| 明るみに出された高齢者と家族の貧困、地域からの孤立 かけはし2010.9.13号 |
所在不明の満百歳以上の高齢者が全国で三百五十人もいる。敬老の日を前に長寿世界一の内実が問われることになった。
この「消えた高齢者」問題の背景には、貧困があり、家族に押し付けてきた福祉の弱さがある。
社会のあり方が
問われている
発端は、七月、百十一歳で、東京都内最高齢の男性とされた人が、娘家族が暮らす自宅で白骨化されて発見されたことだった。民生委員が面会を求めても家族は拒み、孫からの通報で三十年以上前に病死していたことが明らかになった。続いて、都内最高齢の百十三歳女性が、住民登録している都内に住んでいなかったことが判明した。長女と同居していることになっているのだが、その長女でさえ三十年以上会っておらず、弟と同居しているはずだと述べていた。しかし、その弟とは同居しておらず、百十三歳の女性の所在は不明のままである。
これらをきっかけに、全国の自治体が調査を始めたところ、一カ月のうちに多数の不明者がいることがわかった。百歳以上は全国で四万余名。不明者は一%弱、決して少なくない人数だ。そして、その半数が家族と同居していたことが、自治体関係者さえ驚かせた。
住民登録は、実際に居住していなければ、自治体の権限で消除している。選挙や税金の通知が届かない場合や、借家で次の居住者などからの通報があった際に、現地を調査している。家族が同居していれば、不明になることはありえないはずだった。さらに、家族の多くは行方を心配しながらも、捜索願も出していなかった。
不明者と同居していたとされる家族の多くは、二十年、三十年前から不明だと述べている。百歳になって突然不明になったわけではない。調査対象を九十歳、八十歳と下げていけば、もっと多くの不明者がいることは容易に想像できる。家族と同居しているはずの高齢者が行方不明となっており、家族や社会のあり方が問われる根の深い問題だ。
身元も判明せず
亡くなる人々
では、消えた高齢者はどこにいるのだろうか。氏名や本籍が不明なまま、どこかの高齢者施設で暮らしている人もいるかもしれない。しかし、きわめて稀な例だろう。収入もない高齢者が何十年も一人で生活していると思えない。すでに亡くなっていると考えるのが自然だ。家族がその死を隠し、自宅で白骨化している例も、数件報道されている。そうした例は、もう少し増えるかもしれない。だが、ほとんどは身元不明者として亡くなっているのだろう。
他人に看取られることなく亡くなる人は毎年三万人を超え、そのうち、千人は身元が判明していないという。行旅死亡人として名前も戸籍もわからないまま、火葬されている。そうした人が、消えた高齢者となっているのだろう。行旅死亡人は、官報に告示され、発見の場所や、身体の特徴、所持品などが簡単に記される。多くが五十代以上の男性で、所持金はほとんどない。路上生活で病死したり、溺死や縊死など自殺と想像されるものが多い。自宅で普通に生活して亡くなっても、親族などがおらず本人と確認できなければ、身元不明と扱われることもある。
高齢者介護に
追い詰められ
不明となった高齢者はどのように、家族と離れたのだろうか。認知症がひどく散歩から戻れなかったのかもしれない。家族との不和に耐えかねて、家出したのかもしれない。それは、本人にしかわからないことだ。しかし、私のわずかの経験では、家族が高齢者を支えきれなくなったからだと思う。
高齢者を抱える家族で、収入が少なかったり、介護が必要だと不和を抱えることが多い。福祉事務所には、高齢で収入がない親族を助けてくれという相談がけっこうある。しかし、生活保護は家族を単位としているので、同居の子どもに一定の収入や貯金があれば受給はできない。制度は、家族で助け合えというのだ。しかし、現実はそのとおりにはいかない。家を出るにはどうしたらよいかという相談もある。家族とケンカし、荷物を持って出てきたという高齢者もいた。家族と同居しているために、生活が行き詰まり、気持ちも煮詰まってしまうのだ。
二〇〇五年、高齢者虐待防止法ができて、暴力や介護放棄、経済的搾取(子が親の年金を使ってしまうこと)などがある場合は、高齢者施設で保護する体制も整備されてきた。だが、その数は少ないので、生命の危険が迫っていないと判断されれば、保護されない場合もある。また、制度があっても、当事者が知らなければ利用もできない。
「年金不正受給」
