かけはし重要記事

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                          かけはし2002.9.23号より

日本革命的共産主義者同盟(JRCL)第19回大会決議 -- 情勢と任務(2)

1 99年18大会から02年19大会へ


(4)

 1999年から2002年にいたるヨーロッパを中心とした反グローバリゼーション運動の登場と発展、大衆運動の新たなサイクルの端著と、新しいラディカル左派勢力の前進は、日本における左翼の混迷と危機を打開する方向性がどのように見いだされなければならないかを提起している。
 われわれは、新自由主義的グローバリゼーションに対する労働者・市民の集団的抵抗闘争が、日本では先進資本主義国においては例外的なまでに長期にわたって不在であることを直視しつつ「しかし、日本が孤立した島国に止まったまままでいることはできない」と「抵抗のグローバル化」が日本に影響を与える必然性について主張してきた。そして、反グローバリゼーションの運動が、マスメディアをふくめて紹介され、フランスATTACの主張と運動やポルトアレグレの意味に少なからぬ人びとが注目している。相互に自立的に結びついた多元主義的でラディカルな新しい社会運動のグローバルな復権の中に、階級闘争の新たな道筋を見いだそうとしているのである。
 日本における左翼の混迷と危機はいっそう深まっている。民主党との「非自民」連立政権の可能性を構想してきた共産党は、共産党が参加する連立政権における「安保容認・自衛隊活用」の立場を打ち出し、帝国主義国家における「普通の国民政党」になることをアピールしてきた。そうした「連立政権」の可能性が現実の政治日程から遠のき、一連の国政選挙での敗北(2000年6月衆院選、2001年7月参院選)を経験し、小渕〜小泉政権の下での「戦争のできる国家体制づくり」が進行する中で、共産党はこの「安保容認・自衛隊活用」論を後景にしりぞかせてはいる。しかし共産党が2000年9月の22回大会で確認した同党の「改良主義的国民政党」への綱領的転換が、変更されたわけではない。新自由主義的グローバリゼーションと軍事的グローバリゼーションは、共産党の矛盾をさらに直撃せざるをえない。
 2000年6月の衆院選で「女性・市民の党」「護憲・平和の党」を押し出し、一定の「善戦」を見せた社民党もまた、旧来の党組織と議員を中心とする「市民」的要素との対立の中で、後者はその独自性を急速にかきけされている。
 内ゲバ主義の元凶であり、「新左翼」最大の組織的勢力を維持してきた中核・革マル両派は、その一国主義的「反帝・反スタ」論の破綻を「9・11」の評価でさらけだすことになった。彼らはともに、反動的な無差別テロを「ジハード」「被抑圧民族の決起」として賛美し、イスラム原理主義者の「反米闘争」に同化することによって、今日の反グローパリゼーションの運動の発展に敵対する姿勢を示している。
 他方、ドイツ、フランスなどの社民・緑政権をモデルとしてきた「緑・市民派」の流れもまた、一部には小泉政権の新自由主義的「改革」を「官僚支配の打破」として積極的に評価することに示されるように、「市民の政治」を新自由主義イデオロギーと一体化させる方向喪失におちいっていると言わなければならない。全国政治のレベルでは、こうした「緑・市民派」は、民主・社民両党に依存する圧力にさらされ続けている。
 こうした状況において、新自由主義的「改革」や「戦争ができる国家体制づくり」に対するきわめて困難な抵抗の闘いにさまざまなレベルで関わりながら、社会主義革命運動の再生に向けた立場を堅持して闘ってきたわれわれが、資本の新自由主義的グローバリゼーションに対する国際主義的な運動を組織する中で、オルタナティブな反資本主義左翼潮流の形成のための全国的なイニシアティブを発揮する責任が、決定的に重大なものとなっているのである。

2 ブッシュ政権とアメリカの新しい戦争

(1)

 2000年11月の大統領選で、総得票数においては民主党のゴアを下回りながら、辛うじて大統領に選出された共和党のブッシュ政権は、1990年代の世界経済を支えてきたアメリカ資本主義のバブル的「繁栄」=「ニューエコノミー」の危機が急激に現実化する中で、政権発足当初から自らを支える軍需産業・石油産業の利害をむきだしにした政治的・軍事的な覇権主義=ユニラテラリズム(単独行動主義)の姿勢を鮮明にした。
 ブッシュ政権は、ミサイル防衛(MD)構想をはじめとする大軍拡と弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM)廃棄方針の発表、「地球温暖化防止」のための京都議定書の枠組みからの離脱などの方針を次々に打ち出した。そして21世紀のアジア・太平洋における「潜在的脅威」と見なした中国の影響力を抑制しようとする対決路線もよりきわだったものになった。ブッシュ政権が「9・11」直前に南アフリカのダーバンで行われた国連人種差別撤廃会議からイスラエルとともに退場したことは、アメリカがまがりなりにも主張していた「国際協調主義」を事実上放棄し、国際的なモラル的正統性を「国益」の名の下に喪失させていったことを象徴的に示すものであった。

(2)

