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朝鮮人には教育費の支援も惜しい?           かけはし2010.3.29号

日本の「高校授業料無償化」
政策で朝鮮学校は除外の動き

 日本で、いわゆる「教育の無償化」方針は「すべての児童の平等な学習権の保障」という教育理念を旗じるしとして掲げた鳩山政権の核心的公約で、国籍に関係なく国公立・私立学校に通っている高校生を持つ家庭に授業料を全額またはその一部を支援するという内容だ。
 朝鮮学校に通う場合、年間約120万ウォンの支援金をもらうことができる。朝鮮学校の学父母たちは学費が軽減されるというこのニュースを歓迎しながらも、はたして今回の政策が現実化されるのかについて疑念を拭いきれなかった。朝鮮学校は私立学校とは違い、政府の補助金を全く受けられないうえに、税制上の恵沢も適用されないという差別を受けてきた。学校運営に必要な財政はほとんど学父母に依存してきたのであり、教師らは月給の欠配もあった。朝鮮人に同化を強要する日本の姿勢は、植民地時代も今も大して違いはない。

閣僚までも「除外すべきだ」

 案の定、2月20日、中井洽・国家公安委員長兼拉致問題担当相は来る4月から施行される高校無償化法案において、朝鮮学校は除外すべきだ、とブレーキをかけるとともに問題は始まった。要するに日本人拉致問題がまだ解決されておらず、朝鮮学校は北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)の学校だ、という主張だ。これに対して日本のマスコミ・メディアは連日、事実の報道と共に憂慮と批判の声を伝えている。まず、外交問題を理由として児童の学習権をああだこうだというのは穏当なのかという、国際法に基づいた批判だ。また「朝鮮学校イコール北韓の学校」という等式化は朝鮮学校の現実をよく分かっていないことから始まったものだ、というのだ。ある日刊紙は社説を通じて、中井拉致問題担当相と川端達夫文部科学相に朝鮮学校の視察を勧めもした。
 「我々に対する日本の差別意識は何一つ変わっていない。国連でも今回のことを明白な人権侵害だと語った。大きな力だ。右翼の襲撃や日本政府の差別に抗して学校を守るために闘うだろう。日本が過去にわが民族に対して冒とくした罪を考えても。そしてこのような時代を子どもや孫たちに残してやるわけにはいかないじゃないか」。最近の日本の極右団体による相次ぐ朝鮮学校襲撃事件や今回の高校無償化法案の事態を見守っているある在日朝鮮人学父母の悲壮な心情だ。
 朝鮮学校の受難とプライドの歴史は、1945年の解放とともに自発的に起こった約600カ所の朝鮮人学校の創設から始まる。解放を迎えた朝鮮人たちは故郷に帰るという期待の中で、それまで奪われていたウリマル(朝鮮・韓国語)と歴史、文化を子どもたちに取り戻してやることが何よりの急務だと考えた。
 これに対して日本政府は、朝鮮人の子女も日本の学校に通いつつ日本式の義務教育を受けなければならない、として対立した。そして1948年、いわゆる「阪神教育闘争」が起こった。朝鮮人学校をすべて閉鎖せよという命令に、数万人の同胞が激しく抵抗した朝鮮学校弾圧の象徴的事件だ。この渦中でキム・テイルという16歳の少年が日本警察の銃を受けて亡くなるという悲劇が起きたりもした。
 それ以降、南北分断の民族的不幸は在日朝鮮人社会を揺るがした。南側の独裁政権は、この人々がすぐにも日本人へと帰化するだろうと考え「棄民政策」を展開した。北側は援助金を送った。朝鮮学校が北側の影響を受けつつ思想教育を強調した時期もあった。だが現在の朝鮮学校には韓国籍を含め多様な国籍の学生が通っている。我々が出会う、ウリマルをよく話すことのできる在日同胞は、そのほとんどが朝鮮学校を出てきた人々だ。

