| 韓国 なぜ政教一致を夢見るのか かけはし2010.4.26号 |
プロテスタントの政治化と
イ・ミョンバク式統合の論理 |
「主と共にある我に何の心配があろうや。十字架の下に歩み、我が重荷をほどくのだ。主を称えつつ、ハレルヤ、ハレルヤ、我が行く道は遠く険しくとも、我は主にのみ従わん」。
讃美歌455章〈主と共にある我に〉の歌詞の一部だ。この歌はイ・ミョンバク「長老」が大好きな讃美歌だという。主にのみ付き従うという人が長老(注1)である限りでは、立派な誓いだ。けれども「大韓民国大統領」となれば話は違ってくる。2010年、ここにはさまざまな宗教が存在し、憲法が「国教は認められないし、宗教と政治は分離される」(20条2項)と釘をさしている国だからだ。
根本的怒りの対象
イ・ミョンバク(MB)大統領は当選直後、大統領職引き継ぎ委員会から内閣、青瓦台(大統領府)の参謀陣に至るまでソマン(希望)教会の人脈たちで満たし、宗教偏向の論難をひきおこした。今回はアン・サンス・ハンナラ党院内代表が「左派住持」の発言によって仏教界を急に騒然とさせた。チョン・チョンキル青瓦台・大統領室長は4大河川事業に反対している天主教(カトリック)を「反対しようと決めて踏み出した人々」とけなした。
青瓦台は「アン院内代表の発言は個人的な問題であり、天主教問題は個人的な問題であり、天主教問題は政策についての異なった意見を表明しているものであって宗教的な問題ではない」と言うけれども、世論は正反対だ。改新教(プロテスタント諸派の総称)中心主義に陥った与圏(与党勢力)がまた「一件」やらかした、という認識が支配的だ。
特にポンウン寺が曹渓宗総務院の直営寺刹に変わる過程にアン院内代表の外圧があったという疑惑が高まった後、仏教界では批難の声が沸き返っている。ポンウン寺信徒会は3月25日に記者会見を行い、「外圧説の当事者であるアン・サンス院内代表は厳重な責任をとらなければならない」と主張した。そして翌日にはハンナラ党に抗議に訪れた。参与仏教在家連帯、実践仏教全国僧伽会など仏教10団体も「アン・サンス院内代表が仏教界最大の宗団のトップである宗務院長の面前でポンウン寺の住持ミョンチン和尚について論じ立てたこと自体が仏教をないがしろにし、社会統合を損なう発言」であるとして、アン院内代表の公職辞退と謝罪を要求した。
上べだけ見ると、これらの人々の標的がアン院内代表をねらっているかのようだが、根本的な怒りの対象はイ・ミョンバク大統領だ。京畿・金浦市のヨンファ寺住持チグワン和尚は「一政党の院内代表が寺刹の人事権を挙論したのであれば、それは仏教を無視、ないしはおとしめるところから生じた話」であり「大統領がそうだからこそ表れた現象」だと語った。
大統領の言葉や行動は、それ自体が政治行為であり、権力行使だ。政府と与党が政策を決定・執行する際の、心理的に最も重要な「指針」とならざるを得ない。イ大統領の場合、自らが「長老大統領」であることを絶えず強調しているせいで、彼の周辺の人々が他の宗教を「軽んじて」考える、というのがチグワン和尚の指摘だ。
実際に人事問題を除けば、この政府が発足してから起きた宗教差別問題はイ大統領の直接的な発言や行動からもたらされたことは、まれだ。「すべての政府部署の福音化(キリスト教化)が夢」(チュ・デジュン当時・青瓦台警護処処長)、「サタンの群れ」(チュ・ブギル当時・青瓦台広報秘書官)などの問題ある発言、首都圏大衆交通情報システムにおける寺刹表記の漏れ、チグワン和尚の車両捜索などは、下の人々が上の人の意向に添おうとして「勝手に判断して汲み入れた」性格が強い。イ大統領の指示によったものだと見る根拠はない。ところで、このようなことが1度や2度にとどまらず持続的に繰り返されている。イ大統領が絶えず「改新教第一主義」というメッセージを投じているからだ、との解釈が可能だ。
歴代大統領の宗教的偏向
確かに宗教偏向の論難はイ・ミョンバク政府以前にもあった。「ハナニム(キリスト教の唯一神、天主)と同胞の前で私の職責を尽くすことを誓う」と語ったイ・スンマン元大統領はソウル・チョンドン監理教会の日曜礼拝にキチンキチンと参加した。1954年には「寺刹浄化の談話」を発表し、妻帯僧の追放に乗り出し、仏教界の反発を買った。仏教徒であるノ・テウ元大統領は「10ウォン硬貨の多宝塔の図案に仏像を刻み込んで当選した」という風聞に苦しめられた。すべての国民が仏様に仕えさせるようにしたとして不信を受けたのだが、韓国銀行が「新図案は(大統領選挙の4年前の)1983年から適用されていたのであり、仏像のように見えるのは多宝塔の基壇に座っている獅子の石像」だと解明してからも、うわさは簡単には収まらなかった。
