| 「大学をやめます、いえ拒否します」の大字報 かけはし2010.4.12号 |
「使いでのある『商品』としてでは
なく、人間の道を『選択』する」 |
3月10日午後、ソウル・アナム洞の高麗大キャンパスに1枚の大字報が張られた。経営学科3年のキム・イェスルさんが書いた、「資本と大企業の下請け会社」となった大学を拒否する、という内容の辞退宣言書だった。キムさんは大字報を張った直後、〈ハンギョレ21〉に大字報全文を送ってきた。効率という美名の下、競争だけを強要する世上に対抗する1人の若者の小さな叫びを掲載する。(ハンギョレ21・編集部)
高麗大生の
自発的退校
きょう、私は大学を辞める。G世代として「輝くか」、88万ウォン世代として「借金を重ねるか」、その2極化のはざまで不安な綱渡りをしている20代。何か不格好なようだが、どうしようもない不安に前だけを見て駆けなければならない20代。そのどまん中で他の道はこれ以外にないとの最後の信念によって。
名門大入学は
最初の関門
では、私の話を始めよう。25年間、長いトラックを疾走してきた。友達らを倒したことを喜びながら。私を追い越していく友達に不安になりながら。そのようにして「名門大への入学」という最初の関門を通過した。ところが変だ。もっと激しく鞭打ってみても足の力が抜け、気持ちが弾まない。今、私は立ち止まって、このトラックを眺めている。その果てには何があるのだろうか? 「就職」という2番目の関門を通過させてくれる資格証の束が見える。再び新たな資格証に向けた競争・疾走が始まるだろう。今や私は見抜いてしまった。私が駆けている所は終わりのないトラックであることを。
今度は私の敵どもの話を始めよう。名前だけ残った、「資格証商売のブローカー」になった大学、それがこの時代の大学の真実だ。国家は義務教育の名によって大学の下請け業になり、大学は資本と大企業に「人間製品」を調達する最も効率的な下請け業となった。企業はより高い価格票を持った者だけが接近できるように、ありとあらゆる新たな資格証を要求する。
この変化が速い時代に10年も使えず古くなってしまう我々は再び大学院に、あるいは留学へと突入する。「世界を舞台に君の能力の分だけ自由でありえよう」というあふれんばかりの自由の時代は、とりもなおさず資格証の時代となってしまった。卒業証もない人生が何ができるか? 資格証もない人生では何ができるか? 学習した怖さや不安は、またもや我々をその前にひざまずかせる。
考えるすきも、振り返る余裕も与えないかのように、また別の偽りの希望が飛び回る。教育が問題だ、大学が問題だと語る思慮ある人々でさえ我々にこう語る。「成功して、世の中を変える『ルーラー(統治者)』になれ」「君がやりたいことをやれ。私は君を応援する」「君らの権利を主張しろ。キャンドルでも持って踏み出せ!」。そして鋭い刃のように付け加えられる一言、「それでも大学は出てこなくちゃ」。その結果が何なのかをみんな分かっていながらも。
大きな学びも大いなる問いもない、「大学」のない大学で、我々20代は投資に見合う収益が出てこない「赤字世代」となって父母に申し訳ない。若者が自分の手で自分の飯を稼ぐことができず、無力だ。20歳になっても夢を追うのが夢では、やりきれない。このまま、いつまで追っていかなければならないのか、もっぱら不安ばかりの若者がもの悲しい。私は大学や企業や国家、そして大学で答えを求めろという彼らの大きな訳を聞きたい。同時に、この体制を支えてきた私のささやかな訳を問いたい。この時代に最も偽悪なものの一つが卒業証人生なのか、それは私自身であることを告白せざるを得ない。
こうして今日、私は大学をやめる。いや、拒否する。さらにいろいろと積みあげるばかりでやっていき、私の人生が萎えてしまう前に。使いでのある商品として「選りぬかれる」ことのない人間の道を「選択」するために。今や私にとっては、これらを持つ自由よりはこれからの自由がはるかに必要だ。私は道を失うだろうし、挑戦にさらされるだろうし、また傷つきもするだろう。だがそれだけが人生ということに対し、今まさに生きるために私は脱走し、抵抗しようと思う。考えた通りに語り、話した通りに行動し、行動した通りに生き抜くという勇気を出そうと思う。
本当の「大学生」への
第1歩を踏み出す
今、大学と資本のこの巨大な塔から、私という名の石ころ一つが抜け出る。塔はびくともしないだろう。だが、ささやかではあるが亀裂は始まった。同時に、大学を捨て本当の「大学生」への第1歩を踏み出した1人の人間が生まれる。今や私が拒否したことどもとの次の闘いを前にして私は告げる。
「そうだ。誰がもっと強いのかは見ておくことだ」。(「ハンギョレ21」第802号、10年3月22日付)
連帯とはこういうことなんだ!
