| 朝鮮戦争時「悪の枢軸」が誕生 かけはし2010.4.5号 |
米国は共産主義を「悪魔化」
韓国ではキリスト教が担う |
「男の子は闘いながら成長する」。
筆者が12年前、子どもらの間の腕力沙汰は当然だと考えている、ある韓国の学生から聞いたこの言葉は、そのまますべての男の子に適用することはできない。2001年の米国の統計を見ると、少なくとも1年に1回ぐらい拳で闘ったことのある男子学生は43%にとどまり過半数にも及ばず、北欧や東アジアでは学生間の争いが米国よりもさらに見いだしがたい。ところが子どもらに適用することのできない言葉を、国家にはそのまま適用してもよい。
国家の成長は戦
争を要求する
国家、特に資本主義国家の成長は戦争を欠くべからざるものとして要求する。さらには資本主義国家によって構成される国際覇権体制は常に大規模戦争をその出発点とする。1815年以後、ヨーロッパ列強間の秩序は、英国とロシアが主たる戦勝国として浮上した15年間のナポレオン戦争の結果によって誕生した。その後は英国とロシアの植民地争奪戦が19世紀の世界史の大きな軸となるとともに、朝鮮の運命にまで大きな影響を及ぼした。
1870年代の中盤から韓(朝鮮)半島さえもロシアの影響圏に編入される可能性を深刻に憂慮していた英国は1894年以後、当時としては列強の隊列に伍すこともできなかった新生近代国日本による韓半島の保護国化、さらには植民化のプロジェクトを積極的に後押ししたのだ。そうでなかったなら、はたして日本が単独の力で朝鮮を呑み込んでしまうことができただろうか。
1931年以後、日本は英米の覇権から離脱し、究極的には1945年に敗戦することによって、韓半島の植民化に対する英米の承諾が取り消され「解放」がやってきたものの、スターリンの北海道占領、すなわち米軍の軍事保護領となる日本の分断の可能性を予防しようとする米国によって、むしろ韓半島北半部がロシア(ソ連)に「譲歩」された。既に1870年代からロ・英の代理戦の舞台だった韓半島が再び地政学的葛藤の舞台へと変じたのであり、その葛藤の過程で新たな世界秩序が作られた。
この秩序の興味深い理念的特徴のうちの一つは、敵対陣営に対する宗教的色彩が濃い悪魔化だ。数年前、米ブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言においてそっくりさらけ出されたこの特徴は、どう見てもブッシュよりもずっと「賢い」西側のイデオローグの著書で既に数十年前に示されていた。1930〜50年代、米国知識界の大物にして労働運動の支持者、自称「民主社会主義者」のラインホールド・ニブア(1892〜1971)のような人物でさえも、著書〈米国歴史のアイロニー〉(1952)で韓国(朝鮮)戦争を「神と悪の対決」と規定するとともに「ひたすら絶対権力にのみ絶対的に執着している共産主義的全体主義」との平和的共存は「原則的に不可能だ」と断定した。
政治的変化に敏感なニブアであればこそ、1960年代中盤になってベトナム戦争に反対し、共産陣営との平和的共存を支持するハト派に突変しはしたものの、北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)に対する「絶対悪」のレッテルは大多数の米国人の認識世界からは全くのところ消去されることはなかった。
米国の捕虜たちが反戦の立場になったイシューを指し、「中国軍捕虜収容所での洗脳」だと説明するエドワード・ハンターなど米国記者たちの記事が1950年〈ニューリーダー〉などに載った後、大衆的に有名になった「洗脳」という単語は多数の米国人のソ連観や中国観、特に北韓観を決定づけさせた。世界を生き地獄にしようとする悪漢どもの「洗脳」によって一糸乱れず動く無数のスラブ人や東アジア人の群れ…。このような「共産脅威論」を無批判的に受けいれていた多数の米国人は、本人たちこそが洗脳されているという事実をまるっきり知らずにいた。
韓国戦争の際に発表したある本において「共産主義的集団主義」を「個人を完全に否定する原始部族の論理」と表現したパウル・ティーリッヒ(1886〜1965)のような典型的なキリスト教的自由主義思想家は、そんなもんだとしよう。ところが「進歩」とでも言うべき知識人・運動家までもが韓国戦争の時期にファナティックなまでの反共主義の立場になったのを、どう説明することができるだろうか?
