かけはし重要記事

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イラクへの戦争を止めるために           かけはし2002.10.21号より

市民緊急行動が反戦集会

「9・11」遺族の市民団体「ピースフルトゥモローズ」の仲間を迎えて

 十月十一日、昨年アメリカで起きた「9・11テロ」の遺族たちが「家族を失った自分たちの悲しみをアフガニスタンの人々にも味わってほしくない」という思いで結成した市民団体「ピースフル・トゥモローズ」のライアン・アマンドソンさんを迎えて、東京で反戦市民集会が開かれた。
 主催は、「テロにも報復戦争にも反対!市民緊急行動」に代わって結成された「戦争反対、有事法案を廃案に!市民緊急行動」。会場の総評会館には百一人の市民が集まり、兄をテロで失ったアマンドソンさん(24)の訴えを聞いて、ブッシュ政権が強行しようとしているイラクへの侵略戦争と小泉政権による有事立法に反対する決意を新たにした。
 集会では最初に、許すな!憲法改悪・市民連絡会の高田健さんがあいさつに立ち、「ライアンさんの話を聞いて、戦争を止めるために何をすべきか一緒に考えたい」と呼びかけた。
 ライアンさんは、「私たち家族の悲しみを利用して政治家が軍事行動を正当化している」と述べ、「命を大事にするために平和を実践しよう」と呼びかけた(要旨別掲)。
 ライアンさんを被爆地広島に案内した森滝春子さんは訴えた。「私たちはアメリカがアフガニスタンで核を使うのではないかと本気で心配した。現にアメリカは使いやすい小型の核兵器を開発し、未臨界核実験を繰り返し、湾岸戦争やユーゴ空爆で事実上の核兵器である劣化ウラン弾を大量に使い、いまもたくさんの子どもたちを苦しめている。ライアンさんの訴えを受け止めて、アメリカに戦争を起こさせないように頑張りたい」。
 集会の後半は、アメリカ国内での反応や活動の力点、テロの犠牲となったお兄さんの人となりなど、たくさんの質問にライアンさんが一つ一つていねいに答えた。
 集会の最後に、高田さんが十一月十八日から始まる臨時国会に対して、有事立法と戦争を阻止するための闘いに全力を上げようと訴えた)。(I)

ライアン・アマンドソンさんの報告から

世界のどこの人にも私たちの悲しみを味わわせたくはない


 私は兄の死まで、戦争と平和とか暴力と非暴力などの問題についてあまり考えたことはなかった。それまで私は、暴力とは問題解決の効果的手段であるという考えを受け入れるべきだと思っていた。教科書でも戦争は避けられない必要悪であると教えていたし、学校で読んだ歴史の本も広島と長崎に原爆を落としたのはそれ以上の犠牲を避けるために必要だったと書かれていた。
 しかし、兄の死で考え直さざるを得なくなった。世界の戦争やテロの犠牲者とのつながりを考え始め、私もその犠牲者の環の中の一員だと考えるようになった。そして、暴力は必要悪ではなく、絶対悪だと考えるようになっていった。
 世界のどこの人にも、私たち家族が味わった悲しみや苦しみを味わわせたくない。アメリカでまたテロが起きてどれだけの人が苦しむことになるのか心配するが、アメリカの戦争でどれだけの命が奪われるのかとも思う。
 政治家は声高に報復を叫び、私たち遺族の悲しみを利用して軍事行動を正当化し、そのためにすでに何千人も殺されている。テロとの闘いはテロの原因にメスを入れられなければ不毛だ。テロに対する戦争はアメリカや世界を安定化することも安全にすることもなく、より危険にし不安定にする。
 事件の後、私たちを慰めようと抱きしめて、「心配するな。必ず報復する。十倍殺してやる」と言った人がいた。三日後に、家族の集まりに来た政治家が報復の話をした。しかし遺族はうなだれて首を震わせていた。遺族は当然、復讐を求めているという考えが広まっている。私たちが求めたのはこの常識を覆すことだった。
 私たちが行ったこの一年間のキャンペーンの中心は、アフガニスタンの被害者を支援する資金を集めることだった。アフガニスタンでアメリカの空爆を受けた人たちとアメリカの9・11テロの犠牲者に共通点があることに強い印象を持ったが、大きな違いがある。アメリカの犠牲者には世界中から同情と支援が寄せられた。残された子どもたちも、大学の学費まで出してくれることになっている。
 ところがアフガニスタンの犠牲者はそうではない。私たちの仲間が会ったある女性は、タリバンに夫を殺され、アメリカの爆撃で残された家族八人を殺され、家も失った。助けて欲しいという手紙を持ってアメリカ大使館に行ったら、コジキだと言われて追い返されてしまった。
 重要なのは命の大事さだ。兄は子ども二人と妻を残してペンタゴンで死んだ。軍隊に入って三年目だった。兄が軍隊に入った時はショックだったが、入った理由は生活の安定のためだった。最初の任地がペンタゴンだったが、家族は世界で一番安全なところだとむしろ喜んでいた。
 兄は平和運動家ではなかったが好戦主義者でもなかった。車のステッカーには「世界の平和を心にかけて」と書かれていた。典型的な軍人タイプではなかった。しかし、軍の中に典型的な軍人タイプなんてそんなにいない。軍の中にいる人も普通の人だ。イラクの軍隊でもタリバンの軍隊でも、ほかの国の軍隊もみんな同じだ。
 よく「罪もない市民」とか「罪もない犠牲者」とか言われるが、軍に勤めていた兄も罪のない人だった。市民の犠牲者だけ考えてはいけないと思う。アメリカが攻撃する相手の軍隊にも生身の人間がいるということだ。
 日本の平和憲法はすばらしいと思う。アメリカを支援するということで平和憲法を弱めてしまうということは、支援するどころか逆に危険にさらすことになる。日本に米軍の基地があることを知ってショックだった。どんな口実があろうとも平和憲法を弱めてはいけないと思う。(最初の報告と質疑応答を要約し、編集部の責任でまとめたもの)。(I)


