もどる

声明                          かけはし2010.7.5号

危機のツケ回し拒否する全欧州的大衆動員を

フォーラム社会的欧州―欧州労働組合活動家ネットワーク


 「フォーラム社会的欧州――欧州労働組合活動家ネットワーク」(FSE)は六月九日、十日にブリュッセルで会合を行い、欧州経済危機の政治的・社会的諸結果と、労働組合活動家や社会的諸勢力が対処する必要がある問題について討論した。
 この会合では、ギリシャ、スペイン、ブルガリア、アイルランド、イタリア、ポルトガルなど多くの国から報告が行われた。これらの諸国すべてにおいて、労働組合、労働者、そして全体としての民衆は、賃金、労働条件、公共サービス、社会的給付の面で厳しい攻撃を経験してきた。失業が広がり、貧困が拡大している。多くの国では、全国レベルの団体協約、年金、労働組合の権利が大きく切り捨てられ、弱体化してきた。労組との交渉を通じてではなく、政府の指令によってである。
 このようにして、政府、経営者、欧州の制度的諸機関、国際通貨基金(IMF)は、金融・経済危機のツケを労働者に支払わせようとしている。われわれには、危機をもたらした新自由主義政策、下層から上層への富の再配分、投機経済への責任がないにもかかわらず、である。情勢は劇的なものとなっている。われわれがこうした危機の発展を止めることができなければ、労働組合と労働運動は、欧州における歴史的敗北に直面することになる可能性がある。
 情勢は、こうした敗北を阻止するために全欧州での大衆的動員を呼びかけている。したがってFSEネットワークは、欧州におけるわれわれの仲間とすべての労働組合に対して、こうした敗北を阻止するための緊急かつ調整された行動を訴えるものである。

われわれは提案する

b労働者たちが相互に対立して行動しないようにするために、各国における具体的な展開を全欧州の労働者に周知させる包括的な情報キャンペーン。
b緊縮プログラムや、賃金・労働条件・年金・社会政策への攻撃に反対して行動することを決定した労働者に対する全欧州的な支援の動員と組織化。
bわれわれの抵抗を強化し、われわれが置かれている状況について討論し、破綻した新自由主義政策に代わる要求、オルタナティブ、戦略を発展させ、あらゆる形態の金融投機を葬り去る――つまり雇用を創出し、欧州における環境的にも社会的にも持続可能な経済を作り上げるため欧州労働者会議のできるだけ早い組織化。
b労働組合が経営者たちに対して新たな、より攻勢的な態度を取らせ、組合員を活性化させ、国際的な展望と調整を強化し、経営者、政府、金融資本による攻撃の結果としてのより厳しい対決にわれわれの労組を準備させるために、どのようにして政策と活動方法を変革するのかについて、欧州の労組運動の中での討論の主導。
b全欧州的イベントとして二〇一〇年九月二十九日にデモの組織化。幾つかの国の首都でデモを行うとともにメインの行動をブリュッセルで開催する。

「フォーラム社会的欧州――欧州労組活動家ネットワーク」とは

 「フォーラム社会的欧州」は十二年前に創設された、幾つかの欧州諸国の左派労組活動家のネットワークである。その出発点は、生活と労働の諸条件が欧州レベルの政策によって影響を受けるようになる度合いが増し、労働組合がこのプロセスに有効な影響力を持っていないという事実によるものだった。
 フォーラムの目的は、支配的な新自由主義の論理への政治的オルタナティブを構想するために、欧州と欧州レベルの政策の展開に関して広範な社会的討論を促進することにある。それはまた、欧州の労働組合運動が自らの制度的・国家的障壁を克服し、強力な運動となることに貢献するだろう。
 フォーラムのメンバーは、強力で自立的な労働組合運動が、社会的欧州の創出に不可欠であると確信している。われわれは、労働組合がまず第一の運動であり、制度的限界に拘束されるべきではないという確信に従って、被雇用者とその組合が主人公となる社会的発展のプロセスを支持する。
連絡先:ホルスト・シュミッテンナー 
Horst.Schmitthenner@igmetal.de




タイ
国際的黙認に対抗し
弾圧に反対する国際
アピール運動始まる


 タイにおける反対派勢力への厳しい弾圧と体制側の暴虐は、情勢が求めている連帯の反響と国際的非難を引き起こしてはいない。こうして体制側は自由に行動し、民主主義的運動を窒息させることが可能になっている。
 タイからのニュースは恐怖に満ちたものである。子どもをふくむ幾百人もの人々が緊急令違反を理由に拘束されている。負傷した人々が病院のベッドに縛りつけられている。幾人かの「赤シャツ」地域指導者が暗殺された。この国は、権威主義的・軍事主義的体制に向かっていっそう深く進んでいる。エリートたちは選挙を六年間延期することすら考慮しており、かくしてアピシット・ヴェイジャジヴァ首相が民意に反してこの国を十年間にわたって指導する可能性を与えているのだ。
 タイの社会はあらゆる点から言って、深刻なまでに不平等である。「赤シャツ」は声高にかつはっきりと、かれらが被っている不正に対して闘う決意を表現してきた。かれらはバンコクの支配体制に対して地域的多様性を守るとともに、階級の運動であることを表明してきた。
 「赤シャツ」運動には、分岐や問題点がないわけではない。一部の人々は、腐敗した政治家であるタクシン・シナワトラ元首相の復帰を支持している。しかし運動は圧倒的に、虐げられ、踏みにじられた社会の反乱を表現しており、その要求は民主主義と社会的公正である。
 「赤シャツ」は、バンコクの街頭をデモすることによって、政治的意見と要求を表現するという基本的権利を行使しただけだった。アピシット・ヴェイジャジヴァには、この弾圧と死傷者への全面的な責任がある。なぜなら、彼は意味ある交渉を行うのではなく、運動の分解をはかる賭けを行い、失敗してしまったからである。そこで彼は、弾圧的法規にうったえて(王制への陰謀、テロリズムという非難)、ついには流血の惨事を組織化したのである。
 このアピールの目的は、簡単な二つの事柄である。国際的レベルで連帯運動を開始し、タイの体制に対して「赤シャツ」への弾圧をやめ、基本的な自由を尊重するよう訴えることである。
 世界のすべての地域から百人以上の大学教員、研究者、作家、ジャーナリスト、労働組合活動家と政治活動家、議員がこのアピールに署名した。さらに新しい署名が期待される。(ダニエル・サバイ、ピエール・ルッセ)


