| 韓国はいま、明日のニュースも知っているサムスン かけはし2010.11.22号 |
サムスン職員が文化放送の
内部情報を把握していた疑惑 |
「もう1人の家族」
人知れず、自分の家のことのように家庭内の事情にすみずみまで通じている「もう1人の家族」が存在したとするならば? そのようにしてこっそりと集めた情報を利用して家庭内のあれこれに隠密に関与したならば? 考えるだに鳥肌の立つことだろう。
まだ事件の全容が明らかになったわけではないが、これにも似たことの一端が明らかとなった。言論界や法曹界の人々をスカウトして情報力を高めてきたサムスンは、放送社の中でサムスンへの刃を鋭くしてきた文化放送を、家族のように側において見守りたかったのかも知れない。相手方の意思とはまるで関係なしに、だ。ところで最近、文化放送は内部の微妙な情報流出についての監査を行ったところ、その果てにはサムスンがいた。
番組内容が決まると電話
文化放送の監査室は去る8月から職員らを対象に監査を繰り広げた。敏感な情報を扱っている言論社の属性上、その保安が生命なのだが、いつからか情報が洩れていたからだ。それも、ニュースの制作や報道に利用される「ニュースシステム」(取材内容、記事、ニュースキューシート=番組制作進行表、編集会議の結果などを共有する内部情報網)に上げられた核心的情報だった。
こんな具合だ。サムスンを取材し、サムスンを報道することに決定すると、サムスンの役員から電話がかかってきた。具体的な報道時間や報道内容まで、ニュースシステムを見ることなしには分かりえない内容もあった、と文化放送関係者は伝えた。
文化放送のある職員は「数カ月前、サムスンを批判する内容の番組を準備していた制作陣が放送内容を内部情報網に上げた後、サムスンの電話を受けたという。『どんな内容かは大筋は聞いたが、批判のレベルを低めてくれ』という内容なので担当のデスクがあわてふためいたというウワサが広がった」と語った。
そんなことの後、単純な疑心から「犯人探し」へと警戒のレベルを高める事件が繰り広げられた。8月8日の内閣改編を前にして報道局の記者たちが人選予想の名簿を取材してニュースシステムに上げた内容が、証券界の情報誌にテニヲハもそっくりそのまま載った。記者たちが問題を提起し、報道局長は監査室に真相の把握を要求した。
2カ月余りの間、監査を行った文化放送は、内部情報網の担当者であるA氏が、07年に会社を離れサムスンに移った元記者B氏(サムスン経済研究所勤務)に情報を流出した情況を捕捉した。〈ハンギョレ21〉の取材に応じた多数の文化放送職員らの話を総合すると、A氏がニュースシステムに接続できるIDをB氏に伝え、サムスン側がそのIDで接続した痕跡が発見されたという。またA氏が昨年夏に文化放送の内部情報を整理してB氏に送った電子メールが監査の過程で摘発されたと伝えられた。
文化放送はこのような監査結果を基にして10月28日に人事委員会を開き、A氏に待機の発令を下した。早晩、再び会議を開き最終的に懲戒のレベルを決定する方針だ。文化放送の労組関係者は「解任を前提とした待機発令だと聞いた」と語った。A氏は監査室の調査で潔白を主張するとともに検察の捜査を要請したという。
接続はしたが見なかった
文化放送は、ここでジレンマに陥った。会社で起こった非理であっても自主的に調査するには通信秘密保護法などの制約がある。明確に真相を究明しようとするならば検察捜査を依頼しなければならないが、文化放送と検察の最近の関係を考慮すれば、南京虫を捕らえようとして家を焼きかねない。検察が、情報流出捜査を口実にして文化放送のサーバーやコンピューターを押収捜索すれば、さらに敏感な諸情報が流出し、政治的に悪用される恐れがある。
