かけはし重要記事

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読書案内 酒井啓子著――岩波新書 700円      かけはし2002.9.23号より

『イラクとアメリカ』 

フセインはなぜ米国の敵になったか

 一九九〇〜九一年の湾岸危機・湾岸戦争以来、アメリカ帝国主義の「宿敵」となったイラクのサダム・フセイン体制を、ブッシュ政権は「大量破壊兵器を開発した人類全体への脅威」「悪の枢軸を構成するテロ支援国家」と規定し、その打倒に向けた全面戦争を決意している。イラクとの戦争にかけるアメリカの衝動は地球規模での新たな戦乱の時代を手繰りよせ、アメリカが主導する二一世紀の世界秩序を深刻な危機にたたき込むだろう。
 サダム・フセインのイラクとは何か――この問いは、アメリカの対イラク戦争に反対する運動を作りだしていく上で、避けて通ることができない。きわめてタイムリーに刊行された本書は、われわれに必要な認識の枠組みを提供してくれる。
 「中東の『革命政権』から始まったひとりの政治家が、どのようにしてアメリカを発見し、アメリカによって発見され、アメリカを利用しようとし、そしてアメリカと向き合うことで世界を統べようとしたか、本書では、イラクの現代史をその対米関係を軸に見ていくことで、アメリカの作り出した中東世界での諸矛盾を浮き彫りにしていきたい」。
 序章でのこの問題意識が本書を貫く基調である。
 本書では、莫大な石油収入を基礎に「金利生活者(レンティア)国家」としての姿を取るに至った一九七〇年代のイラクに成立したサダム・フセイン体制が、秘密警察支配による「恐怖支配」の一方で、国民にカネをばらまくという「恩恵」を与えることで「忠誠」を買い取ってきたこと、その構造がイラン・イラク戦争による莫大な戦費支出の中で危機におちいり、体制維持をかけた危機突破のための賭けがクウェート侵攻――湾岸戦争をもたらしたことを明らかにしている。それはイラン―イラク戦争を通じて実質的な同盟国となったアメリカとの関係をフセインが見誤り、ついにはアメリカとの全面衝突にまで至る経過でもあった。
 湾岸危機――湾岸戦争を通じてサダム・フセインは、国民に「恩恵」を与えるポピュリスト的指導者から「アラブの大義」の守護者というイメージ操作を武器にした「英雄」へと転身を図ろうとしたのだ、と著者は言う。
 「おそらくフセインは、戦争が不可避と判断した段階でかつての現実主義者であることを止め、徹底してイメージの中のカリスマ性を追求しようとしたのではないか。フセインが目指そうとした新たな指導者像は、イラクてはなく『アラブ世界』における、実体のあやふやな『大衆』にとっての『英雄』という虚像であった」「イラクが多国籍軍の空爆に晒されるたび、多くのアラブ人やムスリムはそこに『殉教』の姿を見る。まさにフセインが狙ったのは、自国の国土を犠牲にして、自らを『殉教者』として仕立て上げ、そのことによってカリスマ性を高めることに他ならなかったのである」。
 自らを「殉教者」に仕立て上げることで延命を図ろうとするサダム・フセイン体制のこうした特徴づけを、著者は現代史における「二極対立構造」の中に位置づけている。
 「まだ国際的に注目されていなかったフセインは、七〇〜八〇年代の米ソ冷戦構造と『イスラーム革命脅威論』をうまく利用して、『超大国』アメリカに自らを高く売りつけた。イラン・イラク戦争という地域的領土紛争を、アメリカを巻き込むことで国際紛争に仕立てて国際的関心を集めたのである。米ソの緊張緩和と冷戦の終結で、利用すべき二極対立構造が薄れていくと、自らアメリカに挑戦することで、『超大国に張り合うフセイン』というステータスを築き上げ、『アメリカ対フセイン』という対立図式のなかに、世界を巻き込んだ。当時の占領地のパレスチナ人をはじめとして、それぞれの国で自己発現できない底辺の民衆は、フセインに同調することで、フセインに『アメリカ』と対峙する代弁者にになってもらうような気持ちになる」。
 そしてサダム・フセインの独裁支配体制も、この「二極対立」図式を社会のすみずみにまで浸透させ、社会的対立関係をコントロールすることによって成立してきたのだ、と著者は説明している。
 ブッシュが「サダム・フセイン体制の打倒」を決意している今、アメリカにとって「ポスト・フセイン」の問題はどのように解決されるのだろうか。
 確かに、イラクにおいてもクルド人をはじめとする少数派の反フセイン勢力、あるいは「右」から「左」までの反フセイン勢力が存在する。しかし彼ら「反体制」勢力は基本的に「反体制ビジネス」によってアメリカの援助を引き出す存在にすぎない者がほとんどであることも、著者は指摘している。「反体制」勢力の側も「アメリカ対フセイン」の対立図式を利用して、アメリカの力に依拠することでしか自らの展望を打ち立てることはできない。
 著者は、そうした力の二極対立構造を乗り越えることが最大の課題だと述べる。しかし、アメリカの長期的占領をふくむ絶対的軍事力の優位によってしか「ポスト・フセイン」の問題を解決できないのであるとするならば、そうした構造を乗り越えることなどおよそ不可能なものとなるだろう。
 いま何よりも問われていることは、絶望的なアメリカの対イラク戦争を阻止し、イラクへの「経済制裁」を無条件に即時停止させること、中東における軍事的抑圧と不正の頂点に立つイスラエルのパレスチナ占領支配をやめさせることではないのか。この点での著者の主張は、あいまいなままに止まっている。
 完全に親米派の陣営に移行したイスラム政治学者の山内昌之は本書の書評(毎日新聞9月8日)の中で、「酒井氏はいま恐怖と貧困で打ちのめされている民衆が具体的にサダムから救われる政治シナリオを必ずしも示してくれない」と注文をつけ、「サダム体制はひょっとしてヒトラーやスターリンの非人間的な支配メカニズムよりも精緻であり、内発的な力では変えようもないほど恐怖度が強いのではないか」「現実のイラク市民は、スターリン時代のようにサダムの死による統治構造の変容か、ヒトラー独裁のように米国など外の圧力による軍事・暴力マシーンの消滅以外に救われる可能性が少ないのではないか」と語っている。山内の主張が、米国の軍事的介入=対イラク戦争による「フセイン打倒」をあからさまに正当化するものであることは言うまでもない。
 われわれは山内とは正反対の立場、すなわちアメリカの対イラク戦争を阻止し、中東におけるアメリカの軍事的プレゼンスを除去すること、さらにシオニスト国家イスラエルのパレスチナ軍事占領をやめさせることによってこそ、民衆が自らサダム・フセイン独裁体制を打倒する条件が形成されるものであることを、あらためて強調しなければならない。 (平井純一)

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