危機が駆り立てる支配階級の攻撃を
はね返す民衆的統一には何が必要か
ローレン・カラッソ |
解説
モーリシャスとディエゴ・ガルシア
さる二月にベルギーで開催された第四インターナショナル第十六回世界大会で、アフリカ・マダガスカルの東、インド洋に浮かぶ島国モーリシャスの革命的社会主義組織・ラリット(LALIT、モーリシャスのクレオール語[欧米語と現地語の合成語]で「闘争」の意)から二人の代表がゲストとして参加した。世界大会に参加した本紙編集部メンバーはラリットの同志にインタビューした。
モーリシャスは一九六八年三月にイギリスから独立した共和国。面積は二千四十五平方キロでほぼ東京都全体と同じ、人口は百三十万人(2008年)。民族的にはインド系が多数を占める。宗教的にはヒンズー教が五〇%、キリスト教三二%、イスラム教一七%など。主要産業は輸出貿易地域における繊維工業、砂糖、茶などの農業、観光(外務省ホームページによる)。
ラリットは、モーリシャスに強制移送された、インド洋上の米国の戦略的軍事基地ディエゴ・ガルシア島の住民の島への帰還、ディエゴ・ガルシア米軍基地撤去の闘いにも取り組んでいる。英領チャゴス諸島に属するディエゴ・ガルシア島はモーリシャスの一部として統治されていたが、ベトナム戦争さなかの一九六五年に分離され、新たに設定されたイギリス領インド洋地域に組み込まれた。
イギリスはその上で、一九六六年に米国に五十年間の期限でディエゴ・ガルシア島を長期貸与する協定を結び、一九六五年から七三年にかけて島民をすべてモーリシャスに強制移住させたのである。米国は、島民を追放した上で「貸与」されたディエゴ・ガルシアに巨大な戦略的軍事基地を建設した。ディエゴ・ガルシアをふくむチャゴス諸島を分離した上でのモーリシャスの独立承認(1968年)は、米軍の戦略的軍事拠点をインド洋上に確保するための米英共同の陰謀でもあった。
このディエゴ・ガルシアから湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争においてB52戦略爆撃機、B2ステルス爆撃機などが出撃し、爆弾の雨を降り注いだ。また同島の米海軍基地はインド洋における最大の補給拠点でもあり、東アフリカ、中東、南アジア、東南・東アジアを結ぶ米国の「対テロ」戦略にとって不可欠なものとなっている。
米英両政府の共謀でモーリシャスに移送されたディエゴ・ガルシア島民は、イギリス政府に同島への帰還と補償を求めて提訴している。ディエゴ・ガルシアの問題は、まさに沖縄の反基地闘争やグアム先住民族の闘いと共通性を持っている。
なおこの問題については『季刊ピープルズプラン』38号(2007年5月)に掲載されたジョン・ピルジャー「島を盗む――軍事要塞化されたディエゴ・ガルシア」も参照。
(本紙編集部)
ラリットのサイトはwww.lalitmauritius.org
モーリシャス
ラリット(「闘争」)の同志へのインタビュー
ディエゴ・ガルシア米軍基地の
閉鎖、住民帰還求め長期に闘争
――まず初めに、あなた方の組織、ラリット(「闘争」)について説明してください。
私たちは一九七六年から、「階級闘争(LALIT de KLAS)」という出版物を発行し始めました。その目的は、モーリシャスで現に展開されている階級闘争にマルクス主義的指針を提示し、私たちの闘いに国際主義的基盤を築き、革命的社会主義へと導く過渡的要求のための政治的綱領を発展させることでした。
この出版物を中心に結集した活動家グループは当初、青年、学生、女性の運動をふくむモーリシャス活動家運動(MMM)という広範な大衆運動の中の政治的潮流として作られました。MMMの政治指導部は、基本的にはプチブルであり、改良主義者、民族主義者でした。MMMは次第に選挙至上主義となり、イデオロギー的偏向をみせるようになりました。「階級闘争」潮流に結集した活動家たちは、一九七五年五月の青年・学生の闘争に参加し、中等教育の無償化を実現させました。また一九七六年のモーリシャス史上最大・最長のゼネストで中心的で指導的な役割を果たしていました。
一九八一〜八二年にかけて、MMM指導部は路線的逸脱を最後的に完成させました。総選挙に向かう二年間で、MMM指導部はコミュナリスト(排外的で宗教的な共同体主義)政党と連合し、「新しい社会的合意」と呼ばれる新戦略を採択しました。もはや私たちの活動家がMMM内にとどまることは不可能となり、私たちの潮流のすべての活動家はMMMから離脱し、一九八二年にラリット党を結成したのです。
私たちの政治綱領は、土地改革、植民地時代以来の砂糖中心の農業から多品種農業への転換、女性解放と中絶の合法化、医療・教育費の無償化、学校教育と議会でのクレオール語の承認、再生可能なエネルギーの開発、警察による弾圧反対、住民の「人種」による分断反対、独立前に英国が非合法的にモーリシャスに移送させたチャゴス諸島住民の帰還、ディエゴ・ガルシアの米軍基地閉鎖などです。私たちは戦術的観点から、選挙にも立候補しています。
私たちはパレスチナでの闘いにも参加し、反戦・反帝国主義の戦略的観点から軍事基地に反対する国際的運動にも参加しています。