BSE報道に関連して〈PD手帳〉を捜査した時の検察を思い浮かべれば、このような心配は根拠のないものではない。当時、検察は文化放送の押収捜索を試み、捜査とは関係なく、ある作家の私的な電子メールの内容まで言論に公開した。今回の事件の顛末に詳しい労組側の関係者は「A氏、そして彼とかかわった人々も、このような事情を知らないわけはないだろう」と耳打ちした。
〈ハンギュレ21〉は事件の当事者たちを直接、取材した。A氏は10月29日、電話取材で「〈自分のことを報道する場合〉法的に対応するだろう」と語り、電話を切った。監査を受けた事実、懲戒などと関連した質問には一切、答弁しなかった。文化放送の監査結果、流出に関係したと把握されたサムスン経済研究所のB氏は、内部情報網への接続やA氏との接触の事実を一部認定した。
彼は〈ハンギョレ21〉との電話通話で「退社した後、しばらくの間(文化放送在職時に使っていて)、生きているIDで、たまにニュースシステムに接続した。12年もの間、会社に通っていたのだから同僚たちの消息も気になって慶弔事を主として見たし、会社の動きも見たが、すぐに閉まり(該当IDで接続できないことを意味する)、その後には見られなかった」と語った。「ニュースシステムに接続はしたけれども記事などの情報は見なかったというのは理解しがたい」との指摘には「研究所にいる私があえて内容を見るほどのことでもないし…」と答えた。文化放送の監査結果について問うと、彼は「A氏からニュースシステムに接続が可能なIDをもらったことはないし、1年ほど前に就職する所を調べてくれとの頼みをEメールで1回もらったこと以外には彼とはほとんど連絡がなかった」と語った。
最悪の情報流出事件
それならば文化放送の監査室は罪のない人をつかまえているのだろうか? 記者出身のB氏がサムスン経済研究所で何を「研究・調整」したのかを探ってみることも事案を理解するうえでプラスとなる。彼が所属した研究調整室は一般企業体で言うところの企画、広報、人事、総務の機能が複合した所だ。このためにどの部署よりも母体企業であるサムスン・グループとの交流が多い。サムスン経済研究所に勤務したことのある関係者は「一般企業が子会社に『オーダー』をする時、企画室を通すように、サムスン戦略企画室の『オーダー』は研究調整室に下りてくる」と語った。いまだにA氏を通じてどんな情報が流出されたのか、その情報がB氏に伝えられたのか、伝えられたのであればそれがどのように活用されたのか、明確にあらわになったものはない。けれどもB氏の職務の特性上、取得した情報がある時には、これを上部に報告した可能性がある。
このような可能性は文化放送の記者たちの証言を通じても裏付けられる。B氏はサムスン経済研究所に移った後も「実家」の家族たちとしょっちゅう会って面倒をみたという。報道局のある記者は「B氏は我々記者に必要なサムスン側の取材源を紹介してもくれたし、酒の席もよくセットしてくれた」と語った。文化放送の記者として勤務した後、サムスン経済研究所に行ってから、文化放送の記者などを相手にサムスン・グループ全般に関する広報・言論対応活動をしたというのだ。
文化放送史上最悪の情報流出事件として記録されそうな今回の事件は一見、簡単に見えながらも、一方がイ・ミョンバク政府と葛藤を醸してきた文化放送であり、他方は文化放送出身のサムスン職員だという点において、いささか複雑な様相を帯びる。A氏とB氏の間の実線はおぼろげに現れたものの、検察捜査なしにその間で行き交った詳しい内容まで明らかにするのは困難だ。またB氏に隠密な情報が伝えられたのであれば、その情報が流通したものと推定される、そのラインはいまだ点線だ。
このため文化放送の経営陣と労組のいずれもが「真相究明」を強調する。ハン・ジョンウ文化放送政策広報部長は「現在、懲戒の手続きを踏んでいるけれども、情報流出の経緯などを把握するための調査をさらに進める」と語った。イ・グネン文化放送労組委員長は「サムスンに対して明確な措置を取れ、と会社に要求した。状況を見ながら(明らかになった監査内容を)隠ぺいしたり、あいまいにしてしまおうとするのであれば、強く対応する計画」であるとともに「真相を正確に調査して関係者を処罰し、再発防止のシステムを作れ」と会社側に要求した。
