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進歩の未来、2つの道                かけはし2010.6.28号

地方選で投じられた大きな問い
「柔軟な連帯」と「独自的実践」

 6月2日に実施された韓国の統一地方選挙で与党ハンナラ党は選挙前の予想に反して敗北した。全国16主要都市の市長および道知事選で、ハンナラ党はこれまで持っていた12から6へと半減し、残りは民主7、自由先進1、無所属2となった。焦点となったソウル市長選では与党オ・セフンが辛うじて再選されたものの、ソウル市の25区長選では民主21対ハンナラ4となった。民主党と他の野党・野圏の選挙協力などによって地方自治体長、地方議会議員選挙でも与党の後退、野党勢力の踏んばりが目立ち、とりわけ主要都市仁川では民主労働党の候補が2つの区長に当選した。
 この結果、独善的かつ独断専行でイ・ミョンバク政権が強引に進めてきた4大河川事業や首都機能移転の白紙化問題、「天安艦」を契機とする対北の姿勢など、さまざまな問題での転換が問われることになる。
 一方、新自由主義勢力である民主党との選挙協力、そして革新勢力の独自性の貫徹ということをめぐって多くの論議が展開され始めている。(「かけはし」編集部)
 2008年4月の総選挙で進歩新党は2・94%の政党獲得票を記録した。比例代表による国会議員分配の最低基準線は3%だった。たった0・06%の差で院内進出に失敗したという事実を確認した後、選挙キャンプを引きあげてきたノ・フェチャン、シム・サンジョンの2人の表情は沈痛を通りこし悲惨だった。もともとは一体だった民主労働党は当時5・7%を得て比例代表3議席(地域区2議席を含めれば5議席)を確保した。風は遅れて吹いてきた。「チ・モッ・ミ」(チッキョジュジ モッテ ミアンネの3頭文字、守ってやれず、ごめんなさい、の意)の熱風だ。進歩新党の党員が急増した。

3・6%の大義

 それから2年余の時が流れ、6月2日に地方選挙が行われた。ノ・フェチャン進歩新党ソウル市長候補が3・6%を得た。数値だけで単純比較すれば、2年前であれ今日であれ進歩新党の政治的位相は大きく変わりはしなかった。開票放送を見守っているノ候補の表情も、2年前の総選挙時を思い浮かばせた。
 変わったのは何なのだろうか。まずは結果に対する反応だ。2008年の総選挙直後に進歩政党にどっと寄せられた激励と同じぐらいに非難の声が殺到している。ノ・フェチャン候補のホームページや進歩新党の掲示板には、ぞんざいな言いぶりの叱咤が相次いだ。進歩新党の党職員は「6月3日の開票当時、オ・セフン・ソウル市長候補が先頭に立ち始めた直後から今日まで抗議の電話が鳴り続け、正常な業務が不可能な状況」だと語った。
 ノ・フェチャン候補に向けられた批判の核心は「大義のために犠牲となる姿勢を見せてくれるべきだった」というものだ。ここで言う大義とは、ごう慢と独善とに満ち満ちたイ・ミョンバク政権への審判を意味する。MB(ミョンバク)政権審判のためにはオ・セフン・ハンナラ党候補を落選させなければならないし、そうしようとすれば当選可能圏内にいるハン・ミョンスク民主党候補に票を集めてやらなければならないのに、ノ・フェチャン候補が独自出馬にこだわったせいで、このような期待がはずされたという不満が「ノ・フェチャン責任論」の実体だ。
 実際にハン・ミョンスク候補はオ・セフン候補(47・4%)にわずか0・6%後れをとった46・8%を得て落選した。ノ候補が得た3・6%がもったいないと言わざるをえない。結果論であるが、ノ候補が実際に「大義」に従って候補の辞退を選択したならば、彼が得た3・6%、つまり14万3千余票のうちの相当数がハン候補に行くことがあり得たし、当落を変える可能性もあった。
 問題は「大義」だ。ハン・ミョンスクを支持した46・8%が考えた「大義」とノ・フェチャンに投じた3・6%の「大義」が一致しないこともあり得るのであり、この時3・6%が考えた大義も尊重されなければならない、との指摘だ。イム・インス氏(民主労働党党員)は〈オーマイニュース〉への寄稿文で、このように主張した。
 「進歩新党ノ・フェチャンを支持した14万3千余人はMB政府不審判という他の人の『大義名分』ではなく、『保守2党体制』審判という自分たちの『大義名分』によってノ・フェチャンを支持したのだ。よしんばハンナラ党のオ・セフンが当選するといううらみがあったとしても、保守2党体制を審判してこそわが社会が本当に進歩することができるし、希望に満ちた未来が可能だという自らの意思を表したのだ」。
 MB政府の審判という大義に進歩改革陣営全体が同意するとしても、依然として反論があり得るだろう。ソウルだけ見たとしても、ハン・ミョンスク候補が惜しくも敗れたとはいうものの、25の区長選のうち21カ所で民主党が勝利した。ハン・ミョンスク候補もまた46・8%という決して少なくはない得票率を記録した。このぐらいの結果であればMB政府審判という「大義」をある程度、実現したとの主張もある。
 ソウル市長候補単一化の試みがだめになった責任を全面的にノ・フェチャン候補に問う態度も論難の対象だ。ノ・フェチャン候補は6月4日付〈ハンギョレ21〉とのインタビューで「進歩新党が選挙協力を拒否して独自路線を歩んだ、との主張は事実と異なる」と語った。ソウル市長候補単一化が実現できなかった責任の相当部分は、言われていることとは違って、実際のところ単一化交渉には積極的でなかった民主党にある、という話だ。ハン・ミョンス候補陣営の核心的関係者もまた、最終結果が出た直後、「落選の責任をノ・フェチャン候補に問う以前に『それならば我々は候補単一化のために最善を尽くしたのか』と反問してみなければならない」と語った。

