に行くときは、久蔵に軍服・軍帽を着せリヤカーにのせて出かけるようになる。帰ると、たまにご褒美としてセックスをしてあげるのだった。

何も知らされぬ
「銃後」の生活

 出征兵士を送り出す行列、村の神社の境内での国防婦人会の竹槍訓練、防火訓練と称して行うバケツリレーなどが時々行われ、農家でありながら米は戦争用に供出させられるので普段は食べることができないなど、戦時中の生活が映し出されるが、それでも農村の風景は至って静かで、のどかそのものなのだ。これも戦時の一面である。だから、よく見ないと銃後の生活では、本当の現実が見えなくなる。沖縄戦が始まって1ヶ月半ほどしたある日の大本営発表の内容が文字で映され、その背景におそらく米軍が撮ったであろう同じ時期の沖縄戦のニュース映画の映像が映される。勝った勝ったと文字で表現される内容と映像がまるで違っていて、観ているものは、大本営発表がいかにでたらめであったのかをたちまち理解するのだ。ウソを真のように発表する国家の異常さにあらためて驚かされるが、それにしても発表している大本営高級将校の精神構造はどうなっていたのであろうか。戦時中は、一部の人間を除いて、ほとんどがこの発表を信じこまされていたし、また疑問を持っていてもそれを口に出すことはできなかった。考えてみれば、本当に大変な社会であった。
 スクリーンに巨大なキノコ雲が立ち上り、玉音放送が流れる。皇居前で玉音放送に深く頭を下げる人々の映像を背景に、玉音放送の内容を口語訳した文章が写し出される。映像を背景とした文章という手法がこの映画の特徴だ。映画の中でいつもは赤い襦袢を着ていて、少し知的障害者のように見えた若者が、玉音放送を聞いて万歳万歳と村中を飛びまわり、野良仕事をしているシゲ子のところにも来て、万歳という。シゲ子もつられて、照れながら万歳という。この青年は、ひょっとしたら戦争の何たるかと戦争の将来を見抜いていて、徴兵を拒否していた人のように見える。一方の久蔵はその頃、家の外に這い出し、近くの池を目指して進んでいき、自らを池に落として自決するのだった。シゲ子も久蔵も戦争の犠牲者だ。

処刑された
BC級戦犯

 映画の最後は、お国のために絞首台にぶら下がるBC級戦犯の絞首刑の写真が写り、BC級戦犯で絞首刑になったものは九百八十四人、東京大空襲による死者十万人、広島原爆による死者十四万人、長崎原爆による死者七万人、アジアでの戦争による死者二千万人、第二次世界大戦による全体の死者は六千万人という数字が映し出される。
 ちなみに、太平洋戦争での死者は三百十万人といわれる。BC級戦犯の終身有期刑三千四百十三人のうち、植民地政策の下で日本軍人となった韓国・朝鮮人は百四十八人、台湾人百七十三人。BC級戦犯の絞首刑九百三十四人のうち、韓国・朝鮮人は二十三人、台湾人は二十六人である。第二次大戦といえばA級戦犯法廷である東京裁判をすぐ連想するが、ほとんど知られていないBC級戦犯法廷で、朝鮮・韓国人、台湾人兵士や軍属が短時間の法廷で弁明もできないまま、これほどたくさん死刑になっているのである。彼らにはほとんど何の責任もなかっただろうが、天皇の軍隊の責任を背負わされて死刑になった。
 しかし日本はいまだに戦後補償をきちんと終えていないし、北朝鮮に対してはいまだに戦後処理が何もできていず、平和条約が結ばれていないことを考えると、日本人としてしなければならない課題をあらためて痛感する。そしてまた、「国を守る」とはどんなことかを、都合のいいところだけを取り上げた抽象論・情緒論ではなく、この映画のようにとことんリアルに考えてみることが必要だ、今日のように抑止力の必要が叫ばれる世相では特にそうだと思う。映画は、元ちとせの唄う「死んだ女の子」のメロディーが流れる中で幕を閉じる。 (津山時生)