報道局記者たち「惨たんたる思い」
報道局の記者たちの間では、今回のことについて「惨たんたる思いだ」との反応が出ている。「会社の論調や指針とは別個に内部の人間と元記者が大企業に情報を渡してやるのは、言論社において最も重要な構成員同士の信頼さえ持つことができなくするもので、致命的なことだ」との憂慮から、「サムスンが情報抜き取りをさせておいてトカゲの尻尾切り式に『犠牲の羊』を仕立てようとする。ではないのか」という疑心まで、収拾のつかない騒がしい雰囲気だ。
チェ・サンジェ全国言論労働組合委員長は「大企業が不当に言論社の情報を取得して圧力を加える行為は道徳的破綻のレベルを超えること」であり、「財閥が言論を直接的間接的に統制し懐柔する手段をやたらに振り回している点を直視し、言論人の道徳的価値を改めて振り返る契機としなければならない」と語った。(「ハンギョレ21」第834号、10年11月8日付、チョ・ヘジョン記者、キム・ボヒョプ記者)
コラム
二つの定年
「S先生がやめるんだって」――週末に実家に立ち寄った際の、母親の言葉である。時間が合えば買い物にも同行する。生来片目が見えず、高齢化とともに歩行も困難に。自転車が唯一の移動手段だが、それでも「とげぬき地蔵」などには、往復数時間かけて出かけてくる。昭和ひとけた、「根性の人」である。
「S先生」とは、地元の内科開業医のこと。自宅が医院であり、私も何度か急な腹痛や発熱でお世話になった。「あなたのお母さんも、ときどき血圧が高くなるね」。書かれた住所から息子と察した。家族が見守られている安心感がわいた。
数年前の暑い夏。母親の異変に気づいた妹は、すぐにS医院へ。そこで地域唯一の大学病院への紹介状をもらい、最優先で受診。事なきを得た。間一髪、脳梗塞だった。
三十歳の頃。私は「眼底出血」を経験した。発症後飛び込んだ職場近くの眼科医院。顔色を変えた院長は、出身校のN医大へ転送。新人の女性の医師の対応は、人体実験そのものだった。耐えきれずに転医した先は、通院の利便性で選んだ。国内最大の眼科専門病院だと、後に知ることになる。
この時から、私とT医師の長いつきあいが始まった。初診から数カ月。手術は成功したが、六年後には外傷で再会を果たす。院内最古参の彼女は、明るく親しみやすい性格で、患者には絶大な人気があった。この経過観察の期間に、今度は白内障を併発し、今に至っている。
その彼女も来年三月、ついに病院を去る。のらりくらりとお互いの腹の内を探りながら、何年間も決断を避けてきた。「免許の書き換えもあるし、ぜひ先生のいるうちに手術を受けたい」とカマをかける私に、いつもの笑顔で、あっさりと告白したのだ。
「薬害エイズ事件」を通じて、私は初めて医師と患者の人間関係に着目した。慢性病による長期の投薬や経過観察が必要になれば、両者には治療を超えた感情が生まれてくる。むしろそれが自然である。私がこれまでそうならなかったのは、相手が権力者であるという警戒心と、医療過誤など負の側面に根ざした、深い不信感からである。
地域医療を支え続けたS医師は、通いつめた高齢者たちを近くの他院へ送った。T医師も後任に私のカルテを回す。最初の大手術を執刀したのは彼女ではなく、当時将来を嘱望された若きエリートだった。「大丈夫よ、ちゃんとここに書いておくから」。心配する私に、いつもこう言っては、微笑んだ。
医師の高齢化もまったなし。だが自分の子供のような世代に、流行り言葉で診察されるなど、私には到底受け入れられない。
「医は仁術」――やはり年長者がいい。その深いしわに刻まれた、百戦錬磨の老練にこそ、畏怖と敬意で服従したいものだ。 (隆)
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