「個人的決断」の論難

 外部の熱い視線とは別に、進歩新党の内部にはソウル市長選の選挙結果に伴う「ノ・フェチャン責任論」自体に大きく振り回されているという状況ではない。チャン・ソクチュン進歩新党サンサン研究所研究企画室長は「ノ・フェチャン候補がハン・ミョンスク候補と単一化すべきだったという主張の論理構造は、2002年の大統領選挙時であれ今日であれ、全く同じだ」「ノ・ムヒョン・イ・フェチャンの構図で行われた当時の選挙で万一、ノ・ムヒョン候補が負けていたなら、最後まで完走したクォン・ヨンギル民主労働党候補に全く同様の批難が加えられたことだろう」と語った。結果に伴う批難を意識して進歩政治の独自的展望や実践を放棄することはできなかった、という意味だ。
 進歩新党が今回の地方選挙に関連して、まさに困惑ぎみに考えている点は、「ノ・フェチャン」というよりは「シム・サンジョン」だ。多くの困難をつき破って完走したノ・フェチャン候補に加えられる外部の批判は彼らにとっては日常的なことではあるが、シム・サンジョン京畿道知事候補の突然の辞退に伴った党内のその後の嵐は収拾しがたいものと見られる。
 ノ候補とともに党の看板スターとも言えるシム候補は地方選挙の3日前、ユ・シミン国民参与党候補への支持を宣言して電撃的に辞退した。ところでシム候補がこの過程で党中央はもちろん進歩新党京畿道支部、せめて京畿道知事選挙対策本部内部の意見も充分に集約しなかったという事実が問題になった。ソン・ギョンア進歩新党京畿道支部副委員長が紹介したシム候補の、候補辞退前日の選挙対策本部の風景は、こうだった。
 「3、4人がさらに発言をした後、シム候補が入ってきた。候補が極めて難しく、それとなく暗示した言葉の内容は、翌日の記者会見とそう違いはなかった。要旨は『民心と党心が異なる時、指導者は党心を民心へと導かなければならない』というものだった。候補が話をした後、私が訊ねた。『これは論議によって代ることもある、議論の対象なのですか、それとも既に決心をなさったものですか?』。候補は固い表情で、『既に決心をしたことです』と答えた」(6月2日〈レディア〉寄稿文)。
 シム候補を批判している進歩新党の党員たちは「個人的決断」という部分で怒りを表した。進歩新党のホームページ掲示板が再三にわたって揺れ動いた。党内の民主的手続きを無視したシム候補の行為を到底、受け入れることはできない、という意見が相対的に多かった。シム候補は「指導者は党心を民心へと導かれなければならない」と考えたけれども、『党心』は候補辞退の内容や手続きのすべてを問題とみなした。シム候補が語った民心というのはどんな包装をしたところで「問うな、単一化」の要求というのが、この人々の主張だった。党の資格はく奪や除名など重い懲戒が必要だとの声も提起された。
 シム候補の事態に伴った波長が小さくない理由は、この事件がシム候補個人の問題であると同時に進歩新党全体の悩みを含蓄している問題だったからだ。もちろんノ・フェチャン候補の完走も、そのような側面からノ候補の個人的決断とは考えがたい。進歩新党内部で、「進歩新党固有」とまでではなくとも進歩政治の独自的実践が何よりも重要だと主張しているグループの考えを代弁したのがノ候補の完走だったとすれば、進歩政治の実践過程において必要に応じて「柔軟な」連帯や連合を幅広く受け入れるべきだ、と考える側の考えはシム候補の辞退に集約されている。

