かけはし重要記事

frame01b.html

もどる

APA(アジア平和連合)結成の意義         かけはし2002.10.21号より

「反テロ戦争」に対決して希望の戦略を築くために

武藤一羊さんに聞く――

 八月二十九日から九月一日まで、十六カ国から百四十人が参加してアジア平和連合(APA)結成会議が開かれた。日本からも十五人が参加した。APA結成会議では、グローバリゼーションの下での新たな戦争に立ち向かう民衆運動の課題が広範囲にわたり論議された。会議の確認にもとづいて十月五日〜八日には「アメリカの戦争に反対するアジア民衆行動」が行われた。APA運営委員の武藤一羊さんに話を聞いた。



――八月二十九日から九月一日までフィリピン・ケソン市にあるフィリピン大学で、アジア平和連合(APA)の結成会議が開かれました。この会議の準備段階から尽力された武藤さんは、「大成功と成功の中間くらい」あるいは「九〇%程度の成功」という高い評価を下されていましたね。まずその「成功」の意味とは何か、というところから話してください。

 アジアは西アジア、南アジア、東南アジア、東アジアというサブ・リージョン(亜地域)に分けられますが、全体のアジアで「9・11」以後始まったアメリカの「世界反テロ戦争」に反対するまとまった声が上げられていないということが出発点でした。もちろん、アフガン爆撃が始まった頃にはビンラディンの肖像を掲げたような「イスラム原理主義」と言われる人たちのデモはいたるところでありました。
 しかし、それ以外では、反対の声を上げたとたんにビンラディンあるいは「イスラム原理主義者」の味方と見なされるような状況が昨年いっぱい続いていました。その間、アジアでは米軍の展開が急速に進んで、フィリピンではアブサヤフという武装組織がアルカイーダと連携しているという名目で米軍が派遣され、「反テロ戦争」の第二戦線が形成されました。パキスタンではCIAだけでなくFBIまで大勢入り込んで「テロリスト」のレッテルで活動家を逮捕するという状況。また日本では「テロ特措法」で自衛隊が米軍支援のために派遣される。そういう状況が方々で起こっているのに、アジア全体としてこの事態をどう見るかについての認識も十分共有されていなかったし、ましてまとまった声を上げるということはなかったんです。

共通の認識と行動への準備ができた

 APAの会議が成功だったというのは、まず状況について共通に認識し、声を上げる場を作ったということです。考えてみれば、アジアでは平和の問題についての集まりとか、組織はずっとなかった。一九五〇年代には北京が主導した平和会議のようなものも開かれたことがあるけれどそれは冷戦下での中国・ソ連主導の会議だったわけですから、まったく別の話です。
 今回、それではまずいという気分が、アジアのかなりの人びとの間にたまってきて、集まることができたわけです。十六カ国と十の地域組織から参加しました。香港にある「新しいオルタナティブのためのアジア地域交流」(ARENA)とバンコクにある「フォーカス・オン・ザ・グローバルサウス」が呼びかけの中心になりました。会議としては百四十人くらいの参加ですから「中型」の国際会議といってよいでしょう。ホスト国のフィリピンは、その中で四十人ぐらい。これは人数をしぼるのにかなり苦労したようです。
 運動的に特筆すべきことは、フィリピン側が本格的に取り組んだことです。去年十月にできた「ピースキャンプ」や今年できた「ギャザリング・フォー・ピース」に集う組織が中心になって、フィリピンのほとんどあらゆる大衆団体がこの会議を準備し、参加するために結集しました。これは画期的なことです。呼びかけはすべての団体に出されましたが、BAYANは参加しませんでした。
 BAYANを除くほとんどすべての組織が準備委員会を作って、会議の受け入れにあたった。受け入れだけではなくて、当然ですが、会議へ内容的参加を求める。そのため「サブ・プレナリー」(準総会)という実質は分科会ですが、それをわざわざ設けて、たくさんのフィリピンの組織が共催するという形をとりました。フィリピンの運動とは非常によく結合したと言えると思います。

アジア社会フォーラムにむけて

 実際問題として、南アジア以外は、アジアの中で平和問題についての継続的な運動がある国は、それほどたくさんないのです。その中で、日本、韓国、フィリピンは平和運動が一定の持続性をもって展開されている国で、この三国がイニシアティブをとって、他のアジア諸国に呼びかけるという形が作られたのも特徴です。日本からは、社民党の阿部とも子代議士をふくめて十五人が参加しました。沖縄からだれも参加できなかったのは大きな欠落なのですが、沖縄問題の決議も通りました。日本の十五人の代表団はとても活発に動いて、韓国、フィリピンと集まりをもち、会議を行動の場にすることに大きく貢献しました。会議全体として行動的な気分になったわけです。
 いくつかの行動が決まりました。一つはアフガン爆撃一周年の十月七日を中心に、十月五日から八日までアジアで共同行動をやる。主要にはアメリカのイラクに対する戦争計画を撤回させるということです。それからアフガンではいまだに爆撃が続いています。会議ではアフガンからの米軍の撤退という方針を出しました。それから日本では有事法制の問題などをふくめて共同行動をやっていくということが決まりました。
 もう一つ大きな共同行動では、去年からポルトアレグレで行われている世界社会フォーラムのアジア版がインドのハイデラバードで来年の一月二日から開かれるのですが、その主要な六議題のうちの一つが「平和と安全」なんです。それをAPAとして引き受けてやるということです。これは何千人も集まる会議をやるという非常に大きな場なんで、APAとしては初めて南アジアで姿を見せることになっていきますね。

