もどる

韓国はいま                       かけはし2010.3.22号

後任兵たちと共に本を回覧し
「右派メディア」に抵抗する

軍隊内でも運動ができるんだ!

 〈ハンギョレ21〉は今年のキャンペーン「運動しましょう」への参加を呼びかけている。その中で市民運動への参加のいきさつやその活動の中での悩みなどの感想文を紹介している。また同時に同誌定期購読申請者の購読料の20%を購読者が指定する市民・社会団体に寄付・支援する事業(3月8日付現在、75団体が対象)を展開している。以下に掲載の文章はキャンペーン「運動しましょう」に寄せられたものの1つで比較的に年長で徴兵に応じた青年の軍隊での経験をつづっている。(「かけはし」編集部)

幹部が読んでいる
のは〈朝鮮日報〉

 民間人となってからまだ間もない元・陸軍兵長です。衛兵所の外に出てみると、はや三十路の入り口、遅くに軍への入隊をした者の悲しみや辛さは並大抵ではなくエピソードも数限りなくあるけれども、それについてはあえて紙面を浪費しないようにします。そこで他の人々が滅多に経験しがたいエピソードを申し上げようと思います。
 2008年のキャンドル・デモを見つつ、(軍人の教養などを学ぶ)政訓時間にある幹部が「わが国民のやじ馬根性のせいで、あのように群らがってキャンドル・デモをしているのだ。牛肉の輸入の何が問題であんなに騒ぎ立てているのか分からない。休暇中には絶対にそんな所に近付くな」と話すと、兵士たちはうなずいて、こくりこくり。「TVニュースはKBSだ。『国家が運営している放送』なので、それだけに保証されたニュースだ。全兵士はKBSニュースを視聴すること!」兵士たちは、またもこくりこくり。
 昨年1月の龍山の火魔を報道するニュースを見ながら、ある幹部は「今はあのように(抵抗する者には徹底して排除)しなければならない時だ。国家がしゃんとしなければならないのだから」「私はパク・チョンヒ大統領が最も立派だと思う」「先頃までの(キム・デジュンやノ・ムヒョン)政権らの誤った歴史観で教育を受けたお前らが間違った見方をすることもあり得るだろう。だが軍隊でそれをすべて拭いさることができるように」。双龍自動車のストライキを伝えているニュースを見ては「強い労組が問題だ」、故ノ・ムヒョン大統領の逝去については「大統領が自殺するだなんて……お前らも自殺するつもりならしてみろ。自殺すればお前らの損であって、俺には関係ない」など。
 幹部らが取り立てて精神教育を通じて飼いならされたわけでもないのに、何で申し合わせたようにこのように歪んだ形で軍人に政訓教育の名によって教育をしているのか気になっていたところ、彼らが読んでいる新聞は〈朝鮮日報〉だということを知るに至りました。目新しいことでした。おしなべて〈朝鮮日報〉を購読し、〈朝鮮日報〉に基づいて話しているのが驚くべきほどでした。「1等新聞の力」が本当に恐ろしく思いました。さらに耐えがたいのは、このような現実が所属していた1部隊だけの問題だったのだろうか、ということです。しかも軍隊ばかりか社会の至る所でごう慢・尊大に振るまいたがっている機関や団体ではその大部分が「1等新聞」の力が発揮されるのです。