野党は一貫した歩みを示せず

 パク・サンフン・フマニタス代表(政治学博士)は「明らかなことは進歩政党ひいては韓国の進歩政党が今回、避けて通ることのできない悩みにぶちあたることとなったという事実」だと語った。「進歩政党も規模は小さいが党員や支持者がいるのに、党代表であるノ・フェチャン候補が辞退するなら党の存在を否定するものも同然だという側面から、候補辞退はほとんど不可能だった。
 反対にシム候補の選択は党内で民主的手続きを充分に経ることができなかったという限界があるものの、進歩政党が進歩の価値にのみ極端に固守しはしないという事実を行動によって見せてくれたという点で、意味を付与することができる」。ただしパク代表は「進歩政党は力量にそってノ候補やシム候補の選択を選挙で戦略的に活用することもできるのに、実際の効果が別々に現れたのは残念な部分」だと語った。
 進歩新党内部の評価も大きく違わない。6・2地方選挙を行う過程で進歩新党が一貫した歩みを示せなかったという指摘だ。進歩新党は当初、いわゆる「5+4会議」に参加して野圏連帯を共に模索した。けれどもソウル市長や京畿道知事など広域団体長(主要市長)候補の調律がままならず、途中で離脱した。ところが釜山市支部や京畿・高陽市などで個別的に野圏連帯に合流し、問題が生じた。イ・ヨンギル進歩新党忠北道知事候補が、このようなあり方を問題とし5月12日、道知事候補と党副代表職をやめるなど、ごちゃごちゃした姿を示した。決定打はシム候補の辞退だった。
 はっきりしない歩みは結果にも影響を及ぼした。進歩新党は今回の地方選挙で広域団体長候補9人など、16人の団体長(首長)候補を出したが1人も当選させられなかった。広域議員3議席と基礎議員22議席の当選が、進歩新党が手にした成果のすべてだった。反面、同じ進歩政党である民主労働党は民主党などとの選挙連合に参加し、仁川東区区長など3人の首長を当選させた。広域議員は比例代表6人を含め24議席、基礎議員114議席を得た。進歩新党とハッキリと対比される成績表だ。
 進歩新党は当面6月19日に予定された全国委員会で今回の選挙過程全般についての激論を予告している。シム候補についての論議がまずもって含まれるだろうが、このような論議をしていけば、進歩新党の未来、ひいては進歩政治の未来についての論争も避けがたいものと思われる。チャン・ソクチュン・サンサン研究所研究企画室長は「(全国委員会の論議の結果によって)進歩新党の党の性格が変わったり、さらには進歩新党が進歩新党の名によって存在できない状況になりかねないが、秩序ある討論を通じて路線を定立すれば進歩政治の発展のために望ましい結果となるだろう」と語った。