 しかし「9・11」の衝撃は、ブッシュ政権が国際政治におけるイニシアティブを決定的に回復し、その単独行動主義をさらに推進する転機となった。ブッシュは「9・11をもって世界は変わった」と主張し、「21世紀の新しい戦争」に向けて各国支配者に「二者択一」をつきつけた。「悪に対する正義の戦争」において「テロリストの側に立つのかアメリカの側に立つのか」という最後通牒である。ロシアのプーチン政権、中国の江沢民政権は、自らの戦略的思惑からこのブッシュの突きつけに対して「アメリカの側に立つ」ことを宣言し、こうした全世界の支配層の同意と協力に支えられて、アメリカはタリバン政権の打倒を目的にした対アフガン全面戦争に乗り出したのである。
 われわれが述べてきたように「9・11」によって「世界は変わった」わけではない。「9・11」は、1990年代の資本の新自由主義的グローバリゼーションが蓄積してきた危機の暴力的本質や、全世界の帝国主義支配階級がその危機の発現をコントロールすることができないという事実を露呈したものであった。「9・11」は、グローバル資本主義の支配の下で累積的に促進された抑圧と不正の構造の暴力的爆発だったのであり、「9・11」をそれ以前の帝国主義支配の矛盾と切り離して語ることは誤りである。しかし、「9・11」は、新自由主義的グローバリゼーションを背景にした帝国主義の政治の暴力的・非民主主義的あり方を一挙に浮上させる契機となったのであり、その意味で「9・11」以後の国際政治情勢は、明らかに大きな変化を見せたのである。
 アメリカの対アフガン戦争は国連や国際法といった「国際秩序」の枠組みを完全に無視するものだった。さらに「テロとの戦い」は、アメリカやEUなどの「民主主義」諸国において「普遍的な価値」とされていた人権や民主主義の諸制度を破壊し、アラブ系などの移民に対する排外主義の嵐を解き放った。政治的な反対派や潜在的「テロリスト」と見なされた容疑者が監視、逮捕され、裁判も受けずに長期投獄され、盗聴・検閲が公然と合法化されるといった、あからさまな人権侵害が先進「民主主義」諸国であたりまえのものとされている。キューバにある米軍グアンタナモ基地に移送されたアルカイダ兵の処遇は、その典型である。
 かくして、ブッシュの「対テロリズム・グローバル戦争」が解き放った力学は、帝国主義諸国における「民主主義と人権」を建前にした政治システムが、危機管理と「社会秩序の防衛」を第一義的なものとする露骨に強権的で反民主主義的なシステムに置き換えられているという現実をもたらしているのである。

(3)

 ブッシュの「対テロ戦争」戦略は、イスラエル・シャロン政権のパレスチナ自治政府を破壊し、パレスチナ人民の抵抗闘争そのものを「テロリスト」として根絶する全面戦争への道を正当化させることになった。いまやシャロン政権は、パレスチナ自治政府の存在や1993年のオスロ合意で承認された「パレスチナ国家」の展望そのものを壊滅させることを射程に入れた虐殺戦争を遂行しているのである。そして、その戦略の最大のよりどころがアメリカ帝国主義にあることは言うまでもない。
 「9・11」は、コロンビアにおいてもフィリピンにおいても武装反乱勢力との「和平プロセス」を逆転させた。いまやアメリカの直接の軍事的介入と支援の下で、これら諸国における反政府武装勢力との内戦がエスカレートし、ぼう大な犠牲者・難民が新たに作りだされている。
 さらにブッシュは2002年の年頭教書で、「対テロ戦争は始まったばかりだ」と強調してグローバル戦争の拡大を宣言した。そこでは「北朝鮮、イラン、イラク」が「悪の枢軸」として名指しされ、「テロ支援国家」とされたこれら諸国への戦争に備えることを公言している。そしてイラクのサダム・フセイン体制を打倒する新たな侵略戦争の準備を着実に推し進めているのである。
 重大なことは、こうした「テロ支援国家」に対する「先制攻撃」が主張され、その際、核兵器の使用も辞さない新たな戦争戦略が採用されていることである。ブッシュ大統領、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官は、ウォルフォビッツ国防副長官など米国防省内の好戦的タカ派グループと結びつき、「9・11」によって国際的にも「正当化」された軍事的「単独行動主義」を強化しつつ、EU、ロシアなどの同意を取り付けながら、明らかに戦争のエスカレーションに突き進んでいる。
 こうした戦争への衝動は明確な展望に裏付けられたものとはいえない。とりわけ、イスラエル・シャロン政権の対パレスチナ全面戦争の容認と「ポスト・フセイン」の展望のない対イラク戦争への踏み込みは、アラブ諸国との独自の利害関係を持つEUや、ロシア、中国との間での矛盾を拡大し、ブッシュの戦争政策に対する不信感を作りだすことは間違いない。しかし、アメリカの21世紀における世界戦略は、唯一の超大国としての覇権に対する潜在的脅威と見なされるすべての諸国、勢力を、それが現実の「脅威」となる以前に「除去」しようとするものである。それはブッシュに限られたものではなく、まさに「世界秩序の形成者」であることを自負するアメリカ帝国主義の「国益」でもあることは、規定の方針なのである。
 こうしてアメリカは、自らの軍事的イニシアティブを前提とした「一国行動主義」をさらに前面に押し出しながら、他国に「国際協調」という名の軍事的追随を強制する政策を追求し続けるであろう。当面の戦争の焦点がイラクであることは間違いない。だが同時に中・長期的には最大の「潜在的対抗勢力」である中国を抱え、朝鮮半島や中台問題などの紛争要因を抱えた東アジア・太平洋におけるトータルな覇権の防衛にアメリカが最大の関心を寄せていることを忘れてはならない。
 そしてこの東アジア・太平洋のアメリカ帝国主義の「秩序」にとって、最も重要な同盟者こそ日本にほかならない。小泉政権が推し進めてきた「戦争のできる国家体制」作りの要点は、こうしたアメリカの軍事行動を共同で担うことのできる体制の構築にある。われわれは、こうしたアメリカ帝国主義のグローバル戦略、日本帝国主義を動員した東アジア・太平洋の新たな秩序形成の論理に対抗しうる労働者・市民の闘いを国際的に作りだしていくことが問われている。(つづく)


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