かけはし重要記事

frame01b.html

もどる

                         かけはし2002.10.14号より

パレスチナ民族解放闘争の敗北
を克服し未来を切り拓くために

アイシャ・ハンダル/ジュリアン・サラング/ピエール・イブ・サラング

 オスロ合意の破綻とイスラエル軍による自治区再占領という事態の中で、パレスチナ解放運動はきわめて深刻な危機に直面している。全く展望の見い出し得ない状況の中で絶望的自爆テロが続き、左翼諸組織も大幅な後退を続けている。破産したのはPLOアラファト指導部だけではない。以下は、パレスチナ解放運動の綱領的再建をめざす討論のために提起されたものである。(『インターナショナルビューポイント』誌9月号)




はじめに

 ほぼ二年間の対決の後、パレスチナ人民は新たな敗北を喫し、数千の死傷者、多数の投獄者、生活水準のこれまでにない低下と社会生活の深刻な破壊をこうむった。ラマラにおけるアラファト包囲解除の条件は、大きな不満と深い苦痛を感じさせた。これはパレスチナ人民の圧倒的多数にとっては受け入れがたい妥協であり、この新しい決起の戦士と犠牲者に対する侮辱であると思われた。
 この新しい敗北は、集団的熟考の必要性を提起している。そこから将来の政治的行動のための適切な教訓を引き出すことができる。というのは、この敗北は、パレスチナ民族運動のすべての構成要素の政治的破産の状況の中で、戦闘的で英雄的でさえあるが政治的戦略を持たず、不可欠の動員の展望をパレスチナ大衆に提起することができない世代の敗北でもあるからである。
 これらの闘士たちの混乱と不満は今なお大きい。しかし、彼らは熟考し、行動を追及する用意ができていると、私たちは確信している。本稿は、この過程に寄与することを願って書かれたものである。

オスロ合意のわなから領域再占領まで

新世界秩序と「和平プロセス」

 湾岸戦争とイラク人民圧殺後にアメリカ帝国主義が押しつけたワシントン平和協定は、新世界秩序を「アラブ世界」に集中的に適用するものであった。
 「和平プロセス」は、アラブ世界の帝国主義秩序への服従によるアラブ世界とシオニスト国家の関係の正常化を含んでおり、パレスチナ人民の歴史的英雄的要求をイスラエル支配下での部分的自治に置き換えることをパレスチナ人民に受け入れさせるために、パレスチナ人民から見て十分正統な政治的代表の存在を必要としていた。一九九三年九月のワシントン合意は、アラファトが公言した「勇者の平和」とは程遠く、パレスチナ人にとって愚者の取り引きだったことが明らかになった。
 有名な「和平プロセス」は、シオニストの変わらぬ領土征服の企図に一方的に奉仕し、大多数のパレスチナ人の生活条件の絶え間ない低下をもたらした。入植の続行とそれにともなう家屋や農地の没収や破壊、軍隊に保護された要塞化された町の建設、村を分断し農民が畑に行けなくする町を結ぶ道路の建設、労働者を職場に行けなくし生活資源を奪う囲い込み、そして特に、パレスチナ人の土地と水を横領すること。これらの暴力がパレスチナ人に襲いかかった。パレスチナ自治政府は「すべては最終交渉によって解決する」と言ってこれを許している。
 この暴力の上に、占領の責め苦をこうむらない尊大な特権階層(たとえば、多様なイスラエルの支配を避けて領域内を自由に移動できる人々)、パレスチナ自治政府の機構に結びついた官僚の発生、腐敗現象の発展とときどき暴露されるスキャンダル、占領者との構造的協力、意思決定に関する民主主義の完全な欠如、そして権力ネットワークに近い人々の無責任と無処罰性の保証がつけ加わる。終わりのない交渉の対極どころか、「和平プロセスの放棄」どころか、過去十八か月のパレスチナの諸都市のさらにひどい形での再占領を含む出来事がこの合意の結果であった。
 パレスチナ指導部の政治的破産と、組織された政治勢力、特にパレスチナ左翼の側のオルタナティブの不在が、イスラエル政府による民族統一に対する残虐な大衆的弾圧を許す条件をもたらした。
 九月十一日後の情勢は、イスラエル政府がギアをシフトアップすることを可能にした。二〇〇二年三月下旬から四月上旬にかけての「パレスチナ自治」区の軍事的再占領は突然行われたわけではない。その前段に、空爆、活動家を特定した暗殺、市民の殺害、近隣地域や町や難民キャンプの部分的再占領が行われた。事実上の弾圧であるパレスチナ人の町の封鎖政策と移動の権利の制限が強化された後に、再占領は行われたのである。

