| 「辺野古舞い戻り」のための鳩山訪沖 かけはし2010.5.17号 |
みじめな言い訳
に怒りが爆発
自ら幾度も繰り返して確認した米海兵隊普天間基地の「移設」先決定期限の五月末が目前に迫る中で、ついに鳩山首相は五月四日に航空自衛隊機で沖縄を訪問した。辺野古沖合に杭を打ち米軍基地を新設するためのアリバイ工作である。鳩山はまず摩文仁の丘の「沖縄戦没者墓苑」で献花し「平和の礎」を見た後、県庁を訪問して仲井間県知事との会談に臨んだ。次いで、県議会議長らと話した後、宜野湾市で伊波市長ら県内市町村長らと会談、普天間基地を視察した後、住民との「対話集会」に参加した。さらに名護市のキャンプ・シュワブを視察した後、名護市民会館で稲嶺名護市長と会談するという駆け足訪問だった。
この一日だけの沖縄行きで鳩山首相は何を語ったのか。
「普天間問題はパッケージとして解決することが大事だ。海外移設という話もなかったわけではないが、日米同盟関係を考えた時、抑止力という観点から難しいという思いになった。すべてを県外にという考えは現実問題として難しい。沖縄の皆さんにも負担をお願いしないといけない」(仲井間沖縄県知事との会談)。
「将来的にはグアム、テニアンへの完全移設もありうると思っているが、現在の北東アジア情勢で日米同盟を維持していく中、抑止力の観点から沖縄やその周辺の皆さんに負担をお願いせざるをえない状況になっていることも政府の考え方として言わないわけにはいかない」(稲嶺名護市長との会談)。
「新政権をつくる際に『最低でも県外』と、普天間の移設先に関して申し上げたことは事実だ。ただ、環境は容易ではないということは、政権を取ってから日々感じている」(県議会幹部との会談)。
さらに稲嶺市長との会談後に名護市で行われた報道各社とのインタビューでは「学べば学ぶほど、沖縄の米軍の存在自体の中での海兵隊の役割を考えた時、すべて連携している。その中で抑止力が維持できるという思いに至った」「海兵隊の抑止力は必ずしも沖縄に存在しなければならない理由にはならないと思っていた。浅かったと言われればそうかもしれない」と述べるとともに「最低でも県外移設という私自身の代表としての発言で、正式の民主党の公約ではなかった」としどろもどろの弁明までする始末だった。およそ「説得」などとはほど遠い、拒否されることが分かり切った上での辺野古沖浅瀬案強行のための布石である。
白旗を掲げた
鳩山の公約違反
鳩山首相の訪沖と軌を一にして「五月末決着」に向けた米日両政府当局者の実務者協議も始まった。五月七日には鹿児島県徳之島の三町長との会談も行われた。しかし四月十八日の全島民の六割以上が参加した基地建設反対の総意を背にした三町長は、鳩山の申し入れを当然のようにあっさりと拒否した。
鳩山の訪問は、四月二十五日の九万人県民集会で「普天間即時閉鎖・県内移設反対」の総意を明確にした沖縄の人々の怒りと抗議に見舞われた。何よりも移設地とされた名護市の稲嶺進市長は、「もう首相が名護に来ることはないだろう」と語り、鳩山首相とこれ以上会う意思はないことを明らかにした。仲井間県知事は「辺野古への移設には地元の名護市長の同意が絶対条件」として、政府と名護市の間を仲介することはしない意向を示している。たとえ仲井間県知事が「県内移設」を容認するつもりがあったとしても四・二五沖縄県民大会に参加した彼を沖縄県民の「総意」が縛っているのである。
鳩山首相の五月四日の発言は、内閣の中でも北澤防衛相、岡田外相、平野官房長官など他の主要閣僚に比して相対的に「国外・県外移設」に前向きであると見られ、「辺野古への舞い戻りはない」という趣旨の発言を一度ならず行ってきた首相本人が、結局のところ米国の一部の「知日派」と言われる防衛マフィア、それと従属的に結びついた日本の外務省、防衛省官僚や「軍事評論家」たちの論理に白旗を掲げて追随することになったことを示すものである。
「中国脅威論」と
日米同盟絶対論
朝日新聞五月五日付に掲載された船橋洋一主筆の「日本@世界」の論調は、鳩山を「辺野古回帰」へと促した力学を露骨に表現している、というべきだ。
