| 1・24 WSF2010首都圏の成功へ かけはし2010.1.18号 |
世界社会フォーラム10年の成果を継承し
オルタグローバリゼーション運動の飛躍を |
二〇一〇年一月、世界社会フォーラム(WSF)は十年目の節目を迎える。一〇年のWSFは〇八年と同様に世界各地の都市で分散形式で行われる。日本では東京で一月二十四日に「WSF二〇一〇首都圏」、「おおさか社会フォーラム」が三月二十一日〜二十二日の二日間の日程で行われる。経済や雇用などの経済危機だけでなく地球環境全体をも危機に陥れつつある新自由主義グローバリゼーションに一貫して抵抗し、オルタナティブの提示を続けてきたオルタグローバリゼーション運動の本格的登場に一役も二役も買ったこの巨大な運動空間の意義を振り返る。
人類の未来を賭けた闘い
気候変動第十五回締約国会議(COP15)が開催されていたデンマーク、コペンハーゲンに「気候は売り物ではない」「気候変動ではなくシステムの変革を!」の断固たるオルタグローバリゼーション運動のスローガンが、デンマーク警察による一方的で暴力的な弾圧にひるむことなく鳴り響いた。COP15と並行して開催された社会運動のフォーラム「クリマフォーラム二〇〇九」の宣言文は次のように謳っている。
「コペンハーゲン気候変動サミットの結論がどのようなものであれ、私たちの社会を持続可能なものへと転換させる、地球規模の長期的運動―各運動を繋ぐ運動―の構築が早急に必要である。現在の権力構造とは反対に、この運動はボトムアップで作りあげられなくてはならない。環境保護運動、社会運動、労働組合、農民、市民社会ならびに日々の政治闘争の中で協働できる様々な政党との広範な連携が、地域・国内・国際の各レベルで必要となってくる。このような連携は同時に、新しい発想、新しいタイプの社会活動を必然的に生み出す。」
コペンハーゲンの街頭やクリマフォーラムで発せられたオルタグローバリゼーションの主張は、資本主義が生み出した気候の危機に対する抵抗と怒り、そして帝国主義諸国に対する厳しい排出規制を求め、資本主義による歴史的な環境破壊に対する賠償を要求し、自然との調和を組み込んだ生産システムへの移行を展望する「南」と「北」の人々の願いを体現していた。オルタグローバリゼーション運動は、この惑星に生きるすべての生命体と労働によって価値を創造する人類の未来を賭けたたたかいという新たなステージを登りつつある。
WSFが開けた希望の風穴
このオルタグローバリゼーション運動の世界的な登場のステップとなったのが、二〇〇一年一月末、北半球のコペンハーゲンから遥かに離れた南半球にあるブラジル、ポルトアルグレで初めて開催された世界社会フォーラム(WSF)である。WSFは、毎年一月に世界の政財界のエリートが保養地スイス・ダボスに集まり新自由主義を吹聴する世界経済フォーラム(WEF、ダボス会議)に対抗して「もう一つの世界は可能だ!」をスローガンに掲げてきた。
WSFの登場によって、それまでWTOやIMF、環境破壊や人権侵害、反戦、フェミニズムなど、資本のグローバリゼーションにともなう諸影響に対して抵抗してきた社会運動が、「もうひとつのグローバリゼーション」という意味を持つ「オルタグローバリゼーション運動」として、階級闘争の歴史に小さくない一頁を書き記すことになった。それは「堕落した労働者国家」や「官僚的社会主義」、「現存社会主義」などとよばれたスターリニズム労働者国家群の限界や崩壊を背景として、ブルジョアジーの代弁者たちによる「オルタナティブはない」とか「歴史の終わり」などという階級的プロパガンダを前面に押し出して世界を席巻してきた新自由主義がいままさに「終わり」を迎えつつあるという画期的な一頁となっている。
二〇一〇年で十年目を迎えた世界社会フォーラムに結集した社会運動は、民衆の歴史に「終わり」などないこと、そして何よりも、戦争と貧困、抑圧と搾取、文化的破壊や環境破壊もないもうひとつの世界というオルタナティブは可能であることを、世界中に発信してきた。
