九月四日、岩手県一関市で生後八カ月の乳児が夜間救急病院での診療を断られ、命を落した。このやりきれない事件の背景には不採算部門として小児医療が切り捨てられてきた現実がある。
厚生労働省は、全国三百六十の医療圏すべてで、小児救急医療体制を確立するとしてきたが、現在まで実現されたのはわずかに七十四医療圏にとどまっている。朝日新聞は「小児科医の数は頭打ち、抜本的解決策はない」と報道した。そんなことはない。国は不採算部門と分かっていながら何ら財政措置もとってはいない。国には至急小児救急医療を整備する責任がある。それにもかかわらず、国は地域小児医療の中核病院である国立療養所を閉鎖しようとしている。
「文藝春秋」十月号では「国公立病院を民営化せよ」というテーマで対談が行われ、「民間にやらせておいた方が一番経済合理性のある行動をとる可能性がある」などと語られている。まさに「経済合理性」に従ったからこそおきた小児救急医療体制の不備が、今回の事件の根本原因である。命に直結する医療は本来公共サービスとして提供されるべきものである。国は公共サービスとしての小児救急医療体制整備せよ!
今年四月一日、医療費の二・七%削減という政治目的を達成するために診療報酬体系が改悪された。日本の医療は、これまでも歪んだ診療報酬制度のため、良い医療を提供しようとする病院ほど経営が苦しくなる矛盾した状況の中におかれていた。医師、看護士の技術料は極端に安く、検査・投薬が高い診療報酬体系は、無駄な検査・投薬の生み出す温床である。
この歪んだ診療報酬体系のため、小児医療は不採算部門となり切り捨てられてきたのである。例えば、子どもは症状をうまく説明できないことが多く、まして話すことの出来ない乳児の診察は時間がかかり高度の熟練が要求される。成人なら簡単な検査でも小児は大変である。心電図をとるだけでも怖がってふるえたりすると正しいデータが取れないので大人の数倍の時間と人手がかかる。薬剤も薬剤師が少量を注意深く調剤し分包する。錠剤を渡せばすむ成人の数倍の手間がかかる。
しかし病院の収入は薬の量で算定されるので、乳児の場合は成人の十分の一になってしまう。一関の事件でも嘔吐・下痢による脱水を改善するために点滴が必要だったのだろうが、痛がる乳児に点滴をするのは成人の数倍の人手と熟練が必要となる。針を入れるのに失敗したら針代はすべて病院の持ち出しになる。ところが点滴する薬の量はごく少量なので、失敗が続くと点滴しても病院は赤字になってしまう。医療機器・器具も小児用に体に合わせ数種類準備しておかなければならない。
現在病院はどこでもベッドの回転率を上げようと必死になっている。ところが、小児科は季節で入院数が大きく変動することが多く、また麻疹など感染症が多いため隔離の必要があり、成人ほど効率的にベッドを回転させることが出来ない。
このように、小児医療は成人に比べ多くの人手と時間と設備を必要とする。しかし収入は内科や整形外科の五〇%にしかならない。熱心にやろうとすればどうしても赤字になってしまう構造になっている。
また小児科医の過酷な勤務実態が医学生に広く知れ渡り、小児科医のなり手がいないという事態が起きている。そのため、需要はあるのに小児科医がおらず小児科を閉鎖する病院が増えている。特に過疎地での小児科医の不足は深刻である。青森県は、九九年、〇〇年と乳児死亡率が全国一となった。その原因は「新生児専門の小児科医の不足」と県の担当者も認めている。県は医師を確保しようと必死になっているが、充足はいまだ出来ていない。
このように小児医療は、崩壊の瀬戸際にたたされている。国は小児医療に責任をもたなければならない。
先にもふれたが「文藝春秋」十月号で、精神科医・和田秀樹と河北総合病院理事長・河北博文が「国公立病院を民営化せよ 医療こそ最後に残された護送船団方式の聖域だ」というタイトルで対談している。そこで河北は、「都立病院への五百億円の補助金」を槍玉にあげ、「都立病院は年間五百億円の補助金(税金)で赤字を穴埋めされている」と述べる。そして、都立病院に入院する人だけが「五百億円の税金の恩恵によくするのはおかしい」「公金として五百億円をつかうならヴァウチャー(引換券)のような形で、どこの病院に入院したかを問わず、百五十万人(東京都の年間入院数)に医療費の一部を補填する方がよっぽどいい」と主張している。
これを受けて和田は「赤字は税金で穴埋めしてもらえるのですから経営効率など考える必要がない。これでは、競争原理が働かず、医療の質やサービスが向上するわけがありません」などと言っている。「文藝春秋」にふさわしい、身勝手で痛みを持つ人への創造力を欠いた論理である。
河北は「赤字が五百億円出ていて、それは都立病院の経営効率が悪いからだ」と印象づけようとしている。ところが和田は先に引用した発言の前に「東京じゃ理想の民間病院を作ろうとしても、とても採算が合わない」などといっている。つまり、河北も和田も現在の診療報酬体系ではとてもまともに医療をやっていたら経営できないことを認めているのである。
