佐藤昌子さんのパナソニック闘争の意義と課題
星野憲太郎(宮城合同労働組合執行委員長) |
日本を代表する製造業企業パナソニックから派遣切りされた佐藤昌子さんが、全国的な闘いの連帯を背景に、正規雇用で原職復帰という、画期的で全国の非正規労働者に勇気を与える勝利和解をかち取った。この意義は計り知れない。どのような闘いであったのか、勝利の道筋など、今後に多くの示唆を与える寄稿を以下に紹介する。(編集部)
1 労働権・生活権の奪還
(1)私は『かけはし』編集部から、佐藤昌子さんのパナソニック闘争の意味と意義について原稿を依頼された。佐藤さんは何か特別の意味・目的を抱いて闘い始めたのではなく、彼女にあったのは生活を回復したい一心だけだった。だから、復帰を実現して生活できるようになったことが佐藤さんにとって一番の意義であることをはじめに述べておきたい。
一昨年九月、私が初対面の佐藤さんから相談を受けた時、さっそく解雇通告の経過を聞こうとした。ところが彼女は生活できない状況を二時間くらい繰り返し話し、それが一段落してからやっと事実関係を整理して団交申入れ書の作成に取りかかることができた。佐藤さんは記者会見で開口一番、「職場に戻れてうれしい」と話した。
佐藤さんは復帰に加えて、従前のように契約期間六カ月の派遣ではなく、正規社員の地位を得て長年の雇用不安から解放された。彼女は派遣時代に管理者から、「派遣はいつでも切れる」と言われ続けてきた。私は組合専従になるまでの約三十年間、ずっと正規社員をやっていた。その私に、明日なき労働と言われる派遣の十八年が佐藤さんにとってどんなに不安だったのか、推し量ることはできない。争議中佐藤さんは、「派遣で戻ってもまた切られるので、それはいやです」ときっぱり言っていた。その彼女にとっては、職場復帰と正規社員は不可分だった。佐藤さんは、絶対に譲れない和解条件として正規社員化を掲げ、職場復帰・争議解決金と共に実現させた。
今、佐藤さんはパナソニック電工の従前の職場で毎日元気に働いている。解雇争議では、本人が職場復帰をためらい金銭解決を選択する場合が多い。それは会社からの様々な圧力やいじめを予想すると、どうしても職場に戻る気力が出ないからだ。特に裁判だけの争議の場合はそうなる。しかし佐藤さんは地域、全国の労働者と団結して闘い、資本によって孤立させられ従順に働くだけの人ではなくなっていた。権利を自覚し、全国の仲間と団結した労働者階級として職場に戻った。
彼女は復職後に『労働情報』へ投稿しているが、「一方的だった力が本来は相互に向き合う力関係なのだということを実感しています」と述べている。裁判所が「(復帰後に)被告は原告に対し不利益を与えないこと」とした項目を和解調書に盛り込んでくれたが、その心配はないであろう。
(2)和解が成立した十二月二十五日当日、裁判所にパナソニックプラズマディスプレイ(PPDP)偽装請負裁判原告の吉岡さんが駆けつけた。彼は一週間前のPPDP最高裁不当判決が和解交渉に影響しまいかと心配していた。利害関係人として交渉に参加していた私は、待機していた支援者たちに「勝利和解が成立した」と一報を発した。吉岡さんがにこやかに笑った。彼は裁判所前で佐藤さんに勝利祝いの花束を贈呈し、自身の勝利のように喜びをかみしめていた。当日、和解成立を地元のテレビが放映し、翌日各紙が一斉に報道した。パナソニック各社を相手に闘っている共闘の仲間たちをはじめ多くの方々から祝福の言葉が寄せられた。争議中の方々、支援の方々、友人知人の方々が一様に喜んでくれた。
佐藤さんのパナソニックへの復帰は全国の同様の争議の勝利解決に向けた後押しになるであろう。企業に対して、派遣労働者であっても簡単に労働権・生活権を奪うことはできないことを知らしめたであろう。
宮城合同労組は事務所の表に掲げ続けてきた「パナソニックは佐藤さんを職場に戻せ!」の闘争旗の文言を「パナソニックが佐藤さんを正社員で職場に戻す」に直した。事務所のビルには、連合宮城県本部及び電機連合をはじめ連合加盟労組の県本部がかなり入居している。彼らから矢継ぎ早に「松下の派遣の人、ホントに戻ったのですか?正社員になったのですか?」と聴かれた。反響は、いたるところで表れた。
(3)「声明」でも述べたが、比較的短期でパナソニックに争議解決を決断させたのは、裁判だけではなく、全国の労働者の支援で抗議闘争を展開できたことと、大企業の派遣・非正規切りに対する社会的批判が拡がる中で人々に対して佐藤さんの訴えがリアルに響きわたり、パナソニックを人民が包囲したことだ。人の和と天の時があったからこそ、早期解決を実現させることができたと思っている。