『ブランドなんかいらない』などの著書で、新自由主義グローバリゼーションの実態を告発してきたナオミ・クラインは、第一回目の世界社会フォーラムに参加した際の感想を次のように語っている。
「私たちが(社会変革への:引用者)自信を失ってしまったのは、進歩的な理想を実践する試みはすべて失敗に終わったと、繰り返し聞かされてきたことが原因です。……だから新しい選択を求めるときにも、まるで何かを恥じているように提案する。『もうひとつの世界は可能でしょうか?』と、ためらいがちに尋ねる」
「私は、二〇〇一年一月にブラジル・ポルト・アレグレで開催された第一回世界社会フォーラムに参加しました。……あのときも私たちは同じスローガンのもとに集いました。しかし、ここに明らかな違いがあります。世界社会フォーラムでは、スローガンに疑問符などはついていなかった。そこには、誇りに満ちた感嘆符がありました。『もうひとつの世界は可能だ!』」。
「人びとは口ぐちに、ここから新しい歴史が始まると言っていた。だから『歴史の終わり』の終わり、と記事に書きました。世界社会フォーラムでは本当にそう感じることができた。巻き起こる強い風に胸を打たれて、気がつくと深く息を吸い込んでいた。心が解き放たれたような思いがしました」(『世界』2007年12月号)。
ラテンアメリカ情勢の転換
こうした「歴史の終わりの終わり」は突如として始まったものではない。早くは一九九四年一月一日に、北米自由貿易協定(NAFTA)発効の日に、メキシコ・チアパスのラカンドンのジャングル奥深くで蜂起したサパティスタ民族解放軍の闘い、九五年十一月から十二月にかけてのフランスにおける公共部門のストライキと広範な街頭デモの拡大、九八年には多国籍企業のより自由な活動を保障するOECDの多国間投資協定(MAI)締結を断念させた取り組みがあった。
九九年八月のフランス・ミヨーのマクドナルド解体やその前年には遺伝子組み換えトウモロコシに対する抗議行動などで農業からWTO自由貿易体制を告発したジョゼ・ボベらの闘争、二〇〇〇年をひとつの焦点として九〇年代後半から南の社会運動と北のNGOの共同で展開されてきた債務帳消しの取り組みも新自由主義グローバリゼーションの背景としてある世界的な資金の流れの不当な仕組みを告発し続けてきた。
こうした「歴史の終わり」を終わらせようとした世界の闘いのリストは無数に続くだろう。それらの闘争がひとつにつながり世界に向けて発信されたのが、九九年十二月の米・シアトルにおけるWTO閣僚会合に対する闘いであった。
新自由主義グローバリゼーションに対抗するこうした一連の国際的な闘争の上に、最初の世界社会フォーラムが開催された。ここに結集したATTACなどのラディカルな社会運動があつまって出された呼びかけは自らを次のように規定している。
「われわれは、シアトル以来発展してきた運動の一部である。われわれはダボスの世界経済フォーラムに象徴されるエリートたちとその反民主主義的プロセスに挑戦している。われわれは経験を共有し、連帯を築き上げ、グローバリゼーションの新自由主義政策への全面的な拒否を示すためにやってきた」「ダボスは、富の集中、貧困のグローバリゼーションとわれわれの地球の破壊を代表している。ポルトアルグレは、人間と自然がわれわれの関心の中心となる新しい世界は可能だ、という希望を代表している」(「かけはし」2002年3月12日号)・
当初の予想を大幅に上回る二万人を集めた最初の世界社会フォーラムは、軍政に抵抗してきた広範な運動戦線および反軍政闘争の過程で一九八一年に結成された労働者党(PT)が、いくつかの自治体の行政を握り、四度目の大統領選挙を攻勢の中で迎えようとしていたという、ブラジル特有の事情もあった。とくに世界社会フォーラムが開催されたリオグランデ・ド・スル州やその州都のポルト・アルグレ市は労働者党のそれも左派部分の拠点であり、参加型予算などの先進的な行政運営を実施してきたという基盤の上に実現されたものでもあった。