シャロンの戦略とアラファトの誤り

 よく言われていることとは反対に、シャロンは戦略を持っており、労働党の必要な助力を得てそれを実施している。シャロンは二〇〇一年を通じた発展を検討し、オスロ合意の基本的前提、すなわち民族的熱望を終わらせパレスチナ人の不満と怒りをイスラエル国家の安全と両立しうる限界内に押さえ込むパレスチナ自治政府の能力が有効でなくなったことを見て、交渉を再開する前に地図を根本的に描きなおす必要があるという結論を引き出した。
 可能な種々のシナリオの共通の基礎となるのはパレスチナ人民の大敗北であり、二〇〇〇年九月に始まった新しい決起によって再び力強く高揚した民族的権利への熱望の圧殺である。これは、抑圧と大量テロ、独立国家の信頼性の確立に必要な物質的基盤を根こそぎにしようとする大量破壊、自治政府の政治的中立化と、多くの場合自治政府の直接支配の外にある武装グループの破壊により、政府の真空状態を作り出すことを意味した。
 この攻勢において、シャロンはアラファトの誤りを利用した。アラファトは、交渉の追及とインティファーダの軍事化、特にファタハを媒介とする軍事化、の二面作戦を終わらせることができなかった。今や、パレスチナ人は「正統な代表」が署名したことは受け入れなければならないはずであるから、米国は、パレスチナ人の正当な権利の承認以外のことなら何でも、政治的解決策を強制する責任を引き受けた。これにはオスロ合意のプロセスを終わらせること、その弱点から教訓を引き出すこと、最近のイスラエルによる「軍事的平定」行為後の新しい力関係を考慮することが含まれる。
 その目的は、中東における、特にイラクに対する、帝国主義の攻撃を準備する時間を稼ぐのに少なくとも十分な間、イスラエル・パレスチナ前線を中立化することである。「国家に対するパレスチナ人の権利を考慮した」解決策という政治的約束は、テロ反対の連合へのアラブの同盟国の参加あるいは少なくとも中立化にとって不可欠である。この枠組みは当然、イスラエルが主要入植地をイスラエル領に統合することをはじめとする企図を追求することを可能にするものであった。
 この分離の道は、パレスチナ人追放のオプション、すなわちまずパレスチナ人の排除を促進し有利な情勢になれば大規模に追放を挑発することを除外するものではない。これは、パレスチナ人の生活を「生きていけない」ものにすることであり、あらゆる地平を閉ざし、未来がないことを示し、職業実現や昇進の可能性を阻止することであり、つまり永久的流浪候補者の絶え間ない流れを作り出すことである。出て行くことができない、あるいは出て行こうとしない人々は、隔離され管理された地域に集められる。
 直接政治的レベルでは、「国際的」な顔をした米国のヘゲモニーの下での新しい保護地域の確立をわれわれは目撃している。包囲された孤立した地域、限定された自治を認められた西岸地域と、依然として続く治安管理下で恐らく急速に変化する部分的自治を認められたガザの残りの地域である(地域国家というべきか)。十八か月にわたる抵抗と数千の死傷者、投獄者、破壊の後に、どうしてこのような結果になったのだろうか。

