| JCO臨界事故から3年 かけはし2002.10.14号より |
九月二十九日、東海村石神コミュニティーセンターで「臨界事故に時効はない!三年目の市民・住民のつどい」が開かれ、主催者の予想をはるかに上回り、約六百人が集まった。一周年そして二周年の集会に引き続き、原水禁国民会議、原子力資料情報室、茨城平和擁護国民会議、反原子力茨城共同行動の共催で行われた。
会場に用意された四百余りの椅子はすでに開場前に埋め尽され、満杯の駐車場を避けてパレード解散地の東海村役場から徒歩で戻って入場する参加者がしばらく続いた。集会では、JCO臨界事故総合評価会議の弁護士の伊東良徳さん、東北大の長谷川公一さんの報告をはさみ、「臨界事故被害者の会からの訴え」が行われた。
九月三日にJCOとその親会社である住友金属鉱山を相手取り、水戸地裁に提訴した原告の大泉昭一さんから裁判に至った気持ちと怒りが語られ、表立って訴えられなかった住民のためにも裁判で勝利しようという強い決意が語られた。
訴状では「この地域では原告らの他にも健康被害を訴えている者がある。裁判の必要を感じながらも、結婚や就職、学校でのいじめなどの差別を恐れて提訴できなかった者がいる。自らに何の落ち度もない被害者である被曝住民が、被曝したというだけで差別の対象とされる。まして、そのことを公表して訴えることによってどのような差別を受けるかを恐れて多くの住民が提訴をあきらめたのである」と、るる語られている。続いて「裁判を支援する会・準備会」の藤井学昭さんから、十月二十日の「支援する会・結成集会」への参加と支援のよびかけがなされた。
屋内での集会後、パレードに移り、JCOの正門前では集会で採択された集会アピールが再度読み上げられ、怒りと責任追及のシュプレヒコールがあげられた。
県が中心となって行われた防災訓練のほか、東海村では住民有志などが村行政を巻き込み、独自に防災についての研究会なども三周年の同時期に行われている。「二度と事故を起こさせない決意」をもち、推進側とも一線を画した住民の動きが活発化している。「JCO事故の教訓が日本の脱原発政策のきっかけとなった」と後に語れるよう、大泉さんが提訴した「臨界事故被害者裁判」を支える運動を広げていこう。(S)
臨界事故の悲劇を繰り返すな!
「原発の廃止」を求めて東京で抗議の集会とデモ
九月三十日、「JCO臨界被曝事故三周年集会」が開かれた。三年前のこの日に発生した茨城県東海村の核燃料加工工場JCO東海事業所の臨界事故は、三人が致死量以上の放射線を浴びて二人が死亡、周辺住民を含めて政府発表でも六百六十六人が被曝、半径十キロ圏の三十一万人が屋内退避するという、日本の原子力開発史上最大の事故となった。
それから三年、東京電力をはじめあらゆる電力会社がボロボロ化した原発の無数の損傷を隠し、データを改ざんし、密かに修理し、あるいは修理もしないまま無謀な運転をし続けてきたことが発覚し、次々に運転停止に追い込まれている。コスト削減のためのずさん極まりない作業で悲惨な臨界事故を引き起こしたJCOの体質が、原発と原子力開発のすべてに貫かれたものであることが、疑問の余地のない事実として露呈したのだ。
この日、東京では、首都圏でJCO臨界事故を追及してきた首都圏の反原発運動団体が集まり、「臨界事故三周年行動」に取り組んだ。臨界事故が発生した午前十時三十五分、経済産業省別館の原子力安全・保安院前で追悼と抗議の集会を開き、命を奪われた二人の犠牲者に黙祷するとともに、死亡した末端の労働者に責任を押しつけて事故の真相と責任の究明に幕引きをはかろうとする原子力安全委員会の「最終報告書」を糾弾し、事故原因の再調査を求める申し入れ書を経済産業大臣あてに提出した。
3年間の活動の上に脱原発の闘いへ
午後六時半からは、中央区京橋プラザで二百十人が参加して集会が開かれた。最初に柳田真さん(たんぽぽ舎)が基調報告を行った。柳田さんは最初に、事故の責任追及と真相究明のためにこの三年間に積み重ねてきた活動を振り返った。そして、住民被曝者の体調が悪化し続けているという「JCO臨界事故総合評価会議」の「生活意識調査報告」(別掲記事参照)を紹介し、住民被害者の補償交渉がほとんど進展していない現実を厳しく批判した。
また、JCO裁判の証言を詳しく見ると事故の原因が許認可にあったことがますますはっきりしてきており、科技庁と安全委は責任をまぬがれることはできないと指摘した。最後に、今後の運動の方向として、@事故の真相と責任追及A臨界事故被害者の会の運動を支援するB電力会社と国が一体となった原発データ改ざんと事故隠しの責任追及C原発廃止を掲げたキャンペーンを強化する――の四点を提起した。
「バケツの使用は正しかった!」
槌田敦さん(名城大教員)は「バケツの使用は正しかった」という刺激的なタイトルで、臨界事故の原因を解明する講演を行なった。槌田さんは、容量九・五リットルのバケツなら中濃縮ウランでも臨界は起きなかったが、科技庁と安全委が百リットルの沈殿槽の転用を許可したため、形状と容量による複雑な臨界管理が必要となり、臨界管理についての指導を全く受けていない作業員が質量制限の六〜七倍を投入して事故発生となった、と述べた。
