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                          かけはし2002.9.16号より

日本革命的共産主義者同盟(JRC
L)第19回大会決議 -- 情勢と任務(1)

1 99年18大会から02年19大会へ


(1)

 1999年の日本革命的共産主義者同盟(JRCL)18回全国大会は、ベルリンの壁の崩壊に象徴される東欧スターリニスト官僚支配体制の崩壊から10年、旧第四インターナショナル日本支部の分裂の完成以後10年という、世界・日本情勢の急激な転換、そしてわが同盟ならびに左翼運動の危機の時代の中で、きわめて経験主義的に模索と苦闘を積み重ねてこざるを得なかったわれわれの位置を共通に確認し、新たな闘いのスタートラインに立つための前提を作りだすものとして設定された。
 18大会は、90年代における「社会主義への信頼性の喪失」と旧来の左翼的主体もふくめた「新自由主義への統合」の深まり――それをわれわれは「リベラルの罠」と規定し、また国際的には元英首相サッチャーの言葉を用いて「TINA(There Is No Alternative)現象」とも言われた――の中で、現にある大衆運動のさまざまな動向に内在しつつ、この運動構造の中にふくまれる可能性、積極的要素を防衛・発展させる上で、わが同盟が重要な役割を果たしてきたことを確認した。
 われわれは、第四インターナショナルの同志たちの闘いと問題意識を共有しつつ、独立した政治的・階級的立場からスターリニズムの根本的・歴史的批判と克服の上に立った国際主義的な社会主義革命運動の再生のための道を模索していこうとする立場を堅持してきた。そして当面する大衆運動の強いられた防衛的性格と社会主義的展望の間の深いギャップを自覚して、その緊張感の中で持続的に闘う必要性を強調してきた16、17回大会(1995年、96年)の問題意識を継承することを確認した。それは情勢の圧力によって労働者・市民の大衆運動が資本主義の枠組みを所与の前提とした「提案・参加」型の路線に統合されていくことを批判し、「反対運動から参加・提言へ」という即自的な転換ではなく、社会運動を国家・資本への抵抗のスペースとして防衛する中でこそ、資本の新自由主義と新たな国家主義に対決するオルタナティブを構想する基盤が生み出されることを強調するものであった。
 同時に、われわれは18大会の討論の中で、当面する情勢の中で必要であったわれわれの経験主義と大衆運動主義が一つの壁にぶつからざるをえないことも自覚していた。
 「いまや大衆運動的経験主義のレベルにとどまっている限り、運動の分化が必然的にわれわれを直撃し、問題意識の分散化と組織としての最小限の統一性をも崩壊させる結果をも招くことは確かである。資本主義の政治・社会・経済全般にわたる危機の深化は、社会主義の再生のためのわれわれの戦略的課題に向けた討論を意識的に前進させる必要性をわれわれに突きつけている。18大会での討論は、ともすれば現実の大衆運動課題に追われて、保守的自己防衛におちいりがちの現状をどう突破するのか、を提起している」「われわれは16期、17期の中央委において、情勢ならびに今日の大衆運動、諸勢力のあり方への『理解』と『対応』に必死であったともいえるが、そのレベルを着実に超えていくことが必要とされているのである」(99年11月 JRCL18期2中委報告:「18回大会の総括と18期中央委の課題」、「討論ブレチン」99・12・20)。
 こうした意識的な戦略的挑戦に向けた論議は、十分に進まなかった。しかし、反グローバリゼーション運動の急速な国際的発展と、「9・11」を契機としたブッシュの「対テロ国際戦争」と小泉内閣の下での「戦争国家」体制確立をめざす攻撃に示される情勢そのものの転換の始まりは、大衆運動レベルそのものにおいても、従来の経験主義的模索を超えた飛躍をわれわれに強制している。現実の大衆運動への対応そのものが、「もう一つの世界」に向かうオルタナティブの提起を内包したものでなければならない、という性格のものになっているのである。
 わが同盟は、この点を共通の問題意識としながら政治的・組織的な挑戦を行っていかなければならない。19回大会の課題は、その意味で18回大会の討論の問題意識の継続であり、新たな「反資本主義左翼」の形成に向けた政治的・理論的・運動的・組織的な飛躍への前提条件である情勢と任務についての基本認識を3年間の経験をふまえてあらためて整理することにある。

(2)

