| イタリア 国際的経済危機と結合する政治危機 かけはし2010.11.8号 |
「ベルルスコーニズム」の危機とそのらち外に位置する左翼
サルバトーレ・カンナボ |
経済危機、右翼の虚構を直撃
イタリアの政治的危機は、すでに二年にわたって進んできた国際的経済危機と明らかに結合したものだ。しかしこの事実は、現在の政治論争からは完全に消えている。論争は、ベルルスコーニズム並びにその中道右翼連合の危機の、不意の出現に焦点が当てられている。この危機は、もちろん、階級間関係の実態とわが国の右への移行を隠すためにベルルスコーニを怪物に仕立て上げてきたあらゆる人びとが予想しなかったものだ。こうして、ベルルスコーニのもっとも忠実な同調者である下院議長、ジアンフランコ・フィニは、彼自身と彼の党が新たな組織、フュトゥロ・エ・リベルタ(未来と自由)創出に乗り出すことを放棄した。イタリア右翼にとってこれは一つの衝撃だ。なぜならば、指導者の絶対的確実性がこうして疑問に付され、深刻な危機―たとえまだ政府危機となっているわけではないとしても―が一つのサイクルの終わりを告げているからだ。そのサイクルとは、一九九四年、ベルルスコーニの政治の舞台への進出によって彼自身が幕を開けたものだった。
この衝撃と危機に対するイタリアの新聞による分析は、先の二人の個性と個人的な対立という「特性」を特別に強調し、構造的な側面に蓋をしている。それでも、いたるところにあり構造的でもある経済危機は、すでに政治的均衡に重くのしかかり、その均衡を政治的な危機へと、時には制度的危機へと転換してきた。まさに、二年前の大統領選勝利後、今や議会多数を失う危険に直面しているオバマ大統領を忘れてはならない。あるいはだめ押しとして、同じような展開を示しているフランスの場合を忘れるべきではない。そこでは二〇〇七年の大統領選挙、総選挙に勝利したニコラ・サルコジが、今や彼にとっては最低の人気に直面している。確かに、経済危機は政治的危機を引き起こす。
ベルルスコーニ政権は二〇〇八年総選挙では、何よりも中道左翼の破綻のおかげで勝利した。絶対的数字で見れば、この時の票数は、ベルルスコーニが得た最高である二〇〇一年とは比較にならないものだった。しかし詐欺的な選挙法に助けられてベルルスコーニは、十分な議会多数を確保し、その多数を労働者運動を根元で攻撃するために効果的に使ってきた。それはすなわち、基本的な獲得物(労働基準)の堀り崩し、実質賃金の削減(公的雇用契約の改革)、中道右翼支持部門(小、中規模ビジネス、自由業専門家、脱税常習者、大資産家、銀行、金融業)に有利な所得再配分、そして財政連邦主義を手段とした、第二次大戦以降国を支配してきた社会協定の転覆政策への着手だ。危機は、これらの計画にあるいくつもの格差、さまざまな利害と政治的対立を浮き立たせ、この構想に疑問を突き付けるものとなった。
フィニのベルルスコーニからの離反は、公正さの問題ではなく、経済問題に関わっている(ベルルスコーニは、不正利得をはじめ数多くの疑惑にまみれている―訳者)。フィニは公共サービス(特に治安と教育)、イタリア南部、そして「資本と労働者」間の妥協に基づく産業政策を防衛してきた。そして、経済相、ジウリオ・トレモンティの策謀を批判してきた。危機に対する見方とそこからの脱出方法が戦闘の背景を構成している。
この戦闘の中で、中道右翼はその限界をさらし、彼らの危機をあらわにした。彼らの十五年の政治において、ベルルスコーニがたとえ一種の「社会的ブロック」―北部の小、中規模企業、南部の非合法経済、仲介業者、自由業専門家、脱税常習者、また同時に、援助対象となったルンペンプロレタリアート、臨時雇用の青年、高齢有権者―を作り上げることに何とか成功したとしても、彼はそれを、ある種の共通の社会的経済的未来像を軸に行ったのではなく、さまざまな利害と部門を、ただ単に派手な言い回しと宣伝だけで、つまりはメディア的に魅力的な個性という中身のない観念論の強さによって、一定の境界線の範囲内に関連なく並べたにすぎない。ベルルスコーニズム―社会的ブロックを一体的に保っている接着剤―は、危機によってむしばまれ、この宣伝と言い回しの実体をむき出しにあらわにしている。フィニは今日、ベルルスコーニを超えて進む、また新たな中道右翼の政治計画の再定義を狙いとした政治構想を軸にした、そのような部分の一部を代表する候補者だ。第三極という仮説は、戦略的構想というよりも、一つの保守的勢力の再構築、支配階級の必要に適合した中道左翼に対する新自由主義的な代替勢力の再構築に向けた、一つの通路だ。