そしてその背景は、JCOが契約単価を引き上げるために、本来は不必要で契約書にも記されていない「濃度の均一化」を行なって作業を複雑化したことにあると指摘した。さらに、日本の原子力技術者の無知さが事故への対応を遅らせ、被害を拡大したことを指摘し、臨界を止めるために動員されて高線量被曝した多数の従業員のなかに、事故から三年後の今日、すでにがんなどの発病が始まっているはずだと指摘した。
その上で、周辺住民のなかに事故直後に現われた頭痛・吐き気・食欲減退・全身疲労などの症状は、排気塔から大量に放出され続けた短寿命のヨウ素135・134・133・132の吸入による典型的急性放射線障害であって、ヨウ素131による甲状腺被曝だけを問題にする事故対策の「常識」を厳しく批判した。そして原発事故が起きた時の対策は、「とにかく可能なかぎり早く逃げること」しかなく、逃げ遅れれば短寿命のヨウ素による強烈な被曝は避けられない、と警告した。
山崎久隆さん(たんぽぽ舎)が「電力会社と国の事故隠し―傷だらけの原発を運転するな」と題する特別報告を行ない、続いて「臨界事故被害者の会」の大泉実成さんが、JCOと親会社の住友金属鉱山を相手取って健康被害などへの補償に五千七百万円の損害賠償を求めて、九月三日に水戸地裁に提訴した裁判について報告した。
被曝者への差別に抗しJCOを提訴
大泉さんは多くの住民被曝者が、訴訟で名前を出せば子どもの将来の結婚差別などにつながるのでは、という悩みや原子力漬けになっている村のあらゆるところからの圧力のなかで提訴の断念に追い込まれているという厳しい現実を語った。
「裁判をやっても病気は解決しないし差別も何一つ解決しない。でも無責任に開き直るJCOに腹が立って、その原因を作った国と動燃の無責任さに腹が立って、なんとか被害者の会として裁判をやることにまとまった」。大泉さんはこのように述べて、裁判への支援を訴えた。
集会後、銀座から東京電力前を通って日比谷公園までのデモを行ない、「JCO臨界事故を忘れないぞ!」「死者に事故の責任を押しつけるな!」「国と電力会社の事故隠しをゆるさないぞ!」「傷つき原発の運転OKを許さないぞ!」「原発のない社会を作ろう!」と訴えた。(I)
事故から3年―何が見えてきたか
「JCO臨界事故総合評価会議」の報告を聞く
九月二十七日、東京・全水道会館で報告集会「JCO臨界事故―3年後に見えてきたもの」が開かれた。主催は「JCO臨界事故総合評価会議」。会場には反原発運動の活動家や研究者など七十人が参加して、総合評価会議の中間報告の発表を聞き、それをめぐって意見交換を行なった。
九九年九月三十日に茨城県東海村で発生し全国を震撼させたJCO臨界事故から三年が経過した。事故では三人の労働者が致死量に達する放射線を被曝して二人が死亡、政府発表でも周辺住民など六百六十六人もの被曝者が出た。半径十キロ圏の三十一万人に屋内退避が呼びかけられ、常磐線など周辺の鉄道もバスも工場も商店も学校もすべて止まった。二十時間にわたって続いた臨界状態が終息するまで、窓も換気扇も締め切った屋内で、何十万人もの人々が息をひそめて恐怖にさいなまれるという状態に追い込まれた。
この日本の原子力開発史上、最悪の事故がいったいどのようなものだったのか市民運動サイドから調査研究するために、原子力資料情報室の故・高木仁三郎さんや原水爆禁止日本国民会議の井上年宏さんなどの呼びかけで集まった各方面の専門家によって、九九年十二月にJCO臨界事故総合評価会議が発足した。
集会では十章に別れた中間報告のうち、伊東良徳さん(弁護士)が第一章「JCO刑事裁判でこれまでに判明した事実」を報告、古川路明さん(四日市大学・核科学)が第四章「中性子線放出の際の被曝線量に関する考察」、第五章「臨界事故に伴う放射能の放出」、第六章「濃縮ウランからの中性子放出」を報告した。さらに長谷川公一さん(東北大学・社会学)が第七章「第二次住民生活影響調査の分析」を報告、最後に末田一秀さん(自治労)が第八章「オフサイトセンターに見る原子力防災の問題点」を報告した。
科技庁も安全委もJCOの共犯
伊東さんは、東電から始まってあらゆる電力会社に広がった原発事故隠しとデータ改ざん問題で、だれの指示で改ざんを指示したのか、直接指示した幹部の責任はどうなるのかなどがまったく解明されないまま、逆に事故隠しを合法化する「維持基準」という規制緩和を行なおうとする原子力安全・保安院の姿勢を厳しく糾弾し、「JCO事故の調査で事実関係をあいまいにしたまま幕を引こうとしていることと一体だ」と指摘した。
伊東さんは、裁判で明らかになった転換試験棟での現場作業法の変遷を示しながら、もともときわめて使いにくく工程を省略した違法操業を必然化する構造になっていることを指摘し、それをほとんどまともな審査もせず許可した安全審査の驚くべきずさんさを批判した。
