| フィリピン ルポルタージュ・密林の中のRPM―M大会(下) かけはし2010.11.22号 |
多様で複雑な状況での実践通し
党は経験から教訓を多く学んだ |
大会――日々の生活の断片
大会の一日はどのように始まるのか。外から見られないよう覆いをかけて防護しながら、川でシャワーを浴びる。水は大きなビニール袋に集める。私たちはそれを小さなタボに入れる。タボとは、水を撒くことができるように長い取っ手のついたピッチャーの一種(とても効率的)だ。それから朝食(米が基本)。そして黄色い伝統的な槌と鎌と三つ星――この三つ星はミンダナオの三民族(3)と、北部のルソン、中部のビサヤ、南部のミンダナオ(プラス幾つかの島)というフィリピンの三大地域を象徴している――のついた赤旗を前面に掲げた日々の集まり。
しばらくは、私の趣味からすればやや生真面目すぎるほどに事態が進行しているのではないかと恐れた。しかしそれは家族の集まりにかなり似ている。RPA(革命的人民軍)の部隊はいかに武器を構えるかに慣れるのに時間がなく、みんなが笑っている。私たちはインターナショナルと、国歌の革命的替え歌を歌う。フィリピン人は私たちがいる間じゅう歌うことが好きだった。欠かせない楽器はギターだ。それにルマド(先住民族)が歌う歌さえもが唱和する。私たちはその儀式に使う鐘に名づけることなどしない……。
おっと忘れていた。朝、起きた時に生じる最初の問いは何を足に履くべきかということだ。晴れている時はなんでもOKだ。しかし雨が降り地面が泥まみれになったら? そして私のスポーツシューズが、キャンプに到達するために川の中を長時間歩いたせいで、ふやけたままだったら? 終日足が濡れたままなのは、いい気持ではない。ゴム草履は? フィリピン人が足を上げたまま、自分のゴム草履を後ろの地面にひょいと置くのを私は感心して見ている。こうしたことがうまくできないのは私だけではない。
しかし、私は別のことに感銘している。どんな状況でもかれらは簡単にゴム草履でやってのける。うまくいく秘密を教えてくれと私は聞いた。それは随意筋だ。かれらのつま先、ふくらはぎの筋肉が発達しているので、気まぐれなゴム草履を自分の意思に従わせることができる。すでに私は、幼いうちから靴に締め付けられることのない自由で、敏捷で、動きやすいかれらのつま先というアイデアが好きだった。ずっと都市生活者だった私は、天候が回復するのを待ってなんとかやり過ごしている。裸足にサンダルで……。
台所――食堂としても使われている――はかなりの広さがあり、そこで多くの男たちが忙しく動いている。興味深い。しかし一人の女性が采配をふるっているようだ。少しの野菜、ほんのちょっとの果物がある。三度の食事には好きなだけコメが食べられる(いい日には昼食後にコメで作った菓子が出る!)。魚は、干物だったり鮮魚だったり(鮮魚の場合はまるまる一尾ではなく、小さくスライスしたもの)。牛は私たちに敬意をはらって、しきたりに沿い屠殺される。牛はそれほど大きくはないが、食べるには多すぎる。そこでしばらくの間、私たちは牛肉とライスで朝・昼・晩ともてなされる……。「有機」農業とバランスのとれたダイエットに精通している参加者の一部は、ぶつぶつと文句を言っている。しかし全体として食事は私の味覚に合うものだ。料理チームの皆さん、ありがとう。
代議員たちは交代で、木を集め、トイレやシャワーに必要な時に水を運び、毎日会議の場を掃除するチームに組織される。あちこちにハンモックが設置される(ある時は特別に蚊帳もつけられる)。会議場のベンチは簡単な板で作られており、狭いが、そこで一部の人たちは、なんとかして夜の眠りにつく。私は容易にあぐらを組んで座り、かかとでしゃがむアジア人を羨んでいる。よりかかるものはなく、体を休めるソファも草地もない。私が休めるのはテントの地面に敷いたシートの上だけだ。それは全く魅力的なことではない(4)。
私たちはまさに自然のただなかにいる。しかし、私たちにとってキャンプ周辺の地域に散歩に出かけることはできない。休憩に入った時に、コーヒーをすすりながら渓谷の底で自然をじっくり眺めることができるだけだ。植生はごく普通だ(原生林であることは必ずしも不幸なことではない!)。しかし私が名前を知らないとても多くの蝶やトンボがいる。大きな緑色のトカゲが用心深く木の幹を下りてくる。鳥はメグロヒヨドリなどほとんどが通常種だ。しかし少し辛抱すれば幸いなことに、枝に止まるテリアオバトや群島の南部にしかいないアオオウギビタキなどフィリピン特有の固有種(5)を見ることになる。