――アジアでの戦争を考えた場合、もちろんアメリカが行っている戦争がありますが、もう一つ地域紛争があります。核兵器を使用する戦争の危険性という点ではインド・バキスタンの戦争がありますし、各国的に見てもエスニック間の紛争だとかコミュナリズムに基づく紛争といった暴力の問題があるわけですが、そのへんについての討論はどうだったのでしょうか。

 そこが実は今度の会議の一番の特徴だったと思います。この種の会議をいまヨーロッパやオーストラリアやカナダでやれば、もっと単純なものになっただろうと思うのです。アメリカの戦争に対する政治的態度を決定して、行動を決めてそれで終わり。しかしこれはアジアの、アジアの現実に根ざした会議だった。そこでは、平和の問題をもっと中身のある、平和を創る問題、われわれ自身の間でどのようにわれわれの社会の抱える問題を解決していくか、ということが大きい比重を占めたのです。
 南アジアで言えばカシミールの問題がありますし、スリランカの内戦は、ようやくLTTE(タミール・イーラム解放の虎)との和平交渉がバンコクで行われるという段階に入ったところです。それに先立ってはおびただしい流血がありました。それから今年の初めにインドのグジャラートであったヒンズー至上主義集団によるイスラム・コミュニティーへの残虐きわまる襲撃、とくに女性をターゲットにして数千人が殺されるという問題を抱えている。
 こういう問題をいったいどうするのかということが至るところから提起されました。インドネシアでもそうです。少数民族の問題、宗教的紛争の問題があります。僕自身、長いこと平和運動の周辺にいたわけですが、平和ということは非常に抽象的なものになりがちなんですよね。「平和を守りましょう」と言えば、だれでも賛成するし、とくに日本の場合は「平和な日本」という、この状態を維持しようという文脈で平和が語られてきた。今回の会議では「平和」というものが中身のある、これから作られなければならない状態・関係として捉えられた。その中で、あい争っている集団の中から、その紛争を超えていく力をどうつくるのかが、議論され、とりわけ女性たちがそのような連帯の範例をつくっていることの大事さが強調されました。こうして出された「APA創立宣言」は、ですから、とても長いものになったわけです。アメリカの戦争が、アジアのこのような紛争事態と結びついて、それを解決するどころか、ますます悪化させていく、それを根本から正していくこととして平和の中身が語られたと思うのです。

家父長制、グローバリズムと暴力の文化

 一般的な解法はないわけですが、実際にある構造的な抑圧をなくしていく動きと結びつきながら、殺し合いという水平暴力による解決に求めない力をわれわれがどのように作りだしていくかということが関心の中心だったと思います。そういう力が大きく育っているという状態ではまだないがゆえに、よけいにそれが大きな問題だったわけです。
 会議のテーマは三つで、「反テロ戦争下の世界」・「民衆の間の暴力の克服」・「希望と戦略」です。その中で「正義の戦争」という問題が論じられたのは特徴的です。全体としては非暴力が強調されたけれど、民衆の「抵抗の暴力」を擁護する意見も出されました。結論はないわけですが、この議論はアカデミックな話ではなく、アジアの抵抗の歴史にもからむ非常に切実な問題です。
 アメリカの戦争と「民衆間暴力」の関連も、幾つかの基調報告の中で指摘されました。われわれが自分たちの問題を自ら解決できなければ、アメリカが警察官として振る舞う関係になるというわけです。
 宣言を通じて何度も強調されているのは、アメリカの振る舞いや民衆間暴力に現れている「暴力の文化」と軍事主義の根が、家父長制に根ざしていることの指摘です。宣言は、「米国がその「反テロキャンペーン」のなかで解き放った戦争の嵐」は、「力づくの強制と家父長制を権力的な共通分母とする軍国主義に基づいているもの」と言いました。そして「正義、平等、エコロジー的調和、そして軍国主義と家父長制の否定に根ざす、そのような平和」として目指すべき平和を定義しました。
 総じて、差別、抑圧、搾取とそこからもたらされる不平等に、暴力や紛争の根拠を見ていく、だからそれらを解決していくことに平和の内実を求めていくという考えがほとんどすべての発言を貫いていたことが特徴でした。そこから非常に自然な形で、市場原理主義とグローバリゼーションこそが暴力の文化を生み出していくものだということを、基調報告、来賓あいさつをふくめてすべての人が明確に指摘しました。
 これはアジアの会議としては当然だといえますが、世界的にはそれほど共有されてはいないと思えます。この点は今後非常に重要な点だと思います。シアトルから始まった反グローバリゼーションの運動が、今のアメリカの世界再支配の軍事的側面に対して完全に足並みをそろえているわけではありません。今回のアジア会議はその点を非常に明確に出しました。
――「暴力の文化」という場合、宗教的原理主義それ自身についての論議は行われたのでしょうか。

 宗教的原理主義だけを議題にしたセッションは設けられませんでしたが、あらゆる議題のなかで論じられました。アジアが直面している最大の問題の一つですから。とくにインドではヒンズー至上主義の政党が政権党なのですから、問題は深刻です。グジャラートの虐殺の場合、中央政府が虐殺を事実上黙認するという態度を取ったわけで、それに対して強い非難が集中しました。参加者の間にはビンラディン的なものへの共感などはもちろんないわけです。その意味でも、予定したわけではないのですが、主要な発言者がだいたい同じ方向を向いて語ったことに僕はちょっと驚きました。したがって大きな意見の対立はなかったと言えます。

――どうもありがとうございました。APAというアジア規模の平和のための民衆運動のネットワークの活動を作りだす新しい挑戦は、日本の運動にとってもきわめて重要ですね。(9月18日)


もどる

Back