2 闘いは離職理由変更要求から
(1)松下電工で働いていた佐藤さんは、松下がパナソニックに商号変更した二〇〇八年十月一日に失業した。失業当時は裁判や争議を考える余裕はなかった。派遣会社アロービジネスメイツ(ABM)仙台支店から送られてきた離職票の離職理由がこともあろうに「自己の都合」となっていた。佐藤さんは「派遣だと切られても自己都合になるのでしょうか」と、ため息をついていた。ハローワークに事実を説明し、ハローワークが仙台支店に「事業主の都合で契約更新しない」に訂正させた。すぐに失業給付を得たことが佐藤さんの最初の闘いであった。
(2)しかし佐藤さんの求職活動は困難を極めた。二〇〇八年九月にはリーマンブラザーズが破綻し、世界の企業は一挙に自己防衛に走り、世界的にリストラの嵐が強まった。ハローワークは益々長蛇の列となっており、佐藤さんは毎日思い悩んでいた。そして彼女は、十八年働いた職場に戻るしか生活の道はない、と結論を出した。
同じパナソニックで吉岡さんがPPDPと闘い大阪高裁で勝利したことが勇気を与えた。佐藤さんも訴訟で闘う決心をしたが、勝訴の確定には四〜五年はかかる。そこで全国一般全国協中央本部に相談し、パナソニックに争議解決を迫るため抗議闘争を全国体制で取り組んでもらえるよう要請した。中央本郡は「宮城と福島が大資本と本気で闘うなら全国闘争でやる」と返事してくれた。さっそく郡山現地を中心に友人・知人・労組・市民団体に呼びかけて支援する会の準備を行い、宮城では佐藤さんと面識がある人はいなかったので各種会議で紹介し、彼女本人から直接支援要請をしてもらった。
(3)十一月十三日、佐藤さんはパナソニック電工との雇用確認を求めて福島地裁郡山支部に訴状を提出した。年末・年度末にかけてさらに大量の派遣・非正規労働者の首切りが予想され社会的批判が噴出していた時期だけに、佐藤さんの裁判に対するマスコミの関心が高く、提訴が大きく取り上げられた。私たちは注目を集める闘いになっているのに気づき、「裁判闘争」と「抗議闘争」に「社会に対する派遣切り反対の訴え」をプラスして三分野での闘いを展開しようということになった。
(4)緒戦は十二月四日の「派遣法抜本改正日比谷集会・デモ」であった。佐藤さんを先頭に東北全労協から三十人が闘争旗を林立させて日比谷野音で前段決起集会をもった。本集会では彼女の発言機会が与えられ、満席の参加者に失業の苦しさと派遣法廃止を訴えた。
佐藤さんが闘い始めたと同時に、年末年始の年越し派遣村に象徴されるように派遣・非正規労働者の失業が深刻化した。佐藤さんはNHKテレビの依頼で「クローズアップ現代」に出演し、派遣切りされた労働者を代表して全国に訴え、大きな反響を呼んだ。
(5)抗議闘争はパナソニック電工大阪本社から始めた。大阪ユニオンネットの仲間たちが、全港湾クボタの外国人非正規労働者不当解雇撤回争議とセットで「クボタ・パナソニック連続抗議闘争」を準備してくれた。
二〇〇九年三月二日、二百人のデモ隊が大阪松下城下町を揺るがした。続いて権利総行動実行委員会主催の六月二十二日東京総行動の一環としてパナソニック電工東京本社への抗議行動を取り組んだ。七月にはPPDP吉岡さん、パナソニックエレクトロニックデバイスジャパン若狭の河本さんと共に佐藤さんが呼びかけ人となり、パナソニック総行動を全国で展開した。
その間にも、郡山現地では昨年二月に鎌田慧さんを招いた講演会、十一月には宇都宮健児さんを招いた講演会を開催し、地域の人々に佐藤さんの職場復帰を訴え続けた。
3 裁判で「労働契約の原則」を主張
(1)パナソニック側はすでに団体交渉の時点から伊予銀行高松高裁不当判決を持ち出し、佐藤さんの解雇が違法でない、と主張していた。裁判でも派遣元が雇用主であり、派遣先には解雇の責任がない、と主張するために伊予銀行判決を引用した。
その高松高裁判決とは、十三年間にわたり派遣雇用契約を反復した当該原告を無理矢理に登録型派遣とした上で、「派遣法は派遣労働者を常用雇用者の代替にすることを禁じており、したがって派遣は臨時的雇用である。臨時的雇用の派遣労働者が契約更新の期待権を抱くわけがない。さらに登録型では、企業間の労働者派遣契約が終わればすべてがなくなる。」とした人権否定の判決である。なお、この判決を許容する我が国の派遣法、派遣労働者の権利保護を定めるILO条約に反するとした申し立てが行われ、昨年十一月、ILOで調査が開始された。