大手労働組合が経営と共謀
危機は明白に、むしろ支配階級に、コンフインダストリア(イタリアの経営者団体)並びに銀行と金融資本に重くのしかかっている。今日彼らは、労働者運動を切り裂く決意を差し出しているベルルスコーニ政権―フィアットの紛争に示されたように―に賭けるべきかそれとも別の均衡の構築を始めるべきか、それがもはや分からなくなっている。
コンフインダストリアの現会長、エマ・マルセガグリアがたとえ現在の均衡の上で役割を果たしているとしても、前会長、ルカ・コルデロ・ディ・モンテゼモロは新しい解決を追求している。二人の間の違いは、前述の不確かさを象徴している。問題は以下のことにある。すなわち、危機と腐食―そして危機は、ベルルスコーニズムが実のところ何も提供するものではないという事実を際立たせている―にもかかわらず、ベルルスコーニは依然として強力な社会的合意を確保したままであり、北部同盟(イタリア北部の「豊かさ」を分離主義的に守ることを路線の中心に置く右翼政党―訳者)との彼の連合は、彼に対して勝利の可能性を保持している、ということだ。まさにこれが、極めて不確実な情勢を促進している。この不確実性にもかかわらずいずれにしろ、労働者に対する攻撃はためらうことなく続いてきた。
こうしてフィアットは、全国的な集団協約並びに雇用条件を労働組合と交渉する必要性を終わりにするために、危機と労働者の恐れから利益を得てきた。政権はこの方針を支援し労働法令の改革を今考慮している。そしてその一方で公共サービスに対する攻撃―特に公的教育において―は続いている。これが政治情勢に光を投じている。政権の危機は、ただ歓迎の対象となり得るだけだとしても、支配層の危機を伴ってはいない。むしろ支配層は強力になる傾向にある。
この情勢の中で議会反対派は―しかし同時に議会外勢力も―明白に、その登場が完全に不十分だ。民主党(旧イタリア共産党の後継政党―訳者)における混乱と不確かさは、その逆転不能の内部分裂の表現だけではなく、危機の枠組み内にこの党が完全に統合されていることの結果でもある。ギリシャ「救出」のヨーロッパ計画―かの国で労働者が経験した内でもっとも過酷な攻撃―に関する議会における票決の際に、民主党はそこにもっとも関与した党だった。それを忘れてはならない。親EU、親緊縮政策、親経営者の一つになったこの立場は、今やこの党のDNAに取り込まれている。そしてそれは、ベルルスコーニの困難にもかかわらず、この党が一つの声を見出すこともできず、この国で打開力のある役割をまったく負うことができないのはなぜかを、われわれが理解することを可能にしている。
「民主的」反対派の無能さにわれわれはさらに、労働組合運動の大きな部分による経営者の攻撃との共謀を付け加えなければならない。フィアットは、労働者運動を混乱させるために全国的集団協約から何とか逃れ、職場における権利を一九六八―九年以前のレベルにまで引き下げることによって経営者の手を縛るものを残さないよう試みている。フィアットがそのように行動する理由は、クライスラーとの連携以降の国際的要素が、他に何もない中で、労働コスト引き下げのための踏み込みをフィアットに強制していることにある。この攻撃の中でフィアットは、イタリア全経営者を率いている。