帝国主義の「宗教
化した反共主義」
全米有色人種地位向上協会(NAACP)のように1909年から米国「主流」の人種主義に抗してきた黒人市民運動団体さえも1950年6月25日、戦争がぼっ発すると、「我々内部の共産系の転覆分子の洗い出し」に乗り出したのを見れば、一種の「市民宗教」になったという点が理解できよう。他の西側諸国ではこれほどまでになりはしなかったけれども、米国では1950年6月25日以後、「共産主義者」が「悪魔」の同義語になってしまった。
資本主義列強の歴史は競争と戦争の歴史ではあるものの、列強間の競争がこのように「宗教化」し、競争国が「悪魔」として描かれるのは初めてだった。その理由は幾つかあるが、大恐慌が生々しく記憶されている時点で資本主義の未来に対する憂慮が大きいうえに、共産陣営の公式的無神論に対する天主教(カトリック)・改新教(プロテスタント諸派)の極端な嫌悪症、そしてスラブ人や東アジア人に対する人種主義的またはオリエンタリズム的偏見などが加味されたと見るのが正確だろう。ナポレオン戦争から第1次世界大戦までは(西欧化された帝政ロシア支配層を含む)西欧人間の「内戦」だったけれども、1950年以後の「対共闘争」は文化や慣習、そして多くの場合には外貌までが欧米支配者と異なった(ほとんどが西欧化されていない)平民出身のソ連指導者や毛沢東、ホーチミン、キム・イルソンなど東アジアの「儒教的共産主義者」を相手とした「外戦」だった。
数年前、前・米ブッシュ大統領がキム・ジョンイル北韓国防委員長に対して「私は彼を嫌悪する」「小人」(pygmy)など、人種主義的侮蔑感の色濃い言辞を用いたのは、1950年以後、米国の反共主義の人種主義的側面をよく示している。前回、大統領になろうとして敗北したジョン・マケインが戦争捕虜だった時期に、自身を監視していたベトナム軍哨所兵に対して「グーク」(gook、「肌の色が黒い奴」という意味で、米軍の中で使われているアジア人に対する人種主義的侮辱)と表現しつつ、「私はずっと『グーク』らを嫌悪してきた。死ぬまで嫌悪し続けるだろう」と語って問題をひき起こしたのも偶然ではなかった。
多くの面で反共主義は19世紀末〜20世紀初めの「黄禍論」(黄色人種が白人を脅かす時代が来るだろうという主張で、清日戦争末期にドイツ皇帝ウィルヘルム2世が黄色人種を抑圧するために掲げた)をそのまま継承した。1882年に「中国人排除法」を通過させ、中国人の移民を封鎖した米国のような国で黄禍論は反共主義に対する説得力を極大化するのに寄与した。
以北(北朝鮮のこと)の主要都心で約40〜50%建物が廃墟と化した「じゅうたん爆撃」の根底に流れている情緒もまた人種主義と見るべき余地が多分にある。じゅうたん爆撃、貯水池の意図的破壊、枯れ葉剤の使用などに直面した北韓が「米帝」に対するほとんど宗教的嫌悪症を大衆化し、最強硬の排外的民族主義を基盤とする「チュチェ(主体)思想」へと旋回したのも、韓国戦争のもう一つの大きな被害だと見ることができる。覇権帝国の「宗教化した反共主義」は、その反対者の「宗教化した反米主義」につながるなど、両者に理性のマヒ症状が見えた。
黒人が選挙権さえ享受できなかった1950年代の米国であればこそ、「チコム」(chibom、中国共産主義者の卑下的略称)や「グーク」に対する宗教的とも思えるほどの嫌悪を大衆化することは、「主流」白人の情緒上、さして難しいことではなかった。ところが日帝の兵站(補給)基地から突然に米国の反中、反ソ、反北戦争の準備基地に変わった南韓(韓国、大韓民国)では、その理念的事情が違った。
太平洋戦争までは「白人」と総称できる米、英、ソとの「人種的聖戦」と宣伝されたけれども、キム・イルソン政権を「人種的他者」に仕立てるのは当然にも不可能だった。キム・イルソン政権との対決を「民主主義と共産独裁の闘い」だと宣伝するのは「思想戦」の基本だったけれども、1956年、南山の朝鮮神宮の跡地に立ったイ・スンマンの大形銅像を凝視しながら、「民主主義」の話をキチンと信じる人々が、はたしてそう多くいただろうか? 結局、南韓の反北、反共の情緒形成には宗教が大いに寄与しなければならなかった。
軍隊でほぼ唯一
の思想として君臨
既に太平洋戦争時節には日帝の「聖戦」に対する積極的な加担をしていた制度圏仏教集団も、いくらでも新たな「反共の聖戦」の手助けをする用意はあったものの、結局、反北主義、反共主義を土台とした「国民総団結」を宗教化する第1次的役割はキリスト教、特にプロテスタント諸派が担うところとなった。
その背景を見ると、2つの要素がよく指摘される。一面では仏教よりも韓国改新教の反共主義的「伝統」がはるかに深かった、というのだ。既に1930年代中盤にヒトラーに心酔したYMCA総務シン・フンウ(1883〜1959)がキリスト教的ファシスト組織とも言うべき「全国信仰団」を作るなど、教界内部で極右志向が存在していたし、キル・ソンジュ(1869〜1935)のような高い人気の神秘主義的教会指導者が共産主義を「末世のサタン」とみなした。解放後、南にやってきたハン・ギョンチク(1902〜2000)ら保守的教会の中心的人物らは、このような「共産主義=悪魔」の論理を大々的に深化・発展させたが、以北の左派政権と教界間の葛藤が日を追って高まり地主や商人出身の多くの教人(クリスチャン)が財産を失い越南する状況にあって、このようなキリスト教的反共主義が教界を風靡した。