現代車系外国企業の職場閉鎖に
金属労組21事業場が共同ストへ
隣接する工場が突然、門を閉めたが、あなたに向かって一緒に連帯ストをしようと言ったなら、それをできるだろうか? 休日の特勤手当を拒否しようと言ったら、それをできるだろうか?
2600人余の労働者たちは「そうだ、やろう」と応じた。全国金属労働組合(以下、金属労組)のある幹部は「これらの人々は拘束される覚悟までしたようだ」と語った。3月9日、金属労組慶尚北道・慶州支部は傘下事業場21カ所の工場を停めた。社長らはこの日、金属労組慶州支部長ら4人を業務妨害の嫌疑で告訴した。
警備・食堂まで
全職員が正規職
彼らはなぜ他の工場の問題で「賃金が削られ、拘束される覚悟」までして踏み出したのだろうか? 同じ金属労組の事業場である「パレオ電装システム・コリア」が突然、工場の門を閉めてしまったからだ。ストに踏み切ったチェ・ミンソク金属労組慶州支部宣伝部長は「パレオはこの地域の企業の中で雇用効果も大きく、賃金や労働条件においてシンボル的な所」だと説明した。
パレオ電装システム・コリアは「非正規職のいない工場」だ。食堂で働いているアジュンマ(おばさん)にせよ、警備員の仕事をしているにせよ、875人の役員の職員全員が正規職だ。1日の「日当」も一緒だ。職務に伴う手当は異なるけれども、工場内ではフォーク・リフトの運転だろうが生産ラインでの仕事だろうが基本的な「日当」は同じだ。この会社は現代自動車に始動モーター・発電機などを納品する。
けれども会社は去る2月、警備業務を外注化すると言いだした。労組側は「昨年、組合員の福祉まで譲歩しながら、食堂・警備など4つの業務のアウト・ソーシング(外注化)しないことで会社側と合意したのに、会社がこれに背いた」と激しく反発した。これに対して会社は2月16日、(旧)正月の連休が終わった直後、職場閉鎖を断行した。組合員らに携帯電話のメール・メッセージで職場閉鎖の事実を伝えた後、(闘争破壊、スト破りなどに使われる)雇われ警備員250人余人を投入して労組員らの出入りを阻んだ。フランスに本社のある会社側は、09年の89億ウォンに続き今年も赤字が予想され、会社再生の方案が必要だ、との立場だ。国内工場清算の可能性までほのめかした。
わが身の問題と
して受けとめる
ペ・ジェシク・パレオ労組事務長は「もう10年も続いている闘争」であって「社長が替わるたびに工場の外注化を試みている」と語った。労組は警備業務から外注化され始めれば、生産業務も次第に外注化される可能性大だと考えている。外注化によって社内下請け労働者になれば、賃金や福祉など労働条件は後退する。ペ事務長は「非正規性ができないように、これまで守り抜いたことは実に大変だった」とため息をつきつつ、(我々が)受け入れることはできない。組合員らは結局、わが身の問題として受けとめる」と語った。
職場閉鎖が20日余り続くと、慶州支部の他の事業場の労働者たちも600余人のパレオ組合員を応援するために立ちあがった。3月6〜7日には休日勤労を拒否し、8日には4時間スト、9日には全面ストを実施。
零細事業場の
労働者らも合流
パレオよりも賃金などの労働条件が劣悪な中小・零細事業場の労働者たちも共に行動した。個別事業場で地域支部全体が全面ストを行うのは前例のないこと。
3月10日、パレオの会社側は労組との対話に踏み切ったものの、進展はなかった。12日には金属労組の幹部5千人余りが慶州に集まって集会を開いた。チェ・ミンソク宣伝部長は「労働者たちが高い所(労働条件の良い事業場)を見て自身の事業場も見ならっていきたいのに、いま高い所が崩れている訳」だから「組合員らはすべてが下向調整されるのを阻止しぬくだろう」と語った。(「ハンギョレ21」第802号、10年3月22日付、イ・ワン記者)
無償給食論議のための一対案
子どもに傷口を与えない制度を
近ごろ論難がたけなわの無償給食問題について、一つの対案を提示したい。