投書
9・5第17回統一マダン東京に参加して

SM

 九月五日、荒川区・旧真土小学校校庭で、「朝鮮半島の統一、民族の和解、平和なアジア、差別のない社会へ」を掲げる第十七回統一マダン東京が開催された。私は、初めて参加した。このイベントが「かけはし」の集会案内にも載っていたことや何かの集会でこのイベントのチラシをもらったことだけではなく、今年が韓国強制併合百年であることも、私の意識に影響を与えたかも知れない。
 イベントの会場は、前が舞台、真中がブルーシート(客席)、周囲が二十二の出店という配置だった。プログラムは、歌や踊りが中心という感じだった。東京朝鮮第一初中級学校の生徒さんたちによる朝鮮民族舞踏、日本国際テコンドー協会東京荒川支部のみなさんによるテコンドー演武、ミュージシャンの李政美(い ぢょんみ)さんによるミニ・コンサートなどもあった。話もあったが、後ろの方のブルーシートにすわっていたせいか、内容は頭に良く入らなかった。私の勉強不足や「障害」のせいもあるかも知れない。「植民地支配は終わったが、問題は何も解決していない。差別も続いている」。ただ、そういうようなことを発言者の一人が言っていたのは、印象に残った。
 第十七回統一マダン東京のプログラムには、6・15共同宣言実践日本地域委員会の議長で韓統連(在日韓国民主統一連合)の最高顧問である郭東儀(カク・トンイ)さんの次のようなメッセージが載っている。「今年は6・15共同宣言発表から10年を迎える記念すべき年です。6・15共同宣言実践民族共同委員会を中心に、6・15共同宣言を支持し統一を願う南北海外のすべての同胞が「わが民族同士」の理念のもと、力を合わせて、統一の新しい時代をきり開いていく覚悟です」。私は後で、本屋で、郭東儀さんの少し難しそうな『わが祖国統一論』(つげ書房新社)を見て、少し興味を覚えた。
 「プンムル(朝鮮半島の農村で行われる伝統的な民族音楽と舞踏)は、かっこいいな」。私は、そう思った。『歌よ、はばたけ!――韓国の民衆歌謡』とそのCDアルバム、李政美さんのCDアルバム「オギヤディヤ」を、貧乏なのに、ハイになって買ってしまった。その他に、メロン味のかき氷(150円)を食べて、済州(チェジュ)マッコリ(コップ1杯200円)を飲んだ。マダンくじ(1枚100円)は、イベントに協力する意味で購入した。会場には、ムグンファという韓国語教室の出店もあった。私は、韓国語教室に少し興味を覚えた。エンディングは、音楽に合わせて多くの人が肩を組んだりして、会場は一体となった。お金をたくさん使ってしまったので、悪いけどカンパはしなかった。帰りに会場を出たら、「スパルタシスト」を掲げて立っている人もいた。
 第十七回統一マダン東京は、とてもにぎやかなお祭りだった。参加して、朝鮮に少し触れたような感じがして新鮮だった。心が少しきれいになったような気がした。「左翼の集会」と比べると、女性の参加者が多いような気がした。第十七回統一マダン東京に参加して、私は「良かった」と思う。
 @韓国は、国家保安法を廃止するべきだ。日本は、北朝鮮に対する制裁をやめるべきだ。米軍基地は、日本にも韓国にもいらない。私は、そう思う。ただ、第十七回統一マダン東京では、私の誤解でなければ、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のことには何も触れていなかった。第十七回統一マダン東京は、北朝鮮のことをどう考えているのかな。こんなことを言うと嫌われちゃうかも知れないが、私はそう思った。
 A「東アジアリポート 朝鮮半島を読む」の第三百二十回(『サンデー毎日』2010年8月22日・29日合併号)で、石丸次郎さん(アジアプレス・インターナショナル)は、こう述べている。「神戸で子供を朝鮮学校に通わせている韓国籍の知人は、思想注入が心配にならないかと問うと、「大丈夫。北朝鮮一辺倒の授業にはうんざりさせられるけれど、政治や思想のことは家庭でしっかりとフォローできる。子供も外で情報を得るから分かっている。だが、やはり民族意識を涵養(かんよう)できる場として朝鮮学校は重要」と話した」(45ページ)。私は第十七回統一マダン東京に参加して、「民族意識を涵養出来る場として朝鮮学校は重要だ」という意見の正しさが良く分かったような気がする。私は、朝鮮学校を授業料無償化の対象から外すことには反対だ。
 『鬼哭啾啾(きこくしゅうしゅう) 「楽園」に帰還した私の家族』(解放出版社)で、日本学校でも朝鮮学校でもひどい目にあった体験について書いている辛淑玉(シン・スゴ)さんも、多分同じ意見なのではないか。私は、そう推測する。辛淑玉さん。間違っていたら、ごめんなさい。
 B李政美さんの「オギヤディヤ」という歌を聴いて、それから多くの参加者が歌に合わせて立って船をこぐまねをしているのを見て、私は田中麗奈(れな)さん主演の「がんばっていきまっしょい」(磯村一路(いつみち)監督作品/1998年/日本映画)の中の曲(リーチェさんの「オギヨディオラ」)のことを徐々に思い出した。
 ――第十七回統一マダン東京に参加して、私はこれらのことも考えた。九月五日は、とても有意義な一日だった。私は、そう思う。
 (2010年9月11日)


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