こうして成功した最初のWSFを引き継ぎ、二〇〇二年には五万人、二〇〇三年は十万人と拡大し、二〇〇四年のインド・ムンバイでのWSFは十二万人、そして二〇〇五年は再度ポルトアルグレに戻り十五万人と参加者は増えつづけた。二〇〇六年にはラテンアメリカ(ベネズエラ・カラカス)、アフリカ(マリ・バマコ)、アジア(パキスタン・カラチ)の三大陸での同時開催WSFが実施された。二〇〇七年のケニア・ナイロビでのWSFには七万人が参加、二〇〇八年一月には東京・札幌を含む世界八百カ所で大小さまざまなスタイルでの世界同時開催、そして二〇〇九年のWSFにはベレン(ブラジル・パラ州)に十五万人が参加した。
WSFに結集する社会運動団体は、その当初から、新自由主義グローバリゼーションと一体である軍事化に反対し、米帝国主義によるキューバをはじめとするラテンアメリカ諸国に対する経済封鎖や各種の軍事的挑発行為などを糾弾し、サパティスタを支持し、アフガニスタンやイラク占領に反対し、パレスチナ人民との連帯を表明してきたが、なかでももっとも注目されるのは、ブラジル、ベネズエラ、ボリビア、エクアドル、パラグアイをはじめとする中南米諸国におけるあたらしい政治情勢の転換を押し上げ、時には厳しく対立することもある社会運動の参加である。
二〇〇九年のベレンWSFでは、ボリビアやエクアドルの大統領を押しげた先住民の運動がコミットしたことでさらなる運動と思想の拡大が見られた。ベレンのフォーラムには、これら南米の社会運動に押し上げられたこの五カ国の大統領がそろって参加したことも注目される。
日本での運動の展開
こうして地域的にも拡大してきたWSFの十年は、ミリタリズムの世界的拡大の十年でもあったが、WSFに結集したラディカルな社会運動はこの課題にも取り組んできた。二〇〇三年一月、ブッシュ米政府による対イラク戦争の危機が差し迫る中、ポルトアルグレのWSFに集まった社会運動は「戦争をやめろ!」という呼びかけを発し、全世界六百都市で一千万人ともいわれる人々が戦争に反対して街頭をデモ行進した。
日本でもベトナム反戦以来といわれる五万人集会とデモがWORLD PEACE NOWによって呼びかけられた。日本では、ピース・ボートや九条の会につながる平和運動などがWSFに参加してきた。また、二〇〇四年四月にイラクで発生した日本人NGO・ジャーナリスト人質事件では、WSFにつながる運動を通じてコンタクトがあった「イラク民主的国民潮流」のリカービ氏を通じて人質釈放に尽力した。
日本国内においては、規制緩和・民営化に代表される日本版新自由主義改革=構造改革路線で日本社会と「自民党をぶっ壊した」小泉構造改革とそれを引きつぎ崩壊した自公連立政権とのたたかいがオルタグローバリゼーション運動の課題となってきた。イラク戦争、郵政民営化をはじめとする公共サービス解体、憲法改悪への動き、派遣労働をはじめとする不安定雇用の全面化と労働環境の悪化、公務員バッシングと労働組合への攻撃、障がい者「自立」支援法攻撃、フェミニズムに対する反動(バックラッシュ)、国旗国家法制定、教育基本法改悪、靖国参拝・侵略戦争賛美によるアジア諸国との摩擦と偏狭なナショナリズムの台頭など、日本資本主義の生き残りを賭けた支配階級の策動のツケがすべて労働者・市民に押し付けられてきた。
だが、「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである」という『資本論』の言葉どおり、新自由主義はその中心地から崩壊した。二〇〇八年九月のサブプライム崩壊とリーマンショックに端を発する世界大不況である。新自由主義グローバリゼーションの中で膨れに膨れ上がり世界中を駆け巡っていたマネーは一挙に収縮した。「大きすぎて潰せない」アメリカの金融機関は、巨額の公的資金の注入により何とか崩壊を免れたが、ローンによる大量消費社会というアメリカ経済によって支えられてきた日本をはじめとする世界の生産体制は、生産規模の縮小と大量のリストラを迫られた。