 1999年8月の第18回大会は、小渕内閣の下で、日本帝国主義がアメリカ帝国主義のアジア・太平洋での軍事作戦を国境を越えて支援することを規定した新ガイドライン安保にもとづく「周辺事態法」、「日の丸・君が代」の「国旗・国歌」化法、憲法の具体的改悪作業に踏み込んだ「憲法調査会設置法」、警察による民衆監視の治安弾圧法としての「盗聴法」や「住民基本台帳法」改悪など、一連の「戦争ができる国家体制づくり」のための法整備を行った直後に開催された。
 それから3年を経た今日、小泉政権は昨年9・11のアメリカにおける「同時多発テロ」を受けたブッシュの「対テロ戦争」に参戦するとともに、今年の通常国会においてはいよいよ「武力攻撃事態対処法案」を提出した。それは戦争遂行体制を築き上げるために「国民の自由と権利」を罰則規定の導入をふくめて制限し、首相に強力な権限を集中して自治体の権限を剥奪する軍事的「危機対処」体制の構築に踏み込もうとするものであった。小泉による、有事=戦争を内包した危機対応国家体制の構築は、90年代における資本の新自由主義的グローパリゼーションを土台にしたアメリカ帝国主義の主導による軍事的グローバリゼーションが、「自由と民主主義」の名においてその秩序に抵抗する勢力への「ボーダレス戦争」や「核使用をふくむ先制攻撃」の発動にまで至ろうとする「9・11」以後の世界情勢の一環であった。
 われわれはこの間、「日の丸・君が代」強制反対、石原東京都知事の「三国人」発言や治安出動訓練に反対する闘い、沖縄サミットに反対し沖縄米軍基地撤去を求める運動、「新しい歴史教科書をつくる会」による天皇制日本帝国主義の侵略・植民地支配正当化に反撃する闘い、「対テロ戦争」参戦に抗議する連続した運動の組織化、憲法改悪阻止の労働者・市民の政治行動の組織化の一端を担ってきた。同時に日本資本主義の戦後最大の危機の深まりの中で推進される民営化・規制緩和の攻撃、とりわけ戦後の企業主義的労使関係の根本的清算を通じた雇用の不安定化・リストラ・失業に対する反撃のキャンペーンを闘う国労闘争団の防衛などを軸に展開してきた。
 しかし日本におけるこの3年間の推移を見るとき、1980年代から90年代にかけた資本の新自由主義的攻勢と労働者階級の抵抗闘争の解体、第二次大戦後の特殊な「平和主義」的国家体制の、戦争を内包した「普通の国家」体制への再編、労働者・市民運動の資本の新自由主義の下への統合をはねかえす反撃を作りだすことには成功していない。むしろ全体としては、小泉内閣の市場原理主義的な「聖域なき構造改革」論と「新国家主義」のセットが政権成立の当初において圧倒的な支持を集めたこと、排外主義と強権的国家主義を前面に押し出す石原慎太郎東京都知事の挑発的言辞が依然として多くの人びとの「期待」を集めていることに端的に表されているように、グローバル資本主義の下での10年以上に及ぶ経済的・社会的危機を背景にして、強力なイニシアティブを発揮する「指導者待望」論が多くの労働者・市民の意識を規定しているのである。既成政治への対抗軸を作りだそうとした新たな「市民の政治」をめざす全国的・地域的な挑戦も、こうした新自由主義の枠組みを補完する方向への動きを押し返すことができていない。
 それは、この3年間における国際的な反グローバリズム運動の発展との対比で見るとき、新自由主義に対する労働者・市民の集団的抵抗の行動がほぼ不在である日本の大衆運動情勢の「特殊性」と他の先進資本主義諸国の情勢とのギャップをさらに拡大するものであった。

(3)