無償給食反対論の最新版は「経済的に余裕のある人の子女の昼食代まで政府が全部支払ってやるほど、わが政府はヒマではない」(チョン・モンジュン・ハンナラ党代表)だとか「助けが必要な庶民らがより多くの恵沢を受けるようにし、国民の血税を富者の給食に使ってはならない」(アン、サンス・ハンナラ党院内代表)という論理だ。ハンナラ党は富者たちに背を向け始めたのか。
イ・ミョンバク政府の減税政策によって所得水準が高い上位20%は恵沢を受け、残りの80%はむしろ負担が増えた、という最近の統計庁の資料を思い浮かべれば、与党がこれまで富者たちにのみ余りにも恵沢を与えてきたことに対する自激之心(自分のなしたことを自ら不満に思うこと)が発動したのではないのかという思いもする。税制を改めて富裕層の税金の恵沢を少しばかり減らし、その代わり無償給食によってその子弟らの給食費を支援してやればよくないだろうか。
ともあれ無償給食を全面実施しようとすれば余りにも多くの予算が必要で、その多くの予算をかけてあえて富裕層まで支援する必要があるのかというのが反対論の核心だと言えよう。
それならば提案するのだが、給食をすべての子ども・青少年に無償で提供するが、無償給食を受けなくともよいほどの富裕層は政府が開設した口座に自発的に任意の給食費を入金するようにする制度はどうだろうか。予想できる3つの長所がある。
対案には3つの
長所が存在する
第1に、現在のような選別的無償給食制度による低所得層の子どもらの痛みを癒やすことができる。子どもらにとって自身が無償給食の対象となるという事実、すなわち自分が貧しいという事実を証明するようにしている現今の制度は、野党が主張している「差別給食」だとか「いじめ給食」などという言葉では到底、言い表すことのできない惨酷さを帯びている。ユン・ジュンヒョン企画財政部(省)長官は「国家の経済を考える立場からは(無償給食は)納得できない。社会主義国家に進むわけでもないのに財源は何でまかなうのか」と語ったというが、「国の経済を考える者の立場」ではなく、「孫らがそのような状況にあるハラボジ(おじさん)の立場」であっても同じ考えを持つのか、聞いてみたい。経済が人間性よりも優先的な価値を持っていると信じるのであれば、もはや言うべき言葉はない。
第2に、わが国の富裕層の「ノーブレス・オブリージ(高い身分・地位の人には、それにふさわしい義務がある、の意)」を満天下に立証できる。政府が開設した口座に自発的に振り込んで入ってくる。実際の給食費の金額とは関係なしに、それ以上をも気持ちよく喜捨する入金の行列を目撃するならば、我々はわが社会にまだ希望があるという喜びに心弾むこととなるだろう。その名簿にチョン・モンジュン代表やアン・サンス院内代表、ユン・ジュンヒョン長官らの名前を見ることができれば、これに勝る喜びのいずこにやあるらん。
第3に、以上の長所と関連することとして、無償給食の予算を節約することができる。ノーブレス・オブリージの花が華麗に咲けば咲くほど国家財政もしっかりする。美しい善の循環の輪がつながって完成するのだ。自発的入金が全くなかったり極めて低調であれば再び「予算が、予算が」という予算タリョン(口ぐせ)が流れ出すこともあり得る。もちろん、その予算タリョンは現在のように貧しい子どもらにとって呪詛にも等しい差別の歌ではないはず。
富裕層の利他心と社会的責任を追及する肯定の予算タリョンに、我々はエイヤさ、ヨイヤさと踊り出しはしないまでも、胸をかきむしる惨たんさからは解放され得るだろう。教えながら、また育てるという意味の「教育」、憲法に明示された子どもらの権利が、あるべき姿を取り戻すことができるだろう。
以上の提案について反論はいくらでもあり得るだろう。「無償給食をするのなら、極端に言えば暇も買ってやり、家も買ってやるのか」(ユン長官)などという、およそ話にもならない主張でなければ、いくらでも歓迎する。ひいては、この提案をまるごとグチャングチャにしてもいいから、どうか子どもらに傷口を与えない給食制度が実現できさえすればよい。(「ハンギョレ21」第802号、10年3月22日付、パク・ヒョン/編集長)
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