民族運動と左翼勢力の敗北

 オスロ合意によって、イスラエルと米国はパレスチナ解放機構(PLO)をパレスチナ自治政府(PA)の利益になるように枠外に置くことに成功した、と言うことができる。このようにして、占領地域および離散状態で生活するパレスチナ人を代表していたPLOは、政治的役割も意思決定の役割も持たない象徴となった。政治的役割や意思決定の役割はアラファトと彼の取り巻きの小さなグループに握られた。このグループは元PLOもそうでない者もおり、PAを構成している。
 自治政府の政治的プログラムはオスロ合意によって確定された。すなわち、(エルサレムを首都とする独立国家に至ることが約束されているはずの)交渉をイスラエルと行うことであり、パレスチナ人の攻撃に対してイスラエル国家の安全を保証することであり、自治区におけるパレスチナ人の日常生活の管理の責任を持つことである。
 実際には、パレスチナ人の関心は多様である。自決権、独立主権国家の国境、入植地、エルサレム、難民の帰還の権利、政治犯の解放などである。
 オスロ合意のプロセスに反対していたパレスチナ左派の政治的グループは、オスロ合意が「対処が必要な事実」であるという結論をすぐに下した。彼らはPLOに所属しており、自治政府が導くプロセスと手を切らないという態度を正当化したが、これは彼ら自身の意思によるものである。PFLP(パレスチナ解放人民戦線)、DFLP(パレスチナ解放民主戦線)およびPPP(パレスチナ人民党)は、PAが作り出した政治的ゲームに参加することをためらわなかった。政治指導部に参加するほど深入りはしなかったが。
 ハマスはパレスチナ自治政府からの独立性を保つために注意を払い、二つの次元で政治的プログラムを発展させた。第一は、民族解放の次元で、武装闘争を通じたイスラエル占領に対する抵抗である。第二は、イスラム教を通じた民衆教育、すなわち「イスラムが解決策である」という社会的次元である。

パレスチナ左翼の組織的弱体化

 パレスチナ左翼の組織の弱体化はあらゆる調査によって明らかであり(支持率約五%)、現場での観察を裏づけている。すなわち、組織された隊列の弱体化、公然部隊の不在、戦闘的な新聞の配布がないことである。信じがたいことであるが、これらの党は今や、インターネットによる声明の発表を通じてしか存在していないと言われている。
 最初のインティファーダの過程を通じて真の発展を遂げた諸組織のこのような弱体化を、どのように説明できるだろうか。パレスチナ人民の期待は、オスロ合意によって変わったわけではない。自治区では、自治政府の腐敗と無能ぶりは悪評が高い。しかし、これらの問題に政治潮流にはほとんど関わらなかった。このようにしてパレスチナ人民とパレスチナ左翼の政治組織の間に大きなギャップが広がっていった。政党の指導部は、自治政府とアラファトのイニシアティブに対して反応するだけである。民衆の関心事とのこの隔たりは、大衆運動の構築と官僚的統制において、これらの組織が自治政府と役割を共有していることに表れている。

労働組合運動の官僚化と後退

 労働組合の場合を見てみよう。最も重要な組織はパレスチナ労働組合総連合(PGFTU)である。オスロ合意以降統一が強制され、四つの主要政治潮流であるファタハ、PFLP、DFLP、PPPに代表が割当てられた。あらゆるレベルで、書記長はファタハに割り当てられ、他の潮流は指定された指導部組織への参加に甘んじた。
 ファタハが支配的になり、他の潮流、特に労働組合の伝統を持っていたPPPは、この「統一」以降影響力が大きく低下した。PGFTUは、完全にファタハのヘゲモニーの下に入った。組合内部の民主的プロセスは存在せず、活動は、雇用者と被雇用者の間の対立の個々の状況の解決に限定されている。