国連も学習権の侵害を指摘

 朝鮮学校は依然として美容師学校や運転教習学校などのような「各種学校」に分類され、差別的取り扱いを受けているが、日本政府が定めた学習指導要領に合わせて授業のカリキュラムを組み、学校の認可を決定している各地方自治体にカリキュラムなどの関連情報が公開されている。また日本の国公立大学の大部分が朝鮮高級学校(高校)卒業生の入学を認めている。
 民族的差別や下層民としての生活苦にさいなまれながらも、子どもらだけは立派な朝鮮人へと教え育てなければならないという同胞たちの強い信念と教育熱が今日の朝鮮学校をあらしめた。朝鮮学校に通うということは、学習という一次的な次元を超え、今なおかつての植民主義の歴史の清算を渋っている日本の地で民族のプライドを守り、1人の人間としての尊厳を守るための奮闘にほかならなかった。
 「最近の北・日関係が学校に通っている子どもらに影響を与えていると聞いた。外交関係が学生らに影響を与えてはならない」「朝鮮学校に対する差別的暴言や暴力が起きている。日本政府はどんな差別をしているのか?」。
 筆者は、日本において朝鮮学校をめぐる論難が膨らんでいた2月24〜25日、スイス・ジュネーブで開かれた国連・人種差別撤廃委員会(UNCERD)の日本政府報告の審査会に参加した。人種差別撤廃条約の批准国家は原則的に2年ごとに報告の義務があるが、日本は9年ぶりにやっと2度目の審査に応じた。委員たちは教育、就業、年金、参政権などさまざまな分野で在日朝鮮人が味わっている政策的、社会的差別について追及した。ある委員は前回の報告の際に比べて状況が全く改善されていないとし、委員会の勧告を受け入れようとする努力が見えない、と厳しく指摘した。
 今回の朝鮮学校排除の論難とのかかわりでは、国連の市民的・政治的権利に関する国際条約27条が保障しているマイノリティーの学習権の侵害であり、人種差別撤廃条約5条が規定している学習権の平等な保障に違反するという点が指摘された。これに対して会議に参加した文部科学省の官僚は「国会での審議を見守りつつ慎重に対処していく」というお決まりの答弁でお茶をにごした。
 だがこのような国際世論の波長を意識してか、日本政府は拉致問題が今回の問題の判断の根拠ではないという修正された見解を述べ、代わりに朝鮮学校が何を教えている学校なのか確認できないという、苦しまぎれの言い逃れを新たに押し出している。

日本政府の歴史認識が問われる

 国連・人種差別撤廃委員会は3月中旬ころに最終見解を発表する予定であり、日本政府はこれに先立って結論を出すものと見られる。今度の問題によって、16年ぶりの非自民党政権、1945年以降で初めて野党が過半数を占めて政権交代を実現したその鳩山政権の歴史認識や人権への水準が国内外的にテストされる場に立つところとなったわけだ。(「ハンギョレ21」第801号、2010年3月15日付、ペ・ジウォン/地球村同胞連帯・運営委員)