2002年ソウル国際女性会議の報告を聞く会

軍事化と女性への暴力を許さない


 九月二十九日、東京・原宿の神宮前区民館で、「2002年ソウル国際女性会議の報告を聞く会」が開催された。NO!レイプ NO!ベース女たちの会、「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW―NET Japan)、基地はいらない!女たちの全国ネットワークの共催で、五十人が参加した。
 八月十六日から十八日まで、韓国のソウルで開催された「国際女性会議」は、「東アジア・米国・プエルトリコ 軍事主義を許さない女性ネットワーク」が主催したもので、韓国をはじめ、日本、フィリピン、アメリカ、プエルトリコから百三十人が参加した。この女性ネットワークが作られたきっかけは、一九九六年二月に沖縄の「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」が行った、アメリカ・ピースキャラバンである。このときキャラバンを迎えたアメリカの女性たちとの出会いの中から、女性ネットワークが結成され、一九九七年五月に沖縄で第1回会議が行われた。第2回は、一九九八年十月にワシントンDCで、第3回は、二〇〇〇年六月にふたたび沖縄で「2000年女性サミット」として開催され、今回のソウルで4回目である。
 初めに、女性ネットの日本側コーディネーターをつとめた秋林こずえさんが、女性ネットの歩みと今回の会議の概要について報告し、「軍事化と女性への暴力をなくしていくためには、基地のあるところのネットワークだけではなく、たとえば日本本土での女性たちの運動が必要だ」と訴えた。
 基地・軍隊を許さない行動する女たちの会代表で、那覇市議の高里鈴代さんは、沖縄から十四人の女性がこの会議に参加したことを紹介し、彼女自身が参加した「基地返還後の問題」ワークショップの討論から「返還の再定義」が必要だと語った。それは、「危険だから返還してあげましょう」という米軍側の論理に対して「何を、なぜ」返還するのか、という問いを発していくことである。多くの場合、老朽化して、汚染された基地を形式的に返還して、より近代的で高度の機能をそなえた基地を新設することになる米軍側の動きを、高里さんは、名護の基地新設問題や、海軍病院問題などを例に報告した。
 また彼女は、米軍の性暴力や軍事主義と闘う上で、アメリカが国際刑事裁判所条約に抵抗していることに、もっと多くの関心を向ける必要があると訴えた。
 松井やよりさん(VAWW―NET Japan)は、この夏に松井さんが参加した韓国、フィリピン、インドネシアなどでの国際会議について報告し、ジェンダー正義のない民主主義は民主主義ではないこと、原理主義的な「アイデンティティー・ポリティクス」による女性への暴力が拡大していること、家父長制と軍事主義の表裏一体の関係などを強調した。また松井さんは、それが新自由主義的グローバリゼーションの中で増幅され、国家・企業・軍が構造的に一つとなって進められているブッシュの「対テロ戦争」を通じて深刻なものになっていることを厳しく批判した。
 女性たちは、米軍のアフガン爆撃から1年目の十月七日を前後して、世界的な抗議行動をさまざまな形で行うだろう。   (K)


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