(2)佐藤さんの裁判で原告側は、派遣元ABMではなく、派遣先パナソニック電工との地位確認の請求を行った。これに対し被告側は、松下PDP(現PPDP)大阪地裁不当判決を前面に立て、「仮に派遣法違反があったとしても、原告側には民事上の請求権がない」として防御線を張った。ようするに、派遣法は取締り法規だから派遣労働者が派遣法違反を理由に裁判所に対し地位確認を求めたり、損害賠償を求めたりすることは出来ない、と主張したのだ。そして「本件の争点は派遣法違反があったかどうかであり、次に仮に違反があった場合に派遣労働者が派遣先に対し地位確認を請求できるか否かである」と論じた。
これに対し原告側は前述の被告側の争点整理を否定し、労働契約の原則で争った。すなわち、佐藤さんが集めた元同僚たちの陳述書や彼女が几帳面に保存していた給与明細等の証拠をもとに「採用面接を行い、労働条件を決め、就業させて賃金を支払っていた松下電工が佐藤さんの雇用主であり、派遣元ABMは親会社松下電工のための形式的雇用名義者ないし代行的雇用者に過ぎない」と、主張した。そして原告側は佐藤さんの就業実態を明らかにすることで、被告側が企業の守護神=派遣法で防御することができないほど追い込んでいったと思う。
(3)昨年十二月十八日、最高裁は派遣法第二条を根拠に松下PDP大阪高裁判決を廃棄し自判した。最高裁不当判決は、@吉岡さんの就業は、派遣法二条一号にいう労働者派遣であると解すべきであるA(偽装請負など)仮に派遣法に違反する労働者派遣が行なわれた場合においても、特段の事情がない限り、派遣労働者と派遣元との間の雇用関係が無効になることはないB松下PDPが吉岡さんの採用及び賃金に関与したとはいえないCよって、派遣法二条の通り派遣元であるパスコが吉岡さんの雇用主であり、吉岡さんと派遣先である松下PDPとの間で雇用契約関係が黙示的に成立したとはいえない、としたのだ。吉岡さんは、「最高裁が勝手に自分を派遣社員にして就業先PPDPとの間の黙示の労働契約を認めなかった」と語っている。このように最高裁は派遣法を大いに利用して大阪高裁判決を覆したのである。
(4)つまり派遣法は企業のため、あるいは企業の人権侵害を救済するための司法の道具ということだ。近代国家の法律で、一〇〇パーセント一方の側の利益のためだけに存在する法律は派遣法だけであろう。前述の伊予銀行判決は、登録型派遣に対して「解雇権濫用法理の適用がない」としたが、そうすると労働契約法十六条(解雇の法理)及び十七条(有期雇用者の期間途中の解約禁止)の適用を受けることができない労働者を認めることになる。すなわち、派遣法は労働契約法と整合性を持たない。
(5)私は佐藤さんの裁判闘争を担う過程で宮城労働局及び厚生労働省に対し様々見解を求めた。労働局は「派遣法は労働者保護法だ」と言った。「どこが保護なのか教えてくれ」と質問したところ、派遣元の「直接雇用申込み義務」と「派遣労働者を特定する行為になる事前面接等の禁止」をあげた。しかし、申込み義務が出るのは派遣元が派遣先に通知した場合に限られ、通知した場合でも契約更新しないという逃げ手があり、さらに義務違反を告発すると間違いなく首を切られるのが実態だ。一方、派遣先の事前面接の禁止は、労働者保護が目的ではなく、労働契約の原則上、採用面接した派遣先が雇用主と推認されてしまい、これが横行すると派遣元を雇用主と規定する派遣法がガタガタになってしまうからである。佐藤さんの場合もそうであったが、実際は派遣先の事前面接が横行しており、派遣法は成立当初から合理性を欠く。
(6)厚生労働省に対しては、接客業務の佐藤さんが専門二十六業務の事務機器操作やインテリアコーディネーターの業務名で十八年近く就業してきたことから、その可否について質問した。厚労省の見解は、電卓さえ持っていれば事務機器操作の業務に該当する可能性があるとしたものであった。企業が一般業務を事務機器操作の業務等の専門二十六業務にデッチ上げて無期限に派遣のままで働かせている現状は行政の功罪でもある。
4 派遣法を一刻も早く葬ろう