女性の権利を防衛する運動の現状

 女性の権利防衛の運動の状況も教訓的である。オスロ合意後に、パレスチナ女性総連合が結成された。これは種々の政治的組織に属するすべての女性委員会の互選の結果である。他の女性組織はNGOに変えられた。これは外国資金提供者が決めたプログラムに適応するためであり、外国資金提供者は、組織をサービス供給者に転換させ、女性を受動的受益者にした。これによって、女性大衆と運動の互選された指導部の間のギャップが拡大した。特に一九八〇年代に政治的カードルの真の養成所であった学生運動も、大きく弱体化した。
 パレスチナの「大衆組織」の現実はこのようなものである。一方では政党への依存、他方では自治政府と外国寄付者への依存による弱体化である。外国寄付者は何百万ドルもの補助金を与えることによって、権利のために闘う活動家の運動ではなく、従属的受益者の受動的ネットワークを作り出したのである。

政治闘争を放棄して社会活動主義へ

 真の大衆組織の発展の不在のために、政治勢力は自分たちの活動を、日常生活から派生する要求に応える社会活動主義に切り縮め、政治闘争の領域を放棄し、腐敗したパレスチナ自治政府が民族闘争をイスラエルとの終わりなき交渉の袋小路に囲い込むことを許した。このような状況は、人々が最も良い地位を占めている党に近づいて問題の個人的解決を求める傾向を促進した。最も良い地位を占めているのは多くの場合ファタハであり、時にはアラファト自身の個人的介入である。彼は本質的な権力を自分に集中させていたからである。本質的な権力とは、特に小切手にサインすることである。
 同じ理由から、保護と力を自分たちの「部族」とファミリーの内部に求める傾向が促進されたが、これはあらゆる独立を犠牲にし、あるいは宗教的隔離にまで後退することであった。女性は特にこの現象の影響を受け、最初のインティファーダの獲得物がおびやかされた。

シャロンの挑発と民衆の決起

 二〇〇〇年九月の決起は、自治政府が課した服従や降伏の政策に対する意識的組織的な断絶の兆候ではない。憤激した住民のこの自然発生的決起は、何よりも彼らの具体的実存に根ざした不満と政治的混乱の結果である。この憤激は、二〇〇〇年九月のシャロンの挑発の前から十分に感じられていた。
 決起は、パレスチナ指導部の破産を補償するパレスチナ人民の唯一の手段である。パレスチナ指導部の戦略は、状況をますますアメリカ帝国主義とイスラエル、および最も反動的なアラブ体制への政治的物質的従属に導いている。この決起が独立闘争の歴史的目的を維持する人民の意志を明らかにしているとしても、同時に、オスロ合意の時期の経験の光に照らして綱領・戦略・目的を更新し、そこにこのエネルギーと戦闘性を向ける役割を果たすべき者たちの無能力をも明らかにしている。