キム・ヨンサム元大統領はソウル・チュンヒョン教会の長老だった。彼は青瓦台に礼拝室を作り、牧師らを招請するなど、はばかることなく改新教の色彩をあらわにした。2年制の神学大学が大挙、4年制の総合大学に昇格したのも、この時だった。1995年12月には国防部(省)内の中央教会で礼拝を行うとともに、警護を理由として近くのウォングワン寺の仏教徒らの出入りを統制し、改新教の集会に国家予備軍を動員した宗教偏向の論難を呼び起こした。キム前大統領の時、青瓦台の仏教徒の集まりである「請仏会」が作られたのは仏教界の反発を和らげようとの試みだった。
大統領の宗教偏向の論難は初めてではないのに、なぜイ・ミョンバク政府になって宗教の葛藤、特に仏教界との葛藤が際立っているのだろうか。一次的な原因は、根本主義的・保守的勢力が改新教の主流を掌握し、これらの人々がイ大統領を当選させるのに全力を注いだということに求めることができる。
「1970年代の労働運動、80年代の民主化運動、90年代の統一運動を主導したのは改新教だった。ところが90年代の中・後半から改新教内部の主流が変わった。『改新教独善主義』が強い保守的グループが攻撃的な宣教に乗り出すとともに教会の大型化を推進し、教界内外に影響力を行使し始めた。
イ大統領はこれらの人々の力を背景にし、保守改新教もイ大統領を作る上で一定部分、寄与した」。ヤン・ジェソン牧師(キリスト教環境運動連帯・事務総長)の分析だ。保守改新教は自分たちと考えが異なれば「サタン」とみなし、敵対的に反応する傾向がある。イ・ミョンバク政府の人士たちが他の宗教に示している差別的態度が、ここに起因しているという話だ。
大型教会を中心としたこのような根本主義的・保守的な改新教の主流が、自らのアイデンティティーを本格的にさらけ出したのはノ・ムヒョン前大統領の時だ。2002年の「(米軍車両による)ミソン、ヒョンスンさん死亡事件」によって全国でキャンドルが燃え上がり反米感情が高まると、改新教の主流勢力は深刻な「安保の危機感」を感じることとなった。候補の時期に「写真でも撮りに米国には行かない」と語っていたノ前大統領が当選すると、これらの人々は遂に市庁前広場に飛び出して、「親米・反共」を叫んだ。以降、ノ・ムヒョン政府が推進した国家保安法の改正、戦時作戦統制権の返還などを巡っても保守改新教は大規模な反対集会をしばしば行った。「大韓民国が共産主義の魔手に赤化されようとしている危機の瞬間に、ハナニムの救いの手は米国を通じて現れました」。2004年10月4日、市庁前広場「救国祈祷会」で行ったキム・ハンシク牧師(ハンサラン教会)のこの説教には『メシア(救世主)』アメリカに楯つく『親北・左派政権』が2度とこの地に足をつけることができないように教会が乗り出されなければならい理由が簡明に現れている。
大統領選に積極的な各教会
このような「信念」によってクムナン教会のキム・ホンド牧師は2007年7月、日曜礼拝の説教で「親北・反米・左派勢力が政権を握れないようにしなければらない。どうせならイエス様をしっかり信じている長老が(大統領に)なれるように祈祷しなければならない」として「長老大統領」作りに火をたきつけた。
保守改新教の人士たちを集めて「ニューライト政局連合」を発足させたキム・ジノン・トゥレ教会牧師は「17万会員がすべて選挙運動員」だとし、イ大統領支持を宣言した。極東放送の理事長キム・チャンファン牧師、ソマン教会クァク・ソニ牧師、汝矣島純福音教会チョ・ヨンギ牧師ら保守改新教の元老の大部分が彼のために祈祷した。
ソウル市長時代に改新教の集会でソウル市をハナニムに「奉献」したほどに公私の区分が明確でなかったイ大統領は、保守改新教の偏向性を何はばかることなくさらけ出した。当選するやいなや「韓国キリスト実業人会」の新年祝賀会で「ハナニムの意思を受け入れ5年後にハナニムが「やはり思った通りだ」という大統領として評価されなければならない」と語るなど、改新教の行事にいつでも参加した。
このようなこともあった。ジョージ・ブッシュ前米国大統領が在任当時の2008年4月、キャンプ・デービットを訪れた時、イ大統領は扉を開けて入るやいなやブッシュの手を握り「Let us pray」(祈祷しましょう)と言ってブッシュの歓心を買った。キム・ジャンファン牧師の助言によるものだ。イ大統領は重要な決定を下す時も、保守元老牧師たちの意見を主に参考にしていることが知られている。日曜以降の政策の基調や人事の内容が変わるという話が出てくるほどだ。キム・ジノン牧師の一側近は「世宗市(注2)のように懸案が生じればイ大統領がキム牧師に電話をかけたり会ったりして意見を聞くのもしばしばだ」と伝えた。海外歴訪の前には主要な牧師たちに電話をかけ、祈祷を依頼した。