パトリック・ソンベリー国連・人種差別撤廃委員に聞く

「差別の実態把握もできず…差別禁止法の制定が必要だ」

 国連・人種差別撤廃委員会(UNCERD)のパトリック・ソンベリー委員(写真)は「日本政府の報告と答弁は前回の審査以来、ほとんど改善されなかった」「何よりもマイノリティーの当事者たちの規模や差別の実態などに関する基本的な統計のような情報がもっと必要だ」と指摘した。
 例えば日本政府の報告書には日本国籍を取得した少数民族らの姿が見えないというのだ。ソンベリー委員はまた「朝鮮学校襲撃事件を動映像で見たが、このような事件がどのぐらい頻繁に起きているのか政府報告書では分からない」し、「基本的な統計調査に状況と問題を診断し政策をうち立てる上で極めて重要だ」と強調した。
 彼は「外国人でもなく少数民族でもない特別永住資格という独特な地位を持った在日朝鮮人は明らかに世界的に珍しいケース」であり、「日本国籍取得を自発的に拒否して国籍を維持しようとするのは、日本があまりにも同化政策を強要した結果ではないのか」と反問した。特に在日朝鮮人問題に関しては一層平等な措置を取らなければならない、というのが彼の見解だ。
 ソンベリー委員は、何にもまして急がれるべき課題として反差別法の制定を挙げた。アイルランド出身の彼は1960年代までは英国本土に行くと食堂に〈犬とアイルランド人の出入り禁止〉という標識が堂々とかかっていたという経験を紹介するとともに、「1965年ごろ民事・刑事上で人種差別を禁止する法律が制定されると、このような露骨な差別は消え始めた」と語った。
 彼は在日朝鮮人差別問題に対応する戦略も助言した。「人権教育と啓蒙運動だけでは不充分だ。ぜひとも民事・刑事上の処罰を受けることになる差別禁止法が制定されなければならない。在日朝鮮人組織と関連市民団体は国際的な戦略によって、もっと積極的に国際条約と関連する国際会議に参加する必要がある」。(「ハンギョレ21」第801号、10年3月15日付)


コラム
東京スカイツリー


 朝夕のラッシュ時でも十分に一本。到着の遅れは当たり前。非常急停止を繰り返す未熟な運転技術――都内屈指のローカル線・東武伊勢崎線沿線に今、大きな異変が起きている。墨田区押上地区の再開発、すなわち「東京スカイツリー」建設である。
 東武鉄道が百%出資する新東京タワーは、高さ六百三十四メートル。世界一の電波塔になる予定だ。「予定」というのは、各国で同様の巨大タワーを建設しているため、完成時点での順位が予想できないからだ。
 近隣区では建設地をめぐって、し烈な誘致合戦が展開された。当地に決まると鳴り物入りで宣伝が始まったが、実は着工当初からしばらくの間、区民の反応は極めて冷ややかなものだった。
 空気が変わり始めたのは、ここ最近だ。一年間で約三百メートル「成長」する巨体の実像に、人々がようやく注目し始めたのだ。メディア報道のなかでも、東京新聞の力の入れようはひときわ目立つ。同紙の「下町支局」は、駒形橋西詰の雑居ビルにあり、取材の地の利がある。定点観測を続ける愛好家らをひんぱんに登場させ、紙面を盛りあげている。
 歩行者はもちろん、通過する車の窓からも驚きの表情がのぞく。連日連夜カメラを抱えた人の姿が絶えない。人気の撮影ポイントは、業平橋駅南側の東武橋の上。だが歩道が狭く歩行者の通行を妨げるからと、橋の南東脇に専用の「見学スペース」が設けられた。橋よりも低く視界が悪いこの場所でタワーを眺めている人を、いまだかつて見たことはない。
 観光名所の誕生に、浮かれてはいられない。それはあくまで国策として強引に押し進められている「地上デジタル放送」用の施設であり、あと一年もすれば、わが家のテレビは否応なくスクラップと化すのである。制度を強行する国は、何の補償もしない。今後もテレビを見たければ、対応する機器を自費で買い揃えなければならない。機械の苦手な高齢者や、貧困に苦しむ市民には、とんでもない話である。「貧乏人にはテレビは要らない」といわんばかりである。そのうえ大量に廃棄されるであろう現在のアナログテレビは、いったいどこへいくのか。その数は推定一億台にも上る。放送する側もスタジオ、カメラ、中継車など多額の投資が必要になる。NHKではざっと三千八百億円。それでも電波の届かない地域が残るという。
 スチール写真のデジタル化は、現像や焼付けが要らず、誰もがすぐに写真を確認でき、遠隔地へ送信し、ネット上で共有するという画期的な利便性をもたらした。しかし国が管理する公共の電波を、全面的にデジタル放送に一本化するとなると、話は別だ。弊害だらけの「地デジ強行」。やはり反対するしかないのだ。        (隆)


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