 WTO総会を流会に追い込んだ1999年11〜12月のシアトルの闘争は、2000年、2001年を通じて、全世界的に広がった。資本のグローバリズムに対する抵抗と批判は、多くの先進資本主義国と「南」の諸国を貫いた共通のスローガンとなった。帝国主義諸国の首脳会議や、IMF・世界銀行、WTOなどの国際的経済機関の諸会議は数万、数十万の労働組合員、NGO、左翼諸組織などのデモ隊によって包囲されることが通例となった。そのことはたとえ口先だとしても、帝国主義諸国の首脳や保守的メディアまでが「グローバル資本主義の負の側面の是正」を語らなければならないほどの影響力を作りだしている。
 そしてこの資本の新自由主義的グローバリゼーションに対する批判は、1980年代後半から1990年代にかけた従来の階級闘争の構造の危機と衰退に代わる、新たな反資本主義的国際主義の登場と広範な社会階層を動員する大衆運動復権の可能性を現実のものにしつつある。2001年と2002年にブラジル南部のポルトアレグレで開催された世界社会フォーラム(WSF)は、グローバリゼーションに対する個別的な批判と抵抗から「もう一つの世界」の可能性への挑戦を、まさにグローバルな規模で提示するものとなっている。
 反グローバリゼーション運動の国際的展開は、左翼諸勢力の再編と分岐を促進している。それは西ヨーロッパにおいて典型的な形で表現されている。
 ポスト・スターリニスト諸党は、その労働者運動における影響力を決定的に崩壊させ、いくつかの諸国では事実上解体してしまった。「モスクワの長女」と言われ、CGTを中心に労働者の中で大きな勢力を維持してきたフランス共産党が2002年4月の大統領選挙第一回投票でLO(労働者の闘争)とLCR(第四インターナショナルフランス支部)のいずれにも得票数で及ばず、10%を超えた「トロツキスト」の3分の1にも及ばなかったことは、その端的な例証であった。
 1990年代後半にEU15カ国のうち12カ国において政権を担当するにいたった社民勢力も、資本の新自由主義的攻勢に組み込まれ、それを推進する役割を果たし、さらには1999年のユーゴ爆撃、2001年のアフガン爆撃を積極的に支持することによってまさに帝国主義的利害の擁護者としての本質を露呈することになった。「市場原理主義」でもなく伝統的「福祉国家」路線でもない「第三の道」を標榜したイギリス労働党のブレア指導部が、米ブッシュ政権の最も忠実な同盟者として「対テロ国際戦争」に参加していることは、それをはっきりと示すものである。ドイツ、フランスなど幾つかの主要国で社民党とともに政権に入った緑の党も、経済成長至上主義に対するエコロジカルでラディカルな批判の色彩や平和主義の原則を放棄していった。社民―緑政権が「人道的介入」の名によるユーゴ爆撃を支持し、ブッシュの「対テロ戦争」に参戦したことは、緑の党が新自由主義的グローバリゼーションと一体となった軍事的グローバリゼーションに対するオルタナティブたりえないことを示す紋章となった。
 この中で、第四インターナショナルに結集するトロツキスト勢力は、スターリニストや社民・緑潮流に代わって、反グローバリゼーション運動を主導するラディカル左派の登場を促進し、新しい反資本主義的左派潮流の組織的再編を推し進める位置に浮上しつつある。失業者や移民労働者の闘いを支援するSUDやFSUに代表される新たな労働運動、ATTACなどの反グローバリゼーション運動を通じた大衆運動の復活に中心的な役割を果たしているフランスだけではなく、デンマーク(赤と緑の同盟)、イギリス(社会主義連盟)、イタリア(共産主義再建党)、ポルトガル(左翼ブロック)などでも、第四インターナショナルの同志たちは、旧共産党、社民勢力の左に立つ反資本主義左翼勢力の組織的再結集にかかわり、国会などの議会選挙でも注目すべき前進をかちとってきた。
 EU諸国ににおいて典型的なこうした状況は、資本の新自由主義的グローバリゼーションに対する闘いの中で、1980年代後半から90年代半ばにかけた労働者運動を中心にした大衆運動の旧構造の衰退と危機が、新たな攻勢へ向かう転換を開始したことを物語っている。もちろん、労働者運動の防衛的局面がすでに乗り越えられたということはできない。しかし、青年世代をふくめて既成の労働運動の外側において新たな社会運動勢力が、グローバル資本主義と新たな戦争に対する行動的な挑戦を進めていることはきわめて重要である。
 しかし、その新自由主義的グローバリゼーションに対する挑戦は、政治的にはいまだ端著的なものであり、新しい革命的な反資本主義―社会主義に向けたオルタナティブへと結実しているわけではない。「9・11」以後のブッシュ政権による「対テロ戦争」の開始と民主主義と人権に対する公然たる攻撃は、新しい社会運動にとっての試練を課している。グローバル資本主義の危機と矛盾が失業と貧困を拡大し、その矛盾が中下層の労働者農民、市民に強制される中で、排外主義的な新右翼勢力がヨーロッパ各国で影響力を拡大していることは、この試練の深刻さを物語っている。
 だが世界社会フォーラムで語られた「もう一つの世界は可能だ」というスローガンは、この試練に立ち向かい、民主主義と人権と公正と平和をグローバルに実現していくことを通じて反資本主義的オルタナティブを追求していく方向性が、多くの新しい世代の活動家によって自覚されていることを示しているのである。
(つづく)

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