問題は改新教に対するこの上ない愛情が他の宗教には差別に変わる、ということだ。「宗教人権」を強調しているパク・クァンソ宗教自由政策研究院・共同代表(西江大・物理学科教授)は「公職者の公的な言行が宗教と分離されないならば、その特定宗教にカネ・人事・権力・社会の雰囲気などすべての分野で恵沢を与えるも同然だ。宗教と政治が結合すれば、その宗教を信仰しない人は『2等国民』へと転落することになる」と指摘した。
このような事例は至る所で発見できる。2008年5月15日、キム・ファンシク大法官(最高裁判事、当時)はイ大統領が参加した国家朝餐祈祷会で「大統領と国家の発展のために」という特別祈祷を行った。任期(6年)の半分にもなっていない彼は不思議なことに翌月、監査院長に任命された。警察福音会のための祈祷会のポスターにチョ・ヨンギ牧師と共に登場して資質問題をもたらしたオ・チョンス元・警察庁長(長官)は、2008年7月、警察のチグワン和尚(当時、曹渓宗総務院長)の車両への過剰検問を契機に仏教界の更迭要求に苦しめられた。青瓦台は「誤解」だとして6カ月、踏んばった。彼は翌年1月になって別個の事案で龍山惨事の責任をとって更迭された。
仏教界の怒れる民心が臨界点に向かって進むと、イ大統領は2008年9月、「国民統合のために仏教を含む宗教と社会統合を幅広く行っていく。そう見えなかった場合には私の不覚」だと語った。その後で変わったのだろうか。
昨年6月、フンセン・カンボジア総理が訪韓した時、キム・ジャンファン牧師を青瓦台に呼び晩餐を共にした。6カ月後にはキム・ジノン牧師が青瓦台で礼拝を執行した。青瓦台は「個人の信仰生活」だと主張した。キム牧師は「大統領に力をふるいたたせることが国家の利益によいこと」であり「(礼拝)場所を青瓦台にしたのが、どうして問題になるのか」と語った。彼にとって青瓦台はハナニムの国、長老大統領の空間であるにすぎない。
どうして礼拝場所が青瓦台?
社会統合を目指さなければならない大統領の偏向的な態度は結果的に非支持層の反発を招く。けれども他方では支持層を強く結集させる。世宗市修正案が非首都圏では批判されるものの、首都圏では相対的に賛成の比率が多いことと同じ道理だ。執権3年目で50%に肉薄する安定的支持率を維持するものだから、イ大統領は宗教差別批判を大したことはないと考えているようだ。そんなだから、これを政治的に利用しているのではないのか、との指摘もある。
これをめぐってキム・ホギ延世大教授(社会学)はイ大統領の「2つの国民の政治」だと批判する。キム教授は「左派の和尚」論難のように、イ大統領周辺の人士たちまでが宗教差別の論難をかもしているのを見れば「2つの国民の政治」がさらに強化されるようだ。地方選挙で執権勢力が悪い成績表を受けとることになれば統治の力量が縮小し、非支持層との葛藤はさらに深まるはずだが、こんなことのためにもさらに一層、保守勢力の結集が必要だと判断するのではないかと思う」と語った。非支持層の心を取り戻すには多くの時間と費用がかかるため、既に手にした「飼いウサギ」が出ていけないように囲い込んでおくのが効率的だと考えているのではないのか、との主張だ。
社会統合については、イ大統領の就任のあいさつでも欠かさなかった。ところで大統領が宗教の偏向性に問題意識を感じられない限り、社会統合は不可能だ。イ大統領がいつも携えて暮らしている聖書には、このような教えもある。「汝らの中で、ある人が羊100頭を所有しているのに、その中から1頭を失うならば99頭を野において、その失った羊を探すまで探し回りはしないだろうか?」(ルカ福音)「驕慢は敗亡の先鋒であり、高慢な心は滅びの先達たらん」(箴言)。ともすれば長老大統領のために準備されたお言葉かも知れない。(「ハンギョレ21」第804号、10年4月5日付、チョ・ヘジョン記者、チョン・ジョンフィ記者)
注1 長老 プロテスタント諸派のうち、長老教(ブレズビテリアン教会)や聖潔教(ホーリネス教会)などで、教会運営などに対する奉仕や教導を引き受ける職分。
注2 世宗市 ソウルへの極度な一極集中の弊害を取り除き、国内の均衡発展をはかるため、政府機能中枢を韓国中部・忠清道世宗市に移転させる計画。イ・ミョンバク政府はこれを事実上、白紙化し、学園・研究都市化するとしている。
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