政権はこの方針を精力的に支援しているが、同時に二つの労働組合、ICFTU並びにUIL―合わせて約六百万人のメンバーを擁する―も精力的にそれを支持している。単独で五百万人以上を結集しているCGIL(イタリア労働総同盟、旧イタリア共産党の影響下にあったイタリア最大の労組ナショナルセンター―訳者)は現在までこの攻撃に反対しているが、それは大きなためらいの下にあり、しかもその抵抗は、内部で労組左派が多数派である金属労働者の組合、IMFが支えになっている。そして、この秋の最大の動員、全急進左翼が支持する十月十六日の全国デモに対して、主導力を発揮したのはFIOM(金属機械労組、CGIL傘下―訳者)だった。
抵抗の統一と反資本主義左翼
現局面の中心的課題は、諸闘争の統一と社会的再編成という一定の歩みによる、危機に対する抵抗の構築だ。すなわち、危機に対決する諸闘争の統一に向けた取り組みがわれわれの現下の任務だ。今後数カ月われわれは、諸闘争を調整し強化するために、下部から築かれ構築された諸動員という経験を拡張するために、危機に対決する統一委員会を築き上げるために、労働組合と他の社会的主体、たとえば学生や非正規労働者との統一した関係を促進する、それらのために努力しなければならない。十月十六日のデモはこの方向における一歩となるだろう。
不幸なことにこの潜在的可能性は、厳密に言えば直接の政治的回路をまったくもっていない。ここで中道左翼は再度、政治的舞台における適切性を欠いた「割り切れない」性格を示している。民主党はまた再び、カッシーニ率いるキリスト教民主連合のみならずフィニの新党までをも含むと思われる連合の推進勢力として、「新オリーブの木」を持ち出している。それは、完全に防衛的であると共に、その社会的内容が中道左翼政権の惨たんたる経験の継続しか意味しない展望だ。
しかしながら、急進左翼の多数勢力はすでに民主党との連携を選択している。それらはまず、シニストラ・エ・リベルタ(左翼と自由)であり、その指導者、ニッチ・ベンドーラは人気ある指導者となり、今や上院議長の推薦を勝ち取る希望をもっている。次いで残っているものは共産主義再建党であり、この党は議会復帰という希望を唯一の手掛かりに選挙連合を追求している。こうなる理由は、イタリアの選挙制度が再建党に、民主党の政権構想を支持するよう、すなわち、彼ら自身の政治的路線を動かすよう求めることにある。これは単に、その輪郭が依然あいまいな一種の民主連合を生み出す可能性があるだけだ。
われわれの見解では、適切な展望は、まだか弱いままだとしても対置するものとして、中道左翼や民主党とは異なる選択肢を代表できる階級意識ある左翼だ。それは、二、三の単純な細目によって定義される反資本主義左翼だ。その細目とは、民主党の影響力の下の「民主的」連合の外にあること、危機からの出口に関する急進的な綱領、保守主義(「左翼」のそれを含んで)と郷愁(それは依然としてイタリア左翼の多くを特徴づけている)に断固として背を向け、逆に革新的な政治解決を携える、未来に向けた展望だ。そしてそれは、特に社会的抵抗と代わりとなる試論に対してより開放的な新しい世代の中で、社会運動と闘争の諸委員会を引きつける能力を基礎としなければならない。
予想より早い選挙の際には、あるいは来春の地方選挙では、われわれは、これらの特性をもった反資本主義リストの形成に取り組むつもりだ。われわれは、シニストラ・クリティカ(批判的左翼)の旗を立てること、あるいは選挙でわれわれ独自の存在をいたるところに触れ回ること、それらのことに関心はない。われわれが欲していることは、人を引きつけ、革新的で、諸闘争に有益な、さらにそれらの諸闘争によってまた若い世代によって命を吹き込まれる一つの提案に行き着く、ある種の「過程」の建設だ。この提案を基としてわれわれは、われわれの暮らしが利益よりも価値があると改めて再主張するために活用できる政治勢力、何よりも社会的勢力に、今注意を集中している。
▼筆者は第四インターナショナル(FI)執行ビューロー、並びにイタリアのシニストラ・クリティカ指導部のメンバー。シニストラ・クリティカは、二〇〇九年九月、FIとの政治的連帯の立場表明を決定し、その政治的経験と力をFI強化のために
FIと協力して闘っている。
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