また一面では、米国の影響下で南韓でイ・スンマンをはじめとする熱心な改新教徒が権力をほぼ独占し、キリスト教が「国教ならざる国教」の様相を帯びた状況の中でキリスト教が「反共の聖戦」のイデオロギーとなるのは、いわば自然なことでもあった。クリスマスを公休日に指定したイ・スンマン政権の初代内閣で42%の閣僚がキリスト教信者だった。「大韓民国の建国理念」と「米国」「文明」「キリスト教」が大体において同義語と認識される状況にあって、キリスト教が大韓民国の国是である反共と重なりあうのは、ごく自然なことだった。
冷戦最前線の安保国家である初期大韓民国の核心的機関は軍隊だったが、1950年代の軍隊においてキリスト教はほぼ「唯一の思想」として君臨した。1968年以前には軍隊に仏教の「軍僧」は存在しなかったが、軍牧(師)や軍神父など、米国の宣教師やハン・ギョンチク、リュ・ヒョンギ(1897〜1989)ら韓国教界の実力者たちの推進によって既に1950年末に誕生した。1950〜64年、改新教・天主教の聖職者586人が軍の宗教担当の将校職を担ったが、彼らは1957年に至ると軍部隊で249の教会を建て、キリスト教士兵の比率を全国のキリスト教人比率の2倍以上となる15%に引き上げた。陸士、海士など軍や国家の核心的機関ではキリスト教人の士官生比率が当初から40〜50%を占め、「キリスト教政権」として認識される自由党政権に対する忠誠を誇示しようとするチョン・イルクォン(1917〜94)のような建軍初期の核心的人士らは「軍人すべてのキリスト教化」を公然と唱えた。
今も続く朝鮮戦
争の長い陰影
厳格に国教を定めず、憲法において宗教の自由を銘記した大韓民国において、このような発言は「違憲」とみなすべき素地が多分にあったけれども、韓国戦争の時節に南韓軍が「十字軍」と呼ばれ、軍歌用として讃美歌が拡声器で聞かされた記憶が働いてか、「軍人すべてがイエスを信じたら、と思う」という言葉程度は当然視された。キリスト教は反共の基礎であったし、反共は大韓民国のアイデンティティだったからだ。
キリスト教をほぼ「国家の理念」として押し出した自由党政権が滅びてから10年余りが過ぎた1970年代の初盤に至るまで教界はさしたる制裁を受けることもなく、「全軍の福音と運動」のようなプロジェクトを推進することができた。それほどにパク・チョンヒ政権と軍当局は「健全な反共思想」としてキリスト教の価値を高く評価したのだ。
教会が当初「平和の宗教」を自称していたキリスト教を、「北傀撲滅」の理念にして軍の精神訓練の教材用として仕立てることによって獲得した信者たちが、はたしてどの程度の真理の道に至ったかは、多くの面で疑いの余地がある。そのような教会の量的成長の質的深みについて懐疑を抱くことはできるとしても、韓国教会の奇蹟的成長の一要因として作用したこと、まさに反共のキリスト教化とキリスト教の反共化という点については認めないわけにはいかない。韓国戦争を経てファナティックなまでの反共主義へとかけ上った社会において、イエス・キリストが「反共の勇士」たちの神となり、競争政権は「敵キリスト」となったわけだ。
反共主義とキリスト教の信仰、人種主義と重なりあいつつ、西側陣営を一つにくくってしまった1950年代は、もはや「歴史」となった。だが「文明の敵」や「文明の他者」に対する宗教化された嫌悪症は、はたして完全になくなったのか。
イデオロギー的に柔軟化するとともに経済的政治的比重が相当なものになった中国やロシアは、今やパートナーであると同時に「潜在的脅威」として扱われるが、奴隷と変わるところのない状態におかれた米国の1100万余の「不法滞留者」の驚がくすべきほどの状況に対しては一言半句もせず、中国のチベット支配を現実以上に否定する西側の主要メディアの2分法的偽善は依然として驚くばかりだ。
韓国では国家が単純無知な1950〜60年式の反北主義を脱してから大分になったけれども、依然として宗教化された反共主義は改新教という大韓民国での影響力1位の宗教集団の極めて有力な談論として残っている。はたして北韓という他者に対する敵対心と警戒心なしには大韓民国の「国民統合」は不可能なのか? いったい韓国戦争の長い長い陰影から脱け出すことができるのだろうか?(「ハンギョレ21」第801号、10年3月15日付、パク・ノジャ/オスロー国立大学教授・韓国学)
参考文献
1、〈韓国の改新教と反共主義〉カン・インチョル、チュンシム、
2006
2、「軍事政権期 韓国教会と国家権力の関連:政教癒着と過去史清算の課題を中心として」〈韓国キリスト教と歴史〉第24号、チャン・ギュシク、2006
3、〈韓国近現代史とキリスト教〉リュ・デヨン、プルン歴史 2009
4、〈国家と宗教〉チェ・ジュンゴ、現代思想社 1983
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