豊かな政治的経験を蓄積
論議が始まったのは、基本原則、政治的組織化、任務と結び付けて図式的形態でRPM―M(革命的労働者党―ミンダナオ)の「参照的枠組み」が問題に付された時であった。最初に取り上げられるべきものは何か。理論なのか具体的情勢なのか。その総合(あるいは妥協?)がなされるまで、小さな「図式化戦争」が討論をエキサイトさせた。報告者は強調する。「あらゆる発言が正当なものだ。私たちは発言を階層的権威主義的なやり方で処理しない。発言はお互いを活気づけるものでなければならない」。
地域の合法的グループの組織化を行っている若い世代は、コンピューターを容易に操作し、スクリーンとして使われる布に論争のイメージを投射する。
都市の若者は、男も女も多弁である。かれらはネットの「フェイスブック」で数百人の「友人」を持っていることがよくある。農村地域の代議員は、おもに大会に向けた準備会合で発言してきた。かれらはより慎重であり、インターネットに自分の写真をさらすなどという考えは決して起こらない! 違った政治的世界がまじりあっている。こうしたコンピューターの「社会的ネットワーク」の使用は問題を提起することになった。とりわけ安全上の極度の危険に関してである。しかしそれは同時に青年の一定の層を動員する上で、きわめて効果的である。私は、若くもなくフェイスブックも使っていない一人として、今日ではきわめてポピュラーなものになっているこうしたコンタクトの方法が、便利なものというよりはむしろ危険なものになってしまわないよう望む。
報告と討論は、RPM―Mが左翼の他の組織と同じ挑戦に直面していることを示している。とりわけ、伝統的エリートに属しながら広範な民衆的支持を獲得し、選挙で正統性を承認された新大統領ベニグノ・「ノイノイ」・アキノに対してどのように動員を行うのか、という問題だ。しかしそれは、ミンダナオの情勢がどの程度この国の政治生活の最も疑わしいあり方、さらにモロ問題を悪化させるのかを示すことになる。
ミンダナオは、国じゅうの政治的大家族が、全国選挙での成功を確保する必要のために票を買いにやってくる地域だ。相争う一族間の衝突が最も多くの殺人を引き起こし、武力報復の脅威が最大であり、戦争状態が永続化し、行政の腐敗が天文学的なものである(この病は群島の北から南までを浸食している)地域である。社会・経済的緊張とコミュニティー間の緊張が相互浸透してとりわけ解決困難な情勢を引き起こし、人道的災害が起きた時、難民となる人びとが最も多い地域である。
さらにRPM―Mの歴史的基盤は、この島の「三つの民族」が相互に直接接触し、とりわけルマド(先住民族)の祖先からの土地がバングサ・モロ領域(6)の中にある地域に存在している。必要なことは、三民族間の連帯を築き上げ、エスニック的境界に対応した政治的区分を避け、搾取に対する共同の闘争を実行し、モロとルマドの二民族の自決権を同時に擁護することである。
党は、現在の状況ではフィリピンにおける革命的闘争を発展させることができるのは武装闘争を通じてではないと判断し、政府との和平会談を行っている。RPM―Mは、こうした交渉に関係する地域の民衆コミュニティーに、直接参加している。かれらは主役であって、交渉の虜ではないからである(これはフィリピンではきわめて革新的な概念である)。しかしこの地域を特徴づける超軍事化された環境は、このプロセスの結果をきわめて不確かなものにさせている。敵対的な武装グループに取り囲まれているとき、どうして武装解除できるだろうか。会談を前進させ、民衆が未来における不確実な結果を待つことなしにそこから利益を得るようにさせるために、どのような危険を冒すべきなのか。こうした疑問への回答は、以前の時期全体においてただちに全体の一致を得られるものではなかった。党は経験から教訓を学んだ。
当面のところRPM―M/RPAは純粋に防衛的な姿勢を取っており、情勢に最も適応したやり方で戦士たちを組織化する方法を討論している(民兵、正規部隊……)。