船橋は述べる。「アジア太平洋の国々は、日米同盟の現状への懸念を米政府に繰り返し伝えています。中国の急激な台頭の性格と方向性に懸念を持ち始めているからにほかなりません」「在日米軍基地は、日本を守るだけではなく、極東における平和と安全のためでもあるのです。その役割、つまりは抑止力が弱まることを近隣諸国は、そして米国も、心配しているのです」「沖縄基地問題は日米の対中戦略と分かちがたく結びつきつつあるのです。中国を開かれた国際主義的な世界秩序に組み込むために、アジア太平洋においては盤石の日米同盟が不可欠なのです」。
みごとなまでの日米安保・日米同盟絶対論であり、「中国脅威論」である。
われわれは、こうした「日米同盟」擁護主流派の「安全保障論」を根本から崩すことが今こそ必要であることを確認しよう。出発点は「普天間基地の即時閉鎖」を求める沖縄県民の共通の意志である。普天間の即時閉鎖・返還と「移設」論をリンクさせるべきではない。そして沖縄県内はもちろん、どこにも「移設」先はない。鳩山政権が「辺野古+徳之島」案を決めたところで、地元が受け入れない以上、「移設先五月決着」が不可能であることは当たり前である。
日米安保の見
直し・廃棄を
われわれは鳩山首相に問わなければならない。あなたは「海兵隊の抑止力が必ずしも沖縄に存在しなければならないわけではない、という自分の考えは浅かった」と述べたが、どの点で「浅かった」のか、と。そして「海兵隊の抑止力」とは、どのようなものなのかと。
また社民党にも問う必要がある。三党連立合意の核心だった「普天間基地の県外移設」の主張が放棄されようとしている今、「圏内移設」が政府案になってもあくまで閣内にとどまる道を選ぶのか。それは自殺行為ではないか、と。
自ら設定した「五月末決着」の期限で自縄自縛となった鳩山政権は、「泣き落とし」の姿勢で沖縄にいっそうの犠牲を強要している。鳩山政権が掲げた「対等な対米関係」をめざすのであれば「世界で最も危険な」普天間基地の返還を「県内移設」とセットで確認した一九九六年のSACO合意そのものの見直し・廃棄を要求し、普天間の即時返還を絶対的条件として、沖縄県民の意思、徳之島島民の意思を米国に突きつけることがスタートラインである。そしてわれわれは、沖縄の人々とともに、そしてアジアの人々とともに「平和への脅威」とは何か、労働者・市民が追求すべき日米関係、日中関係、そしてアジア諸国の民衆相互の関係はどのようなものでありうるのかを積極的に論議し、行動に移していく必要がある。
そのためには、あたかも不動の前提のように見なされてきた日米グローバル安保そのものの見直し・廃棄に向けた方向を提起しなければならない。安保改定五十年の今年、そうした闘いを本格的に開始しなければならないのである。 (純)
沖縄県民大会政府要請団が上京
辺野古の海にも陸にも
新しい基地を作らせない
県民の意志が
一つになった
四月二十六日夜、東京・御茶ノ水の全電通労働会館ホールで「沖縄県民大会政府要請団と連帯する東京集会」が開催され、会場は六百人の参加者であふれ返った。この日の集会は、前日二十五日に九万人が参加して「県内移設反対、国外・県外移設を」という民意を鮮明につきつけた沖縄県民大会の政府要請団とともに、首都圏の労働者・市民が闘う意思を示すものとして、急きょ準備されたものである。
国会前七十二時間ハンストを闘った沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの下地厚さんの司会で始まった集会では、沖縄からの百人近い政府要請団を迎えて、最初に在京沖縄出身者として上原成信さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)と島袋哲さん(東京沖縄県人会事務局長)があいさつした。
上原さんは「一九九五年の少女暴行事件に抗議する県民大会、二〇〇七年の沖縄戦教科書記述書き換えに抗議する県民大会で沖縄県民は意思表明を行ったが、外務省・文科省によって握りつぶされてしまった。沖縄にこれ以上の苦しい思いをさせることはできない。あとはヤマトンチュにまかせてほしい、というべきだ」と訴えた。島袋さんは「昨日の県民大会は、県民の意思が普天間撤去で一つになったことを示した」と語りかけた。