核燃料をJCOに発注する動燃という利害関係者が科技庁に職員を出向させ、その職員が安全審査を担当し、しかも原子力安全委員会の第二次審査も第一次審査の担当者が左右するという、驚くべき「安全審査」であった。しかも、濃度管理ができないシステムであることが素人でもわかる構造なのに、濃度管理で臨界を防止するというJCOの言い分をそのまま通しているのだ。
古川さんは、放出された中性子線の量とその生体への影響などについて、グラフや図を示しながら駆け足で解説し、JCO敷地内で採取された土壌に濃縮ウランが含まれていること、低濃縮ウランを含む六フッ化ウランを保管している建物の周辺で、現在も中性子が放出され続けていることなどを報告した。
住民の健康への影響と不安と
長谷川さんは、事故から二年四カ月後の今年二月にJCOから〇〜二キロ圏の東海村と那珂町で行なった第二次生活影響調査について報告した。
第一次調査は二キロ圏の全住民二千六百八十三世帯のうち九百八十六世帯を無作為抽出し、六百九十二所帯から回答を得た(回収率七三・二%)。第二次調査は第一次調査で回答したすべての世帯に二十三項目の詳細な問いを記した調査費用を三部ずつ配布し、五百三十五世帯から高校生以上の千八部の調査票を回収した(世帯レベルの回収率七七・四%)。JCO臨界事故は、中性子線が二十時間近くにわたって住環境を汚染し続けるという世界に例を見ない事故であり、中性子線が人体に与える影響についてはデータが乏しいため、この調査は放射線被害の研究にとっても重要だ。
体調の変化については、三百五十メートル圏では「少し悪くなった」と「かなり悪くなった」と合わせて三七・二%に達している。JCOとの距離と体調の変化については有意の変化が認められるが、年齢の増加との関係では有意の変化は認められない。年齢に関係なく体調の悪化が生じている。症状としては頭痛、めまい、発疹やかゆみ、体がだるい、疲れやすくなった、風邪をひきやすくなった、眠れないなど。
意識の変化では、東海村への原発の増設については賛成が一五%、反対が七六%で、総理府調査より反対が一三%以上増えている。「自分や家族への将来の放射線の影響」を心配する人は六四・二%に達しており、「いずれは再び重大な事故が起きるだろう」と考える人も五五・八%に達している。事故の風化は進んでいない。
ずさん極まりない原子力防災対策
末田さんは、事故調査委員会の中間報告にもとづいて作られた防災に関する新しい法律の最大の売り物であるオフサイトセンターを中心に、原子力防災の問題点について報告した。オフサイトセンターは、原子力防災専門官と原子力保安検査官が常駐し、緊急事態宣言時には国の行政機関、自治体、原子力事業関係機関、専門家が一堂に会して情報を共有化し対策にあたる事故対策の中心機関とされ、今年の春までに各地に建設されている。
しかし、たとえば静岡県の中部電力・浜岡原発や北海道電力の泊原発のオフサイトセンターは原発からわずか二キロの地点にあり、緊急事態宣言を出すほどの重大事故が起きればそもそも使用不能になってしまうのである。しかも、東京から専門家たちが集まろうにもヘリポートもなく、除染室のシャワールームには汚染された着衣を処理する脱衣所もなく、そのうえ建物に気密性もないという、真剣に考えたとは思えないものばかりだ。
運営上の問題はもっと深刻だ。各省庁や自治体などから寄せ集められた人たちが、事故が起きてからチームを作るために、まず自己紹介から始めなければならない。東京から担当者が集まらないと仕事を始めることもできず、JCO事故で東海村の村長が自らの判断で三百五十メートル圏の村民を避難させたような緊急の独自の行動も不可能になってしまうのである。
情報も国に統制される。プレスをオフサイトセンターに入れるなという指示が出されている。別の場所にオフサイトセンター内の画像が音声抜きで配信されるということになっている。何が討論されているかは報せないというのだ。
オフサイトセンターに合同対策協議会が設置されるのは、緊急事態宣言が行なわれたときだが、宣言が出されるのは敷地境界で五〇〇マイクロシーベルト/時(自然界の約一万倍)という放射線が検出されたとき、とされている。これに対して原発が立地する宮城、福島、新潟、茨城、福井、愛媛などの各県では、五マイクロシーベルト/時を検出した時点で災害対策本部を設置することになっている。百倍もの規制緩和だ。末田さんは、「チェルノブイリ級の事故が起きなければ使わないというのでは、ただ対策をやってますよというために、ハコモノを建てただけではないか」と指摘した。
報告に対する質疑が行なわれ、主催者から九月二十九日に東海村現地で開かれる「臨界事故に時効はない!三年目の市民・住民の集い」への参加が呼びかけられた。 (I)
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