二つの支配的潮流の無責任で誤った方針

 二つの支配的政治潮流は人民の決起を回復させることができたが、またもや新しい世代のエネルギーを無駄にした。「勝利までインティファーダ」(ファタハ)や「ユダヤを殺すことはイスラエル国家を弱める」(ハマス)のような力強いが無内容なスローガンを掲げることや、ますます爆弾闘争に切り縮められている武装闘争を唯一の道として実践することによって、これらの二つの潮流はパレスチナ自治政府に対する民主的大衆的オルタナティブの構築を妨げた。
 彼らは代わるものがいないおかげで成功し、パレスチナ大衆は武装闘争か降伏かを選択することを強いられた。この決起は、展望も手段も与えられずに放置された。自治政府(アラファトと取り巻き)、民族主義者およびイスラム政治勢力、あれこれの地方指導者のまわりのグループは、武装した少数者の行動の発展を促した。これらは無秩序の中で、いかなる集団的民主的議論もなしに行われた。左翼組織の破産は、第一に、力関係とその変化を分析する能力の完全な欠如によって説明される。
 民族主義運動やイスラム運動の組織や潮流も、この問題にかかわりがある。力関係の現実、対決の帰結、イスラエル占領と人民の抑圧への実際の影響に関する、多少とも真剣な分析は系統的に避けられている。パレスチナ民間人を襲った攻撃や破壊を正当的に非難するために誠実に記述している場合でも、これらの組織のアピールは必ずパレスチナ大衆の「不屈の決意」を再確認する言葉で終わっている。人民の無敵の抵抗のレトリックは、ときには本物の無分別に転化する。
 自爆テロも、系統的に手段を与えられ、アラブの金持ちが所有する衛星放送網の支援を受けている。この衛星放送は、何の政治的メッセージもない殉教者たちのビデオを放送し、政治的絶望の行為を英雄的勝利に変えている。確かに、大義の不屈性のレトリックは、パレスチナ人民の敗北と悲劇の責任に対処することを避けるのに何よりも役立つであろう。
 「あらゆる手段でイスラエルの攻撃に抵抗しよう」というアピールが、アラファトのラマラからの「解放」を可能にした裏切り的な合意の前段に出されたが、ここには利用可能な手段についての何の真剣な分析もなかった。夜間外出禁止令がパレスチナの町に出されているときに、デモンストレーションを呼びかけたのである。
 これはもはや単なる無能力の問題ではない。「団結した人民の闘争の不屈性」というおろかな主張を理解するには、ヘリコプターが攻撃し、戦車が居住地域に突入してあらゆるものを踏みつぶしているときに、難民キャンプや村の人々が直面する恐怖を決して共有しないことが必要である。あるいは、アラファトのように、責任をとることを恐れて現実を拒否することである。彼は「ジェニングラード」に関する立派な言葉の後、あえてジェニンのキャンプへ行こうとはしなかった。

人民の闘争が受けた打撃の厳しさ

 パレスチナ人民の闘争の意識と能力がこうむった打撃の厳しさとその結果を否定することは、闘争の戦略の重要なモーメントに立ち向かうことを避けることである。重要なことは、今終わった局面の教訓を引き出し、将来に目を向けることである。今日、避けることのできない問題は次のとおりである。非武装の人民を敵軍の残酷な圧倒的な攻撃にさらした戦略と指導者について、どんなバランスシートを作成する必要があるか。長年平和の歌を聞かせてきた一般住民に、最低限の準備も防衛手段もなしに対決を押しつけることを決定した指導者のバランスシートはどうなるのか、ということである。
 政治的指導者や戦士の殺りくから派生する避けがたい「復讐」の願望を制御できず、二〇〇一年十月から二〇〇二年二月の難民キャンプに対するさまざまなイスラエルの攻撃や侵略によって解き放たれた力学を、完全に確立した計画に従って統御できずに、PFLP、DFLP、およびファタハは、自治政府の破局的路線に代わるオルタナティブを発展させる能力がまったくないことを示した。
 各組織は中心問題に目を向けることを拒否している。現在の力関係の状況の中での闘争形態の問題、特に武装行動と、とりわけ民間人への攻撃の妥当性の問題である。民間人への攻撃が、イスラエルがパレスチナ人を全面対決に引きこむことを可能にしている。