「理想の医療をやると経営が成り立たないのは、国の極端な医療費抑制政策にある。この政策が続けられれば日本の医療は崩壊してしまう」ということを、東京都病院協会会長でもある河北はまず言うべきである。日本の医療費抑制は世界一なのである。しかし結局のところ河北が言いたいのは、「都立病院ばかり補助金をもらってずるい」ということである。河北は都の補助金は市場と競争を阻害するといいたいのだ。市場と競争に医療をゆだねるとどうなるかは前章で見たとおりである。不採算部門は容赦なく切り捨てられ、地域的・経済的不平等は拡大する。
「それにしても赤字が多すぎるのではないか」と思われる方がいるかもしれない。「赤字五百億円」は九九年度の補助金額五百七億円を根拠にしているのだろうが、この年は、豊島病院の開設などで補助金額が一時的に増加した年である。石原もこれを取り上げ「二〇%削れ」などむちゃくちゃなことを言っている。ちなみに通常は一般会計からの補助は四百二十億前後である。
「それでも、そんなに」と思われた方、現在の歪んだ診療報酬体系の下であこぎなことをせず(何万円もする個室を作ったり、熱が出た時の氷枕の氷を売ったり)、不採算医療を担い、職員にまともな給料を払えばこうなるのである。実は都立病院は、他の自治体病院と比べると収益率が高いのである。石原都政になってから、入院期間を短縮するために治療半ばの患者さんを転院させたりして自治体病院としての使命を全うしていないがための「高収益」の可能性が高い。地域小児医療の拠点病院である母子保健院の廃止攻撃はその象徴である。
ここで河北は「ヴァウチャー」をとりあげている。ヴァウチャー(引換券)とは医療・福祉などを民営化しようとするとき出てくる方式の一つである。
医療・福祉などを民営化しようとする時、よく使われる手段が二つある。一つはPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアチブ)、何かというと土建業界で言うところの「丸投げ」である。もう一つがヴァウチャー制度である。
実はこれは非常に問題のある制度である。公的福祉・医療サービスが守られていれば、国・地方自治体はサービス内容について最終的責任をとらなければいけない。これを現物給付という。これにたいしてヴァウチャー制度の場合は補助金方式になる。
ちょっと見れば、現物給付であろうが補助金方式であろうが変わりがないと思われるかもしれない。しかし現実は大違いである。現在医療は現物給付であるが、介護保険は補助金制度なのである。つまり、介護保険ではサービスに不満があっても、自治体は知らん顔が出来る。なぜなら、どこのサービスを買うかは消費者の自由だからである。
したがってヴァウチャー制度の医療への導入は、介護保険と同じく国・地方自治体の責任放棄に直結する。費用の一部を保障すればよいのなら、一関の事件も「小児科医がいないのは残念でした」で済まされてしまうことになる。医療へのヴァウチャー制度の導入は、金のあるなしで受ける医療が違う、貧富の差が生存率に直結する社会を生み出す。さすが「文藝春秋」よくぞ言ってくれたと、多国籍資本は言うかもしれない。しかし、こんなことを許すわけにはいかない。
小泉政権が規制緩和の突破口と位置づける「構造改革特区構想」。これは、特定の地域で、自治体の責任のもと規制緩和を先行して実施する危険なものだ。医療関連では二十五のプランがあがっている。河北が理事長を務める河北病院も「丸の内国際医療特区」として名乗りをあげている。概要では「外国人医師の参入、混合診療、株式会社の医療参入」「高度先進医療に関する規制の特例」により「医療の選択肢の拡大を図る」としている。
このプランは、ブルジョアジーが日本の医療をどうしようともくろんでいるのかを知る一つの手がかりになる。「混合診療」とは、「最低限の治療は保険で、それ以上を望むなら個人の負担で」という二階建て医療のことである。これが実施されれば当然、一階の保険部分は限りなく貧弱なものになることは明らかだ。つまり経済格差により受けられる治療に差が出るのだ。医療特区で構想されているのは経済的不平等が命に直結する社会である。こんなことを実現させるわけにはいかない。
現在は郵政ばかりでなく公的サービスの民営化論がかまびすしい。しかし、基本的人権に関る部分を民営化にゆだねることは十九世紀的水準に後退することである。現在、政府は医療サービスを削減したい一心で無法なことを行っている。例えば、麻疹の予防接種は勧奨摂取とされてしまっている。そのため、日本は麻疹を防ぐワクチンの製造技術も接種体制もありながら各地で麻疹の流行を発生させている。これは人災である。このように医療・福祉における状況はあまりにも悲惨である。今ある公共サービスは最低限なんとしても守り抜かなければならない。
人は生まれながらにして人らしく生きる権利をもっている。医療・福祉の民営化はこの権利を抹殺するものでしかない。
全国の医療労働者のみんなへ。使命感だけで長時間労働に耐えるのはもう止めよう。いつでも現場はこんな具合に長時間労働をせざるをえない。民間の人はもっと働かされているだろう。効率化?だって。こんな、底辺に向かった競争はもうたくさんだ。
母子保健院をまもれ! 都立病院民営化阻止! そのとおり。だけど、都立病院に働く半分ぐらいの人はすでに民間委託になっている。PFIが実施され、すでに半分民営化が達成しているわけだ。でも今からでも遅くはない、都労連指導部の人たちよ、民間委託された労働者も含めて運動をはじめよう。病院支部の心ある人々よ、今すぐともに闘いをはじめよう。
(9月30日 矢野 薫) |