その背景に何が
さて、年金の不正受給にも触れよう。発端となった事件のほかにも、白骨化した親の遺体を自宅に置いたまま、死亡した親の年金を受給していた事件が数件報道されており、子が詐欺容疑で逮捕されている。
計画的だったら、かなり悪質だが、いつかばれるようなことを計画するだろうか。親が亡くなったときに、どうしてよいのか判らなかったのだろう。いずれも自宅で病死している。亡くなる以前に医療機関や介護事業所とのかかわりがあれば、発見は早かっただろう。相談できる人もおらず、判らないまま放置してしまったのではないか。
親の介護のため仕事を辞めた場合、多くは親の年金や資産で生活している。その年金がなくなれば生活に行き詰まる。親が亡くなってから再就職しようにも、自分も年齢が高くなり、空白期間も長くなり、簡単ではない。ずるずると年金を受け取っていたのが真相に近いのではないだろうか。
消えた高齢者問題で浮かびあがったのは、高齢者やそれを支える家族の孤立であり、近隣との断絶である。日常の付き合いはあっても、家族の問題は相談できなかった。多くの人が家族の崩壊というが、日本の社会福祉はその役割を家族に押し付けてきたのではないか。その家族の構成員が、高齢者を支えるだけの収入も得られなくなっている。
しかし、昨日今日の問題ではない。発端となった二つの例は三十年前に起きたことが、今になってようやく明らかになったに過ぎないのだ。
コラム
「ビア・ガーデン」
九月に入ったというのに連日三十五度を超すうだるような猛暑が続いている。そんな中、先日、涼を求めたわけではないが割引券が手に入ったという言葉に誘われて友人と都心のビア・ガーデンに出掛けた。郊外や高原にある地ビール工場のビア・ガーデンに入ったことはあるが、都会のデパートやホテルの屋上に設置された「古典的ビア・ガーデン」は二十数年ぶり。今や夜景を眺めながらアルコールや食事を摂ることができるラウンジが主流となり、それに比例して都会のビア・ガーデンは最盛期の十分の一に減っているらしい。
どこに行っても冷房が利いている時代に、よりによってビルから排出される温風の真っ只中でビールを飲む必要はないというのが素直な意見だろう。実際私も同じ気持ちであった。しかし日が暮れ眼下に夜景が広がるビルの屋上は、地上十階を超えているせいか思いの他涼しい。しかもその雰囲気は、かつて私が知っていたのとはまるで違っていた。あくまでも屋外であることを強調するかのようにそこここに樹木が配置されており、「居酒屋」的な騒々しさはまるでない。さらにびっくりしたのは、客の多数が若いカップルと女性が占めていることであった。これは午後八時になっても閉店が迫る時間帯でも変わらなかった。
飲み始めて気付いたが、この客層を引き付けているのは新たなメニュー群である。依然として人気の枝豆は別として、メニューの軸は次の三つ。第一は有機野菜が売りのサラダ。なかでもオーダーが多いのは大根、人参、キュウリなどのスティックでどのテーブルの上にも置かれている。第二は「食欲増進にピッタリ」と書かれた激辛メニュー。マーボー豆腐、トムヤンクン、数種類のカレー料理などが並ぶ。第三は「夏こそスタミナ」の鍋メニュー。海鮮チゲに始まり、豆乳鍋、シャブシャブ、なんとコラーゲン入り野菜鍋まである。かつての定番、焼き鳥や鶏の唐揚げは完全にメニューの隅に追いやられている。びっくりしたのはこれだけではない。多くのテーブルの上にジョッキではなくビールの小瓶が並んでいたことである。聞くと今流行の「ノンアルコールビール」とのこと。ここまでくるとビア・ガーデンというよりオープン・カフェかレストランに近い。
帰ろうと席を立つとマネージャーらしい年配の人が近づいてきて友人に「しばらく」とあいさつをした。彼こそ「割引券」をくれた本人。「九月に入ったら樹々の下から虫の声でも流そうと思っています。昼はお客さんは全く来ません。夜の四時間が勝負です。満杯になるのは花火がある時だけ。暑過ぎるとお客さんは来ないし、秋が来れば店仕舞いです。矛盾してますよね」「二十年間夏の暑い時期はここが仕事場でしたが、今年で終わりです。三月に定年退職です」。猛暑と格闘し職場を守ってきたという気概が伝わってきた。「暑さ寒さも彼岸まで」というからこの暑さももう少しの我慢だろう。 (武)
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