選挙の分野は、RPM―Mが結成後に着手した新しい領域である。この分野での一時的な成功にもかかわらず、RPM―Mは政治腐敗の壁とファミリー的一族集団の重圧にぶつかり、最も高価な失敗の一つを経験してしまった。「トラポ」(伝統的政治家)にとって選挙とは、もうかる投資でなければならない。彼らのゲームのルールの変化をもたらす進歩的運動を受け入れないのである。このことはフィリピン全土において事実なのだが、とりわけミンダナオにおいてそうなのだ。したがって代議員たちは、フィリピンの政治制度の罠に対してよりよく立ち向かう準備を整えるために、こうした最初の失敗への反省を開始した(訳注:この重大な「失敗」とは、前回の下院議員選挙でRPM―Mは、地域比例選挙の独自リストを作成し、支持する一人の候補を当選させたが、その議員が「制度的政治」に取り込まれてしまったことを指すと思われる)。再びここでも、時には苦い経験から学ぶことが必要なのである。
そして国内難民、人道的災害への対応にとって、コミュニティー間の相互連帯、民衆的コミュニティーの組織化、統一した反戦運動と社会的闘争、和平交渉、軍事政策の変更、選挙戦線などが求められる。外国ゲストの一人が強調して提示したメッセージにあるように、RPM―Mの経験はとりわけ豊かなものであり、そのことが国際的レベルでよく知られていないことはまことに残念である(7)。
高い女性比率、若い平均年齢
RPM―Mの組織的バランスシートは、問題点がないわけではない。とりわけ党が支持して選挙で当選した下院議員との決裂は、モロ民族が多い一定の州での組織的浸透、ならびに首都圏マニラ・ケソン市での組織建設に対して有害な影響をもたらした。
しかし大会は、RPM―Mが若者たちを獲得してきたことをも示した。代議員の平均年齢はきわめて若く、女性の比率は他の多くの国よりも高い。党はその活動をかなりの程度多様化させ、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)問題についても、この点に関しては多くの場合保守的であるコミュニティーと接触しつつ取り組んでいる。党は自ら世界的場に登場し、第四インターナショナルに加盟するとともに、グローバルジャスティス運動に関わり、アジアと欧州の多くの諸組織との関係を発展させている。
大会は楽しさに満ちたものだった。NGOから受け継いだグループ運動の手法は「気分一新」や、代議員の発言を活気づけるために使われた。フィリピン文化がそれを可能にしている。しかしフランスでそれをやるのは難しいだろう。
そうしたことは、結成大会の諸文書の修正、とりわけ規約改正の問題が起きた時の真剣な、あるいは論争的でもある討論を妨げるものではない。
新指導部の選出は二段階で行われた。まず初めに委員長、副委員長、書記長、書記次長の選出。それから中央委員の選出である。幾人かの候補者が提示され無記名投票が行われる。
全国指導部の選出は、不可能なことをするのに少し似ている。コミュニティー(「多数派」、モロ、ルマド)、地域(州、市)、社会セクター、世代、性別……を代表する必要がある。リストは提出されない。尊重すべき均衡に関する若干の勧告が行われる。結果はやや不ぞろいなものだが、最終的にはなんとか満足できる形になる。とりわけ多くの若者と多くの女性が選出された。
最終日、修正に関する討論と無記名投票後の票の計算には多くの時間がかかった。大会が良い気分をもって終了した時は、日もとっぷりと暮れていた。出発を準備する必要があり、準備されていた「連帯の夕べ」は取りやめになった。大いに残念。
出発は幾つものグループに分かれて夜中に行われた。再び私たちの足は川の水の中だ。峡谷で車両が私たちを待っており、少人数の武装した護衛が数キロの間、私たちについている。それから私たちはミンダナオの通常の道路に入る。そこはしばしば「チェックポイント」で切られている。警察や軍の道路ブロック(かれらのほとんどは持ち場を離れているが、そうしたブロックのためにきわめてゆっくり運転する必要がある)が設置されている。
とても楽しめた体験の後の帰りの旅は平穏無事なものだ。
注
(3)ピエール・ルッセによる覚書(本紙前号)参照。
(4)経験の浅いキャンパーへの注意。最初の夜は、地面に敷いたシートの下の弾力性のある地面は体に心地よい。しかしそこに身を沈めると、堅い地面と地表の下に隠されていた石が姿を現す。その時には体をくぼみに落ち着け、出っ張りを避けることを可能にする入り組んだ小道を発見することが必要になる。
(5)ここで固有種というのは、ある地域(国、島など)にのみ存在する種のこと。
(6)「バングサ・モロ」とは「モロ民族の国」の意。
(7)ロマン「RPM―M第二回大会へのメッセージ」(「インターナショナルビューポイント」10年10月号)
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