アピール
タイでの弾圧反対、すべ
ての拘束者を釈放せよ



 「赤シャツ」は二カ月以上にわたって、民主主義と社会的公正という自らの要求を支えるために決意と目標をもってバンコクの街頭で動員を行ってきた。
 アピシット・ヴェイジャジヴァが率いる政府は、こうした要求に対して暴力と弾圧で対処する道を選んだ。政府は軍の兵器を使ったデモの解散を認め、深刻な人権侵害に関与した。その結果はきわめて重大なものだった。少なくとも八十九人が死亡し、二千人近くが負傷した。
 今や、民主主義的諸権利は尊重されていない。反対派に対して九十九の逮捕状が出ている。被拘禁者のほとんどが収容されている場所は秘密にされている。政府はオルタナティブ・メディアへの検閲を実施している。課される刑罰はきわめて厳しいものだ。「大逆罪」での三年〜十五年の懲役から「テロリズム」での死刑にまで至っている。
 政府は「赤シャツ」を「テロリスト」であるかのように扱っている。「赤シャツ」は複雑な要素からなる運動だが、そのメンバーはおもに普通の貧しい民衆であり、彼らの最も初歩的な政治的権利――選挙結果の尊重といった――は無視されてきた。
 タイ政府はタイの民衆を勝手気ままに弾圧しつづけることができている。タイ政府による不断の人権侵害は、国際的連帯や批判に見舞われなかったためである。われわれはすべての進歩的・民主主義的組織に、タイでの弾圧の中止と基本的諸権利の尊重を求めるよう呼びかける。それは政治囚の解放と「赤シャツ」への脅迫・告訴を終わらせることから始まる。
 われわれは、タイ政府が非常事態宣言を解除し、ただちに民主主義的自由を再建すること、すなわち「赤シャツ」への弾圧をやめ、いささかの遅滞もなくすべての投獄されている人々を釈放することを要求する。

第一次署名者 以下109人の連名(略)

▼ダニエル・サバイは「インターナショナル・ビューポイント」アジア担当通信員の一人、ピエール・ルッセは第四インターナショナル執行ビューローのメンバー
(「インターナショナルビューポイント」10年6月号)


投書
「ビルマVJ 消された革命」を観て

SM

 ドキュメンタリー映画「ビルマVJ 消された革命」(アンダース・オステルガルド監督作品/2008年/デンマーク映画)を観た。
 この映画は、ビルマの軍事独裁政権による弾圧と闘う勇気ある市民たちを描いている。この映画は、ビルマの真実を報道する市民メディア(ビルマ民主の声)のビデオジャーナリストたちの勇気ある闘いの記録でもある。
 不当な暴力は、許されない。だが、正当防衛なら、許される。革命的非暴力主義者は、革命的暴力(やむにやまれぬ暴力)は認めている。『娘と話す 非暴力ってなに?』(ジャック・セムラン著、山本淑子訳、現代企画室)を読めば、そのことが分かる。ビルマの軍事独裁政権は、非暴力のデモに参加する人びとに対して、暴力を振るう。人びとを殺りくする。ビルマのような国では、人民が武器をとって闘うことも、人間として許されるのではないか。この映画を観て、暴力と非暴力の問題(注)について、私はそんなことを考えた。 同時に、その国の真実を世界に伝える市民メディアの重要性についても、私は考えさせられた。

 (注)エンゲルスは、共和制の国ぐにまたは非常に大きな自由のある国ぐにでは、社会主義への平和的発展を想像しうることを認めている(レーニン、『国家と革命』)。合法的な集会やデモ、ストライキなどによって、民衆の主張を打ち出し、世の中のあり方を変革する条件を持たない社会、すなわち警察や軍隊の厳しい弾圧によって合法的な意思表現が許されていない社会――そのような社会においてのみ、武装闘争が選択肢になることを、ゲバラは明確に言っている」。太田昌国さんは、『チェ・ゲバラ プレイバック』(現代企画室)の中で、そういう意味のことを述べている。「革命は、暴力でやるものではない。革命の本質は、権力の暴力装置である軍隊や警察を政治的に解体し、労働者人民の側に獲得することにある。一九一七年のロシア革命で、ペトログラードでは事実上、ほとんど無血で革命が成立した。少なくとも、議会制民主主義が成立し、言論や結社の自由、表現の自由がそれなりに保障されているような社会では、武装闘争が革命を主導するなどということを考えることは出来ない」。日本革命的共産主義者同盟(JRCL)の高島義一(右島一朗)さんは、『かけはし』の二〇〇三年八月十一日号で、そういう意味のことを述べている。
(2010年5月29日)


もどる

Back