戦略的再建が求められている

 「原則の宣言」以降とオスロ合意の時期を通じて設定された枠組み全体が今や破産したと言うことは必要である。しかし、それだけでは十分でない。新しい戦略は何か、という問題が明らかに提起されているからである。
 一部の人々にとっては、過去に回帰し、オスロの局面から負のバランスシートを引き出し、自治政府と手を切ってPLOの復活を試みようという強い誘惑が存在する。PLOはもはや事実上存在しないのだから、ことは簡単に見える。
 オスロ合意と自治政府によって枠外に置かれたことにより、「パレスチナ人民の唯一の正統な代表」はもはや単なる抜け殻となり、まだ必要かもしれないと考えている人々によって注意深く保存されている。アラファトのように。彼は、死体をよみがえらせ、政府のモードを変えようとしていると思わせたいのである。あるいは、PPPの指導部のように。彼らにとってPLOは、PAへの公然たる協力のためのベールを提供する(PPPは政府に参加している)。
 したがって、二〇〇二年五月に出たアピールの中でPPP政治局は、指導部の弱点についての長いリストの後に、PLOと特にその執行委員会の再活性化を提起した。PFLPもまた、PLOの麻痺状態を嘆き、「すべてのパレスチナ人の獲得物」を排除しようとするいかなる企ても非難すると語っている。
 PFLPは自治政府に参加していない。パレスチナの部分的自治の確立に結びついたいかなる「利益」も拒否し、たとえば、追放された政治的カードルが占領地域に帰る権利をイスラエルから誘われても拒否している。それでもなお、自治政府には参加していないが、アブ・アリ・ムスタファが二〇〇〇年五月の「オスロの成果」で述べているように、PFLPはオスロ合意が設定した政治的ゲームの枠外にいることを望んでいないのである。このような条件の下では、PLOはアリバイとして役に立つ。PFLPの指導者がアラファトと会見したとき「PLOの執行委員会議長と会見した」と言うことができる。
 パレスチナでは、多くの戦士や元戦士が、破局的なオスロ合意への道に民族運動を巻き込んだ責任がPLOにあることに気づいている。また、PLOの現実を多くの人々が経験している。すなわち、交渉の年月の間枠外に置かれ、PLOはこの十八か月にわたって、特に最近数か月のイスラエルの攻撃の間、まったく存在していなかった。しかし、ページをめくって「PLOなき」闘争の追及を想像することは容易ではない。
 この困難は、パレスチナ左翼の戦士たちが、資本主義的グローバリゼーションに対する闘いの中で活動家たちが反帝国主義や社会的解放の闘争の切れた糸を再びつなぎ直すことを可能にしている論争や行動と切り離されて、大いなる孤立の中で闘いを行っているために、いっそう現実的な困難となる。
 彼らの多くにとって、湾岸戦争以降の闘争の後退を説明する常套的中心的理由は、依然としてソ連崩壊である。古いナセル主義的ポピュリスト的民族主義やスターリン的教条主義的な「マルクス・レーニン主義」では、ハマスのイスラム的民族主義的傾向の高まりの意味を把握し、シオニスト国家と資本主義の全般的拡張の補完的関係を理解するには不充分である。
 米国に償いを要求するアラファトの熱烈なショーは、PLO指導部が自己の運命を米国の裁量にゆだねることがいかに誤っていたかを劇的に示した。米国政府がイスラエルに与えた完全な無条件支持は、世界帝国主義の議論の余地のない指導者とこの地域の資本主義的グローバリゼーションの利益を防衛する重要な政治的軍事的役割を付与された植民地権力の結びつきから派生したのである。
 この次元を評価してみれば、たとえ従属的地位であっても自己を資本主義的グローバリゼーションの枠組みに統合しようとするアラブおよびパレスチナ・ブルジョアジーの意思が認識されるであろう。
 「正義と法律の尊重」の呼びかけや「国際社会」の介入を求める絶え間ないアピールによって、行き詰まりはますます明らかに示されているが、このことは同時にパレスチナ人民の解放闘争の反資本主義的社会的次元の復帰を示している。この次元は、イスラエル社会の危機の深刻化によって強まるだろう。イスラエル社会では、社会的不平等の急激な発展は、「テロリストによる危機」へのすりかえによってかろうじて覆い隠されているに過ぎない。

反資本主義的覚醒へのベクトル

 民族解放運動が必要としている綱領的再建においては、イスラエル社会を支配しているショービニスト(排外主義)的民族宗教的ナショナリズムからのイスラエル労働者の決別を助ける戦略の実施という中心的問題に取り組むことが必要である。イスラエル・プロレタリアートの中でパレスチナ人が占めている位置を考慮するなら、イスラエル労働者は新しい民族解放の企図において、イスラエル内部の「第二戦線」として全面的に統合されるべきである。
 パレスチナ人が彼らの闘争の反資本主義的次元を同様に明確に肯定することによって、アラブ街の自然発生的な感情と支持を、帝国主義と戦争に反対する闘いへの参加に転化することが可能になる。今日、アラブ大衆の不満の象徴となっているパレスチナ人の闘いへの支持を、反資本主義的覚醒のベクトルへと転換し、資本主義的グローバリゼーションへのアラブ体制の屈服に反対し世界資本主義秩序への参加の政策に反対する行動の原動力に転換することができる。帝国主義とこの地域のアラブ人民の間の対決を体現しているパレスチナ人民の闘いは、このようにして、アラブ諸国の運動の発展と資本主義的グローバリゼーションに反対する運動の合流をもたらすことができる。