民労党は民主大連合側に移動

 進歩政治の未来についての進歩新党の答えは既にある程度、出ている。チョン・チョングォン進歩新党副代表は「5+4形態の選挙用連合ではないという条件を前提として、進歩政治の再編が、どんなやり方であれ必要な状況」だと語った。またチョ・スンス議員は「どの範囲まで集まるのかよりも、何を目標として集まるのかが依然として重要だ」と語った。2人の主張を総合すれば、彼らが考えている進歩政治再編の方向は、これまで進歩新党が強調してきた「進歩大連合」の道と大きな違いはない。ノ・フェチャン代表もまた〈ハンギョレ21〉とのインタビューで、もっと直接的に進歩大連合の必要性を強調した。
 進歩新党が進歩大連合の原則を再び鮮明にして踏み出す時の問題は、反応だ。最も直接的な相手である民主労働党は6・2地方選挙を取り組む過程で進歩大連合ではなく、連帯の対象を民主党など、もう少し「右側」に拡大した「民主大連合」を選択した。MB政権への審判という国民的要求にこたえるという名分と実利を手にしたが、民主党の既得権を認めた上で、持ち分を分かつという式なので独自的な進歩政党としては限界をさらした。
 もちろん民主労働党もまた進歩大連合に消極的なことで一貫する立場ではない。ハン・ミョンスク候補の共同代弁人を担ったイ・ジョンヒ民主労働党議員は「我々の力があってこそ連合も可能なこと」であり「進歩政党の力を大きくしてこそ希望がある」と強調した。民主労総など、支持「組織」の要求も強い。だが既に反MB連合に積極的に参加して、一部地域で民主党と地方共同政府の構想まで合意した時に、反MB連合とは質的に異なる進歩大連合に尽力するのもあいまいな状況だ。民主労働党内部で進歩大連合を積極的に模索しなければならないと公然と主張する声もほとんどない。むしろ6月4日、カン・ギガプ代表は京畿道知事選挙で落選したユ・シミン国民参与党候補に会った席で野圏連帯の枠を一層強固にすべきだ、という趣旨の発言をした。
 民主労働党も早ければ7月初めに党代表と最高委員の選挙を控えている。党権競争の課程で当然にも進歩政治の未来についての路線論争がもたらされざるをえない。進歩新党との進歩大連合の代わりに反MB連合を持続することが正しい方向なのかが評価の対象になるものと見られる。反MB連合によって現政権を審判することにある程度、成功したという評価がある反面、地方選挙において進歩政党が民主党など自由主義政党と違ったいかなる進歩的価値を示してやれたのかは実存的批判が厳然として存在しているのも事実だ。
 今回の6・2地方選挙で現れた野圏連帯の力と民主労働党の選択、そして進歩新党内部でノ・フェチャン、シム・サンジョンのくい違う歩みは、逆説的ながらもこの10余年の進歩政治のたゆみない成長の流れを証明する。地方選挙直後、民主党のソン・ハッキョ前代表は「すべての改革進歩陣営が力を合わせれば奇跡を作ることができる。新たな政治勢力を構想しなければならない」と語った。
 忠南知事に当選したアン・ヒジョン最高委員も「民主労働党、進歩新党に至るまで民主党が心を開いて野圏の大兄として野圏の団結を主導しなければならない」と語った。第2党である民主党の力だけで執権できないという現実を、進歩政治勢力の政治的実体を、認めざるをえない状況だ。けれども、これらの人々の言う「新たな政治勢力の構想」と「心を開いて」が、民主党の既得権を捨てて新たな政治的実験に乗り出すことなのかは今までのところハッキリしない。
 市民社会の領域ではキム・ギシク参与連帯政策委員長が「連合政党論」を提案して踏み出した。進歩勢力と自由主義勢力が共存する中で、ヘゲモニー競争を展開しつつ、躍動性を作り出す米国民主党モデルを積極的に模索してみる時点だというのが彼の持論だ。

「米国民主党モデルはどうか」

 今回の選挙でも民主大連合の性格が色濃い反MB連合に進歩大連合でぶつかった、そうしながらも参加と離脱の分岐点で苦心していた進歩政治は新たな局面を迎え、いかなる未来を開いて行くことができるのだろうか? キム・ギシク委員長は「次の大統領選挙で執権するという権力へ意志が今回の6・2地方選挙で広域団体長に当選した人々や386世代の政治人たちを推し動かすだろうし、10年以上の独自政党モデルによって可能性とともに限界をもあらわにしている進歩政党の政治的指導者たちも、進歩政治の外縁拡大のために新たな挑戦と決断とが必要な時期」だと主張する。
 6・2地方選挙は進歩改革陣営に新しい未来を設計する激情の模索を要求する絶妙な成績表を放ったようだ。(「ハンギョレ21」第814号、10年6月14日付、チェ・ンジン/キム・ボヒョプ記者)


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