各国政府は、金融機関に対してだけでなく産業資本を救済するために巨額の公的資金を使った。金融危機の対処を話しあうために〇八年十一月にワシントン、〇九年ロンドンで開催されたG20サミットでもその政策は確認された。金融機関と大企業救済のツケはまたもや民衆に押し付けられた。自民党支配体制の崩壊はこのような世界的な経済危機の真っ只中に起こったのである。小泉構造改革でずたずたにされた社会的な連帯や公正を、民主党を中心とする連立政権の誕生という情勢の中で、どのように回復させるのか。日本のオルタグローバリゼーション運動に問われる重要な課題である。税制をはじめ大企業、富裕層優遇の政策は継続したままである。「収奪者が収奪される」政策への転換なくして本当の意味での社会的連帯の回復はないだろう。
2010年の攻防に全力を
WSF二〇一〇首都圏は、二〇〇八年一月の世界同時企画の一環として東京で開かれた「WSF二〇〇八あらかわ」、同年七月の北海道・洞爺湖サミットに対抗するアクションを行ったネットワーク、そしてG20サミットに対する社会運動の側のアクションのネットワークの中などから練り上げられてきた。
もちろんそれまでにも新自由主義に対抗するさまざまな運動の模索があり、その経験は、充分とは言えないまでも確実に継承されている。新自由主義ではない「もうひとつの世界」を構築するためには「もうひとつの運動」だけでは決定的に不十分である。二つ、三つ、そしてもっとたくさんの運動の共有と経験が必要だろう。世界社会フォーラムという試みは、オルタグローバリゼーション運動にそのための空間を開いている。WSFが切り開いてきた「希望と連帯のグローバル化」を日本社会の文脈の中で定着、拡大させていく努力はまだ始まったばかりである。WSFという運動空間を巡る厳しい議論に背を向けることなく、日本におけるさまざまな運動の経験の学習と交流のなかから、新しい情勢を切り開くオルタグローバリゼーション運動のステップアップが必要である。
今年は日本でもいくつかの集会や国際会議が予定されている。一月二十四日のWSF二〇一〇首都圏、三月二十一〜二十二日のおおさか社会フォーラムを皮切りに、十月十九日から三週間の日程で名古屋で開催される生物多様性条約第十回締約国会議(COP10:閣僚会合は10月27〜29日)、十一月十三〜十四日に横浜で開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会合などである。
オルタグローバリゼーション運動は「もうひとつの世界」に一切の疑問符をつけることなく、シアトル→ポルトアルグレ→コペンハーゲンとこの十年を駆け抜けてきた。次の十年もまた一切の疑問符をつけることなく「システムの変革」に確信を持って走り出そう。世界を変え、日本を変えるために、アジアと世界のオルタグローバリゼーションにつながろう。APECに対する取り組みを通じてアジア・太平洋の社会運動のネットワークの更なる強化を、厳しい状況の中でさまざまな課題に取り組む日本の社会運動とともに築きあげることが今年の大きな課題になるだろう。その成果の上に、二〇一一年一月にセネガル・ダカールで開催される世界社会フォーラムに参加しよう。(1月10日 早野 一)
WSF2010首都圏
1月24日(日)
在日本韓国YMCA(東京・「水道橋」駅徒歩七分)
◎分科会 午前9時30分〜午後5時45分
◎マブリ(奄美島歌)ミニライブ 午後5時半頃〜6時
◎全体会 午後6時〜8時
テーマ:WSFの十年/新自由主義の二十年〜危機に対する私たちの回答
もうひとつの世界に挑戦し続けたWSFの十年 秋本陽子さん(WSF2010首都圏事務局)
「途上国」からみた新自由主義 吾郷健二さん(西南学院大学、世界経済論)
雇用の不安定化と新自由主義 中野麻美さん(弁護士、派遣労働ネットワーク代表)
分科会の詳細などは公式ブログ参照
http://tokyo.socialforum.jp
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