集中した民主的討論こそ必要だ

 社会秩序と独裁体制に挑戦することにより、パレスチナ左翼はイスラム主義と闘い、イスラム主義が反帝国主義と独立闘争を体現しているかのような見せかけに異議を唱えることができる。前提条件なしの、公然たる集団的民主的議論が今や必要である。オスロ「和平プロセス」の悲劇的結果は、パレスチナ民族運動の戦略的行き詰まりを明らかにした。イスラム勢力成長への道を阻止し、新たな惨劇を避けたければ、左翼の戦士たちは、民衆の不満の理由を分析し、PLOの正統性の危機を理解し、戦略的および組織的再建に集中しなければならない。民主的討論によってのみ、この必要な再構築の枠組みを発展させることができ、今日重要なことを偏見やタブーなしに始めることが可能になる。

新たな政治綱領を獲得するために

 アラファトは、暴力的行動の発展は米国とイスラエルへの圧力になると考えたのだが、決起を少数派の武装行動に転換したことにより、力関係がイスラエルの側にまったく有利な領域へと決起を導いてしまった。パレスチナ指導部は、マヌーバーの余地を拡大するどころか、ますますイスラエルと米国の要求のとりこになっている。このことは、現在進行中の政治改革のパロディと、制約下での選挙の組織化に現れている。
 たとえば、分権の必要性に関するアラファトの演説の二日後に、自治政府は裁判所の決定に従ってサダト(PFLP指導者)を釈放することを拒否した。イスラエルと米国の要求に対する、アラファトのこれらの新しい屈服のグロテスクな性格だけでなく、その政治的意味をわれわれは理解する必要がある。新しい政府が本質的に前の政府のコピーに過ぎないという事実によって、治安(占領への抵抗の抑圧)や財政(PAに認められた資金の使用の統制)の分野でのこれらの要求への屈服の増大を見過ごしてはならない。
 民主的に議論された民族的政治的綱領の不在と、したがって人民にとって可能な選択肢の不在の中で、選挙はどんな意味を持ち得るだろうか。占領地域の外部に住むパレスチナ人を投票から排除することを前もって自治政府が受け入れたことは、来るべき降服、特に難民の帰還の権利に関する降服を予見させる。さらに、占領下で恒久的な軍事的抑圧と対決しながら、日常生活の基本的営みが行えないような制約を受けながら、人々はどのように投票できるだろうか。
 今日重要なことは、米国とイスラエルが突きつけている挑戦と、敗北が呼び起こした不満と苦痛に同時に応えることである。占領者とその国際的支持者たちが設定した条件の下での選挙においては、パレスチナ人はパレスチナ社会内部の政治的行動の必要な刷新を行うことはできないだろう。「和平プロセス」へのパレスチナ政治勢力の統合と、その後「オスロ潮流」に統合された諸政党がこうむった政治的希薄化と有効性の消失から、教訓を引き出す必要がある。
 思い描くことのできる選挙は、新しい正統性の基礎を提供できる選挙しかない。すなわち、日常生活の重要問題を解決し、絶え間ない入植者の侵略に対して民主的に決定された闘争様式と闘争形態で立ち向かうために必要な、緊急プログラムの基礎をパレスチナ人全体が議論し規定できる自由選挙である。その先に、新しい憲法制定会議の選挙の中で、社会的民族的解放の目的と手段を表明した、今日住んでいる場所に関係なくすべてのパレスチナ人に対して提起される新たな政治的綱領の作成に不可欠な議論が可能になるだろう。


もどる

Back