(1)一月十九日の「佐藤昌子さんの正社員での職場復帰を祝う宮城の集い」で、この裁判を担った鈴木宏一弁護士は、「佐藤さんには松下電工の社員であった特殊な事情があり、それが極めて有利にはたらき裁判所も認めてくれた。しかし特殊な事情ではなく、企業が違法派遣、偽装請負といった違法就業を課した場合、供給先や派遣先との間に雇用関係が存在するとしたPPDP大阪高裁判決の論理で追い詰めたかった。そうできれば、さらにさらに全国の同類の裁判の後押しができた。最高裁が労働契約の原則を否定するなら法改正を実現し、違法があれば派遣先との雇用とみなす法制度を実現させるべきである」と述べられた。
派遣労働は、偽装請負や派遣期間制限違反、業務偽装など大部分が違法という状態にある。事実佐藤さんは時期により異なるが、これらすべての状況に置かれていた。違法行為があった場合の派遣先「みなし雇用」の導入が昨年十二月二十七日の労政審答申に盛り込まれているが、違法行為があった場合、派遣先企業と派遣労働者とのあいだで期間の定めのない雇用契約(正規社員)が成立しているとみなす明確な制度が必要だ。
二つ目は、違法行為を行政に告発ないし相談した労働者の保護を明確化することだ。告発した者が首を切られるのでは何ら実効性がない。三つ目は、派遣期間制限のない専門二十六業務への業務偽装を許さないことだ。前述の通り、現状は行政が業務偽装を促進する側に立っている。これでは「みなし雇用」制度もザルになるのが目に見えている。他、労政審答申に対する批判は山ほどあるが紙面の関係で省かせていただく。
(2)宮城労働局の労働者派遣担当部署は「需給調整室」である。厚生労働省も同じである。この名称は、行政によっても派遣労働者を労働力需給の調整弁に位置づけている証しである。人間をいつでも切り捨て可能な調整弁とすること自体間違っているし、それを法的に保障する派遣法を早く葬らなければならない。
佐藤さんの勝利が彼女一人の人権回復だけではなく、すべての派遣・非正規労働者の人権回復につながってほしいと思う。私たちは佐藤さんと共に闘い、貴重な経験を得た。この経験をもとに、派遣法廃止をめざす全国の闘いの先頭で闘いぬいていきたい。
佐藤昌子さん勝利解決支援御礼東京集会
非正規の仲間たちがつどい
勝利と希望をともに共有
一月三十一日夕刻、東京で「佐藤昌子さん、パナソニック電工派遣切り争議勝利解決支援御礼東京集会」が開催された。当日日中に全国代表者会議を開いた全国一般全国協の組合員が多く参加したことは当然として、それ以外にも、さまざまな企業を相手に闘い続けている非正規の仲間や支援団体、労働組合も、ナショナルセンターの垣根を越え多数集った。そしてこれらの仲間の熱気の中、全国ユニオン安部誠事務局長が音頭を取った乾杯からアルコールも入った集会は、佐藤さんの勝利を自分たちの勝利として共にかみしめ、希望を新たにする場となった。
当該としてあいさつに立った佐藤さんは「この勝利を全国で貧困に苦しむ人びと共通の勝利と考えている。仲間を得たことで今は一年前の私ではない。それは闘いの中で得たもので誰でもそうなれる。必要なのは希望でありそれは仲間を得ることで生まれる。だから労働組合は当事者を裏切ってはならない。仲間を集め一つになって闘おう。周りを動かし私たちの方から世の中を変える力を作り出そう」と力強く発言した。会場に改めて勇気を送った。
続いてパナソニックPDP吉岡会の伴さん、働く女性の全国センターの伊藤さん、三菱ふそう派遣切り被害者の鈴木さん、神奈川医労連の日赤派遣労働者など、佐藤さんの勝利を次の闘いに引き継ぐと、さながら希望の環をつなぐようにおよそ二十人もの発言が続いた。
狭い会場には八十人以上がすし詰め。その中で、多数の女性の参加が目を引き、彼女たちの多くの発言を通して、派遣労働に刻印された新たな女性差別としての側面が特に突き出された集会でもあった。
韓国の女性の映画制作集団も参加していた。彼女たちは佐藤さんをずっと撮影しているのだという。そして、「韓国やフィリピンで女性の抑圧はあるがみんな声を上げている。しかし日本では声がなかなか聞こえない。日本の女性が一番苦しめられているのかもしれない」という彼女たちの発言はそれもまた、日本の運動の課題を鋭く突き出した。
派遣労働と女性差別の課題を中心に垣根を越えた共同が重ねられ、それが希望をつないでいる。今集会は、佐藤さんの闘いと勝利もまた確実にその一助となっていることを示していた。(谷)
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