――今、沖縄の人びとの米軍基地撤去をめざす運動が重要な政治的焦点となっています。私たちも沖縄の闘いと連帯してさまざまな運動に取り組んでいます。ディエゴ・ガルシアの米軍基地撤去の運動は、その意味で私たちにとっても強い関心があります。もう少し、詳しく教えてください。
私たちラリットのメンバーは、沖縄や広島の集会に行って発言したこともあるんですよ。
一九六五年からディエゴ・ガルシアの住民をだまして強制的に移送したことは、国際法に反する犯罪行為です。
私たちは結成以来の三十四年間にわたってディエゴ・ガルシアの闘争に大きな関心を持ってきました。それは基地閉鎖、強制移住させられた住民への土地の返還、損害賠償を求める闘いです。いまこの闘いは決定的に重要になっています。
英国政府は、私たちがチャゴス諸島住民とともにディエゴ・ガルシアや他の島に向かう「平和船団」を企画していることに脅威を抱いています。英国政府は私たちが、ディエゴ・ガルシア基地の閉鎖を主張し、平和船団を企画していることが米国と英国の安全保障上の脅威だなどと言っています。英国政府は法廷での弁論で、一時間も使ってラリットの主張が安全保障にとっての脅威だと述べたのです。
私たちは、英国政府がチャゴス諸島住民を受け入れるという「同化」戦術を取っても闘いを続けてきました。ラリットはチャゴス諸島の住民や、それ以外の進歩的な人びととともに闘争を時宜にかなったものにする努力を続けています。私たちはモーリシャス政府に対して、この問題を国連総会で決議してハーグの国際司法裁判所に提訴するよう求めてきました。私たちはこの要求を繰り返して主張しています。私たちは最近、モーリシャス政府に対してディエゴ・ガルシア問題を国連が調査するように求める国際的請願運動を呼びかけました。
私たちは「恥辱の島」の作者であるデービッド・ヴァインと会合を持ちました。ラリットのメンバーはジョン・ピルジャーの有名なTVドキュメント「島を盗む」で彼と協力しました。私たちは、アイルランドの素晴らしいTVドキュメント「チャゴス諸島は閉鎖された」の制作を支援しました。
今、私たちは国連の核査察官がディエゴ・ガルシアに行くよう訴えています。
(2月26日)
第四インターナショナル16回大会決議
ペルー先住民の闘いへの連帯を表明し、
政府に抑圧の即時停止を要求する
二〇〇九年四月末、ペルー政府は、ペルー森林地帯の先住民に対する野蛮な抑圧攻撃を実行した。それは彼らが彼らの先祖伝来の土地における石油採掘認可に反対して立ち上がったからであり、その認可は、アメリカ―ペルー自由貿易協定の枠組みに沿ったものだった。「バグアの虐殺」として知られているこの抑圧攻撃は、約五十人の命を奪った。この地域の人びとに対するこの虐殺の重大な波及は、今日なお痛々しいものとして残り続けている。例えば、「ペルー森林地帯開発のための諸少数民族協会(AIDESEP)」出身の先住民指導者、アルベルト・ピツァンゴは、絶え間ない法的圧迫に直面した。彼は現在ニカラグアに脱出しているが、故国に戻ることを禁じられている。また、彼の逮捕を要求する国際警察機構の指令のために、他の場所に移動することも禁じられている。
第四インターナショナル第十六回世界大会は、彼らの土地に対する先住民の権利に対する全面的な支持を宣言する。さらにまた、アルベルト・ピツァンゴに対する政治的告発と法的措置に即刻終止符を打つこと、並びに故国への自由帰還権の回復を要求する。
2010年2月27日
投書
「ハート・ロッカー」を観て
SM
今話題の戦争映画「ハート・ロッカー」(キャスリン・ビグロー監督作品/2009年/アメリカ映画)を観た。
この劇映画は、「米軍兵士(アメリカ軍の爆弾処理班)の視点から見たイラク戦争の現実」をリアルに描いている。この映画では、「イラク市民の視点から見たイラク戦争の現実」がリアルに描かれているわけではない。この映画の中には、「戦争は、麻薬だ」というようなセリフも出て来る。だが、「爆弾処理班は、必要だ」というようなセリフも出て来る。この映画は、反米映画でも反戦映画でもない。ただ、この映画は、ある種の「厭戦映画」ではある。好意的に解釈すれば、そう言えるかも知れない。
「ハート・ロッカー」は、第八十二回アカデミー賞において、作品、監督、脚本、編集、音響編集、録音の六部門で受賞した、という。ビグロー監督の元夫であるキャメロン監督のSF映画「アバター」(2009年/アメリカ映画)は、撮影、美術、視覚効果の三部門の受賞にとどまった、という。このことを、どう考えるべきだろうか。「侵略される側から描かれた映画」よりも、「侵略する側から描かれた映画」の方が、アメリカでは評価された。そういうことだろうか。私には、良く分からない。
私は、この映画を観て、特に感動はしなかった。「オバマ大統領のアメリカ」では、この程度の「厭戦映画」を作るのが限界なのかも知れない。そう言ったら、言い過ぎだろうか。イラク市民がこの映画を観たら、どう評価するだろうか。それが問題だ。「ドイツ軍兵士の視点から見た、第二次世界大戦についての映画」をユダヤ人が観たら、どう思うだろうか。それが問題だ。
なお、私の誤解でなければ、この映画には「精神障害」を悪く言うような表現があった。その点が残念だ。私は、そう思った。
(2010年3月14日)
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