政府要請団代表として翁長(おなが)雄志・那覇市長があいさつ。翁長さんは「昨日の県民大会の帰り、あまりの混雑で一時間半も駐車場から出られないほどだった。私は保守の人間だが、日本の品格・自立のためにも原理・原則の違いを乗り越え、壁を超える闘いを進めていきたい。沖縄県のことを考えることが自立につながる」と語る。県民大会事務局長の新里米吉県議は「昨日の県民大会には代理出席もふくめて沖縄県内四十一市町村の首長がすべて参加した。仲井間県知事も参加した。文字通りオール沖縄・県民ぐるみの大会だった。知事に参加してもらうために普段は与野党で対立している県議会がまとまった」と発言。
普天間基地の
即時閉鎖を
続いて伊波洋一・宜野湾市長、稲嶺進・名護市長、島袋俊夫・うるま市長が決意表明。
「沖縄の海兵隊はグアムやマリアナ諸島に移っていく。米軍の計画では普天間のヘリ部隊もすべてがグアムに移ることになっている。国外移設しかない」(伊波さん)。「一月の市長選では十三年かかってやっと市民投票と同じ結果が出た。しかしまた新しいハードルを越えなければならない。辺野古の海にも陸上にも新しい基地を作らせない」(稲嶺さん)。「勝連沖埋立案が三月になって浮上したが、それは合併前の勝連町時代に廃案となった計画だ。これ以上の基地はいらない」(島袋さん)。三人とも簡潔明瞭で力強い決意表明だ。
各党代表あいさつでは、民主党の近藤昭一衆院議員、池間・自民党沖縄県連幹事長、社民党の照屋寛徳衆院議員、共産党の赤嶺政賢衆院議員、沖縄社会大衆党副委員長の糸数慶子参院議員。公明党沖縄県連代表が発言。自民党沖縄県連の池間幹事長は「われわれは基地と隣り合わせで六十五年も暮らしてきた。県民の意思は示された。自民党沖縄県連の意思は、基地は沖縄から出ていけ、グアムに持って行けだ」とアジテーション。
連帯アピールが日本青年団協議会から行われ、大仲尊さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)が、四月二十七日の国会前座り込み行動への結集をアピールし、最後に沖縄県議会の高嶺善伸議長の音頭でガンバローの三唱。
まさに「普天間基地即時閉鎖・県内移設反対、国外・県外移設を」で全県民・全政党が声を合わせた沖縄の意思を実感させる集会となった。 (K)
チェルノブイリ原発事故から24年
危険なプルトニウム利用をただちにやめろ
四月二十五日、東京・渋谷区の千駄ヶ谷区民会館で「チェルノブイリ原発事故から24年―`ムリ・ムダ・危険なプルトニウム利用!a集会とパレード」が原発とめよう!東京ネットワークの主催で開催された。
集会ではまず、原子力資料情報室共同代表の伴英幸さんが「破綻する核燃料サイクル」と題した報告を行った。続いて原子力発電に反対する福井県民会議事務局長の小木曽美和子さんから「もんじゅ」現地報告、ストップ・ザ・もんじゅ東京の高木章次さんからプルサーマル再開に向う東京電力福島原発の動向報告が行われた。
小木曽さんの報告は、初期の現地闘争から最高裁までの裁判闘争、試験運転再開に向かうこの間の問題点と再開後の危険性まで、全般に及んだ。裁判闘争では、昨年八月末に亡くなった久米三四郎さんが全力でかかわり高裁での全面勝訴を勝ち取ったこと、また運転再開後のトラブル等に対して新たな訴訟になった際、若い世代が勇気をもって挑んでほしいと訴えた。「この運動は再開したら終わりではない。これからもんじゅを廃炉に!という、全国の大きな声を集めよう」と結んだ。
この間の報告のひとつとして、たんぽぽ舎の柳田さんからもんじゅへのプルトニウム燃料輸送監視行動の報告がなされた。四月二十日午後九時五十分頃、茨城県東海村の原子力機構の再処理工場構内を日立物流のトラック三台が出発。これまで経由していた首都高をを避け、今回は常磐〜外環〜関越〜北陸と新たな経路で輸送、もんじゅには翌二十一日午後一時すぎに到着したという。
集会後、約五十人の参加者は渋谷駅までパレードを行った。
住民や科学者の反対の中、もんじゅは五月六日に試験運転再開を強行、トラブルの発表を遅らせながら八日に臨界に達した。小木曽さんの訴えのように、これから「もんじゅを廃炉に!」いう大きな声を全国から集めなければならない。 (S)
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