言論の鋭さは
人の心を動かす

 このような1等新聞の力に私が対抗できたのは「どんな本を読んだらいいのか、推せんして下さい」と言ってきた後任兵たちのおかげです。大学院の博士課程までカバンのひもをずるずると引きずってから軍に入隊した私に対して、10歳ほども年下の2等兵の目にはいとも不思議な存在のようでした。そんなわけで、しばしば世の中の話を聞かせてもやったが、経験や感受性の違いなどで興味を感じられない後任兵が多く、まずは漫画本を推せんしてやりました。チェ・ギュソクの〈100℃〉〈大韓民国原住民〉などでした。このようなやり方に始まり、ソン・ソッチュンの〈新聞読みの革命〉を貫通していくと子どもらのまなざしが変化し、私が除隊するころにはウ・ソックン、ユ・シミン、ハン・ホング、シン・ヨンボク、リ・ヨンヒを知るところとなり、本を回覧しながら感動的な質問や感情を吐露してきました。
 感動その1。「電話で友人に〈88万ウォン世代〉を読んでいると言うと、運動圏(市民・社会運動をしている人々を指す)なのか、軍隊でそんなものを何で読んでいるのか、と言います。私の友人に世の中のことを教えてやろうと思ったからなんです。除隊後、そのような友人らと読書サークルのようなことをしてみたいです。先に世の中のことを知ることになった人間としての義務だと考えます」。
 感動その2。「私は韓国の近現代史が折り込まれたゲームを作りたいです。ただゲームをしているだけれども、屈折した我々の歴史に目を開かせる、そんなゲームを、ということです」。
 予想もできなかった連中の反応は、軍で受けた精神教育によって歴史観に歪みが生じかねないのでは、と思った私の考えが杞憂だったことをみせつけてくれました。「1等新聞」の力に消極的な対抗がこのくらいの結果を作ったのであればいいじゃないかと満足しつつ除隊しました。
 このように人の心を動かし、鳥の両の翼を備えさせる力、それは言論がまさに鋭いその時、いっそう現実性が高まるものであることを軍隊で思い至りました。軍生活の間に忘れていた、民主言論市民連合(民言連)の会費の自動引き落としも再び申請したし、〈ハンギュレ21〉の購読申請とともに『美しい同行』(リードで指摘した、市民・社会団体への応援事業のこと)の申請もしました。軍で付き合うようになった後任兵たちが順次、除隊をするとともに民言連の活動なども紹介してやりました。会員の拡大にも少しはプラスになるでしょう。私は当面、10年前に参加していた「言論学校」を再び受講します。世上の物情を知らなかった私が「社会的感受性」を持つことができたスペースが、まさに民言連の言論学校でした。花開く3月に始まる言論学校を考えると、もう胸がどきどきします。(「ハンギョレ21」第800号、10年3月8日付)
注 民主言論市民連合 解職された言論人や進歩的出版人が1984年に創立し、言論運動の母体となった団体です。オルタナティブ・メディアが皆無だった時期に月刊誌〈マール〉(言葉の意)を発刊して独裁権力を告発し、疎外される民衆の真実を知らせました。1987年6月の民主化抗争以降、〈ハンギョレ新聞〉の創刊をもたらしました。それ以降、民言連は言論人の団体から市民運動団体へと転換し市民言論の教育、言論監視活動、言論関連の制度改善などに主力をおくこととなります。特に1991年から始まった「言論学校」は市民らの熱い参加によって72期を迎えました。言論学校は市民と共に社会全般において現れる言論の問題点を見つけ出し、その対案を模索するという位置にいます。3月23日から始まる言論学校ではチョン、ヨンジュ前・韓国放送社長、ソン・ソッキ誠信女子大教授、チェ・ムンヌン民主党議員(前・文化放送社長)らと共にイ・ミョンバク政権の下での言論の実体を暴き出してみようと思います。民言連がイ・ミョンバク政権の「言論掌握」に抗してより力強く行動しようとするならば市民の皆さんの多くの支持と後援が必要です。一緒にやって下さいますか。ホーム・ページccdm.or.kr、問い合わせ02―391―0181。(「ハンギョレ21」第800号)



 
コラム
夢か現か

 民主党が危機に揺れている。これまで、スキャンダルや出世主義者たちの功名心にもとずく政治的失敗によるいくつかの危機があった。それを乗り越えて強くなったと思われていた。だが、今回の危機は、まったく政治的質を異にするものであり、本質的なものに発展する可能性がある。もちろん、鳩山、小沢の「政治と金」の問題はそのひとつではあるが。鳩山政府に対する不支持率の増大と自民党の支持率の低迷は同根である。庶民は自民党的な政治勢力が歴史の表舞台から退くことを要求しているのである。小沢はこのことをよく理解している。政権与党の幹事長という権力の座を降りれば、彼もまた歴史の表舞台から去らねばならない。さらに「北海道教組」問題は、単に選挙資金の問題に止まらず、労働組合とその活動を、今一度問い直すものになっていかざるを得ないだろう。
 民主党発足の当初、私は、この欄で「呉越同舟」と「同床異夢」の党と評した。そして野党時代は、それは、それぞれの「見果てぬ夢」であり得た。人々に「夢」を語ることができた。だが、政権交替が成り、国家権力を握って以降は、いつまでも「見果てぬ夢」であり続けることはできない。その夢を現実のものに手繰りよせていく過程で「同床異夢」であったものが、現実の対立関係に発展し始めているのである。それは非和解的なものになる可能性を秘めている。これこそ、民主党の本当の危機なのである。だが、この対立は未だ萌芽であり、明確なものになってはいない。権力を握ってから未だ日が浅いからだ。
 民主党政府は、世界の一極支配を誇ってきたアメリカの時代の崩壊という「過渡期性」が生み落とした産物に他ならない。この過渡期の不安定性が、民主党政府の不安定性を作り出していると言っても過言ではない。であるが故に、民主党政府は自身の力でこの「過渡期」を突き破ることは出来ない。「コンクリートから人へ」「軍事よりも援助を」「市場原理主義よりも格差、社会的不平等の是正を」「グリーン資本主義」等のキャッチフレーズは「過渡期性」の表現そのものであり、何時でも逆転可能なものだ。それは「オバマの戦争」が何よりも雄弁に物語っている。
 新たな時代の幕開けの中で、我々の「立ち位置」をどのように構想しようとするのか。この不安定な「過渡期」という歴史の歯車を、逆転を許さず、前進させようとする。前進させるための下からの統一戦線を、力あるものとして作りだしていくことが求められているのではないか。そのための「行動綱領」もまた必要だろう。それがわれわれの「立ち位置」なのではないだろうか。内ゲバ主義を排して、スターリニズムや新左翼主義によって歪められてきた統一戦線の思想を歴史の正しい道筋に乗せていくことは、必要不可欠の課題となっている。それはまた、新、旧左翼の諸グループの算術総和の延長上に「反資本主義左翼」の形成を考えるのではなく、真に大衆的な基盤の上に「反資本主義左翼」の形成を展望しようとする闘いでもあるはずだ。たとえそれが、どんなに長期にわたるものであっても。       (灘)


投書

「アバター」を観て
SM

 今話題のSF映画「アバター」(ジェームズ・キャメロン監督作品/2009年/アメリカ映画)を観た。
 宇宙の星(パンドラ)に、先住民(ナヴィ)が住んでいる。地球人は、その星の資源を欲しがっている。資源は、先住民の村に存在する。地球人にとって、先住民は邪魔な存在だ。そこで、地球人は先住民を懐柔しようと試みる。懐柔に失敗すると、地球人は軍事組織を使って先住民を殺りくする。地球人と先住民は、闘いを繰り広げる。この映画では、そういう話が描かれている。
 この映画は、「ダンス・ウィズ・ウルブス」(ケビン・コスナー監督作品/1990年/アメリカ映画)と少し似ている。「タイタニック」(1997年/アメリカ映画)を観て感動した世界の人びとが、この映画を観ることは、良いことだ。この映画を観て、私はそう思った。
 映画の中の、軍事組織に支援された地球人と先住民の闘いを観て、西側の「先進国」の侵略と先住民の闘い、日本とアイヌ民族の闘い、ベトナム戦争、アフガン戦争やイラク戦争、成田空港反対闘争などのことを私は考えた。
 この映画は、現実に存在する・存在した誰かを批判しているわけではない。この映画は、ただのSF映画だ。ただ、この映画は、「やましいところがある人びと」の意識を刺激する。彼らに「この映画で描かれている悪者は、自分たちではないか」と思わせる。「善人」は満足し、「悪人」は不安になる。そういう映画ではある。私は、そう考える。
 この映画は、ラストが私には良く分からなかった。この映画では、警察やマスコミの反動性が何も描かれていないのではないか。星(パンドラ)の自然がきれいだ。私の誤解でなければ、この映画の中には「精神障害」を悪く言うような表現があった。その点が残念だ。私は、それらのことも考えた。(2010年2月14日)

滝浦孝さんの投書に寄せて
平井純一

 本紙前号(3月15日号)「読者からの通信」欄に掲載された滝浦孝さんの投稿を拝見。討論を呼びかけている内容ですので、私からも一言。バンクーバー冬季オリンピックの開会式での先住民族の扱いを高く評価しておられますが、私はやはり、それはオリンピックというイベントの評価とセットにしたものでないと、と考えるのです。
 亡くなった右島一郎は、最も先鋭に国家主義的スポーツイベントとしてのオリンピックやワールドカップを批判してきました。そしてバンクーバー現地でも、オリンピックに反対する運動があります。本紙でも紹介しましたが二〇一六年東京五輪招致に反対している人びとは、コペンハーゲンで行われたIOC総会の場でも、バンクーバー冬季五輪に反対する現地の人びとと交流しました。カナダでは「ファースト・ネーション」(「最初の民族」とでも訳すのでしょうか)と呼ばれる先住民族の中でも、冬季五輪への先住民族の組み込みを「分断と利用主義」として、協力を拒否した人たちがいることが報道されていました。
 もちろん、カナダという多民族国家での先住民族や移民への対応は、いまだにアイヌ民族への差別的対応が横行している日本に比べればはるかに「洗練」されたものでしょう。冬季五輪において英連邦の一員としてのカナダで開催国の総督=「元首」としてスピーチをしたのもハイチ移民出身の黒人女性でした。しかし先住民族を主催者にしたそうした先進的対応への評価も、五輪そのものへの批判を帳消しにするものではないはずです。
 なお、滝浦さんが強調している、より「複眼的で多様性のあるものの見方」や先住民の自然との関係における価値観が、近代の欧米中心主義的文明観を克服する要素という提起については、この間の第四インターナショナルの気候変動問題についての論議の中でもラテンアメリカの先住民族の運動の発展を土台にして強調されるようになっています。それはエコ社会主義や「二十一世紀の社会主義」をめぐる論議でも中心的論点の一つになっているようです。
 滝浦さんがふれている「日の本」については、ずいぶん前に読んだ谷川健一の『白鳥伝説』をあらためて思い出して、ひっくり返したりしています。天皇制問題については、もちろん「簡単に否定」できないからこそ、少数派であろうともその克服のためのねばり強い闘いの